月が綺麗ですね
静かな夜の公園。
私の住んでいるアパートから徒歩数分といった所にあるその場所。
以前私と俊が『上位種』に襲われた、少しだけ嫌な思い出の場所。
そんな所に、こんな時間に何故呼び出されたのかといえば。
「先生、普通こんな時間呼び出しますかね。 しかも財布忘れたからお金貸してくれって……」
公園のベンチに座ったジャージ姿の先生が、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「わりぃわりぃ、飯買いに行くついでにランニングでもって思ったんだけどさ。 ここまで来てから財布が無い事に気づいた」
「何やってるんですか、全くもう……」
肩を落としながら、先生の隣に腰かける。
普段の私達なら要件をさっさと済ませて別れるか、このまま一緒にご飯でも食べに行くかの二択だったろう。
しかし今日は、別の要件もある。
だからこそ腰を下ろしたのだが、意外な事に先生は特に疑問を口にすることもなく、静かに私の言葉を待っている。
一応、気を使ってくれているのだろうか。
「お金貸すのはいいんですけど、その前に少し聞きたい事があるんですけど……いいですかね?」
「普段のお前なら前もってそんな事言わないでズバズバ聞いてくるだろ、別に構わねぇよ」
やれやれと肩を竦める彼はいつも通りに見える。
対して私は、いつも通りとはいかないが……
「あの、先生の家の事......聞いてもいいですか?」
「家って、アパートの事……じゃねえよな雰囲気的に。 実家の事か? 別に構わねぇけど、どうした? 改まって」
「いえ、その......」
なんと言葉にすればいいんだろう?
そもそも彼は怪異をまるで信じていない。
草加家の事を考えれば、それさえ”フリ”に思えてくるが......
とはいえ、もしも本当に言葉通り無関係だったするなら、まるで意味のわからない質問だろう。
だからこそ、何から話せばいいのか分からない。
「どうした? 何か気になったんだろ?」
「あの、どう聞いたら良いか……迷ってまして」
いい加減焦れてきたのか、先生は首を傾げながらこちらを振り向いた。
どうすればいい? この際私達の事や怪異の事まで説明してしまおうか。
彼だって”あの”草加家の人間なんだ。
真実を話した所で、ケロリとしているかもしれないじゃないか。
だというのに、私の口は開いてくれない。
怖いんだ、今の現状が変わってしまう事が。
もしも怪異の事を話しても、理解して協力くれるなら、活動はずっと楽になるかもしれない。
しかしもしもそうでなかったら?
想定していた最悪の状況が実現し、彼が離れて行ってしまったら?
もしくは全く彼は無関係で、信じられないような話を聞いた挙句見放されてしまったら?
そんな現実が目の前に迫っているように感じて、とんでもなく恐ろしと思える。
あぁ、私はこんなにもこの人に依存していたのか。
この人無しでは、到底生きていけない。
この世界そのものが恐ろしくて、外に足を踏み出す事さえ躊躇するだろう。
それくらい、私は草加浬という人間に依存していたのだ。
この人だったら何とかしてくれる、いつだって助けてくれる。
その希望があったからこそ、私は普通に生活が送れていたんだ。
今更過ぎる。
本人を前にして、このタイミングで改めて認識するなんて。
自分の馬鹿さ加減に、呆れた様な笑いが零れる。
そんな私に対して、先生は口を開いた。
「なぁ黒家、お前が訳分かんねぇ事言い出すのなんて今更だろうが。 何今更常識人ぶってんだよ」
「ほんっと、失礼ですね……先生は」
軽口は叩けるのに、肝心な事は何一つ言えない。
未だに俯いている私に対して、先生は構わず言葉を続けてくれた。
「何をビビッてるのか知らねぇけどよ、聞きたい事だけ聞きゃ良いじゃねぇか。 前置きだの理由なんかは聞かねぇでやるよ。 それでも聞きずらいってんなら、深く考えずにイエスかノーだけで答えてやろうか?」
本当に竹を割ったような性格をしている。
いつもの調子で笑う先生に、少しだけ場の空気が軽くなった。
全く、この人は……本当に。
「じゃぁ、本当に聞きたい事だけズバズバ聞きますよ? ちゃんと本心で答えてくださいね?」
「おう、来い来い」
一度大きく呼吸してから、覚悟を決める。
大丈夫、きっと大丈夫だ。
この人なら、今まで通り一緒に居てくれる、悪い結果になんてなるはずがない。
自分にそう言い聞かせながら、ゆっくりと口を開いた。
「先生は、呪いって信じてますか?」
「うんにゃ、これっぽっちも」
今まで通りの彼なら、当然そう答えるだろう。
しかし現実に彼の家は、そう言ったモノに関わっていると思われる。
そこをどう聞き出すか……なんて考えてから思考を止めた。
本人が聞きたい事だけ聞けと言ったんだ、ならお言葉に甘えさせてもらおう。
「先生の実家で、そういう話を聞いたことはありますか? 両親や祖父母、親戚なんかも含めて」
「おう、あるぞ。 訳分からん事ばっか言われ続けて、こんな体になった訳だし」
その言葉を聞いて、一瞬目の前が暗くなった気がした。
やはり繋がりはあった。
そして”こんな体”というのは、やはり草加の呪具と何か関係が……
「詳しく、聞いていいですか……?」
体が震えているのが分かる。
唇も乾燥してるし、唾液がやけに喉に絡みつく。
先ほどとは別の緊張が、私の全身に行き渡っている。
この先の彼の言葉で身の振り方が変わるだろう。
やけに煩い心臓の音を聞きながら、彼の言葉を待った。
「んーと、なんだったかな。 ウチの先祖がとんでもねぇ奴で、めっちゃ周りに恨み買ってるから、いつ呪われても刺されても死なない体を作っておけって昔から言われててな? しかもこれが本当にガキの頃からだぜ? この時点意味わかんねぇよな」
「んと、えっと……はい?」
確かに意味が分からない。
予想していた答えのだいぶ斜め上だし、どう解釈したらいいのか頭が付いてこない。
つまり呪いそのものに彼は関わっていない、ということでいいのだろうか?
話からするとご家族の方は何かしら知っていそうだが、当の本人は何も知らなそう。
しかしまだまだ聞かなければならない事がいくつもあるのだ。
「あの、えーっと……と、とりあえず良しとしましょう。 それで、”こんな体”っていうのは、どういう事でしょうか? 何か秘密が?」
「秘密も何も、スポーツマンでも何でもないおっさんがこんな体してるわけないだろ。 ガキの頃から無駄に鍛えさせられて、今ではたまに運動しないと気持ち悪くなるんだよ。 ある意味洗脳だろこんなの」
「つまり”こんな体”なんて言ったのは、そのムキムキマッチョの話であるという事でいいんですかね……」
「あと中毒的な運動したい病な。 めんどくせぇって思っても体がムズムズすんだ、キモイだろ」
「キモイですね」
言い方ぁ! そういう所だぞ!
誤解を招く言い回しばっかりして、ただの健康体って事じゃないか。
弟だって筋トレしないと体が気持ち悪いって言い出すし、結構普通の事だろソレ。
「えっと、後なんだっけ……あぁもう先生が馬鹿な事ばっかり言うから忘れちゃったじゃないですか。 あぁもう! 他に! 他に秘密とかありませんか!?」
もはややけくそだった。
なんなんだろう、この数日間私は何を悩んでいたんだろう。
馬鹿か、うん馬鹿だ。
考えるのが阿保らしくなって、ざっくばらんな質問を投げかけてしまうくらいには思考が停止していた。
「秘密ねぇ……実家関連だろ? んー、とんでもねぇ家だったから何から話せばいいやら。 あぁそういや絶対に今じゃ言えない事があったわ」
「あーはい、なんですか? また変な言い回ししたら怒りますよ?」
「コレ絶対他の奴らには言うなよ……?」
「な、なんですか……」
ズイッと顔を近づけてきて、やけに小声で語り掛けてくる。
真剣な顔をしているが、なんかこう私の求めている情報が来ない気がするのは気のせいだろうか。
あと近い、この人いちいち距離感おかしい。
「実はな……さっき言った鍛えさせられたメニューに、”害獣駆除”ってのがあってな。 ガキの頃から猪とか熊とか相手してた」
「色々おかしいですが、とにかくそれのどこが秘密にしなきゃいけないのか詳しく」
「だって今じゃ動物保護とかうるさいだろ? 猟師でも無いのに端から狩ってたって知られたら、結構ヤバイんじゃないか?」
「あ、はいソウデスネ。 まぁずっと昔の話ですし今更な気がしますけど……ってちょっと待って下さい。 狩ってた? 今狩ってたっていいました? 追い払うとかじゃなくて?」
「おう、小学くらいからかな? 肉調達してこいとか言われてな。 熊くらい倒せるようになりゃ刺されることもねぇだろって言ってたな」
「うんおかしい、普通じゃない」
どういう家だよ本当、家族総出で脳筋なのか?
ていうか普通の人なら猪とか熊とか狩れないよ。
どんな教育受けたら一人でそんな事出来る様になるんだよ。
「だよなぁ。 帰ったら親父が木刀で不意打ちしてくる家とか、なかなか見ねえしなぁ」
「駄目、もう頭痛い……」
もう何か最初の話から随分ズレてしまっている気がする。
本当に”草加の呪具”って先生と関係あるんだよね?
鶴弥祖父が勘違いしてる訳じゃないよね?
どう聞いても物理最強を謳う脳筋一家にしか思えないんだけど。
むしろ先生の実家の方が、ある意味迷界だよ。
常識が全く通じてないよ。
「つうか、そんなに気になるなら行って見るか?」
「はい?」
「いや、だから俺の実家。 呪いどうこうは知らんが、そういう話聞きたいなら俺の親に聞いた方が多分早いぞ?」
「あー、えーと。 確かに」
それは考えてなかった。
というか今の今まで先生の事を疑っていたんだから、そんな考えに行きつく筈も無かった訳だが。
しかしそれが可能なのであれば、先生に聞くより確かな情報は出てくるように思える。
聞けば聞く程どんな家なのか想像出来なくなるが、草加の呪具に関しては何か知っているのかもしれない。
なんたってソレから身を守れるように、先生をここまで鍛えたって話なのだから。
教育方針は凄く明後日の方角へ向いている気がするが。
「お願い出来るのであれば、是非……とはいっても、私木刀を避けられる自信ありませんけど、大丈夫でしょうか」
「こっちから手を出さなければ、客には襲ってこないから大丈夫だろ」
なにその野生動物、怖い。
はぁ、と大きくため息を吐いてから空を見上げた。
人は大きな物を見ると心が休まるという。
海だの山だの、そういった環境に行けば疲れた心が癒えるそうだ。
もしも今の心境でその場に赴いたら私は何をするだろう。
まず間違いなく叫ぶ、結局なんだったんだと叫ぶ。
もやもやうじうじ悩んだ数日間。
未だ解決した訳じゃないが、もはや考えるのが疲れてきた。
とにかく癒しが欲しい、怪異とか気にしないで旅行とか行きたい。
もちろんそんな暇が無いのは分かっているが。
「どした?」
急に顔を上げたまま動かなくなった私を、先生が不審そうな眼差しを向けてくる。
むしろそういう目で見たいのは私の方だ。
貴方の家はどうしてこうおかしな情報ばかり出てくるんだと、文句の一つでも言ってやりたい。
まあ、完全な八つ当たりだが。
「なんかもう、海とか山とか行きたいなぁって思いまして……」
公園のベンチで、ぐでっと脱力しながらずり落ちていく。
もうなんか疲れました、はい。
次調べる内容と場所が決まったのはいいが、結局答え出てないし。
いざ先生の実家に向かったら、衝撃的な事実とか出てきたらどうしよう。
それは嫌だなぁ……もう平穏に生きたい。
なんて柄にもない事を考えていると、「そりゃ良かったな」なんて言葉が聞えてきた。
何の事かと思って首を向けると、先生がニカッと笑った。
「海も山も両方あるぞ、ウチの実家。 田舎だからな」
「あぁ、さようでございますか……」
もうどうにでもなれ。
今一度ため息を溢しながら立ち上がって、お尻に付いた汚れを払う。
とりあえず今日はもういい、多分これ以上何か聞いた所でまた頭が痛くなりそうだ。
「じゃぁその話はまた後日という事で。 夕飯代でしたよね、今日来た理由は」
「おう、わりぃな」
生徒にお金を借りる教師というのもどうなんだとは思うが、まぁ今更そんな事を言っても仕方あるまい。
さっさと貸して、今日はもう寝よ——
「……あれ?」
「どうした?」
左右のポッケを叩き、お尻の方のポッケを叩く。
チャリッと金属の音が聞えたが、これは家の鍵だ。
あれ、マジか?
「……えっと、マジか?」
先生も事態を察したようで、やや困った顔を浮かべている。
まさか、嘘だ。
私が先生と同レベルだったなんて……
「あーそのですね、はい。 今日は随分と月が綺麗で、その、なんていうか」
「雲ってるな? 確かに月出てるけど雲ってるよな? しかもそれ今関係ある? 満月とか上るとテンション上がっちゃう系?」
「あ、あはは。 先生、ご飯ならウチで食べていきません? 丁度作ってすぐですし、弟も喜びますし。 ね? そうしましょう?」
「あっはい、いただきます」
上手く行かない時というのは、何でこう次から次へと問題が起きるのか。
お互い乾いた笑いを浮かべながら、今しがた来た道を二人揃って歩く羽目になったのだった。
なんか、納得いかねぇ。
更新が遅くなると言ったな、アレは嘘だ!
……だといいなって、心から思う!
ブクマが結構伸びてます、もうちょっとで千人いきそうです。
本当にありがとうございます。
欲を言えば感想とか貰えると嬉しいです。
どんな風に感じているのかとか教えて頂けると凄く楽しい上にテンションあがります。
ウェーイwとか来たらウェーイwって返すぐらいテンション上がります。
それくらい気楽に送ってくれるとうれしいです。
番外編とか書きたいけど、本編終わってからにしようかどうか。





