蟲毒 5
建物に足を踏み込んだ最初の方は、それこそ何も問題が無かった。
目の前をゆっくりと移動する黒い霧を追いかけながら、ただただ歩くだけ。
——こっちだヨ。
時折思い出したかのように呟く女性の声。
ここが何なのか、何が居るのか、そういった不安は付きまとうが……今は一刻も早く先輩達と合流しなければ。
その他諸々の疑問や恐怖をなぐり捨てて、声を上げる黒い霧に続いた。
「なぁ流石に土足は不味いって、怒られたらどうするんだよ……」
場の空気を読めない声も聞えてくるが、今はそれどころではない。
徐々に増えてくる別の声に対して、私は眉を顰めていた。
「浬先生、すみませんが少し前を歩いてください。 誘導はしますんで」
特に詳しく説明することも無く、彼に無理矢理先頭を譲り、そのまま歩かせる。
当の本人は混乱しながらも、背中を押されるまま素直に前進してくれるのが救いだった。
先ほどから増え始めている黒い霧を、彼は粉砕するか踏みつぶすかしながら腑に落ちない顔で進んでいく。
今の所問題はない。
「しっかし本当にデカい御屋敷……てか城か? すげぇな、どこ見ても高そうだ」
呑気な発言を繰り返しながら、目の前のカレらを粉砕機のように片付けていく顧問の教師。
この光景はちょっと早瀬先輩には見せられないだろう。
そこらのスプラッタ映画より酷い光景になっていそうだ。
「とにかく進んでください、このまま真っすぐ。 あっ、次を右で」
所々で指示を出しながら、見上げるような背中をグイグイと押していく。
なんだろう、ある意味パワーレベリングでもやっている気分だ。
「ところでその杭何なんですか? 倉庫にそんなものありました?」
「ん、あぁこれか?」
ほいっと緊張感の欠片もない声を上げながら、彼は背負った杭を一本引き抜き私に手渡した。
丸みを帯びて削られた、そして祖父の掘った物であろう文字が描かれた杭。
そう何度も目にするものでないので記憶の片隅に追いやっていたが、間違いなくウチの物だった。
「なんかこれを持っていけって言われてな、とりあえず持ってきた」
「誰にそんな事言われたんですか……蔵には私達しか居なかったでしょうに」
「そいつはまぁ……大人の秘密ってやつだ」
ちょっと背後からこの杭をぶっ刺してやろうかと思う程、清々しい笑顔で振り返る浬先生。
まあこんな状況だ、何かしら異常事態が起きていたとしても不思議ではない。
ただ……
「あの、これ別に大した物じゃありませんよ? 土地の区切り、というか……ここまでがウチの土地ですよーって目印に、杭を打ったりするんです。 田舎では良くあることなんですけど、ウチの神社の目印がコレってだけで、特になんの力もないただの杭です」
多分祖父が、余った物を蔵に放り込んで置いたのだろう。
本当にただそれだけ、蔵にあった物に紛れていれば何かしらの呪具にも見えるかもしれないが、紛れもなくただの杭だ。
「え、うそん。 お助けナビゲーターから、これ持っていけって言われたのに」
「誰ですかお助けナビゲーターって……光る妖精さんとか帽子の中で飼ってたり
します?」
「帽子も被ってなければオカリナも持ってねぇぞ」
「あ、被り物じゃなかったんですね。 まさか天然モノだとは思いもよらず」
「また髪の話してる……」
そんな下らない会話をしている時だった。
——ドォォォン! と盛大な爆発音が聞こえ、周辺の窓ガラスが遅れて振動する。
割れていたら大惨事だったろうが、今の所は問題無さそうだ。
とはいえ何だ今のは? 『迷界』では異常事態が平気で起こるモノとは聞いているが、流石にこんな事まで度々発生するとは聞いていない。
だとしたら先輩達が何かしたのだろうか?
とにかく状況の確認を——
「——お約束の自爆コマンドってやつか!? 残り時間は!?」
「このおバカ!! そんな物を設置している民間企業は現実世界にはありませんよ! 何かしら問題が起きたに決まってるでしょう!?」
「じゃぁ、ガス爆発か!」
「ボキャブラリーの低さ! お前は探偵物の使えない刑事か何かか!」
まあとにかく、確かめてみない事には始まらない。
思わず走り出そうとした所で、目の前の黒い霧が窓の外へ出ていくのが見えた。
多分案内してくれていた”ヒト”だと思うのだが、何故今外へ?
怪異も身の危険を感じて、外へ避難したりするんだろうか?
——コッチ、外からノ方が早イ。 時間ガ無い。
それだけ言うと、彼女は歩き出してしまった。
向かう先にあるのは、別館?
こちらの建物とは連絡通路の様な長い廊下で繋がれている。
というか渡り廊下と行ったほうがいいのか? いやまあどちらも似た様な物か。
「浬先生、外に出ますよ。 向こうの建物に向かいます」
「はぁ? なんでまた」
「い い か ら! 多分爆発が起きたのも向こうです」
普通の人だったら色々説明を考えなければいけない状況だったのだろうが、今一緒にいるのが浬先生でよかった。
今までの雰囲気から「向こうから美味しい物の匂いがします!」なんて言ったら喜んで付いて来てくれそうな雰囲気だ。
それはそれでどうかと思うが。
そんな事を考えながら、私達は窓の外へ身を乗り出し、砂利の敷かれた庭を歩いていく。
ザクザクと耳に馴染むを立てながら、目の前の黒い霧を追いかける。
——ここマデ、もうすぐソコ。 後はヨロシクね、麗子。
「え? は、はい? なんで私の名前……」
「どした?」
ふと立ち止まったかと思うと、黒い霧は意味深な言葉だけを残して、風に乗る様にサラサラと消え去ってしまう。
一体何が起きた? というより、彼女は何故私の名前を呼んだ?
疑念だけが残るが、当然答えてくれる人などいない。
庭の真ん中でポツンと取り残され、その後の助言もなく消え去ってしまった。
これからどうすればいいのだろうか。
庭のど真ん中で先輩達を待てばいい? それとも目的地と思われる向かいの建物に足を踏みこむべきか?
そんな疑問に首を傾げ、判断を迷っていた時、事態は動き出した。
目の前の渡り廊下、その端から二人の先輩が姿を見せたのだ。
何か怪我でもしたのか、片方が肩を貸しているようにも見えるが……とにかく今は合流を。
なんて思っている内に、彼女達の後ろからソレは現れた。
とんでもない大きさの大蛇。
鋭い眼光は、間違いなく目の前を歩く先輩達を捉えていた。
あれが……『上位種』なのだろうか?
見ただけで背筋が凍り、全身から汗が噴き出した。
まずい、アレは関わっちゃいけないものだ。
本能が早鐘を鳴らしている。
ただ、そうだとしても先輩たちが追われているのだ。
両者の距離からして、もはや猶予なんてあったものじゃない。
「浬先生! 先輩達が! ……ってあれ?」
私じゃどうしようもできない、見ただけで分かる。
だからこそ『腕』の異能を持つ彼に声を掛けたのだが、隣に居た筈の浬先生はいつの間にか姿を消していた。
アイツどこいった!!
もしかして大蛇の姿を見て逃げたのか? ビビるのは分かる、でも先輩達が目の前に居るのにそんな事——
「鶴弥! その杭後で持って来い! あとアイツらの事頼むぞ! 何かヤバイっぽいから二人を連れて離れとけ!」
遥か前方から浬先生の叫び声が響いた。
私の予想は物凄い勢いで裏切られたのだ、もちろんいい意味で。
混乱して唖然と立ち尽くしていた私とは違い、彼はその姿を見た瞬間に走り出したのであろう。
そうでなければこんなに距離が離れる訳が無い。
なんという男だろうか、あんな化け物を目の前に怯えることも無く、迷いなく駆け出すその姿はまさに——
「あのアナコンダは俺のモンだ!! ギネス記録に、俺は載るぞぉぉぉ!!」
うん、どうやら色々と勘違いだったらしい。
勇敢に走り始めた彼が求める物は正義や救済ではなく、紛れもなく欲望。
私に先輩達を託した所を見ると心配はしているようだが……最悪の事態ではないと判断しているのか、それとも蛇を仕留めれば最悪の事態にはならないと考えているのか。
まあどちらにしろ、あの蛇を狩る気満々なご様子だ。
「ほんっとに! 貴方って人は!」
慌てて彼を追いかけながら毒を吐く。
こんな状況であんなにも欲望一辺倒になれるのは少し羨ましいと思えなくもないが、それはそれ、これはこれだ。
とにかく私が今やることは先輩達の救出……とはいってもどうすればいいのか。
手当くらいはしたい処だが、救急箱の類なんて持ち合わせていない。
出来る事と言えば肩を貸したり、可能な限りこの場から引きはがす事くらいだろう。
なんて思っている内に、先輩達を追いかける大蛇が頭を上げて口を開く。
まずい! 間に合わない!
そう思った瞬間。
「あぁもう! 先生! どっかに居るならさっさと助けて下さいよぉ!!」
黒家先輩の声が、ガラス張りの廊下の中から響く。
多分これが彼女の最後の言葉になるだろうなんて、私の直感が告げていた。
今にも飛び出しそうな大蛇は全身に力を入れ、数秒もしない内に彼女達に襲い掛かる。
冷静にそう判断出来てしまう程ゆっくりと見える景色。
泣きそうな顔で叫ぶ黒家先輩、肩を借りたまま力なく前方を見つめる早瀬先輩。
その背後からは、彼女達に向けて首を伸ばす大蛇。
そして未だ距離が離れた場所から、槍投げの様な態勢で杭を構える浬先生……
ん? 最後に私は何をみた?
「そぉいっ!!」
声が聞えた時には、彼の手から銃弾の様に放たれた杭が窓ガラスを突き破り、蛇の首元に突き刺さった。
それだけでも意味の分からない光景なのだが、彼の常識突破レベルはそれだけに収まらなかった。
杭を投げつけたかと思うと、爆発的とも言える俊敏さで割れたガラスに向かって飛び込み、未だ突き刺さったままの杭に向かってドロップキックをかましたのだ。
もはや意味が分からない、コイツは本当に人間なのだろうか?
「おう、おまたせ」
なんて台詞を吐きながらニヤリと笑う彼は、間違いなく先輩二人から見たらヒーローに見えた事だろう。
だが教えてあげたい、さっきまでその人ギネスがどうとか言いながら、原始人みたいに武器を掲げて喜々として蛇に向かってましたよと。
「先生! まだ終わってません!」
黒家先輩の言葉と共に大蛇は全身を捻り、その巨大な尻尾が浬先生を捉えた。
「浬先生っ!?」
あんな巨大な蛇なのだ、いくら彼でも一撃貰えば命に関わる。
噛まれただの巻き付かれただのという、蛇特有な物以外だって十分致命傷になるだろう。
弾け飛ぶように放り出された彼の体はガラスを突き破り、先ほどまで走っていた中庭まで吹き飛ばされる。
これは絶対ヤバイ! いくら浬先生でも!
そう思っていた瞬間が、私にもありました。
「やるじゃねぇか、爬虫類風情がよぉぉぉ! 猫の真似して二階の屋根から飛び降り続けた、この俺を舐めるんじゃねぇ!」
もはや心配するだけ無駄だった。
空中で体を捻り、それこそ猫の様に綺麗に着地した浬先生は不敵な笑みを浮かべていた。 ノーダメージか? マジか、お前ホントに人間か?
本人を前にしたらとても失礼な質問だが、今は彼の真正面で怒鳴りつけてやりたい気分だ。
——忌ミ子。
どうやら浬先生に標的を移したらしい大蛇が、彼を追って中庭に身を乗り出してくる。
間違いない、蔵に入った時に響いた声だ。
アイツが『上位種』、今回の一件の原因。
「浬先生!」
叫ぶと同時に、彼から預かっていたもう一本の杭を投げて渡す。
若干ズレた位置に投げてしまったが、それでも気にすることなく受け取った彼が不敵に笑った。
「おーおー喋れる? こりゃまた随分頭のいい蛇だ事で。 まぁインコやら電子レンジだって喋るんだ、不思議じゃねぇよな」
いやソコは疑問を抱けよ、喋らないよ蛇は。
「まぁ喋る蛇を捕まえるってもの悪くないが、死んでてもギネスにゃ乗るだろうさ。 てめぇは生かしておいてやるつもりはねぇよ」
怪異を前にベラベラとよく喋る彼と、それを大人しく聞いている蛇を尻目に、私は先輩達の元へと辿り着いた。
この凄まじい茶番感が拭えないが、彼ら? は実に楽しそうなのでまあいいだろう。
「先輩達はこっちへ……大丈夫ですか?」
蛇の注意をこちらに向けないように、隠れながら小声話す私に対し、二人は揃って首を縦に振る。
「ありがとうございます、助かりました」
「つるやん助かるよぉ……もう体動かなくってさ……あっ、でも休めば大丈夫だからぁ、あはは」
早瀬先輩の空いている側に回り込み、彼女の腕を肩にかける。
ちょっと身長が足りなくて、あんまり支えになっていない気もするが……今は気にしないでおこう。
てか、つるやんてなんだ。
とにかく、こっちはもう大丈夫だろう。
後はもう彼に頼るしかなさそうだ。
「こっちは大丈夫です! やっちゃってください!」
彼に届くように叫んだ声、それに反応するように彼は口元を歪めた。
ニヤッと釣り上げる様に、不気味な程不敵な笑みを浮かべたのだ。
「来いよアナコンダ、てめぇがどこの誰に手を出したか教えてやる」
低い声で呟くソレは、もはや呪詛のようにも聞える。
彼の恨みや憎しみが乗ったその言葉。
聞いているだけで背筋が冷える程震えあがった。
「ウチの部員に手出した事後悔させてやらぁ! こいや蛇顔! ガキの頃スネークイーターと呼ばれた俺を舐めんじゃねぇぞ!!」
おいソコは何か格好良い事言えよ! なんだソレ!
蛇顔っていうか蛇! っていうかスネークイーターって何!?
その疑問に答えてくれる人物は、この場にいなかったらしい。
最近ちょこちょこ感想を頂けるようになって嬉しいです。
ありがとうございます。
今後共どうぞよろしくお願いします!
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2章ももうちょっとで終わりになりますので、どうぞ最後までお楽しみください。





