蟲毒 2
ジメジメする……しかも暗くてほとんど何も見えない。
梯子を下りきった私達の目の前に広がっていたのは、どこぞのホラゲで出てきそうな横穴だった。
湿っぽい空気に、カビの匂い。
スマホのライトで照らしてみれば、これでもかという程蔓延った黒カビが繁殖している。
この中を歩くのか……そう考えるだけで頭が痛くなってきそうだ。
「モール〇ッドとか出てきませんよね……?」
「お、気が合うな。 俺もそう思った所だ」
別に浬先生に対して呟いた訳では無かったのだが、どうやら聞えていたらしい。
っていうか分かるんだ、モー〇デッド。
「意外ですね……こんなリア充サークルみたいな所の顧問なんてしてるから、てっきりゲームなんてやらないと思ってました。 そう言えばさっき背景オブジェクトとか言ってましたね」
「ばっかお前、あの部活にリア充なんぞ居ねぇぞ? 部員二人は彼氏の一人も作る雰囲気がねぇし、俺なんかこの年まで婚期を逃し続けてんだ。 ゲームっつったら悲しい独身男の味方だろうに」
自信満々に胸を張る浬先生だが、自分で物凄く悲しい事を言っているのに気づいているんだろうか。
そしてどうやら、コイツはとんでもない朴念仁らしい。
二人の様子を見ていれば、少しくらい気づいてもよさそうなモノだが……まぁいいか。
そこは私が口を出す事でもないだろう。
とはいえ二人とも美人なのに勿体ない……こんな朴念仁のどこがいいんだろう。
「なんだよ、その眼は」
余りにも理解しがたい現実を非難する感情が、どうやら顔に出てしまったらしい。
再び表情を引き締め、目の前のカビだらけの空間を睨んだ。
とにかく今はこっちだ。
行くしかないと分かってはいるんだが、どうにもこう……ね。
なんて考えていた私の隣を、朴念仁が通り過ぎる。
「ほら、早く行くぞ。 モンスターが俺たちを待ってる」
「それは是非ともご遠慮したい状況ですね……」
冗談めかしに言い放った言葉なんだろうが、私にとっては冗談抜きでそういう状況なのだ。
幸い今の所カレらの声は聞こえないが、それがかえって不気味なのである。
周辺のカビに顔をしかめながらも、浬先生はズンズンと進んでいく。
置いていかれる訳にも行かないので、慌ててその背中を追いかけた訳だが、もう少しゆっくり歩いてくれないだろうか。
さっきから小走りでもちょっと置いていかれそうになるんだが。
「そういやさ、鶴弥はどんなゲームやるんだ?」
ふと思い出したような雰囲気で、唐突に浬先生が口を開いた。
どうにか会話を繋げようと気遣った……わけではないらしい。
振り返ったその顔は、「早く教えろ」とばかりに目がキラッキラしてやがりますよ。
一つため息を溢しながら、急いで彼のすぐ隣まで駆け寄る。
「あぁスマン、速かったか? もう少しゆっくり歩くわ」
その一言と共に、私のペースに合わせるように歩調を落としてくれた。
隣を歩くその表情には、別に気を使ったとか下手に女の子扱いしている、と言った邪……とはちょっと違うかもしれないけど、そういった感情が含まれているようには見えなかった。
ただ当たり前の様に、気づいたから当然そうした、それだけなのだろう。
今まで他の人では見た事がない程自由気ままで、そして自然体。
気を使うのも、使われるのも馬鹿らしくなるほど素直な感情を表面に晒し続けている。
そんな風に感じる表情だ。
ちなみに今は「早くさっきの質問に答えろ、さぁ! さぁ!」みたいな、ウズウズした顔をしている。
なんというか本当に分かりやすい人だ、改めてため息が零れる。
さっきとは違う、軽いものだったが。
「私が好きなのは……そうですね、アクションとか車ゲーとか好きですよ? 話で言えば結構なんでもいける口ですけど。 ノベルとかホラーもいけます、最近はバ〇オのタイムアタックとかやってますね」
「うっそマジか! やっとオカ研で話出来る奴が出来たわ! バイ〇はちなみに7か? それともリメイクの方か!?」
「リメイクはトロコンしたので、7のほうやってます」
「頼む、これが終わったらウチに来てくれ! まだクリア出来てないんだよ……弾がどうしても足りなくてさ」
「それはエイムがド下手なだけなのでは……」
なんともまあ気の抜けた会話だった。
リアルホラー満載な状況で、私達はなんと間抜けな会話をしているんだろう。
そう思うと呆れはするが、自然に笑みが零れた。
こんな風にゲームの話で盛り上がれる間柄の友人なんて、私には居なかったし。
それに、私が好き好んでやるゲームは……なんというか、一般的な女の子が好む物とはどうやら違うらしいのだ。
これも小学から中学時代に掛けて、友達が居なかった弊害だと思われるが。
いざ高校の友達にどんなゲームをやっているのかと問えば、決まってスマホアプリだったり、家族で楽しめる系の緩いタイトルが返ってきた。
そんな中私だけが一人、ゾンビの頭に向けて銃をぶっ放したり、デカい獣に対して大剣を振り回すゲームにハマっていたのである。
仕方ないじゃないか……昔から一人部屋の中で黙々とテレビモニターに向かい合っていたのだから。
神社の中で寝っ転がりながらポータブルゲームをやっていて、祖父に怒られたのなんて一度や二度ではないのだ。
「だってさぁ、あのファミパンおじさん何度倒しても復活するし。 黒家とか早瀬と一緒にやっても、なんか固まって謎解きとか協力してくれないんだもん」
「だもんじゃないですよ、何女子高生にグロゲーのお供させてるんですか。 馬鹿なんですか」
「そうは言ってもさぁ、続き気になるじゃん?」
「まぁ、気持ちは分からなくもない……気がしますけど」
こんな場所で、とは思うが。
私達の会話は止まる事がなかった。
男女の”ソレ”とまでは行かないが、先輩たち気持ちが少しだけ分かった気がする。
この人の隣は、とにかく”らく”なのだ。
肩ひじ張ったり、気を張る必要も怯える必要もない。
ただ自分で居ればいい、そういう人なのだろう。
普段先輩たちと何を話しているのかは知らないが、多分いつもこんな感じなんだと思う。
全く、ウチの顧問はとんだ人たらしだ。
「そんで結局ナイフ一本でおじさんは倒したんだけどさぁ」
「え、いやそこはチェーンソーが……って言ってる間に、終点みたいですね」
無駄なお喋りはここまでみたいだ。
もう少し話したかった気がしないでもないが、目の前の事の方が優先だろう。
一直線に伸びる通路は終わり、目の前には……なんだこれ、また縦穴? かな?
人が二人並んで立てる位の広さで、レンガ造りの丸い縦穴とでもいいのだろうか。
とにかく上から光が差してるし、多分出口なんだと思う。
「えーっと、どうしましょうか。 今回は梯子とかないですけど」
「まぁー、登るしかないだろうな」
「いやだからどうやって」
ほぼ棒読みに近い台詞で会話のキャッチボールを繰り返した末、浬先生はふと思い立ったように左右の壁に手をついた。
おいまさか。
「お、意外といけるぞコレ。 この中だけは苔生えてないし、水気も少ないしな。 行ける行ける」
そんな台詞と共に、両手両足を左右の壁に当て、シャカシャカと上に登り始めた。
なんだこれは、日本版スパイ〇ーマンだろうか?
街中を颯爽と駆け巡る彼とは違い、こっちはちょっと野性味溢れているというか、マジもんの蜘蛛っぽいが。
って、それどころではない。
「あ、あの! 私じゃ手足が届かないんで登れないんですけど! っていうかそんな身体能力ないですからね!?」
身長二つ分くらい上昇してしまった彼に対して、慌ててストップを掛ける。
んあ? みたいな声を上げながら見下ろす彼は、とんでもなく間抜けな格好をしているが、突っ込まない方がいいんだろう。
こういう時男性が羨ましい、私なんか今の恰好のまま彼と同じように登ったら下から丸み……あれ? さっき同じような場所なかったっけ。
「——っ! 浬先生さっき降りる時、一回見上げてましたよね!?」
「ち、違うぞ!? 不可抗力だ! お前も真っ白だったが俺も真っ白だ! 罪状的な意味で!」
そこは普通嘘でも見てないとか、そういう台詞を吐くべき所じゃないだろうか。
当然私は白い服なんて着ていない、普段通りの黒っぽい服装で固めている。
では何が白かったのかと言えば……もはや自白したも同然だろう。
カァっと顔に熱が籠るが、そもそも先に行ってくれと言ったのは私だ。
その時点で察していれば、他の対処法も……ないな、うん無い。
あの真っ暗闇に先行する勇気は、私には無かった。
だからまあ、あれは事故だったのだろう。
もはやそう思うしかない。
「と、とりあえず今はいいです。 それで、どうしましょう。 上に行って縄か何か探してきて頂けますか?」
「え、いいんだ。 んーと、そうだなぁ。 上に都合よく便利グッズがあるとも思えんしなぁ。 あっそうだ」
そんな呟きをしたかと思うと、上空からズザーッ!っと音を立てながら浬先生がそのままの態勢で降ってきた。
思わず悲鳴を上げながら後退する。
むしろ驚かない人がいるのなら見てみたい程だ。
上空から大股を開いたままの状態の人が急降下してくる、そんな珍妙な光景が目の前で実際に起こったのだ。
むしろフィクションならもう少し格好良く降りてくるだろう。
眼前に戻ってきたのは間違いなく、文字通りの”蜘蛛男”だったのだ。
ちょっとキモイ、いや結構キモイ。
「おい鶴弥、ちょっと背中に乗れ」
「はい?」
何か目の前の蜘蛛男がおかしな事を言い始めたんだが、どこかおかしいんだろうか?
「だから、背負って上まで行くから、乗れ」
「あ、はい。 ……はい?」
こいつマジで何言ってるんだろうか。
普通に考えたら結構無理な態勢でクライミングをかましているというに。
その上更に人一人分の体重を抱えて登るのか? 常人であれば無理だろうに。
いくら私の体が小さいといっても、一応私も人間なんですが。
体の中は肉やら内臓やら詰まってて、それなりに体重はあるんですが。
「かまわん、乗れ」
「う、ういっす」
表情一つ変えず淡々と言い放つ大股開きしたおっさんの重圧に負け、結局その背中に引っ付いた。
そもそも私が立っている位置まで降りてきたなら、普通に地面に立てばいいのに。
足くっ付いちゃったんですか? とでも言いたくなるほど、おかしな態勢のままピクリとも動かない。
結構キモイ、というか何故その体制で私を待つのかがわからない。
ちょっと乗りづらいんで普通に降りて屈んでくれませんかね……
「準備いいか? しっかり掴まってろよ?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね? この背中に背負ってるのが邪魔で……って結局これ持ってきたんですね。 何持ってきたんですか?」
さっきから胸辺りにゴリゴリと当たる固い感触。
多分蔵の中で彼が手にしていた物なんだろうが、結局何を持ってきたのだろう。
「あの浬先生、これって何を背負ってるんですか? 蔵の中で持ってたやつですよね?」
「え? あーうん、気にするな。 とりあえず登ってからにしようぜ? な?」
やけに口籠りながら視線を反らす浬先生、今の態勢も含め不信な所しか見受けられないのが。
もしかして、勝手に持ち出した事を怒られるとか思ってるのだろうか?
今の状況じゃソレどころじゃないし、例の壺を持ってきていたり、盗もうとしている訳じゃなければ別に構わないんだが。
「人の家の蔵から勝手に持ち出しておいて何言ってるんだか……まぁいいですけど。 では、準備OKです。 いつでもどうぞ」
「あいよ、んじゃ行きますか!」
掛け声と共にシャカシャカと手足を動かし始め、再び浬先生は上昇し始めた。
何が凄いかって、こんな事が出来るのも凄いが、さっき一人で登った時より明らかに速いのだ。
先ほどより重量が増しているのにも関わらず、彼は苦し気もなく縦穴を登っていく。
うっわ、はっや……なんて思わず声を漏らしてしまう程に、彼の動きは俊敏だった。
まるで自衛隊とか、救助活動してる消防隊みたいに速い。
本当に何者なんだろうかこの人は。
などと思っている内に縦穴の出口が近づいてくる。
何メートルくらいだろうか? その辺のアパート3階分くらいは登った気がする。
そしてついに、というほど苦労した様子はないが。
私達は縦穴から脱出し、穴の隣に足を付けた。
「ほい到着ー」
浬先生の緊張感のない声を聞きながら、その背中から降ろしてもらう。
目の前にあるのは古い井戸。
何故こんな物とウチの蔵が繋がっているのかは知らないが、これでは井戸としての役目は果たせないだろうに。
とはいえ先輩達の話を聞いた限りでは、全く関係のない場所同士が繋がる事は『迷界』のなかでは普通にあると聞いている。
多分これもその一種なのだろう。
なんて事を考えていたら、背後から叫び声が聞えた。
思わずビクッと肩を揺らしながら振り返ると、そこには両手を広げたおっさんが立っていた。
「すげぇ! なんだこれ! 鶴弥ん家って裏からみるとこんな感じなのか!? マジで城じゃん!」
彼の視線の先には見たことも無い日本のお城が立っている。
いやどこだよここ。
本当に『迷界』ってやつは異次元につれていくんだな、こんな城見た事ないよ。
「いやいやいや……普通に城ですよね。 ウチ神社ですからね、裏から見てもこんな風にはなってませんよ」
「んじゃお隣さんか! すげぇな!」
うん、もうどうでもいいや放っておこう。
彼の認識を改める事よりも先に、色々と考えなければいけない事の方が多いのだ。
間違いなくさっきの”壺”が原因となり、私達は『迷界』に迷い込んだのであろう。
聞く限りでは、そこにいる『上位種』をどうにかできれば帰れる、との事だが……どうしよう。
それ以外にも帰れる方法はあるかもしれない、なんて事も言っていたが、今の所帰る手段は思いつかない。
この場には『腕』の異能もあるわけだし、やはり倒してしまった方が早いのだろうか?
とはいえ、そんな簡単に片付くモノなのかもわからない。
こういう時こそ先輩たちが居てくれれば何かしらの対策が打てたかもしれないが、生憎とここには私と浬先生しかいない。
ホント、どうしたものか……
思わず頭を抱えそうになったその時、どこからか女性の声が私の耳に届いた。
——あの子達ヲ探しに来タの?
え?
思わず周囲を見回すが、それらしい姿は見えない。
とはいえ間違いない、”カレら”の声だった。
——今日迷い込んできタ、二人の女ノ子。 こっちよ、今は蛇かラ逃げてる。
蛇? なんの事だろうか?
というか今日迷い込んだ二人の女の子って、まさか先輩たち?
当然追い抜かれた記憶は無いので、別の場所から『迷界』に入ったのか?
疑問ばかりが浮かぶ中、黒い霧の塊が一つ視界の端に映った。
今のが、さっき声を掛けてきた女性なんだろうか。
その霧はゆっくりと門を超え、そのまま玄関口へと入っていった。
「どうした鶴弥?」
浬先生には見えなかったのか、それとも気づかなかっただけなのか。
どちらにしろ、ここにいても仕方がない。
行って見る他ないのだろう、状況的に見失うとやばそうだし。
「行きますよ浬先生、中を調べます」
「え、ちょ、お前空き巣じゃないんだからソレはちょっと……」
渋る彼の手を掴んで強引に引っ張りながら、黒い霧を追いかけた。
もしかしたら罠かもしれない、ただただ誘い込む為だけに姿を見せた最初の一匹なのかもしれない。
でももし彼女の言葉が本当で、この中に先輩達がいるのなら……きっと浬先生の力が必要なはずだ。
初めての事ばかりで今いちどう行動するのが正解なのかわからないが、こっちには『腕』の異能があるのだ、どうにかなる……と思う、多分。
自分でも楽観しすぎではないか思うが、こればかりは試してみるしかない。
さっきの言葉を信じて、私達は建物内に踏みこんだ。
この先に居るらしい先輩たちと合流できると信じて。





