蟲毒
おかしいだろ、絶対今の状況はおかしい。
私達は蔵の扉を開けたはずだ。
やけに重くて、二人がかりでこじ開けた訳だが。
だというのにこれはなんだ?
目の前に広がるのはどこぞの観光地にありそうな立派な日本のお城。
快晴であったならさぞ写真写りが良さそうな見栄えだが、残念な事に背景の空は赤黒い。
私達はどこに迷い込んだ?
さらに言えばさっき通った筈の扉は背後から消失しており、代わりにポツンと古びた井戸があるだけだった。
「蔵……だったよね? 私達が入ったのって」
不安そうな眼差しで、隣に立つ夏美が声を上げた。
気持ちはわからなくもない、というか多分彼女も私と同じ気持ちなんだと思う。
どう見てもこの景色は、室内には見えないだろう常識的に考えて。
「今回の『迷界』なんでしょうね……多分。 とはいえ、ちょっと状況を飲み込むのに時間が必要そうですけど」
あはは、と乾いた笑みを洩らすが顔の筋肉は口元以外固まっていた気がする。
だっておかしいだろう。
最初に私が連れていかれた『迷界』は公園だった。
あたかもその場の景色そのままを使って、即席で無理やり造ったような出来栄えの。
そして先日迷い込んだ先は『上位種』の思い出から作られたであろう、継ぎ接ぎな景色。
恐らくどちらも”記憶”からその景色や場所を作り出していたのだ。
だというのに、コレはなんだ?
知る限りは見た事が無い、歴史の資料集とかの片隅に乗っていそうなお城? なのである。
もしもこれが今回の『上位種』の記憶から生まれた光景なのだとすれば、その時代の亡霊とか?
もしくは私が知らないだけで、どこかにこのお城が立っているのだろうか。
まあどっちにしろ、今の状態では答えが出ないのは確かだ。
「えっと、どうする? 中、入ってみる?」
彼女が指さす先には、これまた立派な門がそびえ立っているが、その扉はこれでもかという程全開である。
もはやさっさと入れと言わんばかりに、その大きな口を広げているのだ。
「入る……しかないんでしょうね。 一応私達の周辺にカレらは居ません……が、お察しの通り中にはうじゃうじゃ居るみたいです」
「あははは……くさかせんせー……どこー」
笑いながら泣きそうな表情を浮かべるという器用な芸当をしながら、夏美がフラフラと歩き始めた。
ただし真後ろに向かって。
「はいはい帰ろうとしない。 ここで待っていても合流できるとは限りませんよ?」
「分かってるけどさ、分かってるんだけどさ! まだ襲って来ないんならわざわざ突っ込むこと無くない!? だってアレそういう”モノ”の巣窟でしょ!?」
叫びたくなるのも分かるし、私だってわざわざあんなところに突っ込みたくはない。
とりあえず周囲を確認しながら外から伺うとか、色々方法はあるだろう。
先生たちも恐らく迷い込んでいるはずなので、最悪外から大声で呼んでみるもありかもしれない。
「とにかく、入り口だったはずの蔵は井戸に変わっちゃってますし、このままじゃ帰れませんよ……いっその事試しに井戸へ飛び込んでみますか?」
「あーいや、それはちょっと」
言い淀んだ彼女は明らかに目が泳いでいる。
私達のすぐ後ろにあった井戸は、どう見たって出口には見えない。
というかむしろ、ビデオを見て七日後に襲ってくる女の人が這い出してきそうな雰囲気が漂っていた。
そしてその周辺に散らばったお札……ってあれ?
少しばかり気になって、周辺に散らばったお札の一枚を手に取る。
「どうしたの?」
肩越しに覗き込んでくる夏美も、私が手に取ったお札に目を向けるが……やがてコテンと首を傾げた。
彼女にとっては、特に違和感のない代物だったらしい。
その様子を見ていると、私の思い過ごしかとも思えてくるが……
「このお札……なんか新しくありません? 周りの物と比べると不自然な気がして」
それに何となく、この文字の書き方というか、癖? が見た事あるような気が……
「うーん、そうかな? 良くわかんないけど、確かに色褪せたりはあんまりしてないね?」
曖昧な返事が返ってきたが、とにかく保管しておこう。 周りにこれだけ同じような札が撒いてあるのだ、一枚くらい持ち帰っても構わないだろう。
文字列だけ見れば明らかにコソ泥の様な心境で、手に持った札をポケットに押し込んだ。
と、その時だった。
——忌ミ子……
そんな声が、井戸の中から鳴り響いた。
一瞬にして背筋が凍り、私の『感覚』が早鐘を打つ。
「ね、ねぇ……今のって、私の聞き間違いとかじゃないよね? 巡にも聞えたよね?」
震える足を無理やり動かして、二人してジリジリと井戸から距離を取る。
その間も何かが擦れるような音が、井戸の中から反響して聞えてくる。
「夏美、走れますか? これはちょっと予想外というか……本気でヤバイです」
「というと?」
未だズルリ、ズルリと鈍い音を立てているナニか。
その音は次第に大きくなっていき、井戸の中から這い上がってきているのが想像出来た。
「これ……『上位種』です」
私がそう呟いた後、ソイツは井戸の中から顔を出した。
大きな頭に長い胴体、黒い鱗に大きな瞳。
ソレは獲物を見つけた喜びを表現するみたいに、チロチロと舌を出しながら獣の様な声で叫んだ。
「へ、蛇!? 嘘でしょ!?」
「逃げますよ!」
いつかの様に夏美の手を引きながら、私達は駆け出した。
もはや迷っている時間はなかった。
目の間に開かれた門を潜り、お城の中へと駆け込んでいく。
その中は外装と同じく、代表的とも言える様な日本のお城そのもの。
修学旅行で京都に行った時にこんな感じの見た事あるわ、くらいの感想しか出てこないが、それでも立派な建物だという事くらいは分かる。
土足のまま玄関を抜け、数々のだだっ広い部屋を抜け、そしてそのまま長い廊下を走り抜けている。
チラリと後ろを振り返れば、真っ黒な蛇が私達を追いかけてくるのが見えた。
噛まれたら、どころではない、多分捕まったら終わりだ。
その太い胴体から見るに、巻き付かれたり引っ叩かれたりしただけでも全身の骨が折れそうな雰囲気がある。
見た事も聞いたことも無い程の大蛇、それが今私達の後ろから迫ってきているのだ。
「あぁ、もう! ただでさえヤバイ状況だっていうのに! 邪魔ですね本当!」
そして私達の障害は後ろの蛇だけじゃない。
思わず叫びたくなる程、周辺の『雑魚』が多いのだ。
目の前の霧を避けながら『感覚』でカレらの少ない道を選び、後ろから迫る大蛇から逃げる為常に全力疾走。
とんでもないハードモードだ。
ただ救いだったのは、迫ってくる大蛇がそれほどまで早くなかった事だろう。
まるで逃げ回る私達を見て楽しんでいるのではないかというほど、ゆったりと……しかし見失わない程度に追いかけてくる。
だからこそ、逃げられない訳でもあるんだが。
「こ、これ! 草加先生が来たらどうにかなるのかな!? 相手でっかい蛇だよ!?」
息を切らしながら叫ぶ夏美。
不味いな、今回は本格的な調査を明日に回すつもりだったから大した荷物を持ってきていないのだ。
腰に付けたサイドポーチがひとつだけ、当然水分の類など入っているはずもない。
可能であれば短期決戦で決めてしまいたいところだが、今の様子からしてそれは叶わぬ願いだと思ったほうが良いだろう。
「わかりませんけど、殴ったり蹴ったりしてどうにかなる相手だと思わない方がいいと思いますね! その前にとにかく一旦どこかに身を隠さないと、私達が喰われます!」
「ってことは、一回後ろのアレを振り切らないとだね!」
当然そうしたい所ではあるが、どうすればいい? 目くらましか何かの道具を使えば怯むだろうか?
しかし相手は『上位種』なのだ、異能ですらない小細工でどうにかなるとは思えないし、下手に不発に終わればこちらの手数が減ってしまう。
どうする……?
そんな事をながら走っている内に、険しい顔をしている夏美がキュっと私の手を握りしめた。
「あのさ! 『上位種』から見て『雑魚』はどんな風に見えてると思う!?」
急にそんな事を言い始めた。
とはいえ彼女の表情は真剣そのもの、どういう意図での発言なのか良く分からないが、何か考えがあるのだろうか?
「多分、私達が見るのと同じように見えてるんじゃないですかね!? カレらは結局元をただせば同じものな訳ですし! 下手すると夏美と同レベルに見えているんじゃないですか!?」
怒鳴り合う様にして、走りながら会話する。
不味い、息が切れてきた。
隣から聞えてくる呼吸も随分苦しそうだし、そろそろ本格的に決断しないと手遅れになりそうだ。
仕方ない……諦めて何かしら試してみるか。
そう思ってポーチに手を突っ込んだ時だった。
「じゃ、じゃあ何か『雑魚』の注意を引けるものとか持ってる!? それがあるなら何とかなるかも!」
何故今の状態で『雑魚』なのだろうか?
最優先事項は、後ろから徐々に近づいて来ている蛇な気がするんだが。
「ありますよ! 前回使ったお手製閃光手榴弾! それから以前役に立った藁人形も!」
言うと同時にその二つをポーチから引っ張り出し、彼女の目の前に掲げる。
このどちらかでも使って『上位種』の注意を引けるのなら御の字だが、どうするつもりなんだろうか。
「えっと、じゃあ藁人形! 合図したら投げて!」
「貴女一体何するつもり——」
人の言葉を最後まで聞かない彼女は、ほいっ! と間抜けな掛け声を上げながら尖った耳を頭から噴出した。
髪は金髪に染まり、獣の耳と尻尾を出現させ、髪を縛っていたシュシュを解いた。
まて、最後のは一体なんの意味があった。
「準備して!」
夏美の声が合図になったように、周辺の『雑魚』が押し寄せてくる。
正面、左右、そして上下から。
前回押し寄せてきた”波”のように、カレらは怒涛の勢いで迫ってきた。
もちろんココは『迷界』の中。
その影響で壁抜けや空中歩行が使えないカレらは、襖や障子の隙間、そして天井の隙間から私達に向かって手を伸ばす。
私には黒い霧にしか見えないが、夏美にはどう見えているんだろう?
どう考えても天井から迫ってくるカレらは、人間では通れないスペースから迫ってきているよう見えるが……
「あーえっと、火炎放射器とかダイナマイトとか持ってないよね?」
「貴女は私をなんだと思ってるんですか!」
本当に何が見えた。
ただ彼女の表情を見る限り、普通ではない事態が起こっているのは把握できるが。
「虫! めっちゃ虫! そこら中から百足とか蜘蛛とかいっぱい来た! なにこれ!」
あーなるほど、天井やら狭い隙間から来ているのは人ではなかったらしい。
そこら中から湧き上がる黒い霧が、全てそういった毒虫に見えているのだったとしたら……流石に同情するしかない。
というかさっきから踏みつぶしている気がしないでもない。
「それで!? どうするんですかこの状況!」
とはいえ大体彼女が何をやろうとしているのかは分かったが、本当に大丈夫だろうか?
そしてさっきから何か夏美が速い、妙に足が速い。
今では私が引っ張られるような態勢になっていた。
「もう少し、もう少し”人型”が集まらないと……」
気のせいかもしれないが、先ほどより呼吸も整っているように思える。
これは間違いなく例のケモミミの影響なんだろう。
本当に何なんだソレは、やっぱり身体強化っぽい何かが発動しているとしか思えない。
その変化に本人が気づいているのかどうなのか、先ほどから変わらぬ真剣な表情で通路の奥を睨んでいた。
そして変化は唐突に訪れる。
走る通路の脇にある襖が倒れ、その中に居たであろう『雑魚』が溢れ出した。
大きさからして多分”人”……だと思う。
喜んでいいのか嘆けばいいのか分からないが、とにかく大きな変化が生じたのは確かだった。
「今! 目のまえの集団に放り込んで!」
夏美の言葉と同時に、手に持った藁人形を放り投げる。
今回は投げやすいように重りまで入れたのだ、藁人形バージョン2である。
「喰いついたかどうか確認を!」
綺麗な放物線を描いて、藁人形は黒い霧の中に墜落した。
その周辺に集まったカレらが動かなくなった事から、多分大丈夫だと信じたい所ではあるが、如何せん私の目では正確な情報が掴めない。
こういう時ばかりは、夏美の『眼』に頼るしかないのだ。
「おっけい! 計画通り! じゃぁ抜けるよ!」
「え、ちょっと待っ——」
急に私の腰に手を回したかと思うと、次の瞬間には私の体は浮遊感を得ていた。
さっきよりもずっと近く見える天井、凄い勢いで流れる周りの景色。
おいコラお前、今何をしている? ちゃんと説明しろ。
などと不満の念を垂れ流している内に、ダンッ! と音を立てて浮遊感は無くなった。
そして先ほどまで見えていた黒い霧一行様は、何故か私達の背後にいる。
「よっし! 出来た!」
嬉しそうに微笑む狐少女は、これ以上ない程満足気な表情だ。
詰まる話、お前飛んだな? 飛び越えたな?
肉体言語やおかしな身体能力は先生の特権だと思っていたが、どうやらここにも高機動型の変態が居たらしい。
お前なんか脳筋二号って呼んでやる。
「貴女……また一人でその姿の研究してましたね……? いつですか! まさか私が注意したその日にも色々試していたんじゃないでしょうね!?」
思わず叫んでしまった。
もしも私の予想が正しければ、彼女は耳の出し入れだけではなく、その性能まで調べるためにその後も”ソレ”を一人で乱用していたことになる。
あまりにも危険なその行為に、思わず声を張り上げてしまう。
「ま、まぁまぁ……今はいいじゃん? ちゃんと切り抜けられたんだし」
そういって振り返る夏美に伴い背後に目をやれば、とんでもない光景が繰り広げられていた。
さっきまで私たちを追いかけていたはずの大蛇が、黒い霧の向こうに消えた……くらいならよかったんだが、明らかに暴れているのだ。
黒い霧の上からたまに飛び出る頭は、どこか苛立たし気にカレらに噛みついたり押しのけたりしている。
一塊の霧を口に咥え、しばらくしてから喉の奥へと無理矢理押し込むようにして、また次へ。
そんな動作を繰り返していた。
間違いなく、食ってますねコレは。
別に仲間という訳じゃないんだか不思議ではないのかもしれないが、ちょっと……いや、結構胸糞悪い光景だった。
「私たちも捕まったら、ああなるって事だよね……」
「想像させないでください。 あぁもう、蟲毒なんて造った奴の顔が拝みたいですね。 自分があぁなるとは想像しなかったのか……」
「もう既に食べられちゃってたりして……」
あり得なくもない事態を口にした彼女は、自分で言ってから顔を青くする。
そもそも呪いとは誰かが誰かに対して使う”道具”であり、陥れる為の”武器”だ。
相手を呪わば穴二つ、なんて言ったりするが、つまりは呪いが返ってくる事だってあるらしい。
というか呪術を行なっている間に影響が出るのではないのかとも考えられる訳だが、要はその”誰か”と”誰か”という二者の間だけでの話であり、そこで完結しなければいけないのが呪いだ。
しかし何かしらの手違い、もしくは予想以上に強力な呪いが生まれ、両者が死んでも呪いだけが残ってしまったら?
それがまさに、今目の前で起こっている悲惨な光景なのではないだろうか?
周りに牙を向くだけの存在、それが存在し続ける限り不幸の連鎖は収まらない。
もしも、もしもこの仮説があっていたとすれば……あれは誰かを陥れたいという”負の感情”から生まれ、ソレを喰らう事で力を付ける。
そして役割を終えたことも分からず、ひたすら力を付け、また次の標的を探す。
もしかしたら標的となる対象が定められているのかもしれないが、ソレを殺しつくすまで呪いをまき散らす元凶となり得るのではないだろうか?
さらに言えば周りに集まっている『雑魚』は、人間の”負の感情”とも言える残りカス。
つまりは……食べれば食べる程、目の前の”蟲毒”は力を増してたりして?
もはや、考えたくなかった。
だがその考えを肯定するかのように、食べれば食べる程蛇の姿が変化している様にも見える。
さっきまでデカいだけの蛇だったのに、なんか首回りトゲトゲし始めてるし。
なにあのファンタジー的な生き物、どこぞの魔法学校の地下から逃げ出してきた訳じゃないだろうな。
頭を抱えて、大きくため息を溢す。
「……えっと、とりあえず。 逃げよっか」
「ですね、そうしましょう。 耳はしまってくださいね? アイツらの居ない所に誘導します」
「うい、よろしく」
もはや小声程度の音量でボソボソと呟いてから、フラフラと私達は歩き始めた。
どこまで察したのかわからないが、夏美も苦い顔をしながら大人しく付いてくる。
とにかくどこかに身を隠そう、それでもうちょっと頭を整理しよう。
今までとは違う、今回の相手は呪いそのものなのだ。
先生を正面からぶつけるだけでは解決にならないだろう、どう見たって触れただけではくたばりそうもないし。
あぁもう、本当にどうしようか。
蛇、駆除とかでネット検索して、アイツの対処方法がわかればいいのに。
もはや思いつくのは頭を潰して、生物としての活動を停止させるくらいしか思いつかない。
それでも死ぬかどうか……
ほんと、どうしてこうなった。
というか、何故こうなるまで放っておいたんだと叫びたい。
疲れ果てた思考と共に、私達は通路脇の一室に身を潜めたのだった。
蛇って臭いよね





