合宿 3
「ん? 何か今聞こえました?」
鶴弥祖父から話を聞いている最中、何か叫び声の様な物が聞えた気がして、私は顔をしかめた。
まさかとは思うが、先生がまたいらんトラブルでも引き当てたのだろうか?
いやいや、流石の彼も他人様の家で勝手に物に触ったり、上がったテンションを抑えきれずに走り回ったりはしないだろう。
流石に子供じゃないんだから、ねえ?
なんて事を思いながら、徐々に不安になってきた。
本当に大丈夫だろうか?
「どうかなさいましたか?」
さっきからとても丁寧な言葉で、分かりやすく事態の説明をしてくれる鶴弥祖父。
その彼も私の変化が気になったのか、少しだけ訝し気な表情を浮かべている。
「あぁ、いえ、恐らく勘違いでしょう。 どうぞお話の続きを」
にこやかに話の続きを促しつつ、隣に座る夏美に肘鉄を叩き込む。
うぐっ! とくぐもった声を上げながら、彼女は目を覚ました。
そう、目を覚ましたのだ。
貴様は何をしている、ちゃんと聞け。
「は、はぁ……では続きの話を、といっても私が話せる内容もこれ以上は殆どありませんが。 孫娘を帰した後、再び体調を崩した事くらいなもので。 結局それ以降蔵にさえ近づいていない状況です、お恥ずかしい限りですが」
そういって困った様に頭を掻く鶴弥祖父。
彼の語る内容は、鶴弥さんが語ったソレと大差ないものだった。
知り合いの神主から壺を託された、預かってから徐々に異変が起き始め体調を崩した。
そしてその時に、何かの物音……重い物を引きずるような音が聞えたなど。
彼女の話に多少プラスアルファした程度の話しか聞くことが出来なかったのだ。
とはいえ、鶴弥さんの話が嘘偽りや”盛った”話ではないと分かっただけ有意義な物だったと考えるべきか。
「そうですか、未だ万全とは言えない体調だというのに、長々と時間を取らせてしまって申し訳ありません」
形式ばかりとはいえ、こういうのは大事だと思う。
そんな事を思いながら頭を下げると、隣で眠そうにしていた夏美も慌てて頭を下げた。
全く……本当に何をしに来たんだか。
なんて思った所で、彼女を連れてた理由を伝えていない事に気づいた。
正直、話を聞くだけなら私だけでも良かったのだ。
まあとりあえずその前に、話の腰を折らずに聞けるところまで聞いておこう。
「率直にお伺いします。 結局”ソレ”は何だとお考えになっているのでしょうか? もはや見当もつかない、とは流石に仰らないでしょう?」
その言葉と共に、神主の表情が固まった。
恐らく彼も、薄々は気が付いているのだろう。
壺としか言わない”ソレ”の正体に。
「アレは呪いそのもの……誰かが強い恨みの元、他の誰かに向けて拵えた呪術。 人の命すら奪う事のある禁呪の類……そしてアレは、もはや使い終わった出がらしに、未だ怨念が残っている物だと、私は考えております」
「やはり……蟲毒、ですか」
両者とも、苦い顔で眉を顰める。
一人だけ視線を彷徨わせ、私の袖を引っ張ってくる奴も居るが、彼女は何がしたいのだろう。
「……ね、ねぇ巡。 こどくって、何? 何かやばいの?」
あぁもう、連れてくるんじゃなかった。
神主さんも困った顔してるじゃないか、この微妙な空気どうしてくれるんだ。
「え、えぇっと……簡単に言うとですね、毒を持った大量の虫や爬虫類なんかを一つの壺や箱に閉じ込めて、互いに喰い合わせるんですよ。 そして最後に残った一匹にはとんでもない毒と、対象を呪い殺すくらいにヤバイ力を得てる……みたいな感じですかね。 そういう呪いを作る術式、みたいなものです」
場所によって違うらしいので、正確にコレだとは言えないけど。
大体おおまかに、大雑把に言えばこんな感じだろう。
できればコレで理解して頂いて、話を次に進めたい所だが。
「なにそれヤバイじゃん」
「あ、はい。 ヤバイですね」
「えぇ、やばいですよ」
最後は神主さんまでノってくれたので、とりあえず深く頭を下げておいた。
なんかすいません、ウチの部員が……後でしっかり言っておきますので……
夏美は何故急に私が頭を下げたのか理解していないらしく、オロオロと視線を彷徨わせていたが。
対する神主さんも困ってはいたが微笑んでいるので、まあ結果オーライという事にしておこう。
「では私達もそろそろ実物を見に行こうかと思うんですが、その前にもう一つお聞きしたいことがありまして。 とはいえ、今回の事とは別件になりますが」
「なんでしょう?」
本来ならこの人に尋ねる事ではないかもしれないが、私一人ではどうにも行き詰って答えがでないのだから仕方ない。
それこそ、こっちに夏美を連れてきたのだってこの質問の為なのだ。
「ちょっと曖昧な言い方になってしまうんですが、貴方は神様みたいなものって居ると思いますか? 例えば守り神とか、九尾の狐の様な神獣って言ったら良いんですかね、そういう類の物が」
「神様……守り神、神獣、ですか」
少しだけ困った表情を浮かべる鶴弥祖父。
まあそれも当然だろう。
なんせ彼にはカレらだって見えないんだ、それなのに神様だなんだと聞いた所で、新手の宗教の勧誘に見えるのが関の山だろう。
だがもしもそう言ったモノの”信用できる”資料なんかが保管されていれば、是非とも目を通したい所なのだが……
「本物が居るかどうかと問われれば、私にはわかりません。 神主なんぞやっているのにこんな事を言うのもどうかと思いますが……孫娘から聞いた話では、貴女方の方がそう言ったモノに詳しそうなご様子でしたが」
やはり、駄目か。
そこまで期待していた訳ではなかったし、理由もなく神は居ますと答えられても困ってしまう所ではあったのだ。
そう考えれば妥当な所だったんだろう。
むしろ私達が”偽物”なんじゃないかと疑われる発言をしてしまったのだ。
やはりこの件が終わった後で、改めて順に説明しながら聞いた方が良かったのかもしれない。
「ただ、そうですね……」
思わずため息を溢しそうになった所で、彼は言葉を続けた。
顎に手を当てて、何かを思い出そうとしているかのように、目元に皺を寄せている。
「以前幸運を呼ぶ仮面という物をお預かりした事がありまして、その資料だけならございますよ? 仮面そのものは他の方の手に渡ってしまいましたが。 たしかそれは守り神が宿ると、そう書かれていたと思います。 今お持ちしましょうか?」
なんともまあ嬉しい誤算だ。
あの狐の面以外にも、やはりそういう物は各地で存在しているのだろうか。
何か「幸運を呼ぶ〇〇シリーズ!」みたいな御土産みたいにも聞えてくるが、見せてくれるというなら見ない選択肢はないだろう。
しかも所持しているらしい資料は、事の発端と同じ様に仮面のものだ。
もしかしたら共通するような何かがわかるかもしれない。
「はい、是非お願いしま——」
ズルリと、何かが動く気配を感じた。
近くじゃない、少し距離が離れている。
「どうしたの? 巡」
心配そうに覗き込んでくる夏美には、特に変化を感じている様子はない。
だとすれば、この場が”呑まれた”訳ではないのだろう。
背筋が冷たくなり、息が苦しくなる感覚。
これは少し前にも体感した記憶がある、というかつい最近の出来事だ、忘れる訳がない。
そんな不穏な気配を、私の『感覚』が捉えた。
「すみません、その資料は後ほど見せて頂く形でもよろしいでしょうか?」
「えぇ、構いませんが……どうかなさいましたか? 顔色が優れないようですが」
鶴弥祖父も心配そうに私の事を見ているが、もはやそれどころではない。
事態は刻一刻を争う、どころかすでに出遅れてしまっているのだ。
私の捉えた『感覚』では、ソイツは既に動き出し、今は”ブレて”しまって捉えられない。
まさかこんなに早く事態が動くとは思わなかった。
「私達はこのまま蔵に向かいます、慌ただしくしてしまって申し訳ありません。 夏美、行きますよ」
「え、ちょ、ちょっと! どうしたの!?」
急に立ち上がった私に、二人とも驚いたような表情を浮かべながら事態の説明を求めている。
せめて神主さんだけでも伝えておくべきか……いや、伝えるべきだろ。
多分、彼の孫娘が巻き込まれている事態なのだから。
「少しゆっくりしすぎたようです、『上位種』が動き出しました。 それに先生とお孫さんが『迷界』に彷徨いこんだ可能性があります」
「はぁっ!? ホントに!? じゃぁすぐ行かなきゃ!」
慌てて立ち上がろうとする夏美は、何故かビタンッ! と音を立てて再び床に倒れた。
何やってんだこの子。
「あ、足が……痺れた……」
あぁもう、この子放っておいて一人で行こうかな。
なんて考え始めた私に、渋い顔をした鶴弥祖父が声を掛ける。
聞いた話では、電話で鶴弥さんからかなり詳しく事情は聞いているらしく、もはや”ソレら”の説明は不要だろう。
むしろ余分な説明は時間の無駄だ。
「麗子は、麗子は大丈夫なんでしょうか!? 」
今まで見せていた穏やかな表情をなぐり捨て、彼は必死の形相で私の腕を掴んだ。
私達の事情を知っている状態なら、こういう反応をするのも分かる。
きっと彼は、このまま私がグズグズしていれば一人でも蔵に向かって走り出してしまうだろう。
私達の様な異能すら持たず、カレらにその命を奪われる事が分かっていたとしても、だ。
だからこそ、今は急がなければ。
彼を安心させる為にも、先生……は大丈夫かもしれないが、鶴弥さんを救い出さなければ。
「私の『感覚』では生きている人間を感知することは出来ません。 ですが大丈夫です。 自信を持って言いましょう、お孫さんは絶対に大丈夫です。 なんたって、馬鹿みたいに常識はずれな”腕利き”が側に居るんですから」
そう言って微笑みを返すと、安心した訳ではないんだろうが……ゆっくりと彼は私を掴んだその腕から力を抜いた。
そのまま項垂れる様に座り込み、床に擦り付ける程頭を下げたのだった。
「どうか、どうかお願いします。 力不足の私に代わり、孫娘を……麗子を助けてやってください。 きっと貴方達が来なければ、いつか麗子は一人でもアレに挑んだでしょう。 だからこそ連絡を貰った時は嬉しかったのです、麗子が一人ではなくなっていた事、あの子を理解できる友人が出来たことが。 だというのに……こんな! 異能を持たぬ私が行っても邪魔になるだけだと分かっております! ですから私に頭を下げる事しか出来ません、どんなものでも差し出します! ですがどうか! どうかあの子を——」
「——やめてください!」
彼の言葉を遮るように、大きな声が神社の中に響いた。
私の隣から。
頭を下げていた本人からしても予想外な声だったらしく、彼は思わず顔を上げた。
「大丈夫です、草加先生がついてるんですから。 鶴弥さんは絶対大丈夫です、だからそんな事しないで下さい。 鶴弥さんとは同じ部活の仲間なんですよ? だったら助けに行くのなんて当たり前じゃないですか。 だからお爺ちゃんは、笑ってお孫さんを迎えられる準備だけしておいてください。 これ、私達との約束です」
ニカッと子供みたいに笑う夏美が、こんなにも逞しく見えたのは多分初めてだったんじゃないだろうか。
全く、本当に困ったやつだ。
思わず笑みが零れてしまう程に、こいつは困ったやつだ。
「ということです。 多分先生もお腹を空かせて帰ってくる事でしょうから、何かご飯でも用意しておいてください。 あ、あとさっき言ってた資料も。 報酬はその二つという事で」
それだけ口にして、私達は返事も待たずに駆け出した。
足が痺れていたらしい夏美は、微妙に変な走り方をしていたが……まあ格好がつかないのなんていつもの事だ、今更気にすることも無いだろう。
「走り出したはいいけどさ、蔵の場所分かるの?」
勢いのまま走り出して、何も考えていなかったらしい彼女は今更過ぎる質問をしてくる。
さっきまでの格好良かった夏美はどこへ行ってしまったのか。
「貴女、私の異能を忘れましたか? 今は”ブレて”ますけど、さっきまでちゃんと感じてたんです。 方向と距離くらいわかりますよ」
それを証明する様に、一直線に神社脇まで走り抜けた。
その先にあったのは見るからに立派な蔵。
石造りなのか、やけに無骨で重々しい雰囲気が漂っている。
そして更に……
「あーうん、居ますわ、というかめっちゃ黒い霧が立ち上ってる。 『感覚』で捉えられないって事は、やっぱり中は……アレかな?」
改めて目にして、以前の記憶でも蘇ったのか、夏美は口元をひくひくと動かしながら苦い顔を浮かべている。
彼女のいう黒い霧、残念ながら私にはそれを目視する事が出来なかったが。
目の前にはただの蔵、静かな空気。
そして私にはそこに”居る”と感じるだけ。
何体も集まっている様に感じるが、どれだけの数がどこに居るのかが分からない。
そして問題の『上位種』も同様だ。
まさに、前回の廃墟と同じ状況としか考えられなかった。
間違いなくココが『迷界』の入り口になってしまったのだろう。
「覚悟はいいですか? 前回同様、帰って来れる保証なんてありませんよ?」
恐怖を押し殺しながら、無理にでも笑顔を浮かべる。
多分とんでもなく歪んだ笑みに見えたのだろう。
夏美は困った顔を浮かべながら、静かに頷いた。
「前回はそんな警告なかったけどね。 それでも、行くしかないでしょ」
彼女の言葉を聞いてから、私達はその厚い扉に手を伸ばしたのであった。
坊主丸儲け! なんて言葉もありますが、お寺の場合は建物の維持費や修繕費、その他諸々で結構カツカツらしいです。
多分「葬式でお経読むだけでそんなに金とるのか!」 みたいな意見から出た言葉なのかもしれませんが、実際は建物が立派であればあるほど修繕や補強の料金も高く、家計は苦しいそうです。
神社の場合はよくわかりませんが、相当有名な神社でもない限り似たようなものなんでしょうね。
そんなお話まで聞かせてくれた地元のお坊さんに感謝。
こんなもん書いてるとは知らないだろうけど! ありがとう!(謎





