合宿 2
はい、草加浬です! 元気です!
などと現代の若者には理解しがたい挨拶を無性にしたくなったおっさんは、現在無骨な蔵の前に仁王立ちしていた。
ここでネタの分かる中年世代の方々なら思わず思い浮かべているであろう。
はい! ちょっと風邪気味です! という今考えれば謎の発げ——
「なんか本当にどうでも良い事考えてそうですけど、行きますよ? いいですか?」
あ、はい行きましょうか。
鶴弥のいう通り、本当にどうでもいい事を考えていたおっさんは、思わず敬語になりペコペコしながら彼女の背中を追いかけた。
だってさ、考えてもみて欲しい。
今まで見たことも無い……といったら嘘になるが。
正確には踏み込んだ事すらない広大な大地の地主と挨拶を交わし、その地に良く分からないまま侵入しているのだ。
頭が可笑しくなるも仕方の無い事だと言えよう(?)
まぁそんなこんなで、現在俺は鶴弥家の広大な大地を踏みしめ、立派な蔵の前に立っているのである。
背後にある立派過ぎる神社にも興味をそそられるが、今は与えられた役目をこなすべく、こうして離れのお家ですか? とでも聞きたくなる蔵の前に立っているのである。
これはもう言ったな、二回目だな。
そんなくだらない事を考えながら、おっさんは蔵を腰に手を当てながら見上げたのである。
もはや三回目になるが、そういうことなのである。
それくらいビビっていたのだ、だって目の前にいるお嬢さんはお金持ちのお嬢さんなのだ。
何度も同じ言葉を浮かべてしまう程、おっさんは世にいうお金持ちにご縁が無い人生を送っていた。
むしろ焼肉を奢ってくれる時の黒家は女神に見えるし、寿司を奢ってくれる椿は神様だ。
そしてたまに弁当を作って来てくれる早瀬は、砂漠に突如として現れるゴッドなのである。
もはや意味が分からない。
ただただおっさんの思考回路は暴走し、目の前に居る少女対しとんでもない妄想を抱いていた。
もしかしたら彼女は……高級なディナーとかに連れて行ってくれるゴッドオブゴッドなのかもしれない。
可能性の話だが、彼女のご機嫌を取れれば夢にまで見た”ろぶすたー”とやらだって御馳走してくれかもしれない。
大変美味だと称賛されるソレを思い浮かべながら、彼女の顔を眺める。
そこには、ロブスターが居た。
正確にはロブスターへ導いてくる少女がいた、なのだが……おっさんはもはや正常ではなかった。
「鶴弥……お前ロブスターだったのか……」
「えっと、意味が分かりませんけど、私の親戚に甲殻類は居ません」
呆れた、というか少々身の危険を感じ始めた少女は顔を歪める。
それもそのはずである。
今では常人に理解出来ない領域に達したおっさんの思考回路は、天元突破して銀河に飛び立ち巨大化しそうなほど有頂天だった。
そしておっさんが天元突破した所で、結局想像できるのがとんでもなく旨い肉、もしくは海鮮盛り合わせだの先ほどの甲殻類だったというのが、貧弱な脳細胞が辿り着ける限界であった。
銀河を飛び越えた先にあるのが、結局は肉か海産物であるという悲しい最果て。
今後宇宙飛行士たちが苦労の果て、誰も見た事のないその地に足を踏み込んだ時、目の前にそんなものがあったら何を思うだろう。
しかしおっさんなら大歓喜なのである。
そんな、食欲だけを前面に押し出した、悲しい中年の妄想。
しかも隣に居る少女は既に、高級な海老に見えているのである。
もはや手遅れもいいところだった。
一瞬でも気に止めるだけで、はっきり言って無駄な時間であると断言できる。
そんな悲しい思考回路を全て読み取った訳ではないだろうが、鶴弥が改めてドン引きした眼差しをおっさんに向けて、盛大にため息を着いた後改めて口を開いた。
「え~っと……いいですか? この蔵にはその……まぁとにかくヤバい物が保管されてます。 それを先輩たちが来る前に、改めて確認した後、可能な限り調査して……って本当に聞いてますか?」
もはやどう言葉を掛けたら銀河の果てから帰ってきてくれるか分からないおっさんを前に、少女は再びため息を吐いた。
ダメだ、全然聞いてない……
なんて確信が持てる程、中年男性の顔は輝きつつも涎を垂らしていたのだ。
まさか埋蔵金とか、そういう一攫千金の夢でも見ているのかと本気で疑い始めた頃、おっさんは急に再起動した。
「え? あぁすまん、聞いてなかった。 とりあえずこの立派な蔵を隅々まで調べりゃいいんだろ? 楽勝だぜ」
そんな台詞を口にしながら、重い石造りの扉を”片手で”、しかも”勢いよく”開け放ったのだ。
思わず悲鳴を上げてしまった少女を誰が責められよう。
そんな彼女に不信な眼差しを向けながら、おっさんはずんずんと蔵の中へ足を踏み入れた。
「んーと? 調べろって言われても、何から調べたらいいのやら……どれも見た事ねぇような骨董品だしなぁ……おっ、なんか人形がある! なぁ鶴弥、コレなんかどうよ! なんか呪いの品っぽくね!?」
蔵の中で溢れんばかりの活力を垂れ流しながら、おっさんは満面の笑みで笑っている。 そんな姿を見つめる鶴弥の瞳からは、既に光が失われていた。
「あ、はい。 うん……いいんじゃないですか? ソレはもはや御払い済みですけど。 それから浬先生の行く先々で、虫の大群が殺虫剤掛けられたみたいに霧が離れて行ってますけど……うん。 その調子で蔵の中を歩き回ってください、あっでもそこら辺の物を弄り回すのは禁止で」
もはや彼女の思考も天元突破しそうな勢いだった、彼とは別の意味で。
なんだコイツは、誰か説明してくれ。
以前アレ程恐怖を感じた闇の中に容赦なく突撃し、全く影響も受けないまま、人の家の蔵を漁っているのだ。
もはや意味が分からない。
しかも彼には影響が無くても、周りには特効薬をまき散らしているのではないかという程影響が出ていた。
おっさんが一歩踏み出せば、周りの闇は半径2メートルほど祓われ、おっさんのテンションが上がった末走り出したりすれば、周りの黒い霧がまっ〇ろ〇ろすけの如く遠のいていくのだ。
なんだこれ。
今までの少女の悩みはなんだったのかという程、簡単にカレらを取り払っていく顧問のおっさん。
もはや神社の御払いとか、たまに番組でやってるエクソシストの方々が不憫に思えてくるレベルでの物理的速攻除霊をかましているのである。
こんなの逆の意味での恐怖体験だ。
この光景を見せつけられたら、神主やら霊能力者もすぐさま辞表を提出するだろう。
一体どこの誰に提出するのかは疑問だが。
珍しい物には手を伸ばし、キラキラとした少年の様な眼で駆け巡って除霊していく姿は、もはや異常でしかなかった。
なんだろう、本当に馬鹿らしくなってきた。
そんな事を考え始め、彼女も蔵の中に足を踏み入れた。
その時だった……
——忌ミ子……
は?
その言葉を理解するよりも早く、彼女のすぐ後ろで扉が音を立てて閉まった。
「え? いやちょっと! 浬先生何かしました!?」
何が起きた? なんて思うよりも先に、暗闇が二人を包んだ。
二階の窓から、ほんの少しだけ漏れる光を頼りにするしかないような状況に陥ってしまったのだ。
どうした? なんで急にこうなった?
もはや理解が追い付かず、混乱するばかりな彼女に対し、おっさんは呆れたような口調で言い放ったのだ。
「おいおい鶴弥、勘弁してくれよ。 流石に扉を閉めたら明かりが無くなるってくらい、最近の小学生でも分かるぜ?」
混乱した頭でもイラッとする態度で、浬先生は壺の蓋をパカパカ開けたり閉じたりしながら笑っていた。
無駄だと思える程ベタベタとお札が貼られた、その壺を胸に抱いたまま。
頭の何処かの血管が、ブチッとキレた音がした。
それのせいじゃあああぁぁぁぁ!
思わず叫びたくなったが、鶴弥の脳内処理速度は思ったよりも早くなかったらしい。
「こ、こ……この………」
「こここの? どうした? ロブスター」
「こんの、ばかぁぁぁぁ!」
もはや叫ばずにはいられないだろう。
だって彼は、事態を全く理解してない上に、未だ元凶の壺を抱えてパカパカ遊んでいるのだから……
その叫びも虚しく、二人は立ち上る黒い霧に呑まれていったのであった。





