合宿
これはとある男性が雨の日に体験したお話です。
とあるブラック企業に務めていた……ここではAさんとしましょうか。
彼はいつも通り長時間の残業をこなし、疲れ果てた体で帰路を急いでいました。
疲労が蓄積されていた為か、普段から3時間程しか眠っていなかった為か、その日の彼は意識が薄れながらも、こんなのはいつもの事だと言い聞かせ車を走らせていました。
そんな彼に対し、眠気と疲労感は極限まで押し寄せてくる。
もう少し、もう少しで我が家に着く。
それだけ希望に、Aさんは徐々に落ちてくる瞼を擦りながら、必死で運転を続けました。
しかし雨の勢いは強まるばかり、次第に健康な状態ですら運転が困難に思える程の悪天候になっていきます。
とはいえ明日も仕事、それ言葉が彼に圧し掛かり、無謀とも言える運転を続けてしまったのです。
彼の会社は当然病欠など許されません、ましてや有給休暇など都市伝説。
だからこそ早く帰らなければいけない、次の日の仕事も日が昇り切る前に始まるのだから。
とはいえ、その社畜根性がいけなかったのかもしれません。
普段より冷静さを欠いて、焦るばかり法定速度を無視したAさんは、不注意にも目の前を歩く歩行者を轢いてしまったのです。
彼は慌てました、交通事故なんて、しかも加害者になるなんて初めての経験です。
焦った彼は、その場で家族に電話を掛けました。
「俺は今、人を轢いてしまった。 どうすればいい?」
すると彼の家族は答えました。
「こんな雨の中出歩く奴なんているもんか、きっとそれはもう死んでいる人間だ。 もし生きていたとしても、頭のおかしい何かだ。 祟られない内にすぐに帰ってこい」
薄情にも思えるその台詞を聞いて、彼はバックミラーに視線を向けました。
事故を起こしてからすぐに急ブレーキを踏んだ事は覚えています、ならその人はすぐ後ろに転がっているはず。
そう、思っていたのに。
バックミラーに何も映っていなかったのです。
雨が強すぎるせいで見えないだけだと思った彼は、窓を開けて後ろを振り返りました。
それでも先ほど轢いてしまった人物の姿はどこにもありません。
Aさんは罪悪感はあれど、とてつもなく不安になりました。
だってもし、自分が轢いたと思ったの人が、本当にこの世の者ではなかったら?
そんな事を考えた途端、家族の言葉が信憑性を増し、彼は震えあがりました。
”早くこの場を離れなければ”
もはやAさんの心の中にはその思いしかありませんでした。
改めてエンジンを掛け、アクセルを踏み込んだ、その時。
異変に気付いたのは、まさにその時でした。
いくらアクセルを踏み込もうと車が動かないのです。
エンジンが唸っている音も聞こえれば、後輪が回転している振動も感じる。
だというのに、一向に彼の車は動きません。
Aさんは慌てました。
今や珍しいとも言える日本製の旧式ミッドシップのこの車が、急に動かなくなる事は稀にある。
だが今の状況はなんだ? エンジンがかからない訳でもない、ギアがイカれた訳でもなさそう——
「ミッドシップってなにー?」
「えっと、後ろにエンジンが付いていて……まぁ後輪で走る、ちょっと特殊な車だよって事です」
「ふーん」
「そこわざわざ車種が想像できる程の説明必要だったんですかね……」
ごほん。
そしてエンジンも快調に動いている。
だとすれば何か後ろに影響が……そう考えて、Aさんは改めてバックミラーを確認したのです。
いえ、してしまったのです。
だってそのバックミラーには……この世のものとは思えない形相で睨む、額から血を流しながらも車体の後方を持ち上げている男性が映ったのですから。
「草加先生こっわ!」
「浬先生人間離れしすぎてませんかね……車を持ち上げるのはちょっと……」
「慰謝料請求した?」
「したわ! って違う! 別に俺の話とは言ってないだろう!? 何その反応? おかしくない!?」
などと言う黒家の怖い話? を暇つぶしに聞きながら、俺は車を走らせていた。
同じ県だとは言え、まさか端っこから端っこまでの長旅になるとは思わなかった。
しかも今日は休日、道が込むのである。
「その時先生何買いにコンビニ行ったんでしたっけ? エロ本?」
「ばっかお前、そんなもん買わねえよ! ウェブマネー買いに行っただけだっての!」
「あぁ、なんかえっちぃ感じの衣装がネトゲで配信された時でしたっけ。 通話中に轢かれた時は流石に焦りました」
「あああぁぁぁぁ、もう! お前は喋るな!」
心が温まりそうな会話をしながら、とても陽気な雰囲気に包まれた和気あいあいとした車内。
今日だけで、何度視線で人を殺しそうな眼差しを向けられたか分かったもんじゃない。
なんだこれ、罰ゲームか何かか?
ちょっと泣きそうになりながら、現在車を走らせる事数時間。
俺たちは鶴弥の実家に向かっていた。
件の廃病院から数日後、たった数日後の出来事なのである。
国道をひた走り、しばらくすると辺り一面緑溢れる素晴らしい景色。
一同はひと時テンションが上がっていたようだが、今はもう自然に飽きてしまったらしい。
代り映えしない景色、走っても走っても在るのは森と山と田舎道。
元々は田舎者の俺だが、それでも飽きるんだ。
都会っ子? の彼女達には刺激が足りなかったのだろう。
ここはもうアレだ、ト〇ロとか探してキャアキャアしててくれないだろか?
「でもそんな雨の中電子マネー買いに行くほど惹かれた衣装って気になるなぁ……ねぇねぇどんな感じだったの?」
「やけに際どい服だったのは覚えてるんですけど……いかんせん流血しながらネトゲする先生の方がインパクトが強かったので何とも……」
「そこは病院行きましょうよ。 なにやってんですか浬先生」
「うーんと、多分お願いすればこの子達コスプレくらいしてくれそうな雰囲気あるけど……お願いしてみる?」
「するかボケぇぇぇ!」
姦しいとはまさにこの事だ、改めて実感した。
早瀬が来た時は、ちょっと賑やかになったなぁくらいな物だったが、3人以上は駄目だ。
一つ話題を放り込めば、倍とは言わず5倍くらいの言葉が返ってくる。
もうお前らその辺の喫茶店で合宿してこいよと言いたくなるほど、皆よく喋るのだ。
まあこんな田舎道では、喫茶店どころかコンビニの一つも中々見つからないが。
げんなりする俺とは対照的に、皆楽しそうである。
それこそ早瀬はまだ分かる。
一時期と比べて随分明るくなったし、今ではクラスの中でもムードメーカーみたいなポジションを手にするくらいには、周りと馴染む傾向がある。
多分見た目と話し方から慕われやすいんだろう。
そんな彼女が尻尾を振るように、御自慢のポニーテールを揺らしながら話しかけてくる様を思えば、同年代の男子なんてコロッと行ってしまうだろう。
俺だって何度か危うい場面があった程だ、若かりし彼らに対しては、即効性の高い誤解発生機に違いない。
早くも勘違いしちゃった系男子諸君、南無……とだけ言っておこう。
とはいえ残り三人はどうだろう。
椿は言わずもかな、猫かぶりの達人である。
話を合わせたり、盛り上げたり得意分野と思われる。
所々相槌を打っては、話を盛り上げいらん事まで聞き出そうとする程だ。
しかし残りの二人、お前たちは一体なんだ。
黒家は他人と話すの慣れてませんみたいな雰囲気を放つ癖に、さっきからネタ提供に事欠かない様子。
対する鶴弥も聞く事の方が多いかと思えば、相槌や感想で人の心を抉る言葉を欠かすことなく呟いてくる。
なんだお前ら、仲良しか。
「それは良いとして、そろそろみたいですよ?」
スマホを見ながら、おまいう状態の黒家が呟いた。
とはいえ確かに、進む先にあるの大きな建物が徐々に近づいて……近づいて。
「でかくね?」
言葉にせずには居られなかった。
なんアレ? 豪邸? 俺の部屋の何個分?
在り来たりな感想しかでない俺は、感性が死んでいるか、語彙力が無さすぎるんだろうか。
とはいえ、唖然とするしかないくらいデカイ建物が近づいてくる。
もしかしたら勘違いかもと思って、周囲に視線を送るが他に建物は見当たらない。
塀に囲まれた、途方もなくデカい建物が映るだけだ。
もしかして……鶴弥ってお嬢様的なアレ?
などと半分止まった思考で考えながら車を近づけると、駐車場と思われる広い敷地内に一人の男性が立っているのが見えた。
巫女服! じゃなかった、男の場合何て言うんだっけ……まあいいか。
本来巫女服などという言葉は物語に出てくる際に用いられる言葉で、現実では袴とか緋袴などと呼ばれる程度だが、当然おっさんはそんな事は知らない。
とりあえず神社っぽい服装のおじさんと名付けて、彼の近くに車を寄せるおっさんであった。
神社っぽい服装どころか、神社の神主であり正装で出迎えてくれた鶴弥のおじい様だった訳だが、ざっくばらんな中年の思考回路にまで突っ込みを入れてくれる特殊な感性の持ち主は、この場には居なかったらしい。
「あーえっと、この神社の人ですかね? 車どこに置いたら——」
「おじいちゃん!」
おっさんの素朴な質問遮るように、鶴弥は声を上げた。
それはもう嬉しそうに、隣に座る早瀬と体の半分以上を密着させながら。
ちょっと羨ましい……あ、いや何でもない。
「よく来たね、麗子。 皆様もこんな遠い所まで、わざわざ御足労頂いて申し訳ありません。 お車は駐車場のお好きな場所へどうぞ? いやはや、中々渋いお車をお持ちで驚きました」
カラカラと陽気に笑う鶴弥のお爺さん? に「え、あ、どうも」くらいしか返せないおっさんは、多分この時点でコミュ力の差を実感したのだろう。
ちょっと悔しそうな顔を浮かべながら車を駐車場に停めると、部員共々ゾロゾロと車から降り立った。
最初に口を開いたのは鶴弥の祖父、明らかにお金もち……じゃなかった、上級貴族様の様な余裕ある態度で、ゆっくりと綺麗な態勢で頭を下げる。
「本日はこんな片田舎までお越しいただきました事、まずはお礼申し上げます。 私はこの神社で神主をしております、鶴弥栄一と申します。 以後、お見知りおきを」
まるで異世界にでも迷い込んだかのようなファーストインパクトを受けたおっさんは、釣られてそれっぽい態度でそれっぽい言葉を紡ぎながら頭を下げた。
財力の差や常識の差という意味では、おっさんにとって異世界というか異次元であることは間違いないだろうが。
「これはご丁寧にどうもでございまする。 私はこいつ等……この生徒達の部活動の顧問をしております、草加浬と申しまする。 どうぞよろしゅうお願いします」
言った瞬間、パァァン! といい音を立て、黒家から思いっきりハリセンで引っ叩かれてしまった。
まて、そのハリセンどっから出てきた。
ことも無さげにハリセンを車内に放り投げると、黒家が改めて神主に対し静かに頭を下げた。
「初めまして、”オカルト研究部”部長の黒家巡と申します。 お孫さんの紹介で、本日はお邪魔させていただきました。 急な話でご迷惑かとは思いますが、どうぞ宜しくお願い致します」
「これはご丁寧に……孫娘から聞いては居ましたが、貴女が」
ほお、と息を漏らして低姿勢な黒家に視線を向ける。
なんだろう、俺の時と反応が違う。
ちょっと悔しい思いを胸に、二人を見守る。
「こちらこそ宜しくお願い致します。 さて、こんな所ではなんですし皆様をご案内しようと思うのですが、よろしいですかな?」
人柄の良さそうな笑みを浮かべて、俺たちを誘導し始めようとした所で再び黒家が声を上げた。
「その事ですが、お話はまず私とこちらの早瀬で伺わせていただければと思います。 他の人員は、早速調査に当てたいと思うのですがよろしいでしょうか?」
急に名前が上がった早瀬は、焦った表情を浮かべながらも急いで頭を下げた。
「えっと、早瀬夏美です! よろしくお願いします!」
こちらこそと返す鶴弥祖父は、少しだけ不思議そうな顔を浮かべて黒家に向き直った。
そりゃそうだろう、急に来たかと思えば黒家が勝手な事を言い出したんだ。
ほんと何様のつもりだと、思わず黒家の捨てたハリセンを回収しに車に戻ろうかと思ったほどだ。
「それは構いませんが……随分と急ぐのですね? お茶の一つでもお出ししようかと思っていたのですが」
「私の予想でしかありませんが、聞いた話からするとあまり時間はないと思われます」
被せる様に言い放つ黒家。
何言ってるんだこいつ、一泊二日で合宿に来ていると言うのに、それでも時間が足りないと言うのか? 図々しい奴め。
そんな感想を持ったのはおっさんだけだったようで、静かな瞳で黒家を見つめた後、神主は鶴弥に視線を送った。
その先で鶴弥も静かに頷き、言葉にはしない意思疎通は完了したようであった。
はっきり言おう、全く分からない。
こいつら心の中で会話してるの? ちょっとおじさんにも教えて?
なんて、とてもじゃないが言える雰囲気では無かったので黙っていたが。
「わかりました、それではお二人はこちらに。 その他の方は……麗子、御案内しなさい」
「はい」
鶴弥も短い返事を返し、ウチの部長様と神主さん含めた三人が無言で頷き合っていた。
なんだこの空間、お前たちは心の中で何を語り合ったんだ。
どうしよう、このままフ〇ースと共にあらんことを、何ていいだしたら。
俺はパ〇ワンになれるだろうか。
「それじゃ鶴弥さん、先生をお願いします。 少し蔵とやらを見せてあげてください、私達もすぐ行きます。 ではそう言う事で」
黒家の言葉と共に、オカ研の4人それぞれが、それぞれの役目を果たす為動き出す。
それは今さっき会ったばかりの神主も同じ様で、迷いなく黒家と早瀬の二人を連れて神社に向かって歩き……出そうとしたその時だった。
「まって!? 私は!? ねぇ私は!?」
車のすぐ隣で、椿が驚愕の表情を浮かべていた。
そういえば今のオカ研には5人居たんだった。
すまん、忘れてたわ。
なんて心が表に出てしまったのか、椿が今にも襲い掛かってきそうな表情でおっさんを睨んでいた。
「あーえっと、そうですね。 椿先生は……今夜泊るホテルのチェックインと、荷物も運び込んで頂けると……その、助かります」
流石の黒家も、可哀想な人を見つめる慈悲の瞳を向けながら、どうにか今思いつたような仕事を言い渡した。
まあつまり、マジで忘れていたんだろう。
椿……可哀想な子。
「ほんっとに! ほんっとに!! あぁもう分かりましたよ! 草加君車借りるからね!」
悔しそうな表情で親の仇の様に地面を何度も踏みつけた彼女は、いくらか鬱憤が晴れたのか運転席に乗り込んだ。
ちなみに本日の彼女は肌の露出を抑え、厚手のブーツを履いてきていた。
彼女なりに色々考えて準備してきていたのであろう。
だというのに、この仕打ちである。
とはいえ今日は廃墟やら何やらに向かう訳でもなく、鶴弥のお家にお邪魔するだけ。
俺はあまり普段の格好と変わらないが、女子三人はそれなりにお洒落な装いである。
その為、椿一人が実用的な格好というか……はっきり言ってしまえばちょっと地味な格好になってしまっていた。
なんというか、すまん。
その謝罪は彼女に伝わる事は無く、ささくれ立った感情を表すような土埃を立てながら、俺の車が走り去った。
どうか、事故らないでくれ。
そいつの保険、俺自身以外は効かないんだ……
もはや遅すぎるとしかいえない情報を胸に、おっさんは祈りを捧げていた。
「なかなか印象の濃い方ばかりで驚きましたが……とりあえず行きますか」
冷静を装っているが、困惑の表情を浮かべた神主が仕切り直す。
もうね、そうね。
行きましょうか、そうしましょ。
もはやおっさんに理解できる状況は逸脱しているので、早くも諦めてしまったのである。
とりあえずあれだろ? 俺は神社の中歩き回って、面白そうな物を探せばいいんだろ?
それくらいの感覚で、おっさんは鶴弥の後に続いた。
はてさて、黒家が目を付ける程度に面白いモノが見つかるのかどうか。
そればかりは分からないが、俺をこっちに寄越した所を見ると、先に行って面白い物探しておけよ? ってことなのだろう。
いくらか気が重いが、まあなんとかなる……と思う!
普段通りお気楽に考えながら、おっさんは神社の敷地内に脚を踏み込んだ。
黒家のその判断が、後の酷い結果に繋がるとも知らず、皆が皆歩き出してしまったのだ。
仮に今の段階で「おう、例の壺踏み砕いてこいや」とでも誰かが声を上げれば、今回のお話はこれで終了だったものを。
当然そんな事を言える人は、この中には存在しなかった。
もしもそれが叶っていたのであれば、ここまで面倒な事になる事件ではなかったろうに……
本日も午後にもう一話更新します





