猫女
2019/06/12 誤字や言い回しを少し修正しました。 内容の変更等はございません。
「あぁ……まぁだ眠い……」
瞼の下を少し黒く染めた中年が、机に突っ伏していた。
教師としてはあまり褒められた行為ではないが、現在ここは職員室。
ならば子供達の見本となる必要もない、人間誰しも休息は必要なのである。
「ゴホンッ!」
すぐ近くで誰かがむせ込んだ声が聞こえる。
風邪だろうか、気を付けて欲しいものだ。
これが可愛い女の子であるのなら俺だって声を掛けるだろう。
大丈夫か? 風邪か? 今日はもう帰って休め。
そんな台詞の一つでもはいて、先生優しー! みたいにしたいところだが、残念ながら聞こえてくるのは男の声。
しかもさっき近づいてくるのが見えたから、おそらく教頭先生のものだろう。
出来れば来ないで欲しい、風邪どころか普段から涼しそうな頭皮がうつったらどうしてくれるんだ。
「あー……ゴホン! ゴホンゴホン!」
しばらく経っても止まない咳。
体調が悪いのなら休めばいいのに、全く……人の近くでウイルス散布は止めて頂きたいものだ。
そういえば部員二人は大丈夫だろうか?
あいつらも随分遅くまで部活動(?)をやっていたわけだし。
風邪でも引いてなきゃいいが……いや、黒家が風邪を引いた場合静かになっていいのか?
なんて事を考えている間も、すぐ隣から咳き込む声が聞こえる。
流石に我慢の限界に達し、ガバッと状態を起こして教頭を睨んだ。
「教頭先生」
「な、なんだね……?」
思った以上に近くに居た教頭先生は、苦虫を噛み潰したような顔で後ずさっている。
今さら体を放した所で遅いだろうに、既に俺の周辺には風邪ウイルスが充満している事だろう。
大人なら自己防衛にも徹底してほしいものだ、パワハラで訴えてやろうか。
「先ほどからむせ込んでいらっしゃるご様子、早めに帰って休んだ方がよろしいかと」
「き、君は本当に……!」
何やら言いたげにプルプルと震えだしたが、本当に大丈夫だろうか。
寒気とかでここまで震えるのもヤバイが、顔が真っ赤だ。
間違いなく熱があるのだろう、インフルエンザとかだったらマジで勘弁してくれ。
「どうやら尋常ではなく酷いようですね、大丈夫ですか?」
「いやいやいや! そうではなくてですね……」
更にバイブレーションが激しくなる教頭。
これはもしかしてアレか? 自分では進言しづらいから、俺が校長に言って来てくれとかそういうやつか?
これだから歳を取った上司は嫌なんだ……自分の不調ぐらい自分で言えばいいのに。
そんな事を思いながらため息を吐き、仕方ないにゃあとばかりに腰を上げると、教頭の顔が真っ赤に染まる。
「君は空気を読むという言葉を知らないのかね……本当に毎回毎回……」
どうやら図星を突かれて恥ずかしかったようだ、これは悪いことをした。
「これは失礼しました。 でも、大丈夫です。 校長にはちゃんと伝えておきますから」
「は? 何故校長?」
「教頭先生が体調悪いみたいなんで、早退させてあげてはどうかと、そう進言すればいいんですよね?」
「おっまえは、本当にぃぃ!!」
何やら急にキレ始める教頭。
ヤダ怖い。
最近の若者はなんて言葉はあるが、むしろ最近の歳よりはと言った方がいいのではないか?
せっかく救いの手を出そうというのに、恥ずかしさの余り部下にキレるなんて……
マジでパワハラで訴えちゃうぞ?
「教頭先生、草加先生。 とりあえずその辺に……」
そう言って俺たちの間に美女が舞い降りた。
正確には横から入っただけだが、まあいいだろう。
「椿先生……いや今日という今日は、彼にも教育者としての自覚を……」
「あはは……お気持ちは分かりますが、同期でもある私が言ったほうが角も立ちませんし。 私の方から言っておきますので、ここはどうか……ホラ、生徒達もチラホラ入ってきましたし」
彼女の言葉に職員室の入り口へと目を向ければ、授業が終わったらしい生徒達がこの部屋を訪れ始めている。
こればっかりは再び机に突っ伏す訳にもいかないと、思わずため息が漏れる。
「と、とにかく! 私から言っておきますから!」
未だ顔を真っ赤に染める教頭を、どうにかこの場から退散させる椿先生。
その勢いに負けたのか、しぶしぶと言った雰囲気で引き下がる教頭。
顔は未だに真っ赤だが、大丈夫だろうか?
どうかお大事に……という意味を込めて軽く頭を下げておく。
「全く……どうして草加先生はいつもあんなに煽るんですか? あれじゃいつまで経ってもお小言終わりませんよ?」
そういって振り返る女教師……もとい椿先生は困ったように笑う。
彼女は椿 美希<ツバキ ミキ>
俺と同期でこの学校に就いた教師だ。
自分と歳が近いとは思えぬ若々しい見た目とその明るい性格から、生徒達には親しみを込めてツバッキーなんて呼ばれていたりする。
若干一名ウチの部員の問題児だけは、ミッ〇ーなんて呼んだりするが。
正直色んな意味で心臓に悪いから止めて頂きたい。
「いえ、別に煽っている訳ではないんですけど……なんかずっと咳き込んでたんで、体調悪いのかなぁって」
別に相手を心配して悪い事はないだろ? 女性相手って訳でもないんだし、セクハラだ何だとは言われないだろう。
なんて雰囲気で頭を掻きながら答えた俺に、彼女は困ったようにため息をつきながら机に軽く腰かけた。
俺の机に、もう一度言おう「俺の机に」
そのまま足を組んだりしている訳だが、なんとも艶めかしい動作だ。
男子高校生なら飛びついてしまいそうなストッキング、これがまた凄くいい。
「そういう素直な所は草加先生の魅力なのかもしれませんけど……教頭相手にはあまり効果ないみたいですから止めた方がいいですよ?」
ふむ、そうだったのか。
ノリでうんうんと頷いてから、頭を傾げる。
よくわからん、君は結局なにがいいたいんだ。
「えっと、まぁいいです……ってそうそう、そんな事を言いに来たわけではないんですよ。 草加先生、ちょっとこっちに」
そう言ってから椿先生は俺の手を引いて、そのまま給湯室まで引っ張っていった。
普通の状況ならこんな仕草、行動はハッキリ言って危険だろう。
男だったら誰でも「え? うそ、もしかして……」なんて乙女チックな雰囲気になってしまう。
男なのに乙女だなんだと言うのはアレだが、まぁちょっと色々危ない想像をしてしまう所だろう。
だが俺と彼女の間にだけはそれはない。
もう一度言おう、俺と彼女は同期なのだ。
色々聞いているし、色々と見てきているのだ。
「で、なんだよ? 椿」
「あららー、さっきと違って随分冷たい態度じゃないですかー草加せんせ~」
「うっざ」
ケラケラと笑う彼女に対して、それこそ唾でも吐いてやろうかという程顔をしかめる俺。
そうなのだ、この女。
所謂猫かぶりなのだ。
そりゃもう被るどころか、全身覆いつくつほどのレベルで、だ。
いっその事猫かぶりではなく、猫の着ぐるみ女と言った方が妥当なのかもしれない。
「さっきまでやたら私の足見てた癖に、随分冷たいじゃん。 相談乗ってくれるなら、ちょっとくらい触ってもいいよ? もちろん足だけね?」
バレていたのか……
そんな思考を読み取ってかどうかは知らないが、彼女は再び足を組む。
「お前の足はエロいからな、仕方ない」
「ほんっと、素直というか……直球だよねぇ草加君」
呆れ顔の彼女は、やれやれとた雰囲気で足を解き、こっちに正面から向き直る。
はっきり言おう、こういう態度の時の彼女はとても面倒くさい。
正しくは、とても面倒くさい案件を持ち込もうとしている前兆なのだ。
過去居酒屋で何度同じ事があり、何度面倒な目にあったか。
時には色目を使う男子生徒に説教をしたり、時には夜遊びが止められない女子生徒を連行したりと。
彼らは彼女が受け持つクラスだというのに、だ。
そして今回のこれも、面倒事を俺に押し付けてくる前兆に他ならないように思えた。
「いやぁ、実はさぁ——」
「断る」
「いや、早い早い。 まだ何も言ってない」
ケラケラと笑いながら、給湯室の流しに腰を掛け足を組む。
そりゃもう見えそうで見えない絶妙なバランスを保ちながら。
「草加君って確か部活の顧問やってたよね? オカルト研究部って言うアレ」
「断る」
「だから聞きなさいって」
それでさーと、俺の言葉を無視したまま、彼女の一方的な会話は進んでいく。
こんな事があってぇとか、何とか君がぁ、それでウチのおばあちゃんがさぁ……なんて、本気でどうでもいい話をしばらくくっちゃべった後、彼女は一つの包みを取り出した。
ん? まて、今どっから出した?
流しの下から出さなかったか? お前給湯室を何だと思ってるんだ。
「ということで、これ。 よろしくね?」
「は?」
彼女の長い話を完全スルーしていた俺には、これが何なのかどういうものなか理解できなかった。
というかマジでなんだコレ。
やけに高そうな紫の布に包まれた、木箱……だろうか? 感触的に。
そして軽い、めっちゃ軽い。
中身入ってるのコレ? と聞きたくなるレベルだ。
「だからコレ、気味悪いからどうにか処分してって言ったの。 そういう部活の顧問なんだから、御払いとかそういうの専門分野でしょ? おばあちゃんが送ってきたんだけど、処分に困るからお願いしたいって今言ったじゃん」
そう言って無理やり包みを俺に押し付けると、用は済んだとばかりに背を向ける。
ちょっと待って欲しい。
手に持ったコイツの詳細を聞き逃した上に、俺には何のメリットもない。
いくらおかしな部活の顧問をやっているとはいえ、こんな訳の分からない物を押し付けられるのはどうにも納得がいかないというものだ。
「おいコラ、どうすんだこれ! どうにかなったとしても、俺に何もメリットねぇぞこんなの!」
思わず叫んだ俺に対して、彼女は楽しそうに笑いながら振り返る。
そしてそのまま少しだけタイトスカートをたくし上げた。
もちろん、中身は見えない程度に。
「今度奢ってあげるってば。 それに色々いい事あるかもよ?」
そんな彼女の仕草を、上から下まで舐めまわす様に眺める。
脚はいい、とてもいい太ももだ。
腰もキュッとしまっていて、これはもう高得点。
しかしながら……
「胸がな……黒家の方がデカいな……」
「ふんっ!」
物凄い勢いで、彼女の右ストレートが繰り出される。
ゴッ! といい音がして、左の頬に鈍い痛みを感じた。
これは俺が悪いんだろうか? ただ事実を言っただけじゃないか……
「とにかく! ソレ! お願いね!!」
怒鳴りつける勢いで、彼女は粗々しく退出していった。
結局訳の分からないまま、良く分からないモノを受け取ってしまった。
「まぁ、とりあえず……黒家に相談してみるか……」
一人呟きながら、彼女から渡された包みに改めて視線を向けたのだった。





