笑顔の仮面
「なぁ黒家、本当に良かったのか? 早瀬には連絡したんだろうな?」
狭い我が家のキッチンで、エプロン姿の黒家に問いかけた。
現在黒家は調理台に向かっており、俺にはその背中しか見えない状況だ。
「書き置きしておきましたから大丈夫です。 来たければ来るんじゃないですか?」
素っ気ない返事を返しながら、彼女は調理を続ける。
夕飯を作りに行く、なんて急に言い出した時は何事かと思ったが、以前そんな事を言われた事を話している内に思い出した。
「まぁあんな事があった後だもんなぁ、無理強いはしないが」
一週間前、彼女たちは以前取り逃がした不審者に再び遭遇してしまった。
何事もなく済んだから良かったものの、二人にとって怖い思い出となっているだろう。
だというのに、また同じような活動するから参加しろ、とは非常に言いにくい。
黒家の奴も珍しく気を使ったのか、今日はいつものような活動は中止して、皆で飯でも食おうという事だったのだろう。
にも関わらず早瀬の姿がないのは、黒家にとっても残念だろう。
こいつを励ます為にも、今日は二人分は食ってやらねば。
うんうんと頷く俺に気づいたのか、黒家は非常に微妙な顔をしている。
「……朴念仁」
ボソッと何か貶された気がしたが、おそらく気のせいだ。
とにかくそっちの話は置いておこう、俺はいつも通りに接してやろう。
なんて事を考えながら、改めて黒家の姿を眺める。
学校帰りなので制服のまま、その上からエプロンを付け台所に立っている彼女。
独身男としては、台所に女の子が立っているという状況でさえありがたい限りなのだ。
しかも女子高生だ、これは相当レアな光景なのではないだろうか。
あ、いや……そんな事を言うと女子高生好きなおっさんみたいに聞こえるが、それではあまりにも犯罪臭が漂う。
そこだけは頑なに否定しておこう、……目の保養だとか思ったりはするが。
「ところで、あまり言いたくは無かったんだが……黒家って本当に料理出来るのか?」
かなり失礼な発言だとは思うが、どうしても聞いておきたかった。
手際よく動いているようにも見えるが……その、手がね? 両方のお手てが絆創膏だらけなんですよ。
「問題ありません。 この一週間、徹底的に弟で毒見は済ませてきました」
「毒見!? ねぇ今毒見って言った!?」
俺の叫びが届いている様子はなく、上機嫌な様子で料理を続ける黒家。
本当に大丈夫だろうか、というか弟君がどうなったのか詳しく聞きたい所である。
ま、まあ何とかなるだろう……きっと大丈夫だ。
半分くらいは諦めて、別の話でもしよう。
料理の話題はこれ以上聞かないほうが良い気がする。
「話は変わるけどさ、一週間前のアレ。 ちゃんと通報したか?」
その質問に、ビクッと黒家の肩が震えた気がした。
怖い記憶でも思い出したのかもしれない……そうすると悪い事をしたな。
「あー、えーっと。 はい、しましたよ? 通報、うん。 しましたしました」
振り返った黒家の目が、妙に明後日の方向を向いている。
大丈夫か本当に。
「とはいってもなぁ、俺の所事情聴取とか来ないんだが……直接話に行ったほうがいいかと思ってなぁ」
当然一週間前の事件の事である。
あれだけ大変な目にあったのだ、そして不審者も取り逃す始末。
まだそこら辺に居るのではないかと思うと、こいつらだって怖いだろうと心配している訳なんだが……なんかさっきから反応がおかしい。
「あ、いえ本当に大丈夫ですよ!? えっと、なんと言いますか……あっ、そう、通報の際に先生の事は伏せて話したんですよ! 女子高生二人を深夜に連れまわしていたなんて言ったら、いくら合宿許可があっても先生が怒られちゃうでしょう?」
やけに慌てた様子で早口に語っているが、まあ確かに黒家の言う通りかもしれない。
保護者として付き添ったにも関わらず、目を離して二人を危険に晒してしまったのだ。
それこそ反省すべき点ではあるが、馬鹿正直に事実を伝えれば多分俺の首が飛ぶ。
次の日以降、後ろ指指されながらのニート生活が始まってしまうのだ。
俺の都合で悪いが、ここは二人の御厚意に甘えるとしよう。
「ほ、ほらっ! そんな事よりご飯できましたよ! 早く食べましょう!」
「お、おう?」
珍しく大きな声を上げながら、次々と料理を運んでくる。
山盛りのから揚げやサラダ、漬物に豚汁。
その他もろもろと、なかなか豪華なバリエーションだ。
見た目は至って普通、というか旨そうに見えるのだが……問題は味だ。
もしかしたら弟君と同じ運命を辿るのではないか、なんていう不安が付きまとうが……いや、弟君が今どうしているか俺は知らないけど。
しかし不安なのは違う意味で黒家も同じらしく、じっとこちらを見つめたまま微動だにしていない。
これは男として覚悟を決めるときだろう。
女子の作った飯を食わないなど、男の風上にも置けない一生独身野郎になってしまう。
「いただきます」
「ど、どうぞ」
覚悟を決めてから、思い切って一口でから揚げを頬張る。
どんな味だろうと耐え抜いてみせると意気込んで、必死にかみ砕いた。
そしてその結果……
「あれ? 普通に旨いんだけど何故」
「本当に失礼ですね先生」
やけに冷たい眼差しを向けられたが、もはやそれどころではない。
予想以上に、というか予想外に? 旨かった黒家の料理を、勢いに任せてモリモリ頬張る。
久々に食べた誰かの手料理という事もあり、大盛に盛られたご飯も瞬く間に無くなってしまった。
「黒家、おかわり」
「はいはい、お口に合ったようで何よりです」
呆れるような笑顔と共に、ご飯をよそいに行く黒家。
何とも心温まる光景ではないか、きっと弟君も一週間こんな感じだったに違いない。
なんて考えた所で、黒家の関係者といえば……なんてふと思い出した。
「なぁ黒家、お前の知り合いに忍者とか居るのか?」
「……は? 先生どうしました? 馬鹿なんですか? 現代に忍者なんているわけないじゃないですか、今でもサンタさん信じてたりします?」
罵倒のオンパレードと共に、おかわりのご飯を差し出してくる黒家。
普段幽霊だなんだと騒いでいる奴の台詞とは思えない。
「いや、前の廃墟探索の時なんだけど……車で待ってる時女の子が話しかけてきてな? 少し話した後、消えるみたいに居なくなっちまったんだよ」
「いやあの時間に女の子とか……都合のいい夢でも見てたんじゃないですか? どうでしたかその女の子は? 可愛かったですか、理想の姿形でもしてましたか? ていうかやっぱり寝てたんですね、最低です先生」
再び罵倒のオンパレードが始まりそうになるのを、どうにか必死に遮ってから続きを話す。
「待て待て、本当に寝てねぇよ。 恰好は……黒っぽい長袖のセーラー服? んでお前や早瀬より少し年上って感じだったなぁ……長いストレートな髪で、あとは……」
「おっぱいも大きかった、と」
「そうだな、確かに結構デカかった」
「最低です先生」
お前が言い出したんだろうが。
「そうそう、何となくお前に似てた……気がする? 暗くて良く分かんなかったけど。 でも本人もそれっぽい事言ってたんだぜ? 『巡の事をよろしく』とか何とか。 知り合いにそれらしい子とか居るか?」
何となく気になっていた事情だったので、それとなく聴いただけのつもりだったのだが……対する黒家は、考えこむように顔に影を落とす。
「あぁ、いや。 マジで寝ぼけてただけって可能性もあるし別に——」
「——先生、その制服ってどんなのでした?」
俺の言葉を遮りながら、真剣な顔を向ける。
一瞬にして雰囲気が変わった気がしたが、どうしたというのだろう。
「えっと、そうだな。 黒くて……はさっき言ったか。 ウチの制服に似てたな、黒セーラーで白のライン。 あとは……あ、そうそうリボンも真っ白だったんだよ。 この辺では珍しくないか? 赤とかならたまにみるけど、真っ白は珍しいなぁって」
彼女の特徴を思い出せる限り伝えると、黒家はますます険しい顔になり、ブツブツと小さな声で独り言を言い始める。
やだちょっと怖い。
「えーっと……どした?」
流石に心配になってきて、覗き込むように顔を近づける。
「……先生、その人私に似てたんですよね? 髪も長かった、そして私の事を『巡』って、そう呼んだんですよね?」
「お、おう……確かそうだったと思うけど、知り合いか?」
顔を伏せたままで表情は分からないが、何故だかとても苦しそうに見える。
こんな黒家を見るのは初めてだ、普段能天気とも言える程楽しそうな様子からは想像もつかない。
「お、おい。大丈夫か? ……って、うお!?」
声を掛けた瞬間、バッと顔上げた黒家。
距離のせいもあるが、流石に予想外な動きに驚いて椅子から転げ落ちそうになってしまった。
「なんですか先生、どさくさに紛れてキスでもしようとしてました?」
彼女はいつも通りの……ではないか、ちょっと作り笑いのような表情で笑っている。
それ自体は分かるが、その話題に触れていいのか迷ってしまう。
もしかしたら本人も触れられたくない事情かもしれないしな。
「あっ、お茶入れ直してきますね」
そういいながら席を立ってしまった。
正確な答えは聞けなかったが、まあこういう事もあるだろう。
難しい年頃の女の子な上、話題に振ったのは忍者と思わしき人物だ。
容易には語れないのかもしれん……なんとも歯がゆい気持ちになるが、これ以上の追求は止めといたほうがよさそうだ……
もはや何度目か分からないが、一人で納得するようにウンウンと頷くおっさんなのであった。
———
なんて、彼が自己解決を済ませている時、黒家は一人キッチンの片隅で呟いた。
「姉さん……やっと見つけた……」
その囁きは誰の耳にも届かないまま、空気に溶けていく。
何事も無かったように、入れ直したお茶を差し出しながら彼女は笑った。
白々しい程の笑顔で、その想いを胸にしまったまま、彼女は言葉を口にする。
「先生、明日からまた……よろしくお願いしますね!」
こうしてオカルト研究部は、再びその活動を再開するのであった。
これで一章が終わりになります。
今後更新が多少遅くなりますが、どうかお付き合いくださいませ。





