迷宮の果てに
もうどれ程の距離を上ったかも定かではないくらい階段を蹴り、何時間も走り続けているのでないかと思えるほど感覚に襲われる。
足は鉛のように重くなり、当然駆け上がる速度も遅くなっていった。
「こ、これ……ほんと……いつまで」
「私達はいつの間にか、スカイツリーでも登り始めたんですかね……」
ぜぇぜぇと息苦しい呼吸を繰り返しながら、ヨタヨタと階段を上る。
「は、やせ……さん。手汗、凄い……ですよ」
「そっちこそ……今にも滑りそう、な……くらい、汗かいてる、じゃん」
既に手汗どころではなく、全身から汗が噴き出しているわけだが。
服どころか下着までビッショリと濡れていて、このままでは風邪でも引いてしまいそうだ。
というかこの状況でも手を放さない私達は、傍から見れば相当間抜けに見えるだろう。
お互い片腕が動かないような状況になるんだから、放してしまったほうがよっぽど動きやすいのは確かなのだが……
「なら……はなし、ますか……手」
「ぜったい、に……嫌」
多分彼女も同じなのだろう。
放してしまった瞬間はぐれてしまいそうな、一人になってしまいそうな不安が付きまとっている。
それにさっきの出来事もあるのだ。
手を放して彼女が走り出した瞬間、背後から急に『上位種』が現れた。
別に手を繋いでいるから現れない、という事はないだろうが、それでも一人になる不安な気持ちはよく分かる。
「ま、いいです……けど」
今ではもう歩くより遅い速度で、どうにかこうにか一段づつ上がっている状態だ。
こんな事ならスカートなんて履いてくるんじゃなかった。
階段を上る度に足に絡みつき、非常に鬱陶しい。
体から噴き出す汗を吸い取って、くっついたり離れたり。
思わずスカートの端を握って、ジッと睨む。
いっその事ここで脱ぎ捨ててしまいたい程だ。
「気持ちは、分からなくもないけど……止めてね?」
もはや言葉にするまでもなく彼女には伝わったようで、何か言う前に止められてしまった。
とはいえ、この状態がいつまでも保つはずもない。
どこかで休憩を入れたい所だが……
なんて事を考えながらスカートを睨んでいると、唐突に早瀬さんが声を上げた。
「黒家さんアレ! 扉!」
その声に反応して顔を上げると、私達の進む先……階段の頂点に白い扉が見えた。
やっとだ、やっとここを抜けられる。
そう思った瞬間、どちらともなく駆け上がる足を速め、扉目掛けて全力疾走した。
「やっと、です……ね!」
「長かった……よっと!」
登り切った瞬間、私達は目の前にある両開きの扉を思いっきり蹴飛ばした。
見た感じ鍵の掛かる様な作りはしていなかったし、なんとなく大丈夫かなっていう感覚で思いっきり蹴り開けた。
まぁちょっとしたストレス発散みたいなものだ。
そしてその先にあったのは……
「出口……な訳ないよねぇ」
「これが出入口に置いてあったら、センスを疑いますね……」
目の前にあるのは、人と同じくらいな大きさもある仏の像。
妙にゴテゴテと飾られた仏壇と共にあるソレは、顔だけが黒い影に覆われている。
この4畳ほどの大きさの真っ白い部屋の壁際に、それは設置されていた。
「え、本当に何? 祈りでも捧げればいいの? 顔に黒いモザイク掛かってるけど」
「あれは仏様ですから、どっちかというとお経でも唱えるんじゃないですか? あの顔からして、あまり御利益とか無さそうですけど」
二人して似たような感想を漏らす。
早瀬さんになら違う顔に見えるのかもと思ったが、どうやら私の見える光景とそう変わりないらしい。
「とにかく他にも扉はありますし、ここは見なかった事にして進みましょう。 それとも拝んでいきますか?」
「遠慮しておく、私自身は無宗教なもんで」
「それは何より、神様仏様は助けてくれませんからね」
私にとって、助けてくれたのは神様ではなくただ一人の人間だけだった。
今更神様の類に助けを求めようと思わないのは、早瀬さんも一緒のようで。
「では行きましょう、少し休憩したいところですけど……この状況で休んでいる時間があるとは思えませんので」
早々にその部屋を立ち去ろうと、像の隣にある両開きの扉に手を掛ける。
今まで通り特に鍵が掛かっている訳でもなく、何かしらの仕掛けがある訳でもない。
ゆっくりと開いて、その先を覗いた。
「え……」
その先にあった光景に、思わず声を漏らしてしまう。
「どうしたの?」
続いて覗き込んだ早瀬さんも、私と同じような反応を示しながら声を失ってしまった。
とてもじゃないが、この部屋を説明せよといわれたら、なんと口にしていいのかわからない。
先ほどの部屋と同じように、白一色で彩られたただただ広い空間。
その先に一角だけ狭い部屋のような出っ張りが出ていて、両側には扉がある。
なんというか、部屋の中に部屋がある……というか、まるでここは何かの特別な部屋であり、その一角は制御室のような印象だ。
そしてなにより異常だったのは、やけに広い部屋の中心。
そのど真ん中に、首縄がぶら下がっていたのだ。
人が首を吊って死ぬ、その為だけに使用する縄。
独特な縛り方で特徴的な輪っかが付いているソレを、まず見間違える事はないだろう。
「なにこれ……気味悪いんだけど」
まず普段なら見ないソレに対して、早瀬さんは嫌悪感を示す。
当然の反応だ、アレを見てテンションが上がる人間がいるなら見てみたい。
「まずは奥の扉を調べましょう。 首縄は……本当に手掛かりが無かった場合のみ調べる、という事で。 可能な限り触りたくもありません」
無言で頷く彼女を見てから、中心にある首縄を避け奥の扉へと向かった。
こちらも特に鍵が閉まっているという事も無く、すんなり室内へと侵入できた。
室内を見て何か引っかかるというか、どこかで見た事がある光景を目の当たりにし、固まっている私を追い抜いて早瀬さんは中にズカズカと入っていく。
手を繋いでいるんだから、当然私も引っ張りこまれる形になる訳だが……
「どうしたの? 何か分かった?」
不思議そうに首を傾げる彼女は、周りの物を見ても何が何だかといった雰囲気である。
よく分からない機材、部屋の中心側に設置された3つの赤いボタン。
部屋の中を確認する為にあるかのような、小さな窓。
その全てが、身近な設備ではない事は分かるし、何のための機材なのかもさっぱりだ。
でも何となく見た事があると言うか……何だったかな。
「何となく見た事がるような……でも実物を見るのは初めてというか……なんでしたっけ?」
「いや、私に聞かれても」
呆れ顔の彼女を尻目に、私は必死に思考を探る。
白い部屋、仏の像がある部屋、広い部屋と何かの機材。
その部屋の中にある三つのボタン、そして……あの首縄。
「あっ……」
一つだけ思い当たる場所があった。
その名称を思い出した瞬間に、背中に冷たい汗が流れる。
どうして『ソレ』を見た瞬間気づかなかったのかと、自分に怒鳴りつけたい気分だ。
「逃げましょう、早瀬さん。 ここは不味いです……」
震える声で、囁くように告げる。
ここは、ここだけは不味い。
こんな所でゆっくりしていい筈がない。
「ちょ、え? 逃げるってどこに? 顔真っ青だけど、大丈夫?」
私の様子の変化に気づいた彼女は、心配するように覗き込んでくる。
だが、今はそれどころではなかった。
私達が居るこの場所、こんな場所に連れてきたソイツが、私達を無事に帰してくれるとはとても思えなかった。
「とにかくはやく! もはやさっきの牢獄の方がマシです! ここではないどこかへ行きますよ!」
叫びながら繋いだままの手を強く引く。
早く、早く! ここから出なくちゃいけない、ここに居ては不味い。
「黒家さんどうしたの!? 戻ったらさっきの奴が!」
叫ぶ彼女を引きずるように大部屋に戻る。
もしも私の仮定通り、この『迷界』がさっき見た『上位種』の記憶の世界で、その中をソイツの『経験通り』に走り抜けてきたとするなら。
家庭、会社、違う家、また会社オフィス、その次はまた違う家。
そういう順番に走ってきた気がする。
そして牢獄に辿り着き、最後には……ココだ。
「多分アイツは元々ここに私達を誘い込むのが目的だったんです! だから追ってこない! でもきっとすぐ近くに居ます!」
いつの話だったか、それはドキュメンタリードラマか……ニュースの一環だった気がする。
テレビを流しているだけで、内容を食い入る様に見ていた訳じゃない。
そんな中流れていた映像だった。
とある場所に努める職員が、仕事を全うするまでのお話。
よくあるソレだったが、内容が内容なので頭の片隅に残ったのだろう。
「どういう事なの!?」
叫ぶ彼女に、返事をする間もなく走り始める。
記憶の中の映像と、この場所は酷似していた。
「だってココは!」
白い部屋に、仏の置かれた最後の『教え』を授け懺悔させる為の部屋。
そしてあの三つのボタン。
アレは確か、三人の人間が同時に押して使用するものだ。
三つの内どれかに『本物』があり、誰が『本物』を押したか分からせない為に、三つのボタンを同時に三人が押す。
そうすることにより罪の意識は三分割され、彼らの仕事は終了するのだ。
そして、その場所の名前は……
「ここは、日本の処刑場です!」





