夏 6
『てな具合で、所在は不明。 草加君にビビッて逃亡した……って事はないと思うんだけねぇ。 なので今の所情報なしです、ごめんね?』
バイクのタンデムシートに腰かけながら、耳に当てたスマホから響く声に眉を顰める。
「まぁ、張り込んでても一向に姿が見えませんでしたからね。 やはりそういう事でしたか。 すみません椿先生、私ではお店に入ってもろくに相手にされなかったでしょうから」
『まぁ会社が会社だからね、未成年じゃ仕方ないわよ』
“東坂縁”。
先生達が遭遇したという話を聞いて以降は進展がなかったので、何度か学校帰りに会社を見張ってみたりはしたのだが……私がこの眼で相手を確認する事は叶わなかった。
椿先生の話からすれば、完全に無駄足だったという事になる訳だが。
さて、本格的にどうしたものか。
こうして夜の見回りに出ても、以前の様に手掛かりになりそうな事件など転がっている訳もなく、ただただ静かな夜が続いていた。
その静けさが逆に不安を煽る。
「まぁ、手掛かりも無しに悩んだ所で仕方ありませんね。 また何かあったら連絡します、今日はゆっくり……ではなく、楽しんで下さい」
『あいあいー。 そっちも余り遅くならないようにね? あと何かあっても深追いはしない事。 良いわね?』
「えぇ、それでは」
耳からスマホを離せば、周囲の音が私を包み込む。
先程まで呑気に話していた訳だが、周囲には“黒い霧”が溢れていた。
ここはいつか訪れた廃病院。
その入り口で、天童先輩が軽いステップでも踏むような動きで霧を避けながら“声”を上げていた。
「“抵抗するな、そのまま逝け”。 ほんっとに、数が多いな……あ、鶴弥ちゃん電話終わった?」
愚痴っている割には随分と余裕そうな彼が、“雑魚”の群れを屠っている。
数年前とは比べ物にならない程状況に慣れている彼を見て、思わずため息を溢した。
“声の異能”も随分と強くなってしまったらしく、こんな状況でも余裕の笑みなんぞ浮かべてやがりますよ。
数が多かろうと、“雑魚”程度なら焦る事もなく一人で対応している。
頼もしくはあるが、この状況を喜んで良いのか悪いのか。
「えぇ、向こうは進展なしだそうです。 予想はしてましたけど、致し方ありませんね。 それで、手伝います? 数がとんでもない事になってますけど」
私も私で、慣れてしまった感が否めない。
こんな所を黒家先輩に見られれば、油断し過ぎだと怒られてしまうかもしれないが。
とは言え、今の彼の実力を考えれば苦戦する程の相手では無い様に思える。
「ちなみに、“なりかけ”も近づいて来てますよ。 やはりこういう場所は“溜まりやすい”ですね」
そう言ってからバイクを降り、音叉を構えて彼に歩み寄る。
「“声”だとやっぱり音叉みたいには祓えないからね、お疲れでない様ならお願いしようかな。 “なりかけ”が残るようなら、フォローに入るね」
「了解です」
昼間の疲れも残っているので、動き回る事態になるようなら彼に任せよう。
なんて事を考えてから、新しくなった黒い音叉を指で弾いた。
――コォォォン、と引く音が鳴り響き周囲の“霧”が晴れていく。
クリアになる視界を確認しながら、響いていく音に一部だけ違和感を見つけ、“ソレ”に合わせてトリガーと引き絞る。
少しだけ高音になる音叉の音色。
どんどんと近づいて来ている“ソレ”に合わせて調整してやれば、やがて私の耳に届く“違和感”も綺麗さっぱり無くなって行った。
「お見事」
「自分で言うのもなんですけど。 相変わらず、この音叉チート装備ですねホント」
「ま、いいんじゃない? こっちは命掛けてる訳だし、良い物は使わなきゃ損でしょ」
「ありがたいのは確かなんですけどねぇ」
そんな事を言い合いながら、ガンプレイの様に音叉をクルクル回してホルスターへと戻した。
やはり“コイツ”は良い。
音を奏でている間に微調整が出来るというのが、とにかく楽だ。
新しい音叉を手にしてからというもの、明らかに殲滅までの時間が少なくなっている。
自分でも調子に乗っているのは分かっているが、以前と比べ物にならない程の威力に、心の余裕は確実に広がっていた。
とはいえ今回の様な人間相手では、音叉も異能も役に立ってはくれないが。
「はぁ……結局は私自身の成長が必要、ですかねぇ」
「大丈夫だよ、まだ希望はある」
言葉だけなら納得しそうになったが、明らかに視線が違う所を向いている。
というか私の目を見てない。
正確には顔よりちょっと下を向いているんだがコイツ。
「違うよ馬鹿。 そっちは半分……いや八割くらい諦めてるよ。 だから無駄な希望を抱かないで他の人当たった方がいいんじゃないですか?」
なんて自虐的な言葉吐いてみれば、彼は余裕の表情で頷いてみせるのだ。
「俺は今のままの鶴弥ちゃんが好きだよ? 例え変わったとしても、愛せる自信はある」
なんかムカつく。
「ぶわぁぁか」
それだけ言って、再びバイクに跨った。
今夜はコレ以上廻る予定はないが……何となく嫌な予感がする。
相手の情報が無くなってしまった事によって、単純に不安になっているだけだとは思うのだが……
「……もう少し見て回りましょう。 手掛かりもない上、こうも短時間で終わってしまうと、何か落ち着きません」
「だね、了解」
それだけ言って、私達は再び走り出した。
願わくば、過去の再来にならぬ事を願う。
というか、あんな事何度もあってたまるか。
“妖怪”だの“神様”だの。
結局は言い方の違いでしかないのかもしれないが、それでも……。
あの“烏天狗”の様な厄災には二度と会いたくはないと、心から思えたんだ。
――――
ジュウジュウと音を立てる“ソレ”が、七輪の上で煙を上げる。
もはや音だけでも分かる、コイツは旨い。
絶対旨い奴だ、俺には分かるね。
そこに特製のタレなんてかけた日には、もうね。
聴覚のみならず嗅覚まで刺激して、盛大に腹の虫が騒ぐというモノさ。
「あら? 草加さん家は今日鰻かい? いいねぇ、毎日美味しそうな匂いさせてもぉぉ。 ウチだって料理に気合い入っちゃうじゃない」
「あ、こんばんは。 いつも隣で騒がしくしてすみません、良かったら晩御飯のおかずに如何ですか? もうすぐ焼けますよ」
お隣に住むおばちゃんに、何故か黒家が返事してる。
まあいい、今は鰻だ。
タレを塗った鰻の香ばしい香りを、コレでもか鼻で吸い込みながらおっさんはご飯を片手に箸を構えた。
「おいおい駐車場で何やって――あれ? 夏美ちゃんかい?」
「あ、すみません。 煙たかったですか?」
「あぁ良いって良いって! 今日も旨そうな匂いさせてんねぇ。 あ、それよりこの前の御裾分けご馳走様。 いまタッパー持ってくるね!」
ちょっとヤンチャ思考が残っているであろうおっさんが、早瀬と言葉を交わした瞬間自分の部屋にダッシュで戻って行った。
なんだろう、コイツらウチのアパートに馴染み過ぎてない?
俺より知り合い多いんだけど。
というか御裾分けとかしてたの君たち。
「何かすげぇいい匂いするんだけど……」
「あら、こんばんは。 今日は鰻だけど、一緒に食べる?」
「え、いいんですか!? ゴチになります!」
窓から顔を出した彼は、確か大学生だっただろうか?
椿と親し気に話していた所を見ると、彼もこいつ等の顔見知りの一人らしい。
何か両手いっぱいにお酒とか持って玄関から飛び出してきたけど、気にしなくていいよ?
煙たくてゴメンね?
「草加先生一匹目焼けたよぉ、食べます?」
「もちろんだとも」
もはや鰻職人ばりに捌いて焼いてを一人で熟す早瀬が、俺のご飯の上に鰻をそっと乗せてくれた。
こいつはヤバイ、凶器だ。
ちょっと夕飯には遅い時間かもしれないのだが、そんな時間にこの匂いとこの見た目。
俺たちはアパート住人に対して、盛大な飯テロをかましているのかもしれない。
「いただきます!」
ガッと口の中に鰻と米を掻き込めば、フワッと柔らかい鰻と、コレだよコレ! と言いたくなるタレの香り。
そして追撃してくる米の軍勢は、言わずもがなベストマッチ。
なんと、贅沢な夕食だろうか。
俺、教師やっていて良かった。
「先生が余韻に浸っている間に御裾分けの分も焼いてしまいましょう。 この人放っておいたら全部食い尽くしますよ」
「だねぇ……ホイ焼けた。 椿先生、お願いしてもいいですか?」
「今日は結構騒いじゃってるし、もう少し配る所増やす? ○○号室の草加ですけどって挨拶するの、ちょっと楽しくなってきちゃった」
「「そこに慣れると後で後悔しますよ」」
「二人そろって不吉な事を言うなぁ!!」
なにやら騒がしいが、とりあえず鰻うめぇ。
その辺の弁当屋とか丼屋で食う鰻とは全く違うわ、箸が止まらん。
焼き立てって凄い、俺も七輪買っておこうかな……。
いや七輪買うだけじゃ駄目か、料理人が居ないと。
「早瀬、おかわり」
「はいはーい、今焼いてますからねぇ。 巡ー」
「先生、まだ焼けるまで時間が掛かりそうなので、コッチのおつまみでも食べて待ちましょうか。 あとハイ、いつものお酒。 私の作った物もあるので是非是非」
なんでしょうね、この満足感。
鰻食って酒飲んで、更に自分は何もしなくていいとか。
ここは天国かな? おじさん気持ちよくなっちゃうよ?
「ところで先生、今月末の予定などはどうなってますか?」
ヘブン状態と化していたおっさんを、やけに真剣な表情の黒家が覗き込んで来た。
今週末? 夏休み始まったばっかりだし、コレと言って予定を入れたりはしていないが……はっ、もしかして若い子達は既にこの時点で予定を入れて置くのが普通なのだろうか。
だとしたら完全に出遅れている。
おっさんの予定表は真っ白であり、今この時点で「予定など無い」と宣言するのは実質敗北宣言なのだろうか?
などと、良く分からない思考に陥ってしまった結果。
「お、俺も大人だからな。 色々と忙しくは……あるさ、うん」
そう呟いた次の瞬間、早瀬が鰻用に用意した串を数本取り落とした。
キーンと甲高い音が鳴り響き、彼女は俺の方を振り替えった。
「え、草加先生。 まさか月末のお祭り行かないんですか?」
「ん? 祭り? ん?」
やけに驚いた顔の早瀬に対して、コテッと首を傾げた所で思いだした。
あぁーあったね、そういえば。
月末にあるわ、夏の花火大会みたいなイベントが。
どっかの神社が会場だっけ?
マンションのベランダからでも見えるから、いつも手近な所で済ませちゃってたイベントがあったわ。
去年も一昨年も、何だかんだバタバタして参加出来なかったので完全に忘れていた。
「あぁ~祭り、祭りな。 別に忙しくは――」
「残念でしたぁ。 その日、草加君は私と予定が入ってまーす」
なんて、良く分からない事を言いながら椿が戻って来た。
何だ予定って、初耳なんだけど。
俺の手帳真っ白なんだけど、いつ予約入れた?
ご予約の時間と人数と内容をもう一度確認させて頂いてよろしいだろうか。
あと、ご近所挨拶ご苦労様です。
「なぁにボケッとした顔してるのよ。 最後の職員会議で言われたでしょ? 最近羽目を外す生徒が多いから、イベント事は見回りだって。 まさか忘れてた? というかそもそも聞いてた?」
呆れかえったため息を溢しながら、椿は眉を顰めた。
見回り、見回りかぁ。
なんか聞いた様な、聞いてない様な。
そもそも職員会議なんかやったっけか?
終業式の途中辺りから記憶が曖昧なんだが。
「俺らは祭りでエンジョイする連中を監視する、そんな嫌な任務を任された訳か。 で、あとは誰が来るんだ? 田中先生辺り?」
見回りといっても、結構会場も広かったはずだ。
流石にそんな場所を俺と椿だけに任せるなんて、そんな無謀な策を取る筈な――
「田中先生も立候補してたけど、断ったわよ? わざわざ遠くから来てもらう必要もないでしょ。 という訳で、お祭りは私とデート。 これ決定事項、お仕事でもあるんだからサボらないでね?」
「お、おう……」
何にやら圧の強い椿に言い寄られ、とりあえず頷いたところで、更に後ろからもっと強い圧が迫ってくる。
「へぇ、先生はお祭りデートですか。 へぇ? 見回りなんて言いつつも、男女でお祭りを見て回る訳ですか。 へぇー、でもそれって教育者としてはどうなんですかねぇ?」
まるでゴミか虫の類でも見るような眼差しの黒家が、やけに冷たい声を上げながら近寄ってくるんだが。
怖い怖い怖い、目から光が消えている様にしか見えない。
前も言ったが、リアルホラーとヤンデレは苦手なんだよ俺は。
「そうは言っても学校側の指示だしねぇ? 仕方ないんじゃないかしら。 私達は“仕事”な訳だし? 後ろから付いてくるくらいなら構わないけど、邪魔されちゃうとちょっと困っちゃうかなぁ~なんて」
椿も椿で、そんな黒家を煽っておられる。
止めろ、俺は静かに鰻が食べたいんだ。
黒家も黒家で何を怒っていやがる、もしかして祭りで俺にたかる気だったのか?
もしくは会場まで足替わりにでも使うつもりだったのか……今の状況では聞くのも怖いので何も言わないが。
いいよ、奢ってやるし会場まで乗せてやるから。
お願いだから駐車場でバトらないで。
と言うか早瀬、こういう時に一番頼りになる常識人。
頼むからこの二人を止めて――
「……え、あれ? 皆で行くとかそういうのじゃないの? そういうのだと思って普通にOKしちゃったけど……あれ? んん?」
何やら一人でブツブツ呟きながら首を捻っていた。
どうした、お前まで。
「あのー、早瀬? 早瀬さん?」
「何か巡も知らないっぽい雰囲気だし……他の皆に確認を取って……でも鶴弥ちゃんとかこういうの参加するイメージ無いし。 あれ? もしかして私、個人的に誘われた? あれ?」
うん、なんか良く分からないけど、コイツもデートらしい。
青春してんねぇ。
「いや、でもまだそうと決まった訳じゃ――」
「早瀬、楽しんでこい。 そして、鰻様。 貴方焦げていらっしゃいませんか?」
「え? あ、うわっ! 焦げた!」
慌てる早瀬に、睨み合う黒家と椿。
今年の夏も、始まったばかりである。
そしておっさんは一人、つまみと焦げた鰻の匂いを肴に缶酎ハイを傾ける。
今年もまた、忙しくなりそうだ……。
ちなみに焦げた鰻もパリパリして割とうまかった。
評価、ブクマなどなど宜しくお願い致します。
感想やレビューもお待ちしております、どうぞお気軽に。
生徒達を個別に動かすと、どうしても先生の話が後回しになってしまう……





