夏 5
「始めるぞ、準備はいいか?」
古ぼけた廃墟の玄関口で、インカムに向かって話しかけた。
時間としては、夜と言って差し支えない程度の時間帯。
辺りは暗くなり、人の気配も感じられない。
そんな時間帯に僕は一人、心霊スポットの建物内に立っていた。
とはいえ、比較的“軽い”場所ではある訳だが。
『へーき。 そっちこそ変に緊張してミスらないでね?』
「馬鹿言え、この程度で緊張なんかしてられるか。 来年には、俺達が中心になるんだぞ」
『だね、ウチも隠し事なしにいくわ』
「おう、そうしろ」
そんな会話を追えれば、目の前には黒いローブの様なモノを被った影が現れる。
“見えない”、それが一番に感想に残るような怪異。
確かに認識できる、相手もこちらを認識している。
だというのにその表情を、存在を認識できない不確定な存在。
“ブギーマン”。
本来の名もなき“上位種”が、突如として目の前に現れたのだ。
「……ちゃんと制御出来てるんだよな?」
『うん。 ゴメン、黙ってて』
「別にいいよ。 “コレ”が味方だとしっかり認識出来ただけ、心強いってモンだ」
正直、本心ではない。
不確定要素が多すぎる“上位種”であり、素性も知れなければ何故“共感”とリンクするのかもわかっていない。
だからこそ、絶対の信用は置けない。
そんな、訳の分からない怪異。
真っ黒で、真っ暗闇で。
そして草加先生にぶん殴られてもまだ“残っている”、片腕の化け物。
「ブギーマンを使っている間だけ違和感があるとか、“共感”が強くなりすぎるとか。 そう言った事はないな?」
『違和感はないよ、コレだけは確実に言える。 でも……なんていうか』
「なに?」
『合い過ぎてる、っていうか……むしろ他の動物に“共感”を使った時の方が、違和感があるっていうか。 “この子”と繋がったからこそ感じる感覚が、改めて見つかった。 みたいな? ごめん、上手く説明できない』
どういうことなのだろうか。
当然僕自身“共感”の異能を持っている訳では無いので、完全に理解する事は難しいだろう。
しかし“合い過ぎている”、とは?
詰まる話、自身が最も扱いやすい個体を手に入れて、今まで使っていた動物たちに違和感を覚えた。 ということなのだろうが……コレはどういう事だ?
まるでこの怪異の為に“共感”という異能が用意されていたような、もしくはソノ異能が生れたからこそ、目の前の怪異が生れた様な。
そんな違和感を覚える。
いや、考え過ぎか。
そもそも“共感”で怪異とリンクする事自体が初めての経験なのだ。
本来は怪異に乗り移り、操る能力だったりして……なんて、少しだけ嫌な想像をしてしまったがコレばかりは断言するほどの情報がない。
下手に僕が結論付けてしまえば、渋谷自身が“共感とはそう言う能力”と認識してしまう可能性がある。
その“想い”や思考のせいで、悪い結果に繋がる未来だけは避けたい。
なんて事を考えていた時、ソイツはおもむろに口を開いた。
『トールちゃん、ミツケタ。 トールちゃん』
“ブギーマン”が楽しそうに口元を歪めながら、人差し指をこちらに向けていた。
『……え?』
イヤフォンからも、戸惑った声が聞こえてくる。
コイツ、今間違いなく“僕”という人間を明確に捉えた。
そして「ミツケタ」というその言葉。
背筋にゾワッと鳥肌が立ち、思わずホルスターから数枚の札を抜き放った。
「渋谷! 今すぐ“共感”を切れ! コイツは――」
『トールちゃん、ミツケた。 お姉チャンと、イツモ一緒。 話すのハジメ、マシテ?』
「……は?」
“見つけた”という言葉に過剰反応した僕を尻目に、ブギーマンはペコリと頭を垂れて見せた。
まるで子供が大人の真似をした様な、ぎこちないが丁寧なお辞儀。
ローブの先を摘まんで、まるでドレスを着た女の子の様に挨拶をかましてくる。
……何なんだコイツは。
なんて思いたくもなるが、僕を「徹ちゃん」なんて呼ぶ人間は人生で二人しか知らない。
僕の母と、昔の渋谷だ。
だが二人共生きている。
では、コイツは……
「お前は、誰だ?」
札を構えながら静かに問いかければ、ソレはスッと頭を上げて微かに笑った……様な気がした。
『名前、ブギー……マン。 ブチョーに、名前、もらった。 トールちゃん、声、知ってる。 ずっト、聞いてた』
コイツは、何を言っている?
僕の声を知っていて、ずっと近くで聞いていた存在。
そして“カレ”には名前が無く、僕らが仮に付けた名前を嬉しそうに名乗っている。
そんな怪異、自然に生まれるものなのか?
前に聞いた人の“想い”から生まれるという怪異。
“九尾の狐”や“八咫烏”の様な存在と考えれば、ある程度説明はつくかもしれない。
でもその場合、コイツは僕達が“作った”怪異という事になる。
しかしながら、誰しも“ブギーマン”という存在を強く願い、最初から信じたりはしていなかっただろう。
あの部活だからこそ、それは確信を持って言える。
というか、コイツが現れたからこそ名前を付けたに過ぎないのだ。
それでは聞いていた話とは違い、順序が逆だ。
そして何より、コイツはやけに“人間臭さ”があるのだ。
まるで他の怪異のように、“元人間”であったかのような。
「お前は……何を――」
『お話、マタ後。 来たヨ』
それだけ言って、ブギーマンは振り返る。
目の前にある暗闇を睨むようにして。
そうだ、本来の目的を忘れる所だった。
僕たちは、“指”と“共感”だけでどこまでやれるのかを試しに来ているのだ。
いつまでも部長の“耳”と音叉に頼る訳にはいかない。
後輩たちの“未来視”と“獣憑き”も居る訳だが、僕達だけでどこまで行けるのか試そう。
そう言って、今日はこの場所へと足を運んだのだから。
まあ、第二目標として渋谷の秘密を探る。 なんて事も思っていた訳だが、思いのほかあっさりと二つ目が解決してしまった訳だ。
「行くぞ渋谷、それから“ブギーマン”。 間違っても札に触れるんじゃないぞ?」
なんて事を言いながら、ホルスターから更に札を抜き取っている時。
隣に居るソイツは、柔らかな笑みをこちらに向けて来たのだ。
『大丈夫。 トールちゃんのオ札、痛くナイ。 同じモノ』
「……はぁ?」
意味深な発言に首を傾げている間に、僕たちは“黒い霧”に飲み込まれた。
あぁもう、こんな事なら心霊スポットなんて来るんじゃなかった。
もっと普通の場所で、話を聞くためだけに“ブギーマン”を呼んでもらうべきだった。
そんな今更過ぎる後悔と共に、僕は目の前に迫る霧に向かってお札を投げつけるのであった。
――――
『ねぇねぇ日向さんや』
「あの、マジで体がバラバラになりそうなんで今はソッとしておいて頂けると」
スマホから聞こえてくる声に、どうにかくぐもった声を返しながら首だけをそちらに向ける。
一花だって同じ量の運動をしているだろうに、もしかして運動不足は私だけなんだろうか?
『うん、それは私も同じだわ。 あの二人体力あり過ぎ、もうベッドから動けません』
どうやら元気ではなかったらしい。
良かった、仲間が居た。
黒家君のバイト先へ向かったあの後、半休を貰ったという二人に連れまわされ、やっとの思いで帰宅したのがついさっきの出来事。
車で送ってもらったから、玄関から部屋まで歩いただけなんだけど……何か足がプルプルしている。
「やっぱり、黒家君は凄い所で働いてるんだね……」
確かフルネームは“三上唯”さん。
あの人絶対人間じゃない、多分怪異か獣憑きの類だ。
だって“獣憑き”状態ではないにしろ、本気の黒家君とテニスをしていたのだ。
うん、自分で言っていてもおかしい事は分かるが、“あの”黒家君と平然とラリーをかましていたのだ。
むしろちょっと優勢だったし。
『あの人何者なのホント……結局何種類スポーツやった? 卓球にダーツ、ビリヤードから始まって……』
「ボーリングにテニス、フットサルその他諸々……並みの運動部よりキツかった気がするよ……」
その結果限界を超えた屍に成り下がり、二人してベッドの上でピクピクしている訳だが。
更に言えば、草加先生からの「皆でゲームしようぜ!」というお誘いを断る形になってしまった。
私としては、多分そっちの方が合っていた気がする。
最近忘れがちだけど、私はインドア派だったよ。
皆でワイワイしながらゲームするとか凄く良いじゃん、今からでもやりたいよ、体動かないけど。
『なんというか、ああいう黒家君を見ると……やっぱ自分じゃ不釣り合いなのかなぁって思っちゃうよ。 体力的に全然付いて行けないし、“普通の恋人関係”みたいな理想って、多分無いよね黒家君』
少しだけ気落ちした声で、一花がそんな事を言いだした。
とはいえ、言いたい事は痛い程分かる。
主に物理的な意味で。
「確かに、黒家君が放課後デートとかしてる所全然想像できない……。 いや、悪くは無いんだけどね。 黒家君らしいというか」
『だよね。 彼を特別視してる事は確かだけど、隣に立ちたいかと言われれば……絶対立てないみたいな』
「わかる、今では感謝と恩返しの気持ちの方が強い。 好きだけど、自分が隣に立つ未来が見えない」
中学の頃は間違いなく“恋”というモノだったと思う。
彼の隣に立ちたくて、彼に認めてほしくて。
そんな気持ちで黒家俊という男の子を追いかけた。
でも、今の状況ではどうだろうか。
彼は先輩達にも負けないくらい“強い”。
そして誰からも頼られるような存在であり、私達は脇役に過ぎない。
そんな風に考えてしまうと、まるで芸能人や物語の主人公に恋をしているような錯覚を覚えるのだ。
実際問題そうなのだろう。
“彼の隣”に立つべきは私ではない。
そんな風に、思えてしまう。
『でも、諦めた訳じゃないけどね! とか言ってみたりはするけど、“推し”に近くなってる気がするのは気のせいだろうか』
「止めて、聞きたくない」
事実そうなのだから。
というか黒家君の隣に立って、違和感のない相手って誰よ。
今日の三上さんや卒業生の方々だろうか。
なんかもうその時点でハードルが高すぎる。
無理だ。
私には黒家君のラリーは返せないし、彼のお姉さんの様な美貌も人望もない。
そしてもう一人、彼に一番近しい存在。
同じ“獣憑き”であり、共に苦楽を共にした早瀬さんの様な信頼関係もない。
なんとも、モヤモヤする気分だ。
『まぁそれは良いとしてさ、本題に入ろっか』
「今の本題じゃないんだ。 私達にとってコレ以上の本題があるとは、到底思えないんだけど」
『今日、“視えた”でしょ?』
彼女の言葉に、ゾッと背筋が冷たくなった。
え? なんで?
一花は一体何を――
『言えないみたいだったから、その場では聞かなかったけど。 分かるよ? だって“見えない”私の仕事は、私が“見える”人達のサポートだもん。 何が見えたの? こればっかりは誤魔化しとか無しに教えてくれないと、後で困るかなって。 そう教えられてるからさ』
あぁ、なるほど。
コレも彼女が“オカ研”に入った影響というか、徹先輩の教えを受けた影響なのだろう。
サポート役に徹する彼女は、“その仕事”に対して一切の妥協をしない。
それが“見えない人”でありながらオカ研に所属する意義であり、彼女の注力すべきポイントなのだから。
「……気づいてたの?」
『何が“視えて”いたかは分からないけど、“視てる”時の日向は結構分かるよ? 何というか、同じ光景を見ていても違う世界を見てる様な顔してるっていうか……まぁ、眼を見れば分かるって奴ですよ』
もはや、隠す事も出来ない様だ。
ハッハッハと笑う一花に対して、私は枕に顔を突っ伏しながら答えた。
「絶対信じられないと思うけど……良い?」
『日向が“視た”んでしょ? 大丈夫、信じるよ』
私の異能、“未来視”。
こんな不確定要素しかないモノに対して、何故それ程の信頼を寄せられるのか。
正直“こんな話”を聞いただけなら、私だったら信じない。
部活の内容も相まって、幽霊云々の話は別としても「未来にこういう事が起きるから」なんて言われた所で、誰が信じるだろうか?
そんなあやふやな能力。
それが私だ。
だと言うのに、オカ研の皆は信じてくれた。
何の確証もなく、全ての信頼を私に預けてくれたのだ。
時には間違い、時には視えるのが遅かったり。
そんな曖昧な能力を、皆は信じてくれるのだ。
だからこそ私は彼女に伝えよう。
今日見た“未来”を。
信じたくはないが、確かな手がかりになると信じて。
「今日ね、帰りの車の中……かな? 三上さんが襲われそうになったんだ。 でも、害を成す寸前で止まる未来が見えた」
『相手は?』
知らない人、そこら中に居る亡霊。
そんな風に言えたら、どれほど良かっただろうか。
というかソレなら、その場で皆に伝えていただろう。
私が今から言う事は、オカ研に亀裂を生みかねない一言なのだ。
「襲ってきた相手は……その。 私見間違いとか、そういうのもあるかもしれないんだけど――」
『日向、大丈夫』
力強い友人の声。
家族以上に、こんなにも近いと感じられた友人が果たして今までに居ただろうか。
いつかの黒家君もこうやって信じてくれたが、どこか壁があるように感じられる。
でも、一花にはソレが無い。
ただただ私を信じ、共に居てくれる。
彼女は、それくらいの信頼を私に寄せてくれているのだ。
その信頼に答えなければいけないのに。
彼女の親友と胸を張って言いたいのであれば、必ず答えなければいけない質問だと言うのに。
私の唇は、酷く震えていた。
『日向?』
「ゴメン。 これだけは勘違いだったって、私の見間違いだったって言いたかったんだけど……」
『何が、みえたの?』
ゆっくりと、諭す様に。
一花は言葉を紡ぎ、そして答えを促した。
それが彼女の仕事、気づかなかったフリなんて絶対に出来ないのだろう。
だからこそ、辛い。
「……茜さんだった。 今まで見たことも無い怖い顔をしながら。 運転中の三上さんに襲い掛かって、事故が起きる“未来”が見えた」
『……は?』
「でもね!? 次の瞬間には、別の“未来”が見えて。 そっちでは三上さんを襲う前に押し留まるっていうか、必死で耐える光景が見えてね? 誰も傷付かない未来が見えたの。 コレ、さ。 大丈夫……だよね?」
言い終わった私は、いつの間にか叫ぶようにしながらスマホを握りしめていた。
悲鳴の一歩手前、とでも言えばいいのだろうか?
そんな声を上げながら、画面に表示された一花の名前を必死に睨んだ。
明らかに異常な言動、滅茶苦茶な思考。
“普通”だったらこの時点で通話を切られてもおかしくはない。
だが一花はしばらく黙った後、とても落ち着いた声で言葉を紡いだ。
『“未来視”とは別に、確かにその場に茜さんは居た?』
彼女は“上位種”だ。
互いに認識すれば、“見えない”人だって視認する事が出来るという。
でも、今回は……。
「わかんない。 車の中だったし、それに暗かったから。 “視えた”後に探したんだけど、ちゃんと確認は出来なかった」
『でも“未来視”で捉えたって事は、多分近くには居たんだよね……私に気付かなかったけど』
「う、うん……多分そうだと思う」
そんな会話が終わると同時に、再び静寂が訪れる。
不味い、やはり先輩……と言うか仲間とも呼べる幽霊を疑う行為は駄目だったか?
なんて事を思い始め、どう声を掛けようかと頭を捻りだした頃だった。
『日向、お願いがあるんだけどいい?』
「う、うん! 何?」
『茜さんが次に見かけた時、すぐ私に連絡して? 話の途中とか声を掛けた後で、じゃなくて。 “視えた”らすぐに』
「う、うん? 分かった。 茜さんを見かけたら、一花に連絡を入れればいいんだね?」
私の思っていた否定的な内容と違い、一花はそんな提案をして来た。
結局私の言った事を信じてくれた、という事なんだろう。
オカ研の一部員としては、とても信じられない事だったろうに。
『ごめん、ちょっと用事が出来たから一旦切るね? でも、何かあったらすぐ連絡して。 約束だからね?』
「う、うん……分かった」
私の言葉を最後まで聞いたのかどうか、慌てた様子で通話は切れてしまった。
信じてくれたのは嬉しいが、一花は何をしようとしているんだろう。
私が見た“未来”が、嫌な火種にならなければ良いが……。
それこそ、部内がギスギスしてしまうような。
そういう空気は、正直苦手だ。
なんて事を思いながらスマホを充電器に繋いだ瞬間。
『こんばんは。 急にゴメンね? 今、ちょっといいかな?』
寝返りを打った私の上空に、件の人物が浮遊していた。
黒いセーラー服に身を包んだ、黒家茜という“上位種”が。
「え!? ……えっと……こんばんは」
さっきまで話題に上がっていた人物、そして嫌な“未来”が見えていた相手。
でも今は、普段通りの優しい顔で笑っている。
大丈夫……だよね?
さっき通話を切ったばかりの一花に、再びコールを飛ばしながら私は間の抜けた声を返した。





