音叉
全員の視線が注目する中、桐の箱が開け放たれる。
中に入っている物を見て、思わず息を呑んでしまった。
周りを見れば、先輩達や上島君も似たようなご様子。
真っ赤なサテンに沈む様に置かれた、黒い音叉。
以前頂いた音叉は、どちらかといえば武骨な形だったと言えただろう。
全体が鉄色で持ち手の部分には糸巻きが付いていて、一般的な音叉を改造したという見た目をしていた。
だがしかし、目の前にある物はどうだ。
全体が黒曜石の様に輝き、フォーク部には細やかな模様や文字が彫られている。
そして今回は持ち手に調整具の様な物はない。
握りやすい様になのか、少しだけ厚くなった柄はナイフの様な凸凹とした形になっていた。
これだけでも凄い見た目をしているのに、何と言ってもフォーク部の形状。
まるで刃物だ。
二枚の刃が背中合わせに並んでいる様で、覗き込んでみれば私の顔がはっきりと映し出される。
ナイフと表現したが、案外的を射ているのかもしれない。
見るからに高級品、更に一品もの。
思わず見惚れ、ため息を溢してしまう程、“ソレ”は美しかった。
「見た目は気に入ってくれたみたいだね。 さぁ、使ってみておくれ」
浬先生のお母さん……伊吹さんに促され、ちょっとだけ気後れしながらも“新しい音叉”をその手に掴む。
ひんやりと冷たい感触、以前の物より少しだけ重い。
そして右手にピタッと収まるグリップは、私の専用の道具なのだという事が伝わってくる。
しっくりくる、という言葉が一番合うのだろう。
「……凄い」
それ以外の言葉が見つからない。
体の小さな私が持つと、少しだけ大き過ぎる気もする代物。
美しい刃の様な見た目、まるで武器の様なグリップ。
私なんかが使って良いのか? なんて思って居たのが嘘みたいに、持った瞬間に“馴染んだ”。
これは、私の為の武器だ。
「前もって手のサイズを図ってもらったから大丈夫だとは思うけど、違和感とかはないかい? しっかりと手に合わないと、ソイツはまともに使えないからね」
そういう伊吹さんは、言葉とは裏腹にこれっぽっちも心配そうな様子はない。
どうだ、凄いだろう? とばかりに、ニヤリと笑っておられる。
こういう所は、やっぱり浬先生のお母さんだ。
「はい、自分でもびっくりするぐらい馴染みます。 前の物より大きいし重さも感じますが、かえってソレがしっくり来ます」
部長がついに刃物持ち始めた……とか後ろから小声が聞こえたが、今は放っておこう。
刃物じゃないから、先端も丸まってるから。
「それじゃまずは一度使ってみようか、説明もその都度していくよ」
「はい、お願いします」
返事をしてからテーブルに向かって音叉を向ける。
浬先生にはちょっと申し訳ないが、叩きつける訳ではないのできっと大丈夫だろう。
凹んじゃったら……後でごめんなさいだ。
「あ、麗子ちゃんちょっとストップ」
「はい?」
いざ! という所でまさかのストップをかけられてしまった。
前の音叉は少し強めに叩かないと音が長続きしなかったので、それと同じようにと思ったのだが……
「試しに指で弾いてみて。 こうカツーンって」
伊吹さんは右手でデコピンの形を作り、音叉を指さしてきた。
ちゃんと鳴るかのチェックという事なのだろうか?
でも前の感覚だと、それくらいの衝撃じゃ“音”を合わせてもほとんど長続きしない音が鳴るだけだったのだが。
普通の音叉ならそれで充分だろうけど、色々手が加えられている物だとそう簡単にはいかないのだ。
「……では」
とはいえ言われたからには断る訳にもいかないので、半信半疑のまま指を音叉に近づける。
皆の視線が集まってちょっとだけ居心地が悪いが、なるべく意識しない様にしてデコピンを放った。
すると。
「え?」
――コォォォォォン、と少しだけ低い音が静かに響き渡る。
しかも、一般の物みたいに安定した長い音。
以前の物と違ってまるで鳴り止む気配を感じない。
「うんうん、問題ないね。 それじゃ一旦止めて。 親指の所にボタンがあるから、それを押しこんでみようか」
未だ鳴り止まない音叉に指を当て、無理矢理音を止める。
そして、ボタン?
感触だとそれっぽい物があるようには感じられないが。
とにかく親指を置く辺りに視線を移せば……あった。
触っていても気づかない程なめらかで一体感のあるグリップに、親指の形に沿った円が書いてある。
書いてあるとしか言えない程薄っすらとしか見えないが、グッと少しだけ力を籠めれば確かに沈む。
コレがボタンで間違いない様だ。
「い、いきます」
押すとどうなるかの説明を受けていないので、変な緊張感が襲ってくる。
急に電流が流れるとかいう訳ではないだろうから、そこまで心配する必要はないのだが。
そして親指でソレを押しこんでいくと……カショッと小さな音がして、人差し指に何かが触れた。
「えっと、これは……トリガー?」
こっちもこっちで手触りだけでは気づけなかったのだが、間違いなくグリップ部分から飛び出してきた。
まるで拳銃の引き金の様な形。
これは、どう使うんだろう?
「簡単に言うと、音叉を鳴らしながら随時調整できるようにしてみたんだよ。 前は鳴らしては調整、また鳴らしての繰り返しだったろ? ソレをもっと簡単にしてみた訳だ。 もう一回鳴らして、引き金を弾いてみな」
「は、はい!」
言われるがまま音叉をもう一度叩くと、先程と同じ少しだけ低い音。
そして引き金を弾き絞れば……
――キィィィン。
「わっ、すご……前よりも高い音が出る。 しかも調節が凄く早いです」
引き金を強く引けば音はその分高くなり、逆に緩めれば音は低くなる。
咄嗟に音叉を鳴らしても、その場で相手に音を合わせる事が出来る訳だ。
しかも響きも音の幅も前よりずっと広い。
凄い、コレ凄い。
「気に入ったかい?」
ニヤニヤ顔で笑う伊吹さん。
思わず満面の笑みで返してしまった。
「最高です!」
思わずテンションが爆上がりしてしまった私に、周りはちょっと不思議そうな顔を浮かべたが、こればかりは使用者じゃないと分からない喜びだろう。
怪異が出て音叉を鳴らす、反応を見ながらその場で調整。
その動作一つのアクションで出来るのなら、いち早く最適な“結界”を張る事が出来るのだ。
昔の様に何度も調整したり、相手の“波長”とも呼べる“音”に肌感覚で合わせる必要もない。
結構神経を使うのだ、あの作業は。
「気に入ってくれたなら何よりだよ。 だがね、それだけじゃないんだよ。 この新作は!」
今度こそ完全なるドヤ顔で、伊吹さんは立ち上がった。
「これ以上に、まだ機能が!?」
今の私はテンションが高い。
思わず伊吹さん乗っかって、荒ぶった声を上げてしまった。
某テレビショッピングの「しかし今回は、コレだけじゃないんです!」ってフリからの、「え!? ここまでお得になって、まだあるんですか!?」みたいなアレだ。
周りから、というか椿先生のお婆さんから酷く冷たい眼差しが飛んできているが。
「持ち手の下を見てみな、まずはソイツを押しこむ!」
「はい!」
裏返して覗き込めば、真っ赤な美しい宝石の様な装飾が。
そしてそのままポチッと押し込む。
コレと言って変化はないが、きっと凄い事が起きるはずだ。
いや、絶対起きる。
良く分からない自信が沸き上がるほど、私のテンションはおかしかった。
「そして叩く! 今度はいつも通りにやってみな!」
「了解です!」
トリガーは放したまま、私はテーブルに向かって音叉を振り下ろした。
その結果。
――キィィィィン!!
いつもよりずっと高い音が鳴り響いた。
ちょっと耳が痛くなる程で、もう少し高くしたら人の耳じゃ聞こえなくなるんじゃない? ってくらいに強い音。
「こ、これは……」
「部長、ちょっとこれは長く聞くと耳に来そうなんですけど……」
「何かよくわかんないけど、凄そうな音だね……」
「随分とまた……」
黒家先輩と上島君、そして椿両名が声を上げた。
ちゃんと確かめてみない事にはどういう効果なのか、しっかりとは分からない。
でも、コレは凄い。
振動がビリビリと手に伝わってくるんじゃないかってくらいに、音叉が震えている。
コレ絶対強いヤツだ。
ちょっと試したい衝動に駆られる……なんて思った瞬間だった。
『やめんか!』
急に怒鳴り声が響き、音叉を掴む誰かの手。
思わず視線をそちらに送れば……そこにはペタンと狐耳を頭にくっ付け、尻尾が倍くらい膨らんだ銀色の早瀬先輩が険しい顔でこちらを睨んでいた。
『おい……コレに何を仕込んだ? なんじゃ今の音は』
コンちゃんが激おこである。
もしかして“九尾の狐”にさえ影響が出たのか?
それくらいに強い“結界”だったって事?
さっきのまま、トリガー弾いたらどうなっていたのか。
早くも、試してみたいという願いが叶ってしまった。
「今のはね、“結界石”って呼ばれている物を音叉と組み合わせたんだよ。 それからもう一つ、“巫女の血”を混ぜた」
「はぁっ!?」
思わず声を上げ、先程の赤い石を覗き込んでしまった。
ちょっと他人様の血液が入っていると言われると……なんか、うん。
椿先生に視線を向ければ、ちょっと気まずそうに眼を逸らしてるし。
「だから音叉の作る“結界”としては最上級の物になるだろうね、例え相手が神様でも立ち寄れない程の」
ドヤッと胸を張る伊吹さんを他所に、周りの皆は呆けた顔でこちらを見てくる。
椿先生のお祖母さんと、コンちゃんだけは険しい顔をしているが。
「鶴弥さんが最高戦力になる日が来てしまいましたか。 おめでとうございますゴッドストロイヤー鶴弥さん」
神様は皆殺しだ、って言えばいいんですかねソレは。
「部長、今なら“獣憑き”さえ祓えるんじゃ……恐ろしい程の戦力アップですね」
やったら絶対怒られるけどね。
「えっと、私の血を使っているって言っても、腐ったりとかしないように使っているらしいから。 安心してね? 変な匂いとかしてこないから」
どうやって使ったのか非常に気になるが、聞いたら聞いたで藪蛇になりそうだから止めておきます。
とまあ各々好き勝手な事を言っておられる。
うん、まぁいいんだけどさ。
全く知らない人の血とか入っているより、“巫女の血”ですよって言われた方が安心感あるし。
……あるかな?
『また珍妙な物を作りおって。 おいロリっ子、我の近くでは絶対使うなよ!? 絶対だぞ!?』
そう言いながら叫ぶコンちゃん。
落ち着いて来たのか、少しずつ逆立った毛並みが戻っていく。
耳は未だに垂れているが。
というか今ロリっ子って言った? 言ったよね?
『おい、何故もう一度音叉を構える。 止めよ、今すぐ止めよ。 おいロリっ……いや鶴弥、やめるのじゃ。 今すぐ音叉を下ろせ。 な? 我が悪かった。 だからあの音はちょっと本気で耳がヤバ……あぁぁ! 待つのじゃ! テーブルに近づけるな!』
慌てふためくコンちゃんを眺めながら、コツンと小さく音叉を鳴らした。
『っひゃう!? ……って、あれ?』
耳を抑えてしゃがみ込んだコンちゃんが、不思議そうな顔で周囲を見回している。
安心してください、下の赤いボタンは切ってありますので。
ニッと笑えば、赤い顔のままプルプル震えているコンちゃんが。
『き、貴様……あまり調子に……』
カチッ。
『なんでもない』
ふむ、思った以上に凄い装備だ。
「本当にありがとうございます、満足する以上の一品です。 それで、お代はいかほどに」
最近ちょこちょこやっているアルバイトの給料が、現在そっくりそのままバッグに入っている。
ネット関係のお仕事でそれなりに稼いだつもりだったが、コレを見た後では全然足りないのではないかと不安になってくるのだが。
なんて事を考えている私に、伊吹さんは笑顔で返した。
「普通に値段を請求するなら、学生さんには払えない金額になるんだけどね。 いらないよ、初回サービスってヤツだ。 前回のは蔵の骨董品を譲っただけだし、今回のは麗子ちゃん以外には扱えないような仕様の、道具屋からすれば論外な代物さね。 こっちにも借りがあるんだ、もっていきな」
そう言って、いつかの様に笑う伊吹さん。
とは言え、流石に今回は素直に飲める話ではないが。
「いえ、ローンになろうと払いますよ。 ダメです、これほどの物を頂いておいてお金を払わないなんて」
「いやほら、浬の様子だの部活の様子をたまに報告してくれるだろう? アレで充分だよ、今後とも続けておくれ」
現状報告をしている相手は先輩達だけではない、実は伊吹さんも含まれている。
本人曰く、先輩二人では多分伊吹さんに気を使う。
というか偏った情報を持ってきそうなので私に頼んだ、との事らしいが。
そんな事、二人のメール返信のついでで済んでしまうくらいの手間なのだ。
流石にそれだけで代金を無料にしてもらうというのは……
「いえいえいえ、あの程度ではちょっと」
「いやいやいや、お気になさらないで下さいなっと」
「いえいえいえ」
「いやいやいや」
そんな不思議な状況が出来上がって数分後、ため息を溢した椿祖母が間に割って入った。
意外過ぎる人物で、二人してちょっと面食らったが。
「いい加減にしな。 道具屋がいらないって言ってんだ、子供なんだから嬉しそうな笑顔の一つでも浮かべときゃいいんだよ。 それより話を戻すよ」
そう言いながら私の頭をムンズッと掴んで、元の座布団に放り投げられる。
話には聞いていたが、この人本当に容赦ないな。
なんて事を思って居ると、椿祖母は一層険しい顔で伊吹さんを睨んでいた。
「“巫女の血”ってのはどういうことだい? 説明しな」
「うっ」
端っこで縮こまっていた椿先生が、苦い声を漏らしている。
これはまさか……椿先生、お婆さんに自分の事説明してない?
――――
「うっそーん……」
どっかのビルの屋上で、私はそんな声を漏らしていた。
魂だけの存在である私は何処に居ようと環境の変化をコレと言って感じないが、強風を受けたセーラー服のスカートがバタバタと旗みたいに揺れている。
なんで服はちゃんと揺れるんだろうね、不思議。
まぁそれはいいとして、さっきまで私は先生の部屋に潜み、皆の話を聞いていた筈だった。
鶴弥ちゃんが最初に音叉を鳴らした時は、うわっ結構強いなぁとか思っていたのに。
二回目を鳴らした途端、私は文字通り吹っ飛ばされたのだ。
そして現在この良く分からない場所に立っている、と。
「コレ……場所や物に憑いてる霊とかだったら最悪だろうなぁ。 離れる事も出来ないし、潰されちゃうんじゃないの?」
“結界”とは波の様な物だ、と私は思う。
自身が耐えられる程度の水の流れならその場に立っていられるが、強すぎれば外へ外へと押し流される。
そして強すぎる波は身を削り、飲まれれば命を……というか魂を失う。
今までの鶴弥ちゃんの結界を見て、そういうモノだと判断していたのだが。
「あれはもう鉄砲水とか雪崩とか、そういう代物だね」
“音”が聞こえた瞬間、範囲外へと吹き飛ばされた。
“雑魚”や“なりかけ”なら一瞬で消え去ってしまうだろう。
私が残ったのも、“上位種”だから。
しかも“八咫烏”の恩恵もあって、ここまでピンピンしていられるのだろう。
普通の“上位種”ならこうはいかない。
抵抗出来たとしても相当弱体化される上に、他のメンツからの攻撃でも受けて見ろ。
たちまち祓われる事だろう。
アレが鶴弥ちゃんの新しい音叉。
恐ろしい程強力な、鶴弥ちゃんだけの武器。
「アレなら私も祓ってくれそうだけど、今はまだ心配事もあるしなぁ……」
なんて事呟きながら振り返れば、遠くに見える先生の住むアパート。
その建物すべてを包む様に、いつもの鶴弥ちゃんの“結界”が張り巡らされていた。
「ひっろ……」
あの音叉、相当ヤバイ代物だわ……





