13階段 8
「せいっ!」
ズバンッ! と空気が弾ける音を立てながら、早瀬先輩が“上位種”の顔面に蹴りを入れた。
グキャっと鈍い音を立てて相手の首がおかしな方向へと曲がるが、早瀬先輩は追撃など掛けず、すぐさま戻ってきて靴下を脱いで部屋の隅に投げ捨てた。
「あぁもう最悪! 皆やっぱりアレ触っちゃダメだよ! 触った瞬間に何か巻き付いて来た!」
早瀬先輩の声に驚きながら、投げ捨てられた靴下を見れば。
「植物が繁殖してるね……つまり素手で殴ったりすれば、体がああなる訳だ。」
顔を引きつらせながら、天童先輩は再び正面を睨んだ。
さっきから彼の“声”も届かない。
多分、聞こえてすらいないのだ。
徐々に近づいてくる“上位種”を見て気づいたが、眼球どころではなく色々な場所から花が咲いている。
耳や口の中、それこそ肌を突き破る様にして繁殖している植物。
あれでは鼓膜どころか、体の中が半分くらい植物に侵食されているのではないだろうか?
しかし昨日の夜は“声”が届いていたのだ。
「まさかとは思いますけど、彼女がこの部屋にくるまでの13段。 徐々に侵食されていく段階だったりするんですかね?」
「彼女が死に至って、植物に寄生される間の事柄を13日で再現しているのか。 それとも13日掛けて植物に侵食されて死んだのか。 いや、流石に後者は映画の見過ぎですかね」
乾いた笑いを漏らした黒家先輩が、私の言葉に答えつつ散らばった荷物の中から火炎瓶を拾い上げ、即座に放り投げる。
これで残り一本……さっきので割れていなければ、だが。
もっとじっくりと時間を掛けて相手の事を調べるべきだった。
私の“耳”を使って相手の声の変化を聞いて、毎晩“声”で問いかけてもらい、その効果を確かめる。
そうしていれば、また違う手が打てたかもしれない。
それこそ黒家先輩が色々準備してくれていなかったら、もうすでに飲み込まれていた可能性だってある。
この結果に陥ったからこそ思いつく過程なので、今更後悔した所で遅すぎる訳だが。
如何せん私達は解決を焦りすぎた。
「とにかく、僕と俊君で可能な限り進行を止めます! 渋谷! 草加先生はまだなのか!?」
札を投げ続ける上島君が、叫びながら私の抱いている猫を睨む……が。
「……ぐるにゃー」
なんとも、間抜けな声が帰って来た。
えっと、一回だけ鳴いたって事はNOでいいのかな?
でもあれ? なんか毛づくろいとか始めちゃってるんだけど。
これ本当に渋谷さん入ってる?
「えーっと、渋谷さん? 聞こえますか?」
問いかけてみたものの、猫は不思議そうな顔でこちらを見上げるばかりで、コレと言った反応を示さない。
マジか、また断線しちゃったか。
色々ともう、最悪である。
「向こうとの連絡も途切れました! 黒家先輩、最後の一本残ってますか!? 俊君は何でもいいのでぶん投げて下さい! それと同時に皆隣の部屋に移動! どうにか時間を稼ぎます!」
「了解です。 よっ、と! けど時間を稼ぐって、どうやって――」
最後の火炎瓶を投げつけた黒家先輩の声が、途中で途切れた。
そして、此方を振り返った先輩の顔が見たことない程厳しいものに変わる。
「鶴弥さん! 今すぐソレを離しなさい!」
胸に抱えた猫を下ろした変わり、なんて言ったらアレだが。
私の手の中には、“形代”が握られていた。
そこに書かれている名前は、“神蔵咲”。
今回の原因になった方のソレだ。
「“八咫烏”、出口を捜してください! それまでの時間は私が稼ぎます!」
それだけ言って、別の部屋へと走り出す。
2LDKくらいあるのだ、まだまだ逃げられる場所はある。
とは言っても別の部屋に移れば、そこで行き止まりになる訳だが。
『触……な、ソレ……』
やはり最初よりずっと聞きづらい声になっている。
“耳”を持っているからこそココまで聞こえるが、他の皆にはノイズにしか聞こえていないのかもしれない。
「あぁもう、ベランダもやっぱり出られませんか」
舌打ちを溢しながら窓から手を放して振り返れば、入り口から侵食してくる植物。
私目掛けて直進してくれたなら、他の皆に目もくれずこちらに来てくれたと思うのだが……
「巡! 離して! このままじゃつるやんが!」
「無謀に突っ込んでも皆死ぬだけです! 兎に角“狐火”を連発しなさい!」
「部長! どうにか逃げてください! 1分と立たない内に“本体”が来ます!」
どうやらちゃんと他の部屋に退避してくれたらしい。
多分黒家先輩主体に、指示を出してくれたのだろう。
「離せ馬鹿! 鶴弥ちゃんを一人で死なせる気か!」
「助けるために冷静になれと言ってるんです! 今の天童さんでは足手まといになるだけですよ! 上島先輩も落ち着いて! いざという時は僕が行きますから!」
「俊君放してください! 僕ならまだ札があります! 足止めくらいは出来ます!」
黒家姉弟は、やはりこういう時に頼りになる。
こちらの意志を理解して、ちゃんと最善の判断をしてくれているらしい。
これで少しは被害が少なくなるだろう。
なんて事を考えている内に、開けっ放しの扉が植物に覆われ、本体がゆっくりと姿を現した。
「ははっ、明るい所で見ると余計気持ち悪いですね。 貴女」
『返……、ソレ――器。 私、……助け』
「助けを求めたのは貴女でしたか。 何から助けを求めているのか知りませんが、貴女の行動はとても助けてあげようなんて思えない程、卑劣なモノですよ?」
『器……わた――欲しい』
「話になりませんね」
やれやれと首を振りながら、正面のプラント人間を睨む。
諦めるのは簡単だ。
でも、このままやられてやる義理はない。
“形代”を壊すか?
ダメだ、神蔵咲にどういう影響が出るかわからない。
でもこのまま相手に奪われるよりマシなのだろうか?
困った、全く良い案が浮かばない。
「これはまさに八方塞がりって奴ですね。 困りました」
“形代”を胸に抱いたまま、私は部屋の隅まで後退した。
もはや、打つ手がない。
迫ってくる脅威に対して対抗手段など無く、浬先生の到着を待つばかり。
とはいえ、もう相手はすぐ目と鼻の先だ。
アイツの背後からは様々な物が飛んできているが、意に介していない様子で“上位種”はこちらに歩いてくる。
“狐火”や札、そして俊君が投げつけたであろう物だけは多少効果はあるようだが。
やはり相手は足を止めない。
あぁ、ここまでか。
なんて、思った時だった。
『ダメ』
そんな声が、私の背後から聞こえた。
「……は?」
ゾッと背筋が寒くなる感覚、全身に鳥肌が立ち思わず目を見開いた。
『ダメ』
私の後ろには壁しかない。
そこから声が聞こえてくるなんて、普通に考えればあり得ない筈なのに。
だというのに、私は“後ろから”抱き上げられてしまった。
「はっ? ちょ、え? 一体何……きゃあぁぁ!」
訳が分からぬまま、部屋の逆側の隅に放り投げられた。
一瞬の浮遊感と、すぐにお尻に強い衝撃。
うん、めっちゃ痛い。
「痛ったぁ……まさか、新しい“上位種”……」
呟きながら腰を上げた所で、言葉に詰まった。
そこにはいつか見た光景、不安に不安を塗り重ねる様な、異常とも呼べる不穏な影が立っていた。
「なんで……貴方がココに」
真っ黒いローブの様な姿。
認識できないその表情。
そして、さっきまで恐れていた“怪異”の頭を掴んで持ち上げている。
異常な行動を取る、怪異を殺す“怪異”。
「ブギーマン!」
その名を呼ばれた事に反応したのか、ソレはこちらをゆっくりと振り返った。
“上位種”を掴んだその腕を、植物に寄生されながら。
『ブギー……マン?』
不思議そうに、私の声を繰り返す。
まるで子供みたいに、コテンッと首を傾げている。
「何なんですか貴方は!」
何故このタイミングで現れたのか。
前回同様、何故私を助けるような真似をするのか。
もう訳が分からない。
こんな奇妙な怪異に好かれる覚えなど、まるでないのだが。
『お姉ちゃん』
「はい?」
『お姉ちゃんニ、言われたカラ』
それだけ言うと、ブギーマンは“上位種”を壁に向かって叩きつけた。
植物を相手の腕や後ろの壁に広げながらひたすら藻掻いているが、ブギーマンはピクリとも動かず“上位種”の頭を鷲掴みにしている。
まさか“なりかけ”を相手にした時同様、あんなのも握りつぶすのかコイツは?
なんて思ったが、やはり“なりかけ”と“上位種”では違うのか。
ギリギリと音が響くものの、いつまで経っても決着がつく様子が無い。
そして――
『倒せないナラ、任せてイいって、言ってル』
「貴方はさっきから何を――」
怒鳴りつけようとした瞬間、叩きつけられた“上位種”の丁度頭の位置。
そこから、ズゴンッ! とデカい音を立てて“腕”が生えた。
何かの爆発音の様なドデカい音が響き、ブギーマンの右腕ごと“上位種”の頭を吹き飛ばした。
誰かこの状況が分かる人間がいるなら説明して欲しい。
「……は?」
何あの腕、壁から生えて来たんだけど。
しかも“上位種”は頭を失ってその場に転がり、ぴくぴくと痙攣しながらも静かに霧に変わっていく。
さっきまであんなに苦しめられたというのに、こうもあっさりと。
もう和風ホラーとかの類ではなく、明らかにパニック映画かアクションホラーの類だ。
それくらいにいきなりな展開。
というか急展開すぎる。
もし近い光景を述べよと言われるのなら、バイオでハザードなアレに出てくるタ〇ラントだ。
アレが壁をブチ破って登場するシーンに似ている。
これって、ブギーマンがやったのか? でも、当人も右腕が吹っ飛ばされる重症を負っているのだが……
やがてズボッ! と音がしそうな勢いで腕が壁の中に戻っていき、向こう側から叫び声が聞こえてきた。
「てめぇコラ! すぐそっち行くからな! そこ動くんじゃねぇぞ!」
その声が聞こえた瞬間、全身の力抜けるのが分かった。
あぁ、多分もう大丈夫だ。
目の前のブギーマンがちょっと不穏だが、あの人が介入したならもうこの件は片が付く。
そんな事を考えながら、ゆっくりと瞼を閉じる。
なんでだろう、前回同様ブギーマンと遭遇すると泥の様な眠気が襲ってくるのだ。
「は、はは……貴方も、逃げられません……からね……」
コテンっと床の上で横になりながら、不敵に笑って見せる。
しかし、今度は拳で壁抜きか……ココのマンション、鉄筋コンクリートだった気がするんだけど。
相変わらずの化け物っぷりだ、あの人。
「貴方は、何なんですか?」
薄れる意識の中、右腕を失った怪異に問いかける。
ユラユラと揺れるソレは、赤い瞳を輝かせながらこちらを覗き込んで来た。
『……ブギーマン。 今、名前、貰っタ』
何を言っているんだろうコイツは。
嬉しそうに口元を歪め、ニタニタと笑っているのが分かる。
あぁもう、本当に意味が分からない。
誰か、私にコイツの説明を……
『オヤスミ、良イ子良イ子』
暗くなった視界の中、ソイツは残った左腕で私の頭を撫でていた気がした。
2部2章残り2話です。





