13階段 4
「へぇ……私にもしっかり聞こえるんですね」
もしかしたら鶴弥さんの“耳”や、俊の“獣憑き”だからこそ聞こえた声なのかと心配していたのだが。
そちらは見当外れだったらしい、だとすれば余計に良くない状況になる訳だが。
「天童さん、ちょっと煽ってみて下さい」
急な指名に驚いた表情を浮かべた天童さんだったが、すぐさま正面へ向き直り鋭い眼差しを玄関へ向けた。
「“姿を見せろ、居るのは分かっている”」
天童さんの“声”を響かせても、コレと言って変化は訪れない。
ふむ、と首を傾げながらもう一度指示を出した。
「もっと派手にお願いします。 煽り倒して、相手が激怒するくらいに」
「えぇ……そういうの苦手なんだけど。 あーえっと、“ちまちま登って来てないで、さっさと顔見せたらどうだ? それともこの程度でしか干渉できない小物って事で良いのか? ホラ、俺達を殺してみせろよ“」
とてもとても、無理をしているご様子。
結構感情の籠った感じの台詞を吐いていたのに、言い終わったらお顔が真っ赤っかだ。
頑張ったね、うん非常に良く頑張った。
まるで昔の天童さんみたいに、チャラい感じが良く出ておられたよ。
「やめて黒家さん。 その生暖かい目でこっちを見ないで」
「いやはや、貴方も随分と変わりましたね」
「ほんと、勘弁して……」
なんて会話をしている内に、ドンッ! と扉を叩く音が室内に響く。
ふむ、やはり相手の言う“何段登った”というのは実際の階段とは関係が無いらしい。
まあ何段も登っている足音がするのだから、当たり前といえば当たり前なんだが。
そして更に、相手は既に扉の近くに滞在しているらしい。
果たしてそれが外なのか、それとも内側なのかは分からないが。
「巡! どうするの!?」
聞かされている以上の事態が起こって焦ったのか、夏美が目の前に降りて来た。
滞空時間がとんでもない事になっていた気がするが、体の方は大丈夫なのだろうかこの子。
「とにかく今は殲滅を、“ナニか”は今の所襲ってくる気配もありませんから。 まあ怒ってはいる様ですが」
「そんな呑気な……」
「あぁそれから、“雑魚”を一体こちらに寄越してください。 ちょっと調べたい事があります」
「はぁ!? 何言って――」
『いつまで休んでおる! 行くぞ!』
それだけ言って、再び空中に舞う“九尾の狐”。
なんともまぁ、いつまで経っても凸凹コンビというか。
とかなんとか思っている内に、夏美が防衛している側から一つの“黒い霧”が零れ落ちて来た。
足を潰してあるのか、非常にゆっくりとした動作で床を這うように移動してくる。
「仕事が早くて助かります」
『礼はタピオカでいいぞ』
「貴女という人……ではなく狐は。 どれだけ現代を楽しんでいるんですか……」
ため息を吐きながら微笑んで見せれば、『忘れるでないぞ!』とだけ言い残し再び姿を消す様に走り出した。
現代日本を存分に楽しんでいる様で何よりだ、というか満喫し過ぎな気がしないではないが。
「で、どうするのこれ?」
警戒した様子で、地面を這う“雑魚”に鋭い視線を向ける天童さん。
普段なら一目散にこちらに向かってきそうな相手だが、本日ばかりはやはり行動が違う。
私たちの事など目もくれず、一心不乱に部屋の中央を目指している。
「簡単ですよ。 この部屋にカレらの“求める物”があるのであれば、カレらに案内させればいい。 後輩達も室内は探索したでしょうが、何も見つからなかったみたいですし。 ならば餅は餅屋という事です」
「随分とまた、危ない橋を渡るもんだね。 認識した上で近づくだけでも危ないってのに」
「いざという時は天童さんに対応してもらいますから、期待してます」
「へいへいっと」
などと軽口を叩きながら、あぶれた“雑魚”を観察していく。
こんな事、“獣憑き”二人に守られていないととてもじゃないが出来ないだろうが。
“黒い靄”はそのまま部屋の中をゆっくりと前進し、やがて動きを止めた。
はて? と首を傾げていると、“ソレ”は片腕を伸ばす様に細い霧を前方に向け、やがて“透明な壁”にでもぶつかる様にして動きを止めた。
「え?」
声を漏らしている間もソレは動きを止め……てない!
“眼”を持っていないからこそ分かりづらいが、コイツ目的の物に対してゆっくり腕を伸ばしているだけだ。
壁に遮られたように見えるのは、単純に“その先が”見えないだけ。
霧の動きからするに、コレはまだ腕を伸ばし続けている。
「天童さん! コイツを押し戻してください!」
「“下がれ! 今来た道を後退しろ!”」
“声”を使えば、目の前の“黒い霧”は大人しく後退し始めた。
まるで映像の逆再生を見ているかのように、ゆっくりと。
「夏美! “コレ”を潰してください! 俊は全体防衛!」
指示を出した瞬間に、目の前に銀色の光が降って来た。
眼前の“黒い霧”に向かって踵を振り下ろした夏美が、すぐさま眼前に現れた。
それに合わせて弟は部屋を滑る様に動き始め、忙しそうに拳を振り回している。
対応速度は申し分ない、というかビックリするぐらい早い。
そしてまぁ、何となくだが……色々分かった気がする。
「お疲れ様です、後は“雑魚”が散るまで防衛戦です。 皆、よろしく頼みます」
「えっと、ソレはいいんだけど。 黒家さん、今のは?」
「巡、何かわかった? さっきの奴、腕が途中から“消えた”んだけど」
天童さんと夏美が、不安そうな顔でこちらに視線を向けて来た。
まあさっきの光景を見れば、不安が残るのは当然だろう。
そして何より、“眼”を持った夏美の言葉で確信に至った。
これは、相当厄介な事案だぞ……
「話に聞いていたもう一体の“形代”、その在処がわかりました。 間違いなくココです」
そう言ってから、“何もない”床の上を指さした。
私の行動に二人は首を傾げるが、夏美にも“見えない”のだから私の想像は確信へと変わってしまった。
「今の状態では“目に見えない”場所にある、という事です。 さぁ、夏美は防衛に戻ってください。 俊だけでは辛いみたいですから」
分かりやすく視線を向ければ、そこには弟が必死に拳を振るっている姿が。
しかも全体防衛という事もあり、ひたすら移動していた。
「ご、ごめん俊君! 今行くね!」
『フム……ふむ? まぁ良い。 おい、さっきの礼を忘れるなよ?』
夏美も空気を読んだのか、銀色の光を残しながら再び空中に舞い始めた。
微妙に聞こえて来たコンちゃんの声は、あんまり事態を理解していなかった様子だが。
まぁいい、後でどうにでもなる。
「それで、どういうこと? 隠されているって言っても、まさか床下じゃないよね?」
天童さんもあまり理解出来ていない様子で、私が指さした床を色んな角度から睨んでいた。
違う、そうじゃないんだよ。
なんて事を思いながら、私は小さくため息を溢した。
「今回の件、怪異を呼び寄せる特殊な“形代”という存在。 面倒な事に、それはこの空間に間違いなくあります。 しかし今は見えない、ではどうやって見ればいいのか。 多分裏側……言い方を変えれば“こちらとは違う世界”にある、という事だと思います。 それなら普通の人には見つかりませんからね。 となると相手は“上位種”である可能性が高く、設置した人間もそれなりの知識があると見て間違いないでしょう。 全く、面倒な限りです」
さっき見た“雑魚”が“何処かへ”片腕を突っ込んだ現象。
アレは間違いなく以前“八咫烏”に案内され、あの場所へと踏み込んだ時と似たような光景。
まるでゲームみたいに、特定の場所へと踏み込むとその人物が消えていく現象。
それこそ、神隠しの一種だろう。
詰まる話、この部屋に13日以上住み続けた住人は。
文字通り姿を消すという訳だ。
“向こう側”に連れていかれて。
「それなら、事故死とも自殺とも伝える必要はありませんからねぇ……失踪なら契約が切れるまで待てば良いだけの話です。 だからこそ家具家電もそのままなのでしょうね」
「えっと……あんまり聞きたくない結果報告だったんだけど。 つまり“形代”の在処は……」
「私の考えが見当外れでない限りは、“迷界”にあります」
色んな意味で、心の中ではささくれ立っていた。
こんな場所を調査させるなら、大家さんも包み隠さず全てを曝け出せばいい物を。
なんて、言える訳ないですよね。
向こうだって商売な上、失踪者が出ても関連付ける根拠がない。
そして何よりこう言った事情に詳しくない限りは、そんな事思いつきもしないだろう。
怖くなって逃げだしてそのまま帰ってこない、くらいに捉えている可能性もあるし。
「ある程度情報は集まりました。 一気に殲滅してしまって構いませんよ? とは言っても室内限定で現れるのであれば、無理でしょうけど」
なんて、声を漏らすと。
「こういう時くらい、お姉ちゃんを頼ろうか」
『舐めるなよ小娘。 集まる有象無象如き、すぐさま祓ってみせようぞ』
突如として現れた黒セーラーの姉と、隣に着地した夏美……ではなくコンちゃんが威勢の良い声を上げた。
『ホレ、狐火』
「ほい、“上位種”モードぉ」
地面に手を付いて、腰を高く上げるような姿勢のコンちゃんが言い放つと同時に、尻尾が震え火の粉をまき散らした。
その火の粉は壁を突き抜け、窓の外でいくつもの青い炎を立ち上らせていた。
そして更に、突如として現れた姉さんからはゾッとするような冷気が立ち上り、周囲の“雑魚”を遠ざけていく。
何だこれ、裏技かな?
「まぁ勢いが無くなって来ていたからこそ出来た技だけどね、“雑魚”は散ったでしょ? 他の“上位種”には睨まれちゃったみたいだけど」
てへっと笑う姉さんだったが、最後の方の台詞が不穏でならない。
睨まれたって何だ。
やっぱり同じ地区の“上位種”に喧嘩を売った様な事になるのだろうか?
『今夜はこれで終わりじゃ、予定より早かったであろう? タピオカ追加じゃ』
うっせぇよエンジョイフォックス。
2杯でも3杯でも奢ってやるから、その見た目と表情で下らない事を言うのをすぐさま止めろ。
なんて呆れた表情を送っていると。
ダンダンダンッ! と扉を叩かれる音が室内に響く。
『5段、登ッタ』
どうやら、相手を怒らせてしまったらしい。
一晩で2段登らされてしまった。
恐らくコレは13階段、処刑台に上るまでのカウントダウン。
相手が数えているのは自身の登った数ではなく、私達の登っている段数。
つまり、今日の行いは本来よろしくない。
よろしくないのだが。
「負け惜しみですか? 大した事ないですね。 今日で最後にしてもいいのですよ?」
などと煽り文句を言い放てば。
ダンッ! と大きな音で扉を叩かれてしまった。
しかしその後コレと言って何も起きない、彼らにも彼らのルールがあるらしい。
なんともまぁ律義な事だ。
しばらく玄関を睨んでいたが、まるで反応が無い事から本日の襲撃は終わりの様だ。
“獣憑き”の二人も、周囲に気配は感じられないみたいだし。
「では、本日の活動はここまでですかね。 お疲れさまでした」
そう言いながら手をポンッと叩けば、皆が大きなため息を吐いて座り込んだ。
時間にして40分程度だろうか?
後輩の報告を聞いている限りでは、かなりのタイムレコードだ。
素晴らしい、私たちはもうこの後を睡眠時間に当てられるのだから。
「まさか、ここまで早く終わるとは……」
「まぁ巡達が煽ったのと、私や九尾の狐の影響が大きいだろうねぇ。 称えたまへぇ……」
「ははぁー」
馬鹿やってる弟と姉をしり目に、夏美と天童さんへと視線を送る。
二人共言いたい事は分かっている様子で、既に覚悟の決まった面持ちで私を見ていた。
「これだけ条件が揃うと、間違いなく“上位種”だよね。 黒家さん……言うまでもないかもしれないけど、僕達も参加しよう。 このままじゃ不味い」
『我はタピオカ――』
「コンちゃん煩い、しかも流行りの時期過ぎてるし。 巡、今回ばかりは私達も参加したほうが良いと思うんだ。 つるやんの音叉もないし、“見た限り”おかしな気配がない。 むしろそれが問題だよ。 “あんなの”が居たにも関わらず、私の“眼”には“雑魚”しか映らなかった」
二人共真剣な顔で迫ってくる。
もはや流れとも言うべきか、既に部長どころか“異能持ち”ですら無くなった私に決定権を委ねる二人。
なんともまぁ、信頼されているモノだ。
「えぇ、もちろんです。 先生には……まぁ何とか言いましょう。 明日から本格的に相手の領域に踏み込みますよ? 各々準備は怠らない様に」
それだけ言えば、皆真剣な表情で頷いてくれた。
今夜の経験で分かった事もあれば、試したい事だって多くできた。
分からない、どうしよう……なんて言葉は全て試してから発すればいい。
無駄かもしれない事でも全て試して、抗ってやる。
それがここ数年で私の至った答えだ。
「ま、それはそれとして」
ポンッと掌を叩いてから、玄関へと向かう。
そしてのまま扉を開いて外を覗くが……やっぱり誰もいない。
「ちょっとちょっと!? 危ないでしょ巡! もしもまだアレが居たらどうするの!?」
慌てた様子の夏美に引っ張られ、再び室内へと戻される。
手を離した事によって、扉もバタン! と大きな音を立てて閉じてしまったのだが……
ふと、足元に何かが落ちて来た。
「これは……枯れた花びらですかね?」
萎れてしまっていて、カサカサしている。
郵便受けの所から落ちて来た様に見えたが、はてさてこれは偶然か否か。
「で、何してたの?」
「相手は扉に触れていましたからね、何か残ってないかなぁと」
そんな事を言いながら、もう一度扉を開いて反対側を確認する。
恐らく今しがた叩かれたであろう場所に、なにやら液体の跡が。
「何でしょうね、コレ」
「あ、待って。 私も行く」
二人で外に出てから、玄関を改めて観察する。
見た目的には、水分の多い何かを扉に叩きつけた感じ。
色は無色透明で、触ってみると少しだけヌメっとしていた。
匂いは……なんて鼻を近づけた瞬間、すぅぅと水分が消えていく。
なんて言うんだっけ、水はけの凄い石というか、バスマットとかにも使われているヤツみたいな光景だ。
そして先程拾った花びらも、同じように霧となって消えていく。
「なんだったの? 結局」
「さぁ? でもまぁ、これはまた色々と準備が必要そうですね」
そんな台詞を吐きながら、久しぶりにニヤッといやらしい笑みを浮かべるのであった。





