13階段 2
「向こうからの連絡です、行ってきますね」
それだけの言葉で、一緒に立ち上がる俊君と強く頷く椿先生。
時刻は23時半になった所。
こういう事例にしては微妙な時刻な気がするが……前回同様何か理由があるのだろうか?
それとも大家さんの話に出て来た、“お祈りを捧げる時刻”と被っているだけの事なんだろうか?
流石にそこまでは分からないが、兎に角“怪異”が現れたのだ。
急がない理由はないだろう。
「それでは椿先生、草加先生をお願いします」
「了解。 それから、何かあったらすぐ連絡しなさいよ? まだ時間に余裕があるようなら、環さんと渋谷さんはこっちに連れてきちゃいなさい」
それだけ言って、ソファーで眠って居る……というか酔いつぶれている草加先生に布団を掛けていた。
「わかりました。 けど、この状態で草加先生は緊急時動けますかね……?」
とてもじゃないが、いくら起こそうとしても目を覚ます気配さえない。
結構なテンションで飲んでいたからなぁ……本数自体はそこまででもない気がするが。
僕達だけで対処するつもりでは居るが、やはり“腕の異能”の有る無しでは難易度が違う。
「あぁ大丈夫大丈夫。 ちゃんと起こす方法もあるし、草加君あんまり二日酔いにもならないから」
そう言いながら、はよ行けとばかりに手を振る椿先生。
何というか、この夫婦的な空気よ。
なんて、今はそれどころじゃないか。
「行きましょう上島先輩。 皆が心配です」
「えぇ、分かってます。 何かが訪れる前に待ち受けていないと、情報を逃すことにも繋がりますからね」
クイッと眼鏡を押し上げてから、二人で玄関から飛び出した。
目の前には薄暗い廊下、今の所異常なし。
では部屋の中でのみ“怪異現象”が発生するのか?
とにかく、入ってみれば分かる事だ。
「失礼します! 入りますよ!?」
叫びながら隣のドアを押し破る様に開ければ、そこにはとんでもない光景が広がっていた。
当然の様に、僕も俊君も固まってしまう訳だが。
「「あ」」
「待って! 二人共まだ入ってきちゃダメ!」
やけに露出の多い恰好の二人が、僕達と同じように動きを止める。
いや一花ちゃん、入ってきちゃダメって。
貴女が呼んだんでしょうに。
なんて事を思いながらも、俊君と二人してスッと首を90度横に向ける。
「着替え終わったら教えてください。 見ない様にしますので……」
「あぁーえっと。 なんかすみません……」
おそらく寝間着なんだろう薄着の二人が重ね着、重ね履きの途中だったご様子で非常に目に毒な恰好をしておられた。
一応服は着ていたので問題はないかもしれないが、それでも健全な男子にとって女子が着替えている空間に飛び込むというのは非常にハードルが高い。
流石に自制心が仕事をしてくれて視線は逸らせたが、色々と見えてしまったので顔が熱い。
アレはダメだ。
ズボンを履こうと前かがみになった部長は、緩いTシャツの胸元から白い何かが見え。
厚手のパーカーに袖を通していた渋谷に関しては、服がまくれ上がってお腹辺りがフルオープンだった。
いかん、自制心がどうとか言いながら思いっきり見てしまっている。
「えーっと、二人共? 別に下着姿で居る訳でありませんので入ってきて大丈夫ですよ?」
いえ部長、貴女は見えてしまうくらい緩い恰好していますからさっさと着てください。
なんでそんなに無頓着なんだこの人。
「あーえっと、もう着替え終わるからホントに大丈夫だよ。 ごめん二人共、お待たせ」
渋谷の声を聞いて視線を戻せば、二人共まだ着替え途中で服をもぞもぞさせておられる。
そうだね、“もう”着替え終わるって言ってもんね。
俊君と共にバッと体を反転させ、眼前の玄関を睨む。
「上島先輩、これは入っていいモノなんでしょうか?」
「僕に聞かれても困ります。 入室許可は出ていますが、二人がちゃんと着替え終わるまで待つべきかと思いますが……」
二人して固い顔のまま玄関で地蔵の様に突っ立っていると、後ろから日向ちゃんが「本当にもう大丈夫ですよー」と声を掛けてくれた。
やっと終わったか……なんてため息を溢しながら室内へと振り返ろうとしたその時。
――カツーン。
その音を聞いて、背筋がゾッと寒くなる。
「俊君、今の音聞こえました?」
「えぇ、“獣憑き”になっていなくても聞えました。 嫌な感じですね……」
目の前の扉を睨みながら僕は札を、俊君は拳を構えた。
間違いなく外から聞こえた。
恐らくこの部屋の隣に設置された非常階段、普段は封鎖されていると聞いていたのだが……
更にヒールを履いた女性が、金属の階段を上った時の様な特徴的な音だった。
こんな時間に、わざわざ封鎖されている非常階段からゆっくりと上がってくる女性なんていないだろう。
もし居たとするなら、相当な酔っぱらいくらいか?
いや、酔っていても一段登るのにここまで溜める人なんていないだろうな。
これはもう、恥ずかしいとかどうとか言っていられる状況では無くなってしまった。
「来ました! そこら中から入ってきます! 約五分後!」
日向ちゃんが何かを“見た”らしく、鋭い声が上がる。
「お邪魔しますよ!」
靴を脱ぎ散らかしながら、慌てて部屋の中へと駆け込む。
いくらなんでも扉の眼の前では、俊君ならまだしも僕では対処できない。
慌てて振り返りながら室内へと走り出した……までは良かったのだが。
「ちょっ! ……へ?」
室内へ駆け込んだ瞬間、足に何かを引っかけて盛大にスッ転んだ。
非情に情けない上に、えらい勢いで部屋の中へと突進する形になってしまった訳だが。
不思議な事に、コケた痛みが伝わってこない。
それどころか柔らかい上、何かいい匂いに包まれている。
もしかして布団かソファーの上にでもダイビングしてしまったのだろうか?
「あのさぁ……」
なんて事を考えていたが、頭上から怒りの籠った様な声が響いてくる。
恐る恐る首を持ち上げれば、そこにはドアップの渋谷が。
赤い顔をしながらも、眉は吊り上がっておられる。
「いや、ウチが荷物を変な所に置いておいたのが原因だよね。 ソレは分かってる、分かってるよ?」
うんうんと頷きながら、彼女は右の拳を振り上げた。
あの、すみません。
言動と行動が合ってないんですが。
「でもさ、わざわざ胸に飛び込んでくる必要ってあるかな? しかも荷物ひっくり返して、わざわざ下着だけまき散らしたのは何でなのかな?」
視線を動かしてみれば、確かにそこら中に転がる色とりどりな物体X。
そして顔面から伝わる柔らかい感触は、もはや言うまでもない。
「あーいや、コレは事故であってな? 故意ではない訳だよ。 不可抗力ってヤツだ、その辺りも理解してくれると嬉しい」
その他にも色々服が散らばっているが、何故か下着だけは派手にばら撒かれている。
決して狙った訳ではないのだが、非常にいたたまれない。
「上島君はラッキースケベ体質だったのですね」
「部長、お願いします。 今はそう言う事言わないで下さい」
「だったらさっさとどけぇぇ! いつまで顔埋めてるつもりだぁ!」
渋谷の拳がとてもいい音を立てながら、僕の右頬を貫いた瞬間であった。
――――
「お騒がせしました……俊君も、部屋の中まで後退してください」
「了解」
私がひと声かければ、俊君は危なげなく正面を睨みながら後退してきた。
そんな会話をしている間も、階段を上る音が聞こえてくる。
だというのに、今の所部屋の中に異常は見受けられない。
カツーンと鳴り響く音、今ので8段目。
これは本当に、環さんの言っていた13階段っぽくなって来たぞ。
「すみません部長……」
未だ正座状態の上島君が、やけに情けない声を上げて来た。
右頬を腫らしながら、さっきからずっとこんな感じ。
「上島君、貴方に浬先生の教えを一つ授けましょう。 これは私も共感できると思ったモノです」
「はい?」
突然おかしな事を言い出した私に、上島君どころか周りのみんなまで視線を向けて来た。
別にいいけどさ。
「“ラッキースケベとは、決して男だけに非があるとは限らない。 男だけ責められるのは、男女差別だと言えよう。 だって理不尽じゃん!”だそうです」
「……あの、その単語を連呼しないで頂けると嬉しいです。 で、なんですかソレ」
かなり気まずそうに視線を逸らしながら、フルフルと震えておられる。
渋谷さんに至っては未だ赤い顔のまま目を閉じ、“共感”を使って外の監視をしてくれている模様。
「詰まる話、女性側の不注意で発生した事態に関しては、男性だけが責められるのはおかしいという事です。 例え見ちゃったとしても触っちゃったとしても、そこに非や下心が無ければ、問題があるのは女性側……もしくはお互いに謝罪すべきだということです」
あっ、ゴメン! ううん、こっちこそ……ってなったら平和な世界だよな! って以前力説されました、と。
確かにね、漫画とかだとよくあるものね。
お前がもうちょっと警戒しとけば、このラッキースケベ発生しないよね? みたいな事態。
もし起っちゃったなら、男ばっかり責められると悲しいんだよ? いやまぁ俺の時……じゃなくて、責められないパターンもあるんだけどさ! みたいな感じで色々語られた。
ネトゲしながらだったから話半分で聞いていたが、一応納得できる内容だったので覚えている。
なんかその時の例え話が妙に生々しかったのは、私の気のせいだと思いたいが。
まぁそれはいいとして、今日みたいな事態は私達が悪いのであって、男性陣ばかり責められるのは如何なものだろうか。
まさか荷物に足を引っかけてコケるとは思っていなかったが、私たちの配慮不足であった事は間違いないだろう。
「というわけで、“偶然”渋谷さんの荷物を足に引っかけて、更に谷間に“偶然”ダイビングしたからといって、貴方ばかり責められる事例ではないという事です。 なので気にしない方が良いかと、渋谷さんも事故だってことくらい理解しているでしょう?」
「あの、偶然のところだけ強調するの止めてもらっていいですか? まるで狙ったみたいに聞こえてくるんで」
どうやら言い方が悪かったらしい。
上島君から反論が上がって来てしまった。
まぁ、今はそれどころではないが。
「とにかく、全員警戒。 俊君は入り口、上島君は後方を警戒してください。 それでいいですね、渋谷さん? 拗ねてないで、仕事しますよ。 ちょっと触れられたり見られたからといって、死ぬわけではありませんから」
「ぶちょーはもうちょっと羞恥心を持った方がいいかと……」
赤い顔をした渋谷さんがぶつくさ言いながら、目を閉じたまま眉間に皺を寄せた。
まぁ気持ちは分からなくもないが、今はそれどころではないので後回しだ。
というか本来なら渋谷さんと環さんは、隣の部屋に移ってもらいたかったが……今からじゃ逆に危険だろう。
「羞恥心ならありますが、死ぬよりマシですからね。 同じことをさせれば確実に助けてくれるというなら、どうぞって感じですし」
なんて台詞を吐けば男子二人は吹き出し、渋谷さんは目を見開いてしまった。
おい、目を開いたままじゃ“共感”使えないでしょ。
閉じなさいよ。
「ぶちょー……それオカ研メンツ以外に言っちゃダメだからね? 絶対せんせーとかこの二人とか、あと天童さんくらいしか想定してないでしょ」
「なんでそこで天童先輩が出てくるんですか……」
「あ、天童さんだけは抵抗あるんだ」
何やらニヤニヤした表情を向けてくる渋谷さんの顔面をガシッと掴み、にこやかな笑みを向けた。
「いいから、仕事、して下さいね? 今外の様子を確認できるのは貴女だけなんですから。 分かりましたか?」
「りょ、りょうかい……」
ふぅ……怪異が迫っているというのに、私たちは一体何をやっているんだが。
コレだから恋愛だの肉欲思考は、なんて思って回りを見てみれば、皆がみんなこちらに視線をむけていた。
「聞こえませんでしたか? 皆、仕事ですよ。 俊君、正面。 上島君、背面」
「は、はい!」
「す、すみません部長」
「環さんと三月さんは部屋の中央に、すぐ動ける体勢で居て下さい。 特に環さん、いざという時は渋谷さんを担いで逃げるくらいの覚悟で居てくださいね?」
「「了解です……」」
皆の意識を引き締めた所で、ふぅと息を吐いてから“耳”を澄ます。
聞こえてくるは皆の立てる音や、部屋の外に居る“何者”かの息遣い。
そして……
「部長、明らかに天童さんの話で動揺したよね……アレだけ冷たい部長って初めて見たし……」
「シッ! 今は怪異に集中しないと。 でもまぁ……アレはちょっと分かりやすいというか……」
おいこら、集中しなさいよ。
「二人共、聞こえていますからね? これでも“耳”はいいもので」
「「ご、ごめんなさい……」」
全く、どうしてこう皆そういう話が好きなんだか。
私にはちょっと理解出来ない。
はっきり言って人の恋路なんてどうでもいいじゃないか。
それに私の場合、恋だ愛だと騒ぎ立てる話ではないというのに。
改めてため息を吐いた瞬間、三月さんが鋭い声を上げた。
「来ます! 正面から数十体単位で。 後ろからは半分くらいの数で襲ってきます!」
どうやら、“見えた”らしい。
予想はしていたが、やはりこういう事態になってしまうのか。
「聞きましたね? 全員ここからは無駄話は無しです、気を引き締めてください!」
「「「了解!」」」
全員の返事を聞きながら、私は再び聞こえてくる“音”に集中した。
今晩のコレで、事態が収まってくれればいいのだが……
『……一段、登っタ』
聞こえて来た声は、やけに室内に響き渡った様に聞こえた。
大体2部2章を大体書き終わったので、急な編集とかが無ければデイリー更新できるかもしれません。
おまちかね、恋愛事情も少しだけ動く予定です。





