ヒーローはバイクに乗って現れる
日曜日の夕方、夕焼けの映える街並みを私達は歩いていた。
夜に向けて活気づく店、店じまいの準備を始める店。
その両方を傍目に捉えながら、私達は駅に向かって歩いた。
「あの、一花。 本当に大丈夫かな……コレ」
不安そうな声が隣から聞こえてくる。
もう何度目だろうか、日向が同じ質問を繰り返したのは。
ひたすら前髪を気にしながら、短くなったその髪を何度もその手でなぞる友人。
たまに襟足も気にしたりしているが、残念ながら昨日程の長さはないのだ。
諦めて胸を張るがいいさ。
「大丈夫大丈夫、凄く似合ってるよ! というか変わりすぎてちょっと嫉妬するレベルというか」
あの夜からもう数週間が経ち、皆元気を取り戻してきている。
そして本日は休みを満喫する為にも日向を遊びに誘った訳だが……何故か話の流れから美容室に行く事になってしまい、現在に至る。
私としては毛先を少しまとめてもらうくらいで済まそうとしていたが、友人が随分と思い切った発言をしたことから、この状況が始まった。
「えっと……可愛い感じで! 必要ならばっさり行ってください!」
初めて聞いた、そんなざっくりとした注文。
最初は私も店員も唖然としたが、日向の意思は固かったらしく「好きにやっちゃって下さい」と強い眼差しで言い放った。
元々肩甲骨くらいまでの長さだった訳だが、彼女があえて伸ばしていた訳じゃないと分かるやいなや、美容師は思いっきりばっさり切ってしまった。
今では部長と同じくらい……どころか、むしろそれ以上に短くなってしまった。
毛先は肩まで届かない、首元でまとめられたさっぱりした髪型。
そして元々長かった前髪も綺麗に整えられ、片目だけ隠すような綺麗なボブカットになっていた。
なんだろう、彼女に対抗してパーマとか掛けた私が妙に負けた気分になってくる。
「こんなに短くしたの初めてだから……明日皆にからかわれなければいいな……」
「それで日向の事をからかう馬鹿が居たら、多分嫉妬とか童て……じゃなくて、日向の事好きなんだと思うよ」
「いやいやいや、無いでしょ。 そんな人いたらビックリだよ。 っていうか、一花も雰囲気変わったね? ちょっと大人っぽくなった」
そういいながら、私の髪の毛を軽く触れる日向。
パーマをかけてもらったとは言え、見る人から見たら同じに見えるだろう、くらいの変化。
背中に届くかどうか位の長さの茶髪を、毛先に向かって軽めに巻いてもらった。
「まぁこれで気づく男子が居れば、褒めてあげるくらいだよ。 日向くらい変われば声掛けられるかもしれないけど」
「そういうものかなぁ? 普段から見てるから、いつもと違うなぁって感じるけど」
そんな事を話しながら歩いていると、急に後ろから「環さん!」なんて声を掛けられた。
はて、聞き覚えのある声だった気がしたが……誰だったかな?
振り返ってみれば、記憶にない顔ぶれの男子たちが数名。
え、本当に誰。
「俺だよ俺! 影山! 久しぶり!」
そう言って金髪ツンツン頭がこちら向かって走って来た。
影山という苗字の男子は同じ中学に居た、というかやけに絡んできていたので覚えている。
確か問題ばかり起こした挙句母親に激怒され、男子校に放り込まれたと聞いていたが……
しかし中学の時はこんなに派手な色の頭じゃなかったし、服装だって割と普通だった気がしたけど……高校デビュー?
周りにいる人たちも何か感じ悪いというか、ヤンキーっぽいというか。
ニヤニヤしながらこちらを眺めているので非常に居心地が悪い。
その様子に怯えたのか、日向は肩を震わせながら俯いてしまった。
「あーうん、ひさしぶり。 ちょっと誰だか分からなかった」
「酷いなぁ、中学ではあんなに仲良かったじゃん」
誰と誰が仲良かったって?
ちょっと記憶が捏造されているんじゃないですかね。
「へぇ、二人共可愛いじゃん。 影山ぁ、早く紹介しろよ」
「あ、はい! こちら同じ中学の環さんです。 もう一人は俺も知らないっつぅか……あれ? え? もしかしてお前、“顔無し”?」
先輩? らしき人に声を掛けられてヘコヘコし始めたかと思えば、お前今なんて言った?
確かに日向は昔そんな風に呼ばれていた事もあったらしい、主に目の前のコイツから。
思わずイラッと来て、向こうが話している途中にも関わらず口を挟んだ。
「あのさ、私達別に仲の良い友達って訳でもないしもう行っていいかな? 同じ中学だったからって、勝手に紹介されても困るから。 いこ、日向」
「う、うん……」
友人の手を引いて、無理やり彼らの隣を抜けようとして……肩を捕まれた。
予想はしていたけど、やっぱり面倒くさい事になってしまった様だ。
影山お前、後で覚えてろよ。
「まぁまぁ、そんなカリカリしなくてもいいじゃん。 どう? これから俺らと遊びにいかない?」
「後輩の友達だってんなら、俺らとしてももてなしてあげたいしさぁ」
ニヤニヤしながら、私の肩に置いた手で無理やり引き寄せられる。
後ろの方で「いや、ちょ……先輩。 この子にそういうのはちょっと」なんてボソボソと影山君が喋っているが、周りの人達は聞いてないご様子。
やれカラオケだの食事だの、挙句の果てには直球にホテルだのと誘われ始め、いい加減不味い雰囲気になって来た。
「いや、ほんといい加減に――!」
なんて怒鳴ろうとした瞬間、一人が日向の腰に手を回した。
ビクッと震える涙目の彼女に、派手な赤髪の男が体を近づける。
「ちょっと何してんの!!」
叫びながら肩に置かれた手を振り払い、日向の元へ走ろうとした……のだが。
ブォン! と近くから大きな音が聞こえ、全員の動きが止まった。
え? 何? 新手?
なんて思いながら音の方へ視線を向ければ、道路脇に止められた一台のバイクに乗ったフルフェイスの男が二人。
スモークが張ってあって顔までは見えないが、間違いなくこちらを見ている。
ホントに誰よ。
「や、ちょっとぶり。 三月さんだよね? 髪切ったんだ、最初別人かと思ったよ。 よく似合ってる。 俺の事覚えてるかな?」
そう言いながら、運転手の男がヘルメットを脱いだ。
出て来たのは少し長めの髪を揺らす爽やかイケメン。
モデルさんか何かかな? なんて思う程整った顔立ちで、白い歯を見せてニコッと笑って見せる。
本当に誰ですか、日向の知り合い?
怖い、この子の交友関係が謎過ぎて怖い。
「あ……天童、先輩?」
涙声の日向が、か細い声をあげた。
え? 天童先輩ってどこかで聞いたような……ん?
「俺は卒業生ってだけだから、別に先輩とかつけなくていいよ? まぁ呼び易い様に呼んで」
そう言いながら、その人はバイクを降りた。
そして後ろに座っていた人もバイクを降り、何故かフルフェイスを脱ぐのに四苦八苦しているご様子。
やがてスポッ! と音がしそうな雰囲気でヘルメットを外すと、そこには何故か黒家君が居た。
「サイズが合ってないんですかね……脱ぐ時耳が痛いです……あ、環さんこんにちは。 ちょっと雰囲気違いますね、髪の毛がもこもこ? ふわふわ? してます」
「なんで良く分からない感想を漏らすかねお前は……普通にパーマかけました? とか、似合いますねでいいだろうに」
やけに仲良さそうな雰囲気で声を掛ける天童さん? が、黒家君に呆れ顔を向けている。
日向が先輩って呼んで、黒家君とも知り合い……ってあれ? 確かオカ研のOBに天童って名前の先輩いなかったっけ?
確か部長の彼氏さんだったような。
「それから……三月さん? ですよね? 凄い、雰囲気が全然違う。 なんていうかこう……さっぱりした! って感じですね。 似合ってます」
「確かにね、女の子の様子が変わったらコメントしてやれと言ったのは俺だね。 だけどな、もう少し頭使って言葉にしようか。 脊髄反射で口を動かすのは止めろ、な?」
相変わらず仲がいいご様子で、まるで漫才みたいになってきている。
そして観衆、もとい私達はポカンと口を開けながら彼らの様子を眺めていた。
当然影山ブラザーズも同様で、皆様時間が止まったように二人の事を眺めている。
「それで、何やら雰囲気が悪いみたいだけど。 この人達はお友達かな? そうでないなら、連れが来たって事でその子達から手を放してもらえるかな?」
さっきまで和やかな表情を浮かべていた天童さんが、急に冷たい表情に変わりこちらを睨んだ。
正確には“周りの男子たちを”なんだろうが、私まで背筋が冷たくなる。
何なんだこの人。
まるで殺気でも放っているんじゃないかってくらいに、瞳が冷たい。
“怪異”程とは言わないが、それでもこんな雰囲気を放つ人間は今までに見たことがない。
過去に見た、戦っている時の黒家君や先輩達だってこんな雰囲気は出していなかった。
本当にこの人何者……?
なんて思っている間に、周りの男性諸君が動き始めた。
「後から来て仕切ってんなよ、失せろや!」
盛大に唾をまき散らしながら、一人が彼に向かって走り出した。
多分意地、というか虚勢を張っただけなのだろう。
さっきまでの様な余裕は見受けられない。
それどころか自身の膝がえらくバイブレーションしている事に気づいていないのか、とんでもなく情けない走り方で彼に向かって殴りかかった。
「やれやれ……こういう人間に対しても拳を返せば問題になるんですから、現代社会は生きづらいですね」
パシッと間抜けな音を立て、黒家君が彼の拳を平然と受け止めた。
このタイミングで助けに来てくれた事とか、圧倒的に強者な雰囲気を感じる所とか、もう色々ヤバイんだが。
黒家君の行動を見ながらおかしな方向で興奮し始めた私の耳に、再び彼の“声”が聞こえて来た。
「聞こえなかったかな? “手を放せ”と言ったんだ。 誰も殴りかかってこいとは言ってないよ。 ほら、“離れろ”」
その“声”を聴いた瞬間、体の中からゾクッと何かが沸き上がった。
“この人の言う事には従わなければいけない”みたいな、良く分からない使命感? の様なモノが体の中を駆け巡った。
それは私だけでは無かった様で、日向にやけにくっ付いていた男も大人しく手を放していた。
「天童さん……貴方の“声”、結構不味い所まで進化していませんか?」
「そういう事言うな……ちょっと気にしてるんだから。 というかお前もだよ、殴り返すなよ? また前みたいに皆に迷惑かけるぞ? 普通の生物はお前とか草加ッちのパンチに耐えられる様に出来てないからな?」
「色々と思う所はありますが、心得ています」
何故か黒家君と話す時だけ口調がえらく崩れる彼は、大きなため息を溢しながら止まっているバイクに腰かけた。
そして。
「“彼女達の友人でないなら、さっさと帰れ”。 お呼びじゃないんだよね」
呆れた様に声を上げた彼に対して、影山ブラザーズ達がビクッと反応する。
そしてどうした事か、「チッ、行くぞお前ら!」なんて昔のヤンキー漫画に出てきそうな台詞を吐きながらゾロゾロとその場から離れていってしまった。
いやマジで、何がどうなっている?
普通に考えたら……あんな連中が相手だ、この場で殴り合いの喧嘩になってもおかしくなかっただろう。
だというのに、彼らはまるで天童さんの“声に従うように”この場を離れた。
だがしかし、その場には一人だけ残党が残っていた。
「は? え? 何? どういうこと?」
去っていく先輩達に困惑の視線を送る影山君だけが、驚きの表情を浮かべながらその場に滞在していた。
そこは空気読んで帰ろう、ね?
そんな彼を見ていた黒家君が、ポンと手を叩きながら声を上げる。
「光谷君! 確か光谷君だったよね!」
「逆だ逆! 俺は影山だ!」
もうね、どこから突っ込めばいいのかと。
――――
黒家君、影山君、そして一花の話し合いが始まり、私は一人ポツンと路上に残された。
詳しい内容までは聞こえないが、一花がやたら「迷惑だから近づくな! 声を掛けるな!」と怒鳴り散らしている様子が伺えるが……大丈夫だろうか?
そんな私の肩に、ポンッと優しく大きな手が乗せられる。
「前はバタバタして自己紹介もろくに出来なかったからね。 改めまして天童糾です、よろしくね? あとコレ、自販機の紅茶だけど良ければ飲んで?」
振り返れば、普通に生きていたら絶対私なんか関わらないであろう顔面高偏差値の先輩が、缶コーヒーならぬ缶紅茶を差し出していた。
「あ、ありがとうございます。 すみません、迷惑かけちゃって」
ペコペコと頭を下げれば、彼は笑って「いいのいいの、男はこういう時に使ってなんぼだから」なんてヒラヒラと手を振っている。
正直怖かったのもあるが、申し訳なさで偉い事になっている。
結局一花に全部任せてしまった情けなさと、こういうタイミングで駆けつけてくれた二人に少女めいた妄想だってしてしまった。
そして事態を収め、今でも優しく声を掛けてくれている天童先輩はとてつもなく“大人の男性”って感じがしてちょっと落ち着かない。
「ま、無事で何よりだよ。 というか随分雰囲気変わったね、鶴弥ちゃんがどんな反応示すか……こっそり後で教えてもらえない? 多分あの子の事だから、絶対三月さんだって気づかないよ」
急に饒舌になる天童先輩、やっぱり部長の彼氏さんなんだなぁってしみじみと思う。
相手の話を切り出した途端、ちょっと子供っぽくなる辺りなんて特に。
なんというか、似た者同士というか……雰囲気は違うけど、よく似ている気がする。
「えっと、私で力になれる事であれば情報共有しますね? あ、これ。 私の連絡先です」
そう言って差し出したQRコードを、彼は慣れた様子で連絡先に登録した。
なんというか、この人面白い。
含みがない、と言ったらいいんだろうか?
私としては珍しく、全く怖いとも不安にも思わずに男の人と連絡先を交換してしまった。
いざ連絡先が登録された所で、「じゃあ鶴弥ちゃんがなんて言うか教えてね!」みたいにキラキラした眼差しを向けてくるのだ。
この人なら心配ない、というか部長に対して真っすぐ過ぎて微笑ましいというか。
私の方から「はいはい」なんて呆れを含んだ笑いが漏れてしまう程だ。
いつかこんな風に、心から寄り添える相手を見つけられることが、私は出来るだろうか?
そんな風に思ってしまう程、この人と部長の関係が羨ましく思えてしまった。
更に言えば今まで避けて来た“男性と繋がりを持つ行為”、ソレに対して全く抵抗を覚えなかったのだ。
さっきまで居た男性達とは違い、自らもっと仲良くなりたいと思える程に。
「よっし、ありがと。 報告よろしくね! おーい、俊君。 いい加減行かないと面接に遅刻するぞー?」
そう声を掛けると黒家君が話し合いをぶっちぎり、慌ててバイクに跨る姿が。
普段の彼だったら、こんな光景絶対に見られないだろう。
「不味いです! 色々あって忘れてましたが、もうすぐ約束の時間ですよ! 天童さん早く早く!」
ベシベシとシートと叩きながら、いつもより子供っぽい雰囲気の黒家君が叫び声をあげた。
彼にとって天童先輩は、きっと素を出せる数少ない相手なのだろう。
普段はきっちりとしていて、敬語を崩さない黒家君。
そんな彼が、子供みたいな様子で天童先輩を呼んでいる。
この後何があるのかは知らないが、彼が本音を曝け出せる相手という事に間違いはないのであろう。
「あーうん、多分遅刻するなコレは。 連絡入れておくか」
「天童さんが音速を超えれば間に合います。 さぁ行きましょう、音速のその先へ」
「普通に事故るわ、絶対飛ばさないからなマジで」
「くっ……仕方ありません、遅刻の連絡を入れますか……」
「そうしておけ。 まぁ事情を話せば納得してくれるだろ、あの店長なら」
そんな会話をしながら、彼らはヘルメットを被りなおした。
ブォン! と大きな音を立てながら、彼らは再び登場時の姿に戻る。
二人共体格が良いし、乗っているバイクからヘルメットまで真っ黒なので、色々と怖い雰囲気があるが……
「それじゃまたね。 危ない時とか、今回みたいな事があったら呼んでいいから」
ヘルメットを被ったまま、くぐもった声が響く。
しかしそれはしっかりと私の耳に届き、そして同時に強い安心感を与えてくれた。
「あ、あの! 本当にありがとうございました!」
頭を下げると彼は片腕を上げて答え、無言のままその場を去って行った。
私がまだまだ子供だからなのかもしれないが、その対応が凄く“大人”っぽく見えて格好良かった。
なんて事を考えながら、しばらく彼らの去っていく背中を見つめていると一花から声が掛けられる。
「お疲れ日向、大丈夫? 影山も帰って行ったからもう安心……ってどうした? 顔真っ赤だけど」
帰って来た一花は、私の顔覗き込んで眉を潜めた。
「な、なんでもない! 緊張してたからかな、あはは……」
この気持ちは何だろう?
まるでヒーローみたいに登場して、私の心を解してくれた彼の笑顔が、画面に焼き付いた映像の様に瞼の裏に残っている。
おかしい、こんな事今まで無かったのに。
「日向?」
「う、うん。 大丈夫。 大丈夫な……はず」
曖昧な答えを告げながら、彼らの走り去る背中を、私はいつまでも眺め続けたのであった。





