今日だけは普通でいよう
翌日。
昨日の夜の疲れが抜けないどころか、全身筋肉痛に悩まされながら一日の授業を終えた。
現場でひっくり返った私は椿先生の家に運ばれ、早朝に目覚めてから自宅に送り届けられた。
家族には友人の家に泊まってくると説明してあったので、深夜に気絶した状態で運び込まれなくて本当によかった……気を効かせてくれた椿先生に感謝である。
などとまぁ色々あった訳だが、本当に昨夜の出来事が現実だったという実感が持てず、未だに気持ちはフワフワ、体はギシギシバキバキ言っている訳だが。
「っ! ……いったぁ」
涙目になりながら痛む体をさすり、足を引きずる様にして部室へ向かっていた。
隣の一花も、私に合わせてゆっくりとしたペースで歩いてくれている。
「そっちも大変だったみたいだね。 大丈夫?」
そう問いかけてくる一花も、なんだかいつもより元気がない。
というか目の下には濃いクマが出来ている。
昨日の説明は部室に行ってから、という事だが……向こうの組も色々あったのだろうと予想は出来ていた。
とはいえ一花も優愛先輩も無事だったし、流石に昨日の“蜘蛛”みたいなのが出た訳じゃないと思うけど。
「うん、平気……今日から体力づくりしなきゃ……」
「んん?」
他愛無い会話をしつつも何とか部室にたどり着き。
ギィィと古めかしい音を立てて開く扉の先には……
「それで、結局先輩方に助けていただいた、と」
「本当に申し訳ございませんでした」
ソファに座った部長の前で、徹先輩が土下座していた。
本当にこの部活は……毎日扉を開くたびにおかしな現象が起きている気がする。
――――
「えーっと、お疲れ様でーす……」
遠慮がちな声が室内に響き、視線を向ければ一年生二人組が顔だけを扉から覗かせていた。
何をやっているんだろう、早く入ってくればいいのに。
なんて思ったりもするが、この状況では仕方ないか。
「ホラ、皆来ましたから。 上島君も席についてください、いつまで這いつくばっているんですか」
未だ土下座姿勢の彼の頭をペシペシ叩いてから、私自身もテーブルに移る。
俊君が扉前で固まっていた二人を招き入れ、上島君もいそいそといつもの席に腰を下ろした。
そしてもう一人、顔色の優れない渋谷さんが席に着きながら俯いている。
今日は部室に来てからずっとこんな調子だが、彼女の方も昨晩何かあったようだ。
その辺りの話も含め、今日の部活は昨日の反省会で終わってしまうだろう。
ふぅ、と息を吐いてから全員を見渡す。
誰も彼も、まるで怒られる前の子供みたいな顔をしているが……まあいいか。
若干一名困ったように笑っているが、彼には後で一年組を励ます仕事を与えてやろう。
私が気分転換にと何か誘っても、皆困ってしまうだろうし。
「さて、では始めましょうか。 分かっているとは思いますが、昨夜の事を各々話していただきます。 私の方からも情報共有する事もありますので、テキパキ行きましょう」
そう言ってから、昨日の出来事を話し始めたのであった。
――――
質問や問いただす様な行為は全て後回しにして、兎に角全員の話を聞いた。
どうやら私達は昨夜、3組に分かれて行動する結果となっていたらしい。
同じ行動を取っていたペアからは、大体似た様な話を繰り返し聞くことになったが、それでもやはり細かい部分は違ってきた。
見ている視点も違えば、役割りや“能力”も違う。
なのでとにかく全員から話を聞き、やっと終わったと思える頃には随分と時間が経過していた。
「では、みなさんお疲れ様。 喋るのにも聞くのに疲れたでしょうから、お茶でも飲みながら質問会といきましょうか。 上島君」
「はい、ただいま」
時間が経って彼も落ち着いたのか、私の一言でテキパキとお茶の準備をし始めた。
本当なら話し合いの前に準備した方が良かったのかもしれないが、雰囲気が雰囲気だったし。
例えお茶を出された所で、誰も手を付けなかっただろう。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
そんな事を考えている内に、各々の前に紅茶が置かれた。
全員昨日の出来事を吐き出して少しは楽になったのか、今は落ち着いた様子で皆紅茶に口を付けはじめた。
「さて、それでは私から。 まず皆さんに言っておきます、私は各々の行動を制限しようとは思っていません。 ですが、今後この様な行動を取る場合はしっかりと報告してください。 昨日は私も勝手に行動しましたから、あまり人の事は言えませんが……これでも皆さんより経験があります。 私や俊君、そして浬先生や旧メンバーが共にするならまだしも、皆さんだけは対処しきれない状況があるという事は昨夜で充分理解したと思います。 今後は前もって知らせて下さい、こちらとしても心配してしまいますので」
つらつらと偉そうに言い放ち、各員から謝罪の言葉が聞こえてくる。
そんな中、俊君だけは苦笑い。
「確かに鶴弥さんの言う通りですが、昨日の事に関しては僕たちにも責任がありますね。 聞いている限りだと、僕らにも連絡を取ろうとしていたみたいですし。 とはいえ、随分と遅くなってからみたいですが」
「ですね、そこは私も本当に申し訳ないと思っています。 もう少し早く連絡してくれれば、こちらも連絡が取れたのですが……いえ、それは私達の都合ですから素直に謝るべきでしょうね」
俊君の言葉に、思わずため息を溢してしまう。
ホント、もう少し早かったら連絡とれたんだよ。
昨日は皆動かないと思い込んで、あんな事しなければ……
「ええと、ちなみに何があったんですか? 僕らが部長に連絡したのは夜8時か9時頃だったと思うんですけど。 あの後椿先生から“迷界”について聞きましたが、なんでも連絡が取れなくなる事もあるとか。 もうその時には部長達も“迷界”に?」
「あぁいえ、なんというかですね……」
とても真剣な眼差しでこちらを見つめてくる皆に対して非常に申し訳ない気持ちになるが、残念なことに私達は昨日そんな大物には遭遇していない。
遭遇はしたが、大物違いだ。
「一度帰ってからすぐ浬先生と俊君と合流しまして、流石に夜まで暇だったので……その、みんなスマホゲームを……それで、見事に皆して充電切れを起こしたというか……」
「昨日は僕たちしか動かないだろうと思っていたので……いやはや申し訳ない。 もしもの時に救援を呼ぶためにも、普段はそんな事しないんですが……先生も居ましたから気が抜けていたんでしょうね」
ごめんなさい、とばかりに二人して皆に頭を下げた。
ついさっき偉そうな事を言っておいてこの様である。
とても悲しい、というか恥ずかしい。
そんな私達に、上島君が無言で備品のモバイルバッテリーを差し出してきた。
今度から常備しておこう。
「ま、まぁこちらはそんな感じでした。 保護……というか捕らえた人物に関しては、こちらの資料にまとめておきました。 話を聞いて、ウチの学校の生徒だと聞いた時は驚きましたが、そのあたりの事情もまとめてあります。 そして渋谷さんの話を聞く限り、彼女が言っていた“男”というのが、そちらで出会った件の人物な可能性が高いです。 皆さん目を通しておいてください」
そう言ってから紙束をテーブルの上に置き、後で読んでくれと伝えておく。
今は話し合いの方が先だ。
「今度僕の方からも話を伺ってみようかと思います、同じ学年みたいですから。 しかし“幽霊”が動物にも憑りつく、ですか……逆なら聞いた事がありましたが。 とにかく、その女の子の話と資料を元に、色々と調べてみようかと思います」
「えぇ、お願いします」
資料を数枚だけペラペラと流し見しながら、上島君はいつもの調子で話を進めてくる。
だがやはり彼なりにも聞きたいことが多いのか、資料をテーブルの上に戻してから真剣な眼差しをこちらに向けた。
「僕の方からも聞きたい事がいくつか。 まず最初に、あの男が言っていた“忌み子”について。 言葉本来の意味ではないと言っていましたし、部長の方では何か心当たりなどありますか?」
クイッと眼鏡を上げながら、彼は続けざまに口を開いた。
“忌み子”。
なんとも懐かしい言葉だ。
昔両親に言われた事もあるし、いつかの“怪異”にもそう言われた気がする。
当然本来の意味である“双子”の事であったり、“望まれなかった”子供を指している訳ではないんだろうが。
いや、両親に関してはそういう意味で私をそう呼んだのかもしれない。
あの頃の自分を思い出して、思わず乾いた笑い後を少しだけ漏らしてしまった。
「部長?」
「あ、いえ。 なんでもありません。 そうですね、ここ最近……というか“怪異”と向き合い始めてから聞くようになった“忌み子”という言葉であれば、多分私達のような“異能持ち”を指した言葉だと思います。 一時期は呪いを受けた人間に対する蔑称なのかと思った事もありましたが、私や浬先生も呼ばれた事から、多分“異能持ち”の呼び名という可能性が高いと思います」
私と浬先生は“蟲毒”の所へ向かう時にその声を聴いた。
一緒にあの“迷界”に入ったので、どちらか一方に声を掛けた可能性もある訳だが。
随分後になって聞かされた話では、黒家先輩と浬先生の二人は椿先生のお婆さんからもそう呼ばれたらしい。
その場には早瀬先輩もいた筈なのだが、彼女に対して“忌み子”という言葉は使われていない。
狐に気に入られた先輩を“巫女”の後継者と認め、そう呼ばなかっただけなのか、それとも他の要因なのか。
黒家先輩の“呪い”の件も含め色々と推測は飛び出しそうだが、こればかりは捉え方次第だろう。
これ以上の情報は、本人に直接聞くしかない。
この辺りも後で資料にまとめるか、口頭で伝えて皆の意見を聞くのも悪くないかもしれない。
「なるほど……あとはその男が付けていた天狗の面。 これは椿先生も異常に反応していましたから、多分以前部長達が遭遇したという“怪異”と繋がりがあるかもしれませんね。 そっちは椿先生から詳しく聞いてください。 もう一つは渋谷達の所に現れたという謎の“怪異”。 正直訳がわかりません……部長はどう思いますか?」
一つ目はとりあえず置いておこう。
今この場に当時を知る目撃者がいないので、彼の言う通り椿先生に直接話を聞くしかないだろう。
何かを聞き出したところで、“烏天狗”が付けていた物と照らし合わせる事が出来る情報が少なすぎる。
そして二つ目。
渋谷さんと環さんが遭遇したという“怪異”。
“共感”を使用中の彼女に気づき、家にまで訪れたというのに何もしてこない真っ黒な“上位種”らしきもの。
何か突発的に生まれた特殊な個体でない限り、伝承などに当て嵌められるモノは……何かあるだろうか?
「渋谷さん、環さん。 貴女達が見たその“怪異”、先程聞いた以外に思い出せる特徴などありますか?」
「ウチは……“共感”が切れた後気を失ってたから、別になにもないです。 森の中に黒いのが居て、それで終わりです……」
「えーっと、真っ黒いフード被ってて目が赤くて、ってさっき言いましたね。 それ以外は顔が見えてるけど認識できないっていうか……見ているだけで不安になるっていうか、“茜さん”みたいに圧迫される雰囲気は無いんだけど、背筋が冷たくなるというか……とにかく真っ黒でした!」
俯いたままボソボソと告げる渋谷さんのフォローをするように、環さんが元気よく情報提供し始めた。
渋谷さんの沈み様が凄い。
そこまで怖い体験をしたのか、なんて感想もあるが……何か隠している様な?
彼女の話では“ソレ”に捕まった後“共感”が途切れ、意識を失ったと言っているが。
とはいえまぁ話したくない事だってあるだろう。
それは聞ける人間が聞き、本人が言いたくなった時に言えばいい内容だ。
私だって皆に話せない内容の一つや二つくらいある訳だし、こんな大人数の場で追及するべきではないだろう。
「今の所姿形から推測するしかなさそうですね。 ありそうなのは“影法師”とか、最近のモノだと“黒いくねくね”とか? でも特徴としてはどちらとも違いますし……まるで“ブギーマン”ですね」
「ブギーマン、ってなんですか?」
環さんが不思議そうに首を傾げながら手を上げた。
他の部員たちも同じような反応だった為、上島君に視線を向ける。
すると彼は無言で頷き、説明を始める。
実に優秀、もとい便利。
「細かい所は省きますが、ブギーマンとは海外で子供だましに使われる“お化け”ですね。 親の言う事を聞かない悪い子はブギーマンが来て攫われるぞ、という様な具合に。 そしてブギーマンにはどんな特徴や外見も存在しません。 ただただ恐怖の対象、その姿は子供の心が思い浮かべる自由な形をしており、場所によって様々な姿で登場する存在ですね」
「つまり、海外勢の“もったいないお化け”、みたいな感じですかね?」
「一花ちゃんは面白い例えをしますね……まぁそんな感じです」
いいのかそれ? という疑問も残るが、まあいいだろう。
それに海外勢って、もう少し言い方どうにかならなかったんだろうか?
とにかく、そっちの方も追々調べてみなければ何とも言えない。
というか渋谷さんの家まで付いてきたとなると、それこそ“憑りついて”いたり、近くに潜んでいる可能性だってある。
その辺りも含め、行動は慎重に行うべきだ。
とはいえ今の所彼女の周りから、コレと言って何も“聞こえては来ない”が……
「とにかく、今の所は他所の事よりも身近な所に目を向けましょう。 一旦降霊術連中は放っておいて、渋谷さん達の前に現れた“怪異”から調べます。 場合によっては私の家なんかに宿泊してもらう可能性がありますが、大丈夫ですか?」
「はい、へーきです……」
なんとも元気のないお返事をもらった所で、今日の話し合いも大体終了した。
ムードメーカーの彼女がこの調子では、部室が暗くなっていけない。
誰しもそんな心配をしながらも、今日の活動はこれにて終わり。
やらなきゃいけない事も、警戒するべき事も数多く残っているが、まずは身内の事から始めよう。
そう思い、何か彼女に声を掛けようとしたその瞬間。
バンッ! という凄い音を立てながら扉が開かれ、“彼”が現れた。
「俺、参上! 見ろお前ら、コレを見ろ! 福引で当たった、というか当たったのを貰った“豪華お寿司10人前券”だ! 今日は暇な奴は寿司食わせてやる、寿司食いたい人―!?」
物凄いテンションの浬先生が登場し、その後ろから椿先生も呆れ顔で部室に入って来た。
空気を読まないのはいつもの事だが、まあこれくらいぶっ飛んでいた方が、皆も気晴らしになるかもしれない。
「いいですね、お寿司。 新入生歓迎会もまだでしたし、皆でご飯にしましょうか」
「話が分かるな鶴弥。 寿司と肉と鍋とピザは大人数で食った方が旨い、これ絶対」
多いな、例えが多いな。
妙にウキウキしていらっしゃるが、この人自分で掲げている券の詳細をちゃんと読んだのだろうか?
「浬先生、そのチケット小さい文字で“割引券”って書いてありますけど、流石に気づいていますよね? まさかここまで盛り上げておいて、無料チケットと勘違いしていたからやっぱ無し、なんて事ありませんよね?」
ニヤリと笑いながら忠告すると、浬先生の顔はどんどんと青ざめていった。
やはりよく見ていなかったらしい。
ドンマイティーチャー、今日はフルメンバー8人。
ご馳走様です。
もしかしたらOBも乱入してくるかもね、頑張れ先生、負けるな先生。
「嘘だ……こんな事って……」
「それが現実というものです。 もしなら他の店にします? 別に構いませんよ?」
「もう、寿司の気分になっちゃったよ……食べたいよ、高級お寿司……」
「では、そうしましょうか。 ホラ皆、移動しますよ。 今日はお寿司です」
パンパンっと手を叩き、全員を誘導する。
皆浬先生にお礼を言いながら、椿先生に誘導されつつ皆部室を出ていく。
「あぁクソ! 知るか! お前ら味わって食えよ!」
そんな叫びを上げながら浬先生も退室する中、未だ席に座ったままの部員が一人。
彼女の元へ歩み寄り、その肩に手を置いた。
「渋谷さん、言いたくない事があるならそのままで構いません。 でも助けを求める時には、遠慮せず言ってください」
「ごめん、なさい……」
俯いたまま小さな声を漏らす彼女の頭に手を置き、言葉をつづけた。
「もしかしたら貴女に危険な存在が近づいているのかもしれません、十分に注意してください。 でも、今夜は安心です。 なんたって皆傍にいますから。 それにあの浬先生も一緒です、あんなのに自分から近づいてくる“怪異”なんて、早々居ませんよ。 ホラ、行きましょう?」
「ありがと、ぶちょー……」
「いえいえ」
短い言葉を交わしながら、私達は皆の後を追った。
渋谷さんの存在に気づいた“怪異”。
そして上島君達が出会ったという男。
色々と不安になる点も多いし、やる事だって多いだろう。
でも、私達は“普通”を手に入れる為に活動しているのだ。
今日みたいに“普通”に皆で食事をするという行事を自ら手放すなんて、この部活の流儀に反するだろう。
こういう時は楽しめばいい、笑えばいい。
そんな割り切りが、きっと大切なんだろう。
楽観的と思われるかもしれないが、普通じゃない私達には掛け替えのない時間なのだ。
今はどこか気を張った後輩達もいつかこんな風に考えられる時が来ればいいと、私は何となく考えていたりするのだ。
かつて追い詰められる様に動いてた私が、あの先輩達によってこんな風に思える様になったみたいに。
誰だって、心の余裕は大事なのだ。
数々の出来事を見て来たからこそ、今の私はそう思っていた。





