夜の活動
夕日が沈み、肌寒いと感じられるこの時間。
街中は会社や学校から帰宅する人々で溢れ、そんな彼らを一人でも多く呼び込もうとする店員達がビラを配ったり、大声を上げながら客引きをしている光景が目に映る。
いつもの光景、とても平和な光景だ。
そんな景色を視界に収めながら、私達はある男性をジッと注目していた。
一見普通のサラリーマン。
駅前の混雑した人込みを、慣れた様子で歩いている。
しかしその顔はどこか生気が失われ、虚ろな目をしながら人込みから抜けていった。
正直、ただそれだけの特徴であれば周りにだっていっぱい居る。
仕事に疲れているのか、生活に疲れたのか、はたまた違う理由か。
悩みやストレスを抱え、生きることに疲れた様な表情を浮かべている人間なら、履いて捨てる程いるだろう。
だが私達は今、先程の彼だけを真っすぐ見ていた。
「行きますよ、見失わないで下さい」
「了解っと」
私の声に答えたその人が、バイクのエンジンを掛けた。
ブォン! と一度大きな音を立ててから、私達の乗ったバイクがゆっくりと走り出す。
人込みを避け、彼の向かった裏路地を抜け、ある程度の距離を保ちながら追いかけていく。
まだだ、まだ人目がある。
そんな事を考えながら、彼に視線を向ければ……一体どこへ向かおうとしているのか、どんどんと明かりの無い方へと進んでいった。
「この先って何がありましたっけ? 高い建物とかはなかった気がしますけど」
「住宅地だね。 あるのは民家と公園くらい? 今日はそのまま帰るのかな……あ、いや。 公園に入ったね」
彼はゆらゆらと歩きながら、住宅地にある公園に入って行ってしまった。
周りには木々が立ち並び、街灯は壊れているのか園内は真っ暗。
さて、どうしようか……なんて事を考えたその時、どこからか声が聞こえた。
――おいで、もういいだろ?
ゾクッと背筋に冷たい何かを感じた。
「どうやら始まったみたいです、近づいてください。 明かりもありませんから、もしならバイクのまま突っ込みますか」
「だね、通報とかされないといいなぁ」
呑気な声を漏らしながらも、私たちはバイクに乗ったまま公園に侵入する。
ヘッドライトに照らされるのは、本当に何もない公園。
遊具もなければ、地面だって大して整備されていない。
ただただ荒れ果てたその先に、ベンチと公衆トイレがある程度のものだった。
他に“ある”と言っていいのか分からないが、不法投棄されたであろう家電やドラム缶、そしてゴミなんかが色んな所に転がっている。
最近はこんな公園も増えていると聞くが……夜に見ると薄気味悪い。
そんな感想を抱きながらも、先程私たちの前に踏み込んだ男性を捜していく。
何もないからすぐ見つかるかと思ったのだが、こうも暗いと中々どうして見つからない。
しかし、状況は私達より先に動いてしまったらしい。
「捕まって!」
事態は把握出来なかったが、とにかく彼の体にしがみついた。
次の瞬間には乗っていたバイクが急発進し、ガクンッと体が持って行かれそうになる。
一体何を見つけたのか、とてもじゃないが公園内で出すスピードとは思えない速度でカッ飛ばす運転手。
普段安全運転な分余計に怖い、物理的に。
「車体横にするよ! 捕まっててね!」
「へ? は? ちょ、きゃぁぁぁ!」
思わず悲鳴が漏れた。
私の下で回っている後輪が、とてもじゃないが地面としっかり接地しているとは思えない速度で回転する。
エンジンもけたたましく鳴り響き、車体が傾いたかと思えばそのまま横を向いた。
いや、おかしいって。
バイクって横向いて走れる乗り物だっけ?
いや本来は車だって横向きに走ったりしないのだが、少なくともバイクよりはそういう走り方をしている所を見たことがある。
だから多分これはまずい状況だ、きっとコケるヤツだ。
車体が倒れた時の想像をしながら、グッと体に力を入れてより一層彼の体に強くしがみついた。
「間に合え!」
いや、もう結構斜めです!
なんて思った瞬間、ガツンッ! と大きな音を立てバイクが停止した。
ついにやってしまわれたか、コケてしまったのか。
ぷるぷるしながら少しずつ瞼を開けると……普通にバイクは立ったままだった。
ではさっきの音は? もしかして何か轢いた?
違う不安を覚えつつ、辺りを見回してみれば。
「え、何、どういう状況ですかこれは」
「いいから、とりあえず音叉鳴らしてもらっていい?」
公園の端に放置されていたであろう洗濯機のゴミ。
派手に凹んだソレが横倒しに倒れ、その上にさっき私達が追いかけていたサラリーマンが膝立ち状態になっていた。
その首に縄を巻き、先端を木の枝に結び付けた状態で。
「あーえっと、鳴らしますね」
「うん、お願い」
未だ振るえる手で音叉を鳴らし、周囲に音を響かせる。
その光景を、目の前のサラリーマンが死んだ魚みたいな目をして見つめてくる訳だが……貴方はさっさと首縄外しなさいよ、ちょっと怖いわ。
そして降りなさい、洗濯機から。
「ではでは、“もうこちら側に関わるな、大人しく眠っていろ”」
彼がそう“声”を上げれば、サラリーマンに巻き付いていた黒い霧は空気に溶けていく。
完全に霧が無くなった数秒後、洗濯機おじさん……ではなかった。
洗濯機の上に乗ったサラリーマンのおじさんが、周りを見回し急に慌て始める。
「あぁちょっと! 落ち着いてください、まずは首の縄を外して。 危ないですって」
そう声を掛けられて初めて気づいたのか、首に掛かった縄を慌てて引っこ抜く。
流石に動揺したのか、彼は足を滑らせ洗濯機から落ちてしまった。
「な、なんだお前ら!? まさかオヤジ狩りか!?」
ひっさびさに聞いたわ、その単語。
でもまぁ気が付いたら首縄してて、目の前にフルフェイス被ったのが二人いたら怖いよね。
うんうんと一人納得していると、私に代わって運転手が声を上げた。
「最近気分がやけに落ち込んだり、死を意識した事がありませんか? もう大丈夫ですよ、悪いモノは祓いましたから。 とはいえ、明日からは前向きに生きてくださいね? あんまり塞ぎ込んでると、また憑かれちゃいますから。 それでは」
そう言ってからバイクの後輪を滑らせて、車体を入り口の方へ向ける。
急にやるから一瞬落ちそうになってしまったが、なんとか踏ん張って耐えた。
後で文句言ってやろう。
「お、おい! アンタら一体何なんだ!?」
こんな“活動”をしていれば、結構耳にするその言葉。
それに対する返答は、いつだって決まっているのだ。
「名乗る程大した者じゃありませんよ。 通りすがりのバイク乗りです」
いつの頃からか、彼の決め台詞はちょっとだけマイルドになったのであった。
――――
「それで、結局アレって何したんですか? かなりビビったんですけど」
今日の活動を一区切りし、私たちは喫茶店にやってきた。
適当に注文し、二人分の飲み物が届いた所で先程の行動を問い詰めはじめた。
「アレっていうと……あぁ、鶴弥ちゃんが珍しく悲鳴を上げた――」
「上げてないです、気のせいです忘れてください」
「はいはい」
困ったように笑いながら、コーヒーを啜る天童先輩。
今更後悔しても遅いが、あんな声を上げるのは私のキャラじゃない。
というか単純に恥ずかしい、何あの声、どっから出たの。
思い出すだけでもモヤモヤするので、とりあえず目の前の人を睨んでおいた。
「そう睨まないでよ。 悪かったとは思うけど、結構緊急事態だったんだよ?」
「ですから、どういう状況だったのかと聞いているんです」
未だ残った羞恥心で多少機嫌の悪い態度を取ってしまっているが、彼は気にした風もなく笑っていた。
何だろう、大学生になってから前にも増して余裕が出て来た雰囲気があり、ちょっと悔しい。
ていっ! とか言って急に脛とか蹴っても、笑って流されそうだ。
いや、それはそれで怖いな。
「そうだなぁ……最初あの人を見つけた時、椅子の上に立ってたんだよ」
「ふむふむ」
どう説明すれば分かりやすいか、そんな事を考えながら話しているのだろう。
やけにゆっくりと、悩みながら話している雰囲気だ。
とはいえこういう会話のテンポも嫌いじゃないが。
こっちも色々と考えながら受け答えできる訳だし。
「もうその時は縄を首に嵌めててね? 気づいたときには、椅子を蹴倒す寸前って雰囲気だったから」
「だったから?」
「近くにあった洗濯機を蹴飛ばして、椅子の代わりにあの人の下に滑り込ませたの。 椅子も倒れた瞬間だったから、結構危なかったんだよ?」
「いやいやいやいや」
確かにね、助かりましたね、ソレで。
一瞬でも首を吊ることなく、平和的に解決できましたね?
でもですよ、普通蹴飛ばす? 洗濯機を。
しかもバイク乗ってる状態で、車体横にして、速度乗せてまで投棄されたゴミ蹴飛ばします?
その結果生まれたのが、世にも珍しい洗濯機おじさんですよ。
「なんというか、天童先輩も脳筋に近づいてきましたね……」
「ぶふっ!」
盛大にむせ返りながら、彼はなんとかコーヒーを机に戻した。
ゲホゲホと苦しそうにしながらも、何とかこちらに視線を向ける天童先輩に、とりあえずおしぼりを差し出しておいた。
「あ、ありがと……ゴホッ。 いや、俺はそういうのじゃないから。 あの人達みたいにとんでもない身体能力してないから」
「流石にあの二人と一緒にはしませんけど……あっ、でも最近また鍛えてます? さっきくっついた時、結構ゴツゴツしていたというか……おぉーってなりました。 半分パニックだったので、ちゃんとは分かりませんでしたけど」
「そ、そうね! 確かに筋トレしてるよ!? でも店内で人の体の感触とか語り始めるのは止めようか!」
何やら不都合があったらしい。
若干赤い顔の天童先輩が、この話題終わり! とばかりに、掌をこちらに向けてくる。
話題的に周りに聞こえたら恥ずかしい、とかなのだろうか。
ふむ……リア充している人たちは、やはり色々と周りに気を使って生活しているらしい。
私なんて、浬先生と平気でゲーム攻略の話しながらご飯食べられるが。
そこはアレか、花も恥じらう大学生か。
「鶴弥ちゃん、何かまた誤解したままで一人納得してる気がする」
「いえ、そんな事はありませんよ? やっぱり男の人ですから、筋トレしているとかの話題はあんまり外で言われたくないって事ですよね。 女性が外でダイエットの話題を振りまいている様なモノですよね。 私は大して気にしませんけど、一般的には恥ずかしいですよね、わかります」
よくある話だ。
本当に体重を気にしている人がダイエットに励んでいる場合、私ダイエット頑張ってます! とは公言したりしない。
そういうのはひっそりとやって、いつの間にか周りから「痩せたね!」とか「綺麗になったね!」とか言われる方がうれしいとネットで読んだ。
つまりソレの男性バージョン。
筋トレして、ふとした瞬間に「凄い体!」とか「かっこいい!」みたいに言われるのがいいのだろう。
やるなら寡黙に、結果だけを求めて。
つまり「俺筋トレしてます!」アピールは恥なのだろう……よくわからないけど。
でもまぁ確かに「筋トレしてるんだ」とか「ダイエットしてるの」とかアピールされても、「ふーん、それで結果は?」とか私だったら聞きたくなってしまう。
そう考えれば、確かに彼の羞恥心は正しいモノなのだろう。
「うん……なんか今の鶴弥ちゃん答えと顔で、本気でそう思ってるんだと理解したよ……」
何かを諦めたようにため息をついた天童先輩が、机に額をくっつけた。
どうしたんだろうか、あまり行儀の良くない行為なので止めていただきたいが。
そんな彼はむくりと頭だけ上げ、こちらを見てニヤリと笑った。
「普段から鈍い鶴弥ちゃんに、さっきの俺の気持ちを分かりやすく伝えて差し上げよう」
「に、鈍っ!? ほ、ほほぉいいでしょう。 私のどこが鈍いか教えてくださいよ?」
まさに売り言葉に買い言葉。
いつもとは違う意地悪な笑みを浮かべる彼の言葉に、思わずカチンッと来た私は大して何も考えずそんな事を言ってしまった。
だが、それが間違いだったようだ……
「バイクに乗ってる時、大体鶴弥ちゃん最初は体の距離を開けて座るんだけど、気が緩んでくるとやっぱり安定する所に座り直すんだよね」
「そ、それくらいは普通なのでは?」
「だけどそれだけじゃ終わらないんだなぁ。 たまに早い車に追い越しされたり、何かしらのアクシデントがあると、結構必死に抱き着いて来るよね。 ジャケットとかを離すまいと掴んできたりとか」
不味い、旗色が悪くなってきた。
バレてないと思っていた訳ではないが、割とビクッとした時しがみつく癖があるのは自覚している。
何も言われなかったから、特に気にしてないと思っていたのだが……
「そ、それはだって! 落っこちたら危ないじゃないですか!」
などと言い訳をする私に、天童先輩はとてもいい笑顔のまま話を続けた。
「うん、そうだね。 ただ眠くなってくると頭グリグリしてきたり、抱き枕に抱き着くかのように密着してくるのは覚えてる? その度に、あぁ鶴弥ちゃん眠いのかぁってなったり、くっ付いて来るとあったかいなぁって思ったり……」
「ちょっとストップ! 感想とかいらないですから! そういうのは思っても口に出さないで下さい!」
彼の言葉を遮って、無理やり会話を止めさせようとしたところで気が付いた。
なるほど、たしかに。
「確かに……口に出されると恥ずかしい事ってありますね……周りに人が居る状況では、特に」
「ご理解いただけた様でなによりです」
はっはっはと、勝ち誇った笑顔の天童先輩に睨みつけ、うぅー……と納得いかない唸り声を上げる。
周りのお客さんに聞えてないかとか、その他諸々含めて非常に恥ずかしい。
いいんだよくっついた時の感想とか言わなくて、馬鹿か。
バイクなんだから仕方ないだろうに。
なんて思いながら、自分も同じことをやらかしているのだからデカい口は叩けない。
くそぅ……立場が逆転してしまった。
などと悔しがっていた私の耳に、また別の声が聞こえて来た。
「なぁにイチャついてるの? 二人とも」
「全く、お互いの体がどうとか……そういうのは自室で語り合ってください。 公共の場で話すことではありませんよ?」
現れた二人、片方はニヤニヤしながら、もう片方は呆れたような表情を浮かべながらため息を吐いていた。
「そういうんじゃないですから!」
思わず叫んでしまって、慌てて周りに周りのお客さんに頭を下げる。
合流する予定だった二人が、とんでもないセリフを吐きながら登場した瞬間であった。
しばらく連投するかもしれません。
ストックの修正が無ければ。





