久川さん 2
踏み込んだ先の廃墟、入ってすぐの所におかしな霧が渦巻いているのが見えた。
そしてその先には、やけにガクガクと震えている女子が二人。
まぁ多分、“そういう事態”なのだろう。
とくにかく音叉を鳴らし、彼女たちにひと声かけた訳だが。
“相手”がどう動くかを見たかったが……何とも反応はいま一つ。
「うーむ、ダメですね。 あまりこちらに意識を向けていない様で、どす黒い霧にしか見えません。 渋谷さん、どうですか?」
耳につけたイヤフォンマイクに問いかけながら、足元の三毛猫に視線を落とす。
私の足にすり寄ってくる可愛らしいソレは、目の前の“黒い霧”を一切目を離す事なく見つめていた。
『こっちからは見えてますよー? ナース服の人がカート押しながら、注射器持ってます。 ぶちょー、これはちょっとやばくないっすか? 今までのよりずっと気味悪いんですけど』
イヤフォンから間延びした声が聞こえてくるが、私は同時に首を傾げてしまう。
目の前にいる“怪異”。
その“黒い霧”の濃さや、周囲にまき散らす雰囲気からして間違いなく“上位種”だとは思うのだが……果たして“結界”を張ってもこちらに見向きもしない上位種などいただろうか?
私には“眼”の異能はない。
だからこそカレらの姿が見えないのは当たり前なのだが、その枠に当てはまらないのがコイツらだったはずだ。
相手もこちらも共に意識を向け、互いに存在を認識知れば見えてくる怪異。
その代表例が“上位種”であり、私たちの活動において最も厄介な相手だったはずだ。
だというのに。
「“なりかけ”って雰囲気でもないんですが……やはり噂通りに事を進めないと、興味さえ持ってもらえないんですかね。 もしかしたら例外というか、また変なの引き当てちゃいましたかね。 上島君、どう“見え”ますか?」
隣にいた眼鏡男子に声を掛けると、彼は目の前の霧を睨みながら、自慢の眼鏡をクイッと持ち上げる。
「部長が普段幽霊の事を『雑魚』って呼ぶ意味がようやくわかりましたよ。 えぇもう普段と比べ者にならないくらいどす黒いです。 なので早く、とにかく早く! なんとかしてください部長!」
あぁもう煩い。
冷静そうな顔しながらパニックに陥らないでほしい。
よく見れば膝がバイブレーションしているが、いちいち表情と言動があってないんだよ君は。
とにかくまぁ、彼にも姿が見えていないという事でよさそうだ。
「あぁうん、はいはい。 ちなみにこの“上位種”、私の音叉だけでは祓えませんから」
「いや、冗談は休み休み言ってくださいよこのロリッ子部長。 貴方が対処出来なかったらどうするんですかコレ。 OB呼びます? 卒業生の皆様に降臨してもらいます? そうでないなら早く草加先生呼びましょうよ。 やばいですって、こんな雰囲気の“怪異”初めてですって!」
君は“上位種”に遭遇したの初めてだもんね、わかるわかる。
こいつらめっちゃ怖いもんね、うんうん。
そしてロリっ子といった事、後で後悔させてやる。
なんて一人頷いていると、私の隣の眼鏡男子が真っ青な顔で叫びだした。
「何一人だけ落ち着いてるんですか! 目の前、ホラ目の前! 女の子襲われますよ! 助けないと! ホラ部長、頑張って!」
それなら自分で助けなさいよと言いたくなるが、こればかりは仕方がない。
彼の“異能”だけでは、とてもじゃないが力不足だろう。
しかも初めての大物だ、立ち向かう勇気なんて奮い立つことはないと思われる。
ガックンガックンと肩を揺さぶられる中、私はため息を一つ溢しながら背後に居たもう一人の少年に声を掛けた。
「俊君、いけますか?」
「問題ありません。 行くぞ、“八咫烏”」
彼の声に反応して、その肩に一羽の烏が舞い降りる。
そのままズルリと体の中に入り込んだかと思えば、彼は爆発的な勢いで走り出し私たちの横を通り過ぎた。
“獣憑き”。
一般的に『神様』と呼ばれる類の存在と関わる彼の様な人たちを、私たちはそう呼んでいた。
その身に神様を卸し、本来ならあり得ない身体能力を発揮する。
“怪異”に対して最大戦力となりえる存在。
そして前部長の弟であり、今日入部したばかりの新入部員でもある。
かつて部員でなかったにも関わらず、共に前線に立った間柄だったりする訳だが。
まぁそんな彼が、目の前のどす黒い霧を真横に殴り飛ばした。
うむ、今日も絶好調の様でなにより。
「何ですか今の掛け声、格好良すぎでしょう。 部長、僕にも何か卸せません? 阿修羅とかスサノオとか」
「馬鹿言ってないで、私達も仕事をしますよ? 私は俊君の援護に入ります、貴方はあの二人の保護を」
「は? 部長が援護? 冗談は可愛い猫耳でも付けながら言ってくださいよ、貴女主戦力でしょうに」
「死ね、一回死ね。 ちなみに言っておきますけど、以前のメンバーだと私は最底辺の戦力でしたよ?」
「え、ソレ本気で言ってます? 確かにOBの人達の全力って見たこと無いですけど」
そんな下らない会話をしながら私は走り出し、俊君の後ろに位置取りしながら音叉を鳴らす。
その音に包まれた“上位種”が僅かに揺れ動くが、どうにもあまり効いている雰囲気がない。
なんだコイツは? 過去最大の敵だった“烏天狗”。
アイツが手駒にしていた“上位種”にだって効いた“私の音”が、こいつには届かないのか?
まさかあれ以上の大物? だとしたら本格的に不味いかもしれないが。
「大丈夫、ちゃんと効いてますよ。 でも少し厄介ですね。 コイツ、ちょっと“硬い”です」
私の不安を解消すると同時に、違う意味で不安要素を肯定してくれた俊君が、正面を強く睨みながら口を開いた。
不味いな、ここ最近……というか先輩たちがまだ居た頃でさえ、しばらく“上位種”に関わって居なかったというのに。
まさかこのタイミングでそんな大当たりを引くとは思ってもみなかった。
指示を出した上島君は、何とか現場に居た二人を連れだしているみたいだが……私達だけで対処できるだろうか?
それこそどうにか理由を考えて、あの『先生』に来てもらうべき事態なのかもしれない。
そんな風に思い始めた頃、目の前に居る俊君がおかしな構えを取り始めた。
左手を前に突き出し、右腕の握りこぶしを後ろに構える。
「任せてください、最近先生に新しい技を教えてもらいました。 悪、即……」
「色んな意味で危険なので、さくっと行きましょうか。 では、どうぞ。 合わせます」
何処かで聞いた事のある技名を叫びながらとんでもない速度で前進し、黒い霧を拳で貫く。
どうやら一撃では足りなかったらしく、彼はラッシュの如く次々と拳を叩き込んでいった。
「硬いですが、“結界”の中なら祓えない事はなさそうですね!」
おかしな構えをしたのは最初の一撃だけで、今はもういつものボクシングスタイルで殴り続ける俊君が叫ぶ。
彼が飛び出したと同時に奏でた音叉も、どうやら一応効果を発揮していたようで何よりだ。
こういう物理特化とタッグを組むと、私いる? 本当に必要? ってな具合になるので、違う意味で不安になってくるから不思議だ。
そんな事を考えている内に黒い霧が徐々に薄れてはじめ、俊君も一旦距離を置いて構え直した。
「最後の一撃は……」
「切なくはないので早く決めてください」
「了解です」
ズドンと大きな音を立てて、黒い霧を貫通した腕が壁に激突する。
視界に映っていた黒い霧は完全に空気に溶け、鉄の防火扉を派手に凹ませている俊君だけが残った。
『うへぇ、“獣憑き”ってヤバイんですねぇー……あ、ちゃんと祓えたみたいですよ。 それじゃウチは眼鏡君が連れてくる人たち迎えにいきますねー』
イヤフォンから声が聞こえたと同時に、足元に居た三毛猫がビクッと震え、鳴き声を上げながらどこかへ走り去っていった。
はい、それでは本日の活動終わり。
今日もまた平和に生きられましたっと、なんて感想を残そうとした瞬間、目の前に黒いセーラー服の女性が現れた。
「残念、まだだよー鶴弥ちゃん。 とりあえずホラ、そこの奥にある『患者リスト』潰しちゃおっか。 それからナースステーションにノートが有るから。 それも燃やしちゃおう、その二つが残ってると後々厄介だよ?」
ニコニコしながら語るその人の笑顔を見ながら、思わずため息を溢す。
怪異と敵対する行動を取りながら、結局私はそういう存在の力を借りている。
悪い事だとは言わないが、なんというか……うん、まぁいいか。
「俊君、今言われた『患者リスト』の処理を。 私はノートを捜しますので」
目の前をウロチョロしている幽霊、鬱陶しい事この上な……いや何でもない。
言葉通り、ウチの幽霊部員である黒家茜さん。
彼女は私たちの言う所の“上位種”であり、さらに俊君に憑いている“八咫烏”と関りがあることから、それ以上の存在だと考えている。
正確な所は未だに不明なのだが、それでも私たちに平気で姿を見せる安全な“怪異”であるといえるだろう。
彼女は今しがた“上位種”を無力化した俊君の姉であり、前部長のお姉さんでもあるのだから。
「どこまで信じていいのか分かりませんけど、とにかくその二つを処分してから帰りましょう。 また同じ怪異に悩まされるのはごめんです」
「酷いなぁ鶴弥ちゃん。 これでもちゃんと調べてるんだよ?」
プリプリと怒った表情を見せているが、一体どうやって調べているのやら。
同じ“怪異”だからこそ分かるのか、それともしっかり歴史的情報を調べているのか……いや、後者はないなウン。
多分何かしら同種として分かるものがあるのだろう。
まぁ本人もいい加減な事は“あまり”言わないので、従っておいて損はないだろうが。
「それじゃ、これ壊しちゃいますね?」
そういいながら、いつの間にか受付の奥に入り込んだ俊君が壁に向かって拳を叩き込んでいた。
ドスンッと大きな音を立てながら、壁に設置されたボードが真っ二つに折れて地面に落ちる。
こうね、もう少し優しくできないものかと。
後ろから部品とか配線とか飛び出て、えらい事になっているじゃないか。
「あぁうん、まぁいいです。 それでノートは……」
「これですかね?」
そういいながら、机の上にあった赤いノートを私に差し出してくる。
もう見つけてしまったらしい。
流石はあの人の弟といった所だろうか、周りをよく見ているもんだ。
ていうか結局私何もしてないし。
「ありがと、俊君。 それじゃ終了ですかね」
やれやれと溜息をつきながら、そのノートを玄関先まで持って行って火をつける。
なんというかね、凄く順調に“活動”が進んでうれしい限りなんですが、こう……慣れって怖いよね。
久々の“上位種”だというのに何事もなく終わって良かった、と言えば聞こえがいいが。
昔は感じていた圧倒的な恐怖心や、危機感が薄れている気がする。
今回なんて、もし昔のメンバーも参加したらどうなっていた事やら。
慣れたことに対して、ソレが良い事なのか悪い事なのか。
今の所答えは出ないでいる。
そんな事を考えながら灰になっていくノートを見つめていると、茜さんが隣に座り込んできた。
こちらも何を考えているのか、ぼーっとした様子で燃えていくノートに視線を送っている。
「どうかしました?」
私の質問に対して、彼女は何も答える事なく首を横に振る。
ノートの隅に書かれている『久川 亮子』という名前を眺めながら、私たちはしばらく無言で炎を見つめていたのであった。
今日は、早めに帰れそうだ。





