謙虚な美徳 9
「お久しぶりです、先生」
他人様のアパートの廊下で一服中、というあまり世間体のよろしくない事をしていると、背後からそんな声が聞えて来た。
ビクッ! と無駄に反応してから距離を取り、慌てて振り返ればそこにはいつもの黒セーラーに身を包んだ忍者先輩が。
びっくりした、近隣住民が注意しに出て来たのかと思ったわ。
「お、おう……久しぶり。 山で会って以来か?」
返事をしながら彼女の方へと歩み寄り、急いで煙草を灰皿に押し込んだ。
「別に気にしなくていいですよ? 一本吸い終わってからでも良かったのに」
「そういう訳にもいかん、ってこんな場所でタバコ吸ってて今更だな。 この時間なら誰も来ないだろうと油断しちまった、まさかお前が来るとはな」
やれやれと首を振りながら灰皿をポケットに戻すと、どこか不機嫌そうに忍者先輩が頬を膨らませている。
何かまずい事をしただろうか? ちょっと未だ独身を貫いているおっさんには理解しがたい感情表現なんですが。
「これでも私、”本来”ならタバコが吸える年齢なんですが。 そうやってあからさまに子ども扱いを受けるのはちょっと心外です」
うん? うーんと?
俺がタバコを急いで消したのが原因である事に間違いはなさそうだが、彼女は何を言っているのだろうか?
タバコが吸える年齢? え、だって思いっきりセーラー服着てますやん。
どういうこと? もしかしてコスプレ……
「先生の表情と視線を見てれば、何を考えているか大体わかりますが、コスプレじゃないですからね? 正装とも言っていい恰好ですからね?」
ますます分からない。
成人していて、正装としてセーラー服を着ている?
海兵? いやまさか。
そもそも今の海兵はセーラー服なんぞ着ていないだろう。
だとすると忍者としての正式衣装?
マジか、そうだとすればトップは偉い変態さんだ。
女性職員の制服に、こんな服をあてがっているのだから。
男性職員の場合はどうなんだろう? ちゃんとした忍者衣装(?)なのだろうか。
それとも女性職員と合わせて、学ランだったりするのだろうか。
そう考えると、ちょっと転職先としては迷ってしまう事態だった。
あ、いや。
彼女から忍者ではないと直接言われたんだったな。
だがそうすると正装としてセーラー服をを着るお店?
考えたくはないが……え、まさか……え?
おじさんたちに笑顔でお酌するような、そんなお店にお勤めだったり……
「いや、うん、もう深く考えないでください……とりあえず、今回も色々とご案内しますから、準備はいいですか?」
何やら色々諦めたらしい彼女は、ため息と共に頭を振って、疲れたような視線をこちらに向けてきた。
そんな彼女に敬礼で返したのだが、とても嫌そうな顔をされてしまった。
何故だ。
「今回お伝えする事はほとんどありません。 貴方なら救える命がある、でもそれは貴方自身にも危険が伴います。 だとしても先生は、誰かの為に体を張りますか?」
随分と物騒な物言いだが、今回はそれほどヤバイって事なのだろうか。
これまでも相当危ない目にはあったが、俺自身の命に関わる事態なんてほとんどなかった。
やれデカいだけの無能な蛇を相手にしたり、夜のテンションで海に入った愚か者を救出したり。
あとは誘拐犯の山暮らしコスプレイヤーを撃退したくらいか。
どれもこれも周りに被害が出たが、俺自身が危険に晒される事はなかった。
たまに崖から落っこちたりしたが、かすり傷で済んだのだ、軽いものだろう。
だがしかし今回ばかりは”危ない”と、ナビゲーターさんが言っている。
これはまた、随分と厄介そうな出来事じゃないか。
「助ける相手による。 誰でも助ける聖人君子ではないからな、俺は。 そりゃ子供とかが危なそうだったら助けるが、成人男性とかなら自分で片付けろって言うだろうし」
なんていう言葉を紡いだと同時に、彼女は笑ってどこかを指さした。
通路の外……だと思う。
思わず身を乗り出して、指をさしたその先を見上げると。
「なら、成人女性ならどうですか? それに、先生のご友人です。 急いでくださいね?」
そう呟く彼女のセリフが終わる前に、おっさんは走り出した。
アパートの共有通路を走り抜け、それらしい所から柵の外へと身を投げた。
「そういう所が、先生らしいですよ」
どこからか聞こえるその声に答える暇はなく、頭上から落ちてくる”そいつ”に、全神経を集中さる。
空中で上体を回転させ、上から落ちてくるソイツを抱きとめる様に腕を広げた。
視線の先にあるのは、彼女が真っすぐこちらに向かって落ちてくる様子。
大丈夫だ、これならいける。
そう思った矢先、胸に人一人分がぶつかる衝撃を受ける。
なんとか間に合った。
そう思うおっさんの瞳にはやけに赤黒い空と、いつの間に降り始めたのか、大粒の雨が降り注いでいる空が見えた。
――――
グシャッ! と大きな金属音を立てて、私は地面に到着した。
もう落下している感覚もなければ、先程まで腕に食いついていた『上位種』の姿もない。
こんな事が考えられている以上、私は助かったのだろう……なんて思うわけだが、未だに納得がいかない。
なんで助かった? 5階建てのアパートの屋上で頭から飛び降りて、何故私は生きている?
などと疑問に思っていると、私の下からうめき声が上がって来た。
う、うぅぅ……なんていかにも苦しそうに、悲しそうに紡ぐその声に思わずビクッと身を起こしてしまった。
だが……
「椿……レッカー車を呼んでくれ……」
私の下には、いつも見慣れている大柄の男性が寝転がっていた。
そして何か言っている。
何故にレッカー車、救急車じゃないのか。
「早く……手遅れになる前に……」
そう呟いているのは、間違いなく草加君だった。
なんで彼がここに、っていうか何故私の下に?
などという疑問はもちろんあるが、今はそれどころではない。
私が無事だったのは、彼のおかげなのだろう。
「草加君大丈夫!? 今すぐに救急車を!」
下敷きになっている彼を見ながら、大慌てで救助を呼ぼうとしたその瞬間。
私の手を、誰かが掴んだ。
まさかまだ『上位種』が……なんて思って背筋が冷えたが、掴んだ腕に視線を送れば、目の前の草加君に繋がっている。
「馬鹿野郎……今の状況がわかんねぇのか?」
悲壮感の漏れる彼の声を聞きながら周りを見渡す。
すると少し離れた位置で、先程まで私に噛みついていた女が蹲っているのが見えた。
ガクガクと四肢を震わせながら、彼女はこちらに顔向けて言い放った。
『貴方ジャ、ナイノ?』
もしもこれが彼女の記憶通りなのだとしたら、彼女は間違った人間を犯人に見立て、殺してしまったのかもしれない。
その後悔の念と、恨む心が交じり合い、この”怪異”が生まれたのだろうか。
許そうとは思わない、ここまでの事をしたのなら同情もしない。
でもあまりにも悲しくて悲惨な出来事だと、そう感じてしまう。
「ごめんね、私じゃない。 でも、恨んでいいよ。 そうする事でしか楽になれないなら、存分に恨みなさい。 だからもう、眠って?」
駐車場に蹲る彼女は、ブルブルと震えながら足元から霧になるように消えていく。
おそらく『巫女の血』とやらの影響のなのだろう。
出血した後、彼女の口に傷口を押しつけていた訳だし。
”毒”と評されたソレが、彼女たちを苦しめるのか、それとも安らかに逝けるのかは分からないが。
それでも彼女は、嘆き苦しむような表情はしていなかった。
『御免ナサイ、御免なさい。 私ハ……』
「いいから、もう休んで。 これ以上は、誰も幸せにならない」
紡いだ言葉を噛みしめる様に、彼女は微かに笑いながら口を開いた。
『ごめんなさい、ありがとう』
そう言って彼女は、地面に打ち付けたであろう体抱きながら、静かに霧になって消えていった。
これが”祓った”のかどうかは、私には分からないが……
「椿、そろそろ電話を……」
やけに苦しそうな声が聞こえ、すぐさま現実に戻される。
そうだった、状況は分からないが、彼は多分私を庇って体を打ち付けられている。
なら早く、救急車を――
「早く、行きつけの店に連絡してくれ。 レッカーして、直らないなんて言われたら
、俺はもう……」
彼はそういって力尽きた。
私たちが落ちて来た事によりグシャグシャになったルーフの上で。
「えっと、救急車……呼ぶよ? いいよね? 車屋さんは、その後でいいよね?」
とにかく意識を失ってしまった彼の方が優先だろう、多分。
本人の意思を無視して、私は救急救命に連絡した。
彼が意識を失うくらいだ、もしかしたら頭とか強く打ってるかもしれないし。
などという事を考えながら119番に電話し、ほどなくして救急車が彼を迎えに来た。
潰れた車の上で意識を失う男性という状態に、些か救急隊員も戸惑っていたが、なんとか搬送され、事なきを終えた。
後で三上さんに説明しないとな、なんて思いながらも、私の長い夜は幕を閉じたのであった。
――――
「直らないって? そう言ったのか?」
「あったりまえでしょ、ルーフがグシャグシャなのよ? フレームだって歪んでるし。 それとも何、ぶった切ってオープンカーにでもする?」
さっきから何度繰り返されただろう、悲しいやり取りが繰り広げられている。
あの日草加君と共に落下した先にあった車、それはもう言わなくてもわかるかもしれないが、彼の愛車の天井だった。
その結果天井は見事に潰れ、とてもじゃないが人が乗れる状況では無くなってしまったのである。
それこそ事の発端から結末まで全て私が関わっている訳だし、むしろ私が全て払うというか、新しい車を用意しなくちゃいけない気がしてきたのだが……なんと説明しよう。
「えっと……オープンカーにした場合、雨とかどうしたらいい?」
「当然元からそういうキットが出てるはずもないから、屋根なんか付かないわよ? 傘でも差したら?」
「うあああぁぁぁぁぁぁ!」
困った、どうしよう。
本格的に泣きそうになっている草加君を前に、どう説明したものかと狼狽する。
ここはもう車の一台くらい購入しちゃって、彼に恩を着せた上、事情説明もうやむやにしてしまうのが最善では!?
なんて事を考えて、元気よく手を上げた。
しかし……
「あ、あの! ――」
「まぁ、そんな事言われてもどうしようもないでしょ? だから、不本意だけど用意しておいてあげたわよ。 ホラ、この中から好きな中古車選びなさい。 整備はウチでやってあげるから」
私より先に、オカマが手を差し伸べた。
それはもう、女神の様な笑みで「仕方ない子ね、フフフ」みたいな顔しながら。
「え、え? マジで? 結構安い車ばっかりだけど、本当にいいの?」
「だって高い車なんて買えないでしょ? 浬ちゃんの懐事情くらい、ちゃんと把握してるわよ」
そう言って、女神の微笑みを溢したオカマが、草加君の肩に優しく手を置いた。
あの、えっと。
もしなら私が払ってもう少し新しい車を……なんて、とてもじゃないが口にできる状態ではなくなってしまった。
「安心なさい、ちゃんと”普通”に乗れるくらいに直してあげるわ。 好きなのを選んでいいのよ」
「神はここにいた!」
なんか、色々ダメな気がする。
車に詳しくない素人考えだからなのかもしれないが、今や草加君がカモられているようにしかみえない。
というか前回の車もこうして購入まで行きついたのではないかと、容易に想像ができてしまうほどだ。
「え、えっと! 頭金は私が払います! っていうか車体代全部払ってもいいって思える金額の車ばっかりですけど……コレ本当に大丈夫ですか?」
会話の途中で無理やり口をはさんだ私を、「何言ってんだコイツ」みたいな眼で両者から見られてしまったが……まぁいいだろう。
もともと弁償するつもりではあったのだから。
「整備に関して言えば、そこまで問題じゃないわよ? 結局車なんてフレームと外枠が生きてれば、中身はいくらでも交換できるんだから。 それこそ売り手に文句を言ってパーツ変えてもらうか、廃車場から生きてるパーツ買ってくることもできるし。 でも本当に貴女が払うの?」
やけに体をくねらせたオネェが、車業界の闇を暴露していく。
やめろ、そういうの聞きたくなかった。
「いや、おい椿。 いくらなんでもお前が払うのは違うだろ、俺の車だし。 どうした急に」
もう一方も否定的な意見を述べながら、どこか期待したような眼でこちらを見てくる。
うっさい、お前はおとなしく買い与えられて喜んでおけばいいんだ。
「それじゃきっちりと、”ちゃんとした車”に仕上げてくれれば、私が全てお支払いしますので。 よろしくお願いします」
「つまりは、いい加減な仕事をしたらお金は払わないって事ね? いいわよ、そういうの嫌いじゃない」
身を乗り出して強気な姿勢を示した私に対して、オネェもまた余裕の笑みを返してきた。
未だに困惑気味の草加君は私たちを交互に見て首を傾げていたが、まぁ今は放っておいていいだろう。
納車されたその日、私に感謝するがいいさ。
まぁ潰す原因を作ったのも私だけど。
なんて事を考えながら、私はオネェと一緒に不敵な笑みを浮かべた。
はてさて、どうなることやら。
とはいえ、新しい車が手に入ったその時、彼が子供の様に喜んでくれる様を思い浮かべると悪い気はしない。
弁償しただけなので、余り大きな口は叩けないがそれでもいいさ。
これからも彼の隣に居られるのなら、これくらいの出費はどうという事はない。
むしろ恰好良い車を買って、ドライブにでも連れて行ってくれればお釣りが来るというものだ。
「では、そういうことで。 オンボロなんて持ってきたら許しませんから」
「貴女、いいわね。 すごくいい。 任せなさい、助手席に座っても満足いく良い車を仕入れてきてあげるから」
運転手当人を置いてきぼりにした私たちは、無駄に盛り上がりながらいつまでも笑いあっていたのだった……
――――
「まぁ色々あったけど、皆無事だし、その後ウチのアパートも平和になったし。 満足満足」
先生たちとオカマ店長さんが事務所で話し合っている間、一緒についてきた私は三上さんを呼び出し、ピットの片隅で話し込んでいた。
「とはいえ、まさか巡ちゃんも”ああいうの”に関わってるとはね。 茜が知ったら驚くだろうよ」
そう言って彼女は私から視線を外し、どこか遠くを見つめていた。
当時姉からその手の話を聞いたことは無かった気がしたのだが……私の知らないうちに『怪異』と関わる出来事があったのだろうか?
「それこそ私だって同じ気持ちですよ。 姉はともかく、三上さんが”怪異”に出会ったことがあったなんて。 ”向こう側”に行った時、随分落ち着いてるのが不思議でしたが、納得しました。 とはいえ、普段から見えていたりとかはしないですよね?」
「ないない、皆と違って私は非力な一般ピーポーですから」
わははっと大げさに体を動かしながら、いつもの表情で彼女は笑う。
あんなものを見た後なのだ、トラウマにでもなっていなければ良いが……なんて思って来てみたのだが、どうやら無用な心配だったらしい。
などとしばらく雑談をしていると、事務所から先生たちが出てくるのが見えた。
ではそろそろお暇しようか、なんて腰を上げた時だった。
「ねぇ巡ちゃん、一つ聞いてもいい?」
「なんでしょうか?」
いつも通りの顔、普段通りの声。
でもその目は真剣で、真面目な話なのだと予想させた。
「茜はさ、もしかして最後まで”ああいうモノ”と関わってたの? 事故だって聞かされてたけど、昨日の光景を見てたらさ、もしかしたらって――」
「三上さん」
彼女の言葉を遮って、黙ったまま首を振る。
もしも本当の事を話せば、きっと彼女は”怪異”を恨むだろう。
そしてまたヤツらに関わろうとするかもしれない。
それだけはさせちゃいけない。
彼女は姉の親友、だからこそ昨日姉もずっと姿を隠していたんだろう。
もしももう一度姉と話せるかもしれないと分かったら?
親友を殺した”怪異”という存在が、そこら中にのさばっていると知ったら?
きっと彼女の生活は大きく変わるだろう。
しかも”悪い方向へ”と変わり、『普通』というものからかけ離れてしまうのだろう。
だからこそ。
「もう過去の事です。 今更どうしたって、姉は帰ってきません。 過去を掘り下げるのではなく、お互い目の前の事に集中しましょう? あの人の事を深く思い出すのは、命日だけで充分ですから」
”怪異”なんてものに、本来は関わるべきではない。
アレに関わって幸せになった人など、多分居ないのだから。
死してなおこの世に囚われてしまう程の、強烈な想い。
そのほとんどが憎悪であるカレらの存在は、生きている私たちにとって毒でしかないのだ。
姉をここまで思ってくれる彼女の事だ。
真実を知れば、深い後悔や憎しみだって生まれるだろう。
そういった心の隙間に、アイツらは滲み寄ってくるのだから。
負の連鎖など私たちにとっても厄介だし、姉だってそんな事は望んでいないだろう。
それに……彼女にはこんな世界に関わってほしくない。
だからこそ、私は何も言わないと決めた。
「そっか……そうだね。 ごめん、変なこと言って。 それじゃ、またいつでも遊びに来てよ、今の所転職するつもりはないからさ。 高校卒業して、もし車買うときには声掛けなよ? 店長に交渉して、安くしてあげるから!」
「えぇ、その時はお願いします」
そう言ってから、笑顔で手を振る彼女に別れを告げた。
これで良かったんだよね? 姉さん。
そんな事を思いながら、私は歩き始める。
これからもこういった出来事は起こるのだろう。
”怪異”というはた迷惑な連中が存在する限り、悲しみの連鎖は続いていく。
だからこそ私達の様な者たちが、可能な限り”祓う”のだ。
全ての人は救えない。
でも、せめてこの手が届く範囲くらいなら……手を差し伸べてあげたい。
「これからも、気合を入れて活動しないといけませんね……」
やれやれと一人ため息を溢しながら、私は先生たちの元へと駆け足で戻ったのであった……
――――
「聞いてくれよ黒家! 椿が車買ってくれるって! おっしゃぁぁ!」
「……馬鹿なんですか? 甲斐性なしなんですか? 子供みたいに喜ばないで下さい情けない。 ちなみにいくらですか、値段によっては私が――」
もう、色々と台無しである。
謙虚な美徳 完
これにて番外編、後日談はひとまず終了となります。
今後は第二部として、2年生面子が卒業した後のお話を書こうかと思っています。
投稿は来年以降、時間が出来次第少しずつ更新しようかと思っておりますので、今後ともよろしくお願い致します。
ちょっと早いですが、皆様よいお年を。





