謙虚な美徳 8
「なんで三上さんまで付いて来てるんですか」
「え、だって私の部屋だし。 変な物が住み着いてるって思うと、気味悪いじゃん?」
”迷界”に入った私達に続いて、予想外の人物まで”こちら側”に来てしまった事に唖然としてしまった。
いや、普通入らないでしょう。
確かに気になるのは分かる、分かるけどさ。
だからと言って、人が次々消える押入れに自ら踏み込みますかね?
というか出来れば”向こう側”に残って、先生を起す努力をしてほしかった。
なんていった所で、”異能”も”怪異”も知らない一般人なら仕方ないか。
一見冴えない中年でしかないもんね。
あの人が私達の中で一番強い”異能”の持ち主だなんて、普通は考えないよね。
「ま、まぁ来てしまったものは仕方ないですね……決して私達から離れないように——」
「——黒家先輩! 一体来ます!」
急に声を上げた鶴弥さんが玄関を睨む。
まるでタイミングを合わせたかのように、ピンポーンと古めかしいチャイムが室内に響きわたった。
「巡、行っていい? 多分玄関の向こうに居るよね?」
毛を逆立てた九本の尻尾をピンと伸ばし、夏美も野生動物みたいに牙を向きながら玄関を睨んでいる。
確かに彼女を向かわせれば”上位種”であっても対処できるかもしれない。
でも、何かおかしい。
そもそもこの”迷界”には二体居ると、鶴弥さんが言っていなかったか?
しかし目の前に居るのは片割れのみ。
もう一体は? そして他の”雑魚”達だって未だに姿を見せて居ない。
今この場で、主戦力である”九尾の狐”を向かわせてしまっていいのか?
そして相手は扉の向こう、その姿形さえ私達は掴めていないのだ。
どう考えたって、不安要素が多すぎる。
「待ちなさい夏美、まだ早いです」
「でも早くしないと椿先生が!」
「分かってます! しかし全員の命が掛かっている以上、軽率な判断は出来ないんですよ!」
思わず叫んでしまった自分自身に、少しだけ自己嫌悪を覚えてため息を漏らす。
いけない……私が司令塔である以上、冷静さを欠くことは被害を増やす事になる。
今日は先生が居ないんだ、高レベル物理でごり押し戦法は使えない。
冷静になれ、ここには巻き込んでしまった”一般人”だっているのだから。
「鶴弥さん、玄関先に居る”上位種”に対して音叉を調整しておいて下さい。 天童さんは扉を開けないまま応答を、もしかしたら目的が聞き出せるかもしれません。 俊、天童さんの後ろについて構えなさい。 何かあった時、彼を守るのは貴方ですよ。 そして夏美、私達の近くで全体警戒。 ここには”異能持ち”以外もいる事を忘れないで下さい」
自分で言っておいてなんだが、ある意味”一般人”に私も含まれて居そうに思えて、ちょっと癪に障る。
これでは私を守る為に最大戦力は近くに居ろと言っているみたいだ。
それが余りにも格好悪く思えて、夏美の指示だけでも訂正しようかと思ったが遅かった。
皆は動き始めているし、この場に居る三上さんを護衛対象から外すことは出来ない。
なら可能な限り私の近くに居て貰って、皆のリスクを減らさなければ……とは思うが、やっぱり私もお荷物っぽく感じるのは気のせいだろうか。
「どちら様でしょうか?」
そんな自問自答を繰り返している内に、天童さんのネゴシエーションが始まった。
壁に沿う様に身を預け、俊の射線を開けている姿はどう見ても一般的な高校生には見えない。
これで弟が拳銃の一つでも持っていれば、完全に特殊部隊か何かだ。
『コチラニ、——ハ、イラッシャマセンカ?』
その声が響いた瞬間、室内の温度が一気に下がったのではないか思う程の寒気が襲う。
この感じ、今までに何度も経験した。
”ヤツら”の声を聞くだけで、”カレら”の姿を見るだけで、全身が凍り付くような恐怖を覚えるのだ。
間違いない、”上位種”がそこにいる。
「申し訳ないですが、よく聞き取れませんでした。 誰を捜していると仰いましたか? それにお探しの方は、この部屋には居ないと思いますよ?」
天童さんは相手に対応しながら、こちらに視線を向けて来た。
”やっていいのか?”と言わんばかりに。
当然このままじゃ埒が明かない。
変化を起す為にも、私は無言で頷いて見せた。
『コチラニ、——ハ』
「”居ないと言っている、少しその場で静かにしていろ”」
次の瞬間彼は扉を開き、後方に構えていた俊が阿吽の呼吸で殴りかかった。
しかし……
『子供ガ、大勢居ル様デスネ……』
彼女がそう呟くと同時に、部屋中から”黒い霧”が吹き荒れた。
まるで煙幕でも使ったのではないかと思う程、部屋中が黒く染まり視界が遮られる。
これは、ちょっと不味いかもしれない。
「夏美! 状況を! 何が見えますか!?」
叫んだのはいいが、体が後方に引っ張られていく。
いくつもの小さい物に捕まれ、廊下の先へと引き摺られているようだ。
彼女の取り巻きにいい様にされているのは分かるが、”感覚”が無い以上状況がつかめない。
私には”黒い霧”が体に巻き付いている様にしか見えないのだ。
「子供! いっぱい子供が出て来た! えっと、コレ蹴っていいの!?」
知るか、私にはその子供の姿すら見えないんじゃ。
しかし夏美の”眼”にはしっかりと子供が見えている様で、攻撃を戸惑っているのが手に取る様にわかる。
配置をミスった、それだけは確かだ。
もしも天童さんの後ろに夏美を付けて居れば、こんな事にはならなかっただろう。
相手が怪異なら、子供だろうと何だろうと俊ならぶっ飛ばした筈だ。
とはいえ、今更だ。
だからこそ、私は大声で叫んだ。
「夏美は”上位種”の殲滅! 鶴弥さん天童さんは子供達の処理! 俊は今すぐこっちへ! 三上さんの安全を最優先に動きなさい! 子供だろうと”怪異”です、容赦なく殴りなさい! それでこの子達も救われます!」
ずるずると引き摺られる中、私の声が届いたようで各々が動き始める気配を感じる。
多分この場はコレでどうにかなる。
だが、問題はその後だ。
”もう一体の上位種”に対して、私達がどう動くか。
そして椿先生がどこに居るのか。
それが鍵となるだろう。
なんて事を考えて居る内に鶴弥さんの音叉が響き、薄れた霧の中から弟の拳が顔の横を通り過ぎる。
「ちょっとギリギリ過ぎない? 距離的に」
「時間的に余裕がなかったからね。 三上さんはちゃんと回収したから安心して」
「なら良し」
そんな会話しながら、私は浴室の一歩手前で弟の腕に抱かれる事になったのであった。
鶴弥さんの”音叉”と、天童君の”声”によって徐々に晴れていく”黒い霧”を見ながら、ひとまず安堵のため息を漏らした。
————
巡からの指示を受けて、私は一直線に玄関へと向かった。
そこら中から湧き上がる”子供達の怪異”を無視して、玄関先の”黒い服の女”に飛び掛かった。
不安要素を上げればきりが無い、しかし”巡”が指示を出したのだ。
なら、その判断を信じよう。
『オ前ガ、奪ッタノカ——』
「うるさいよ」
相手の顔面に膝を叩き込みながら答えた。
彼女は玄関からマンションの通路まで吹っ飛び、手すりの付いた壁に激突する。
後ろから天童君の”声”が聞えてくる。
なら、あっちは皆に任せてしまって問題ないだろう。
『私ノ子供、アノ子ヲ奪ッタ。 オ前ニハ同ジ運命ヲ——』
「奪おうとしてるのは、アンタの方でしょうが」
立ち上がろうとした”彼女”に向かって右足が動き、そして体を回転させながら左足が勝手に動いた。
その結果”上位種”はアパートの廊下をゴロゴロと転がっていく。
『全く、お前はこの手の”怪異”に容赦がないのぉ』
呆れた様なコンちゃんの声が響くが、聞えない振りをして彼女にもう一度回し蹴りを叩き込んだ。
地面に蹲る相手に冷たい視線を向けて、気持ちをどうにか落ち着かせながら口を開く。
「だって、私達には関係なくない? この人が恨むべきは”その相手”であって、見ず知らずの私たちじゃない。 だっていうのに、コイツらは……やたらと周りに不幸を振り撒くんだよ?」
こいつ等は悪だ。
今までだって、これからだってそうだ。
もしもこの状況で、椿先生が帰って来なかったら?
私はコイツらを許す事なんて出来ないだろう。
久しぶりに”身近な人の危機”が迫ったせいか、妙にイライラしているのを感じる。
早くしなければと、焦燥感ばかりが募っていく。
『そういう存在だから、と言っても納得するまい。 お前は”こういうモノ”のせいで、ずっと苦しんでおったのじゃからな』
コンちゃんの声と同時に、私は踵を振り上げた。
さっさと”コイツ”を消して、椿先生を捜さなければ。
この”迷界”には、もう一体”上位種”がいるのだから。
『だが、少し落ち着け。 お前は今”皆”を救うために力を振るっておるのじゃ。 今まで苦しめられた”怨霊”を虱潰しにする為ではない。 ”殲滅者”にはなってはならん、お前が憧れたあやつは、何を求めて拳を振った? 貴様の目に、あやつはどう映った? それを考えてから、その足を振り下ろしても遅くはあるまい』
何を言っているんだろう。
自身の中から聞える声に疑問を覚え、目の前の”怪異”と目を合わせた。
目の前に倒れ込んだ”怪異”は、明らかに怯えている。
”私”という存在に対して、たかが”生きた人間”に対して恐怖を覚えている様に、肩を震わせていた。
何でだ? 何を怯える必要がある?
お前たちは私から”普通”を奪った。
ただただ生きる事すら許してくれず、関われば命を蝕むような最悪を起す元凶。
だというのに、何故そんな”眼”で私を見ている?
『お前と同じなのだ。 嘆き、悲しみ、そして牙を向く。 それがコヤツら、”怪異”なのじゃ。 同情しろとは言わん、自らを貶める行為を繰り返す愚か者たちじゃ。 だがせめて、”祓ってやれ”。 もう一度”殺してやる”必要はあるまい。 仲間の危機を感じたお前は、普段より少々荒っぽいぞ?』
偽善だと笑ってくれて構わんがの、なんて小声を残し、コンちゃんはその後黙ってしまった。
私達”生きている人間”からすれば、相手……つまり”怪異”の事なんて気にするのは馬鹿馬鹿しいのかもしれない。
相手が私の友人を、仲間を傷つけようとするなら全力で阻止するだろう。
それはこれからも変わりない、私の本心だ。
だが、全ての”怪異”を消してしまいたいと感じているかと聞かれれば……ちょっと首を傾げてしまう。
茜さんの様に、誰かを救う為に”上位種”になった存在だって居るのだ。
私は目の前の”怪異”の事情なんてまるで知らない。
ただ椿先生を危険に晒した相手だと思ったから、牙を向いた。
だからこそ敵だ。
それだけでも”殺す”理由になる……なんて、考えている自分に気付いた。
「そうだよね、貴女も理由があってこんな事になってるんだもんね」
呟いてから、振り上げた足を下ろした。
許した訳ではない、彼女は私にとって”実害”をもたらす”怪異”なのだから。
「多分、気持ちの問題なんだろうね。 ”祓う”か、”殺す”かって言うのは。 気に入らないから消してやろうなんて、いつかの”烏天狗”と同じになっちゃうのかもね」
そう言ってから、私は彼女に向かって掌を向けた。
さっきまで突き動かされていた衝動はもうない、静かな気持ちで”黒い女”を見つめる。
そうだ、私達の目的は”抗う”事であって、今ある力を振りかざす事じゃない。
「貴女を許してあげるとは言わない。 でも、ちゃんと”祓って”あげる。 その行いも気持ちも、全て抱いたまま……”逝く”といいよ。 後悔するもしないも、貴女次第。 私が一方的に踏みにじるのは、確かに違うのかもね。 だから、”殺し”はしないよ」
椿先生を巻き込んだこと、危険に晒している事。
色々と思う所はある。
コイツを倒せば、この”迷界”がすぐさま終るなら、一応の解決には繋がるかもしれない。
でも今回の”迷界”は異常であり、今後も”上位種”を倒せば終わりとは限らない。
今みたいに”狐憑き”の力を振りかざすだけじゃ、解決出来ない場面だって出てくるかもしれない。
そして何より、”力”に溺れようとしている私が居た事は確かだ。
その心に気づき、コンちゃんはあえて釘を刺してきた。
以前の出来事で、俊君も同じ様に悩んだと聞いた。
多分私も、同じ様な問題に直面しているのだろう。
全く、年齢的にも”獣憑き”としても先輩なのに、情けない限りだ。
思い出せ、あの人ならこんな時なんて言う?
あの人は強い、私たちよりずっと強い。
でも、それでも。
あの人は一人で抱え込んだりしなかった。
皆の手を借りて、一緒になって戦ってきたのだ。
一緒にゲームした時だって「おいちょっと手伝ってくれ」って言って、いつも隣に座らせてくれたじゃないか。
自分一人で、何でも出来る必要はない。
”私が皆を守らなくちゃ”なんて、思い上がりもいい所だろう。
今更過ぎる感想に、思わず鼻で笑ってしまった。
「コンちゃん、ちょっと手伝って」
『あい分かった』
私は”黒い女”の頭に掌を押し付け、目を閉じた。
今まで考えた事が無かったが、多分これが”祓う”というモノなのだろう。
誰かを守りたい、誰かを救いたい。
そんな気持ちの元、”怪異”に抗う。
たまには邪な気持ちとか、勢いで”獣憑き”を使っていた事があったかもしれない。
でもその根源は常に、誰かを守る為に”力”を求めていた気がする。
きっと先生に会わずに”狐憑き”になっていたら、コンちゃんの言う”殲滅者”になっていただろう。
だからこそ分かる。
今私は”私”を救う為ではなく、”皆”を救う為にこの力を求めたのだと。
『「 狐火 」』
呟いた瞬間、彼女は燃え上った。
触れていると言うのに、不思議と熱さを感じない紫色の炎で。
「今貴女を”祓って”あげられるのは、これかなって思って。 蹴りとかだと……ちょっと私情を挟んじゃいそうだし」
そんないい訳をする私に、炎に包まれた彼女が少しだけ笑った気がした。
彼女は私の手に、燃えるその手を重ねながら言葉を紡ぐ。
『屋上に、”私”が居るわ。 貴女が救おうとしている人も、きっとそこに。 急いで、もう時間が無い……”私”を止めて?』
そう呟いてから、彼女は灰となり風に流され消えていった。
まるで彼女が流す涙の様に、周囲には急に大粒の雨が降り始める。
”迷界”に変化が訪れた。
急げ、何かが起きる。
そう心が叫び始める。
「どうか、安らかに」
いつか天童君がやっていたお祈りを真似して眼を閉じて、私は立ち上がった。
さぁ次は椿先生だ。
確かさっきの”彼女”が屋上って……
なんて事を思い出しながら、通路から身を乗り出して見上げてみれば。
「は?」
捜していたその人が、誰かと縺れ合いながら今まさに降ってきた。
「え、いや。 ちょっと!?」
慌てて身を乗り出そうと体勢を立て直した瞬間、私の隣を誰かが通り過ぎた。
その人は躊躇なく空中に飛び出し、落下する椿先生に向かって一直線に飛びこんでいった。
『あれが”鬼の所業”ってやつかのぉ?』
「いや、アレはヒーローでしょ。 どう見たって」
そんな会話をしながら茫然と、彼の壁走りする姿に視線を奪われ、呆けた顔を晒しながら私のヒーローを見上げていた。
お久しぶりです。
番外編に関しては、次のお話で終了するかもしれません。
リクエストにあったお買い物編とかね、時期的にクリスマス編とか書きたかったんですが、ちょっと時間がないのでムーリー!ってなりました。
申し訳ない。
その後の予定ですが、いろいろあって2部やることが決定しました。
黒家、早瀬、天童が卒業した後の話になります。
今後とも、どうぞよろしくお願い致します。





