謙虚な美徳 3
「えぇっと……どうしよう。 皆に連絡するべきかな? でももう夜遅いし……」
などとやっている間にも、周りではガチャガチャと色んな所で音がする。
音がするたびにビクッ! と反応してしまうのは、ちょっと我ながら情けないと思うが。
とはいえ怖いものは怖い、しかもさっき変な声聞こえたし。
「ちょっと草加君! 起きてったら!」
ベシベシと音が鳴るくらいに、割と容赦なく引っ叩いているのだが……一向に彼が起きる気配が無い。
私の”巫女の血”もそうだが、彼の”腕”の異能も自然と怪異を遠ざける力があった筈なのだが……もしかして、本人が起きてないと効果なかったりする?
まさかとは思うが、怪異の方も”鬼の居ぬ間に洗濯”みたいな感覚になってるんじゃないだろうな。
止めろよ? 寝てるだけでちゃんとここに居るからな? 鬼じゃないけど、草加君だけど。
なんて事を考えながら彼に馬乗りになってボコスカ殴っていると、再び例の声が聞える。
——ネェ、ミエテルノ?
すみません、本当に見えてません。
正直素直に答えてあげたい所だが、黒家さんから随分と釘を刺されているので行動に移す訳にはいかない。
カレらが見えたとしても、”見えている”と相手に分からせない様に知らんぷりする事。
もしもカレらから『見えてる?』と聞かれても、絶対に答えない事。
その二つさえ守れれば、結構誤魔化しが効くと言っていた。
鶴弥さんのような”耳”には違う言葉に聞えたりするらしいが……正確な所はよく分からないらしい。
要はカレらの言葉や姿に、不用意に反応するなって事なのだろう。
でも今の状況みたいなポルターガイストには、どうやって対処すればいいんだろうか?
この状況でも気にせず寝ろとか言われたら、ちょっと困ってしまうんだが。
やはりここは、もう一度黒家さんに相談を——
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
今までの怪奇現象とは違う、明らかに来客を告げる”正しい音”が鳴ったのだ。
だがしかし、この時間に?
もう0時を回っている。
三上さんの家に、深夜でも遊びに来る友達でも居るなら話は別なのだが……
「オカ研の皆が来てくれた……なんて事は無いよね。 住所送ってないし」
もし彼女達が来てくれたならどれ程心強かったか。
でもそれは在り得ない、彼女達を巻き込まない為にあえてそうしたのだから。
「モニター付きの奴でまだ良かった……玄関まで行って覗き込めとか言われたら死ねる」
とはいえこのアパートに設置されたモニターはキッチンの近くにある様で、ここからではとてもじゃないが見えたもんじゃない。
とりあえず馬乗り状態になっていた草加君から降りて、キッチンへと足を伸ばした。
リビングのすぐ隣にキッチンが設置されているタイプ、この場合ここもキッチンに含まれるのだろうか?
よく分からないが、とりあえず流し台の所まで足を運びモニターを覗き込んだ。
すると——
『コチラニ——イラッシャイマセンカ? ……コチラニ、ウチノ——』
見た瞬間、足から力が抜けて座り込んでしまった。
そこに映っていたのは黒ずくめの女。
黒いドレス、黒い帽子、そして黒い靴。
だが青白いとも感じる白い肌が服の隙間から見え隠れし、口元は大きく歪んでいる。
目元は帽子に隠れて見る事が出来ないが、ただただ薄気味悪いソレが玄関の前に立ち尽くしていた。
それだけなら”まだ”有り得たかもしれない。
こんな時間に、こんな格好の人間が擦れ声を上げながら訪問するという事態は、とてつもなく不気味だが、可能性として0ではない。
だとしても、だ。
彼女の周りに群がる、小さな影が蠢いているのはなんだ?
その内”二人”は彼女と手を繋いでいるのが分かる。
それ以外は玄関先で子供達が遊びまわっているかのように、右往左往と動き回っていた。
しかもインターフォンからは、子供達の笑い声も聞こえるのだ。
まるで子供達に囲まれた保育士の様に、彼女はこの部屋の玄関先に立っていた。
その姿も異様だが、更におかしいのはこの声。
あれだけ子供達がいて、インターフォンからは煩いくらいに笑い声も聞こえてくる。
だというのにこの部屋の玄関からは、”何も”聞こえてこないのだ。
背筋が凍り付いた。
”コレ”は一体なんだ?
分かり切っている、今まで私はこういう存在に出会った事があるのだから。
間違う筈もない、モニターに映るソレは”怪異”。
本来私一人が対応する事など出来ない存在だった。
だがそれが、今目の前に居る。
『開ケテ、頂ケマセンカ? コチラニ——ガ居ルカモシレマセンノデ』
女は身動き一つせず、言葉を続ける。
歪んだ口元を動かしながら、彼女はもう一度インターフォンを押した。
ピンポーン。
静かな室内に、無機質な音が鳴り響く。
怖い、ただただ怖い。
そんな心境からなのか、無意味に室内を見回してしまう。
視界に移るのは草加君と三上さんが眠っている姿。
大丈夫、ここには草加君が居る。
”腕”の異能を持つ彼が近くに居るんだから、アイツラだって容易には近づいて来れない。
改めて自分に言い聞かせ、再びモニターを覗き込むと。
『見テルンダロ?』
インターフォンのモニターには、彼女の顔だけが映っていた。
青白いとかのレベルじゃない、青い血管が顔の至る所から透けて見えている。
そして真っ赤に充血した眼球に、黒い瞳が室内を覗き込むように左右に忙しく動いていた。
「っ!」
思わず悲鳴を上げそうになって、口元を抑えながら後ろにのけぞった。
だが結果として、その行為が仇となったようだ。
カツンッ! と私の後ろで、何かが落ちる音がする。
後ろに下がった時キッチンに体をぶつけてしまい、シンクに置いてあった食器か何かを落としてしまったらしい。
その音は、静かな室内に響き渡った。
『見エテル、見エテルヨネ?』
そんな声を上げると同時に、モニターに映ったカノジョはニィッと口元を大きく歪ませた。
不味い、これは不味い。
本当にコレが”なりかけ”?
正確な区分というか、明確に種別がされている訳ではないと聞いていたが、どう見たって目の前に映る彼女は、以前会った”上位種”に匹敵している様に思えてしまう。
私には詳しく分からないが、それくらいの恐怖を感じている。
せめて早く部員の皆に連絡を、なんて思いながらスマホを取り出した私の腕に、何かが触れているのに気づいた。
ゆっくりと視線を向ければ、そこには小さな男の子が、満面の笑みを浮かべながら私を見上げていた。
——ネェ、ミエテル? モウスグ一緒ニナレルヨ?
状況は、最悪どころではなかったようだ。
————
「とまぁ状況はこんな感じです。 恐らくは地縛霊と見て間違いないみたいですが……如何せん情報が少なすぎます。 住所もわかりませんしね」
あらかた説明が終わり、パソコンのモニターを前に腕を組んで考え込む。
はてさて、どうしたものか。
『ですが場所が分からないとなれば私達にはどうする事も……椿先生とは連絡つかないんですか? いくらなんでも”耳”だけで探すには範囲が広すぎます』
もっともな意見に、思わず眉を顰める。
本当にどうしたものか。
「生憎と、それ以降椿先生とは連絡が取れません。 通話してみても繋がらなくて……っていう事は、まず間違いなく”そういう事”何でしょうけど」
うーむ、と思わず首を傾げてしまう。
どうしよう、場所さえ教えてくれれば手の打ちようはあるが。
この街全てを調査するか? もしも先生が行きつけの車屋が隣町にあったりしたら、目も当てられない。
こんな事なら、一度でもいいからソレっぽい事言っていた時に付いていくべきだったか。
『でも心配ですね……とりあえず僕と夏美さんで、虱潰しに探ってみますか?』
『正直それしかない気がするよねぇ、私はいつでもいけるよぉ』
二人がそんな声を上げる。
片方はすぐ隣の部屋に居るのだから、こちらにくればいいのに。
なんて思ったりもするが、こういう会議っぽい雰囲気が好きらしく、本人は絶対に自分のパソコンを使うと断言している。
まったく、まだまだ子供なんだから……
なんて思っていた時、ふともう一人が声を上げた。
『前に草加ッちに聞いたカーショップ、記憶違いで無ければここだと思う。 そこから近いアパート、マンションなんかで曰くつきの所を捜してみたんだけど……わりと多いね。 とは言えネットで出てくる範囲だから、眉唾も多いと思うけど。 とにかくこの辺りから回ってみない? 今住所貼るね』
そう言ってから、数件のURLが送られてきた。
え、マジか。
いつから君はそんなに先生と仲良くなってたの?
私達ですら知らない情報、何で君が知ってたりするのかな?
是非その辺詳しく……
『え、何? 天童君もライバルだったの? マジで?』
『馬鹿言わないの。 俺はバイクの修理で草加ッちに相談した時、ココを紹介されただけだよ』
あぁなるほど、それならまぁ確かに彼だけが知っていてもおかしくないか。
そうだよね、彼以外車だのバイクだのって関係ないもんね、うん。
『やけに安心してる所申し訳ないですけど、どうします? 天童先輩が送ってきた箇所だけでも、結構ありますよ。 ”耳”で一か所ずつ確認するなら、早い方がいいかと』
呆れた様子の鶴弥さんが、これでもかとばかりに話を進めてくる。
まぁ確かに、今はそんな事を考えている場合でもないか。
慌てて頭を切り替えながら、天童君が送ってくれた住所をリストアップしていく。
「現地には先生がいるみたいなので、正直無駄に終わるかもしれませんが……万が一という事もあります。 なので全員で手分けして動きましょう」
『組み別けと連絡は?』
居てもたってもいられなそうな奴が、早くしろとばかりに声を上げた。
わかってるから、すぐ指示出すからもう少し待ちなさいよケモミミ娘。
「今全体マップを送りました。 まず鶴弥さんと天童さん、二人はA地点から近い順に時計回りに。 夏美、貴女はJ地点から反時計回りに確認してください。 俊は私と一緒に真ん中から鶴弥天童コンビの方へ。 中心近くの建物は後回しですが、異変を感じたらすぐに報告を、通話は繋いだままでお願いします」
『『『『 了解 』』』』
いくつもの声が重なる中、すぐさまスマホで会議通話を送信しながら着替え始める。
誰もが準備に取り掛かっている様で、声を上げる者は居ない。
さぁ、今夜も”活動”開始だ。
先生が居るから無駄に終るかもしれないが、それでも不安要素があるなら動くべきだろう。
寝巻を脱ぎ捨て、シャツを羽織る。
今日は俊に担がれたまま建物を飛び回る事になるだろう。
だとしたらスカートより、やはりズボンか何かを……
「姉さん準備できた?」
ノックも無しに、ソイツは入ってきた。
そして私の姿を見て固まると、しばらく考えた末に口を開く。
「水玉模様はちょっと……子供っぽくないかな姉さん」
何も言わず、彼の顔面に鉄拳をたたき込んだ。
黙れ、今すぐ黙れ。
『へー、今日の巡は水玉かぁ』
『えーっとうん、何も聞こえなかった事にするよ』
『……天童先輩、もうちょっと着替えに時間が掛かりそうなので、少し待ってて下さい』
『え? あ、うん。 珍しいね』
会議通話に設定されているスマホからは、様々な声が聞えてくる。
鶴弥さんの「そうか……子供っぽいのか……」という呟きは聞かなかった事にしよう。
もしかしてお揃いだったのかもしれない、何がとは言わんが。
何はともあれ、急いで着替えを済ませた私は転がっている弟を踏みつけた。
「ホラ俊、いつまで寝てるの。 さっさと行くよ」
「……うっす」
——クアァ……
いつの間にか私の肩にとまった”八咫烏”が、呆れた声を漏らしている様に聞こえるのは、私の気のせいだろうか?
まぁどうでもいいか。
弟を蹴り起こし、私達は夜の街へ繰り出した。
多分大丈夫だろうとは思うが、厄介ごとを引き当てるのも決まって彼の特徴なのだ。
椿先生からも連絡がない以上、心配するなという方が無理だ。
「どうかご無事で……」
そんな呟きは夜の空気に溶けて消える。
弟に抱えられながら、私達は暗い上空を駆け巡った。





