謙虚な美徳
「あぁぁ、もう……」
もう思い出す度にため息が漏れてしまう。
自分の机に頭を突っ伏して、情けない声を上げているアラサー乙女がここに一人。
文章にしたらさぞ訳の分からない事になっているだろう。
アラサーだなんだと言っているが、もうすぐ本当に30になってしまう。
どうしよう、周りの友達は子持ちだって多いのに。
これじゃ本当に行き遅れ女の出来上がりだ。
生涯孤独の身だ。
そんな悩みを抱えている私を前に、どっかの筋肉男はやらかしてくれやがりましたよ。
「なんで生徒とアイツの結婚式映像(仮)なんて見せられなきゃいけないかなぁ……ほんっと。 バッカ死ね、モゲロ」
件の”烏天狗”の事件から、『オカ研』はだいぶ大人しくなった。
たまに心霊スポットとかに出掛ける事はあっても、コレと言った問題もなく行って帰ってくる程度。
別に大きな問題を求めている訳ではないが、こう……なんというか。
——ポンッ!
着信音の後に、スマホを覗き込めば黒家さんからの連絡が一件。
『今日は特にコレと言った活動も無いので、ダベって終了です。 忙しければそのまま帰宅していただいて構いません、お疲れ様です』
これですよ、これなのですよ。
前回のウエディングプロモといい、仲間外れ感が酷いんですよ。
先生としてはね? こうもっとイベント的なモノが欲しいんですよ。
身に迫る危険が無くなったから緩くなる、そりゃ当然でしょうよ。
でもね、部活動してる訳ですから。
しかも私副顧問だし? 色々あってもいいんじゃないかと思う訳ですよ。
まぁ草加君も”部活動”としては同じ様な扱いを受けているようなので、むしろ飲みには誘いやすくなったが……でも休日とかでも生徒達からは買い物とか遊びとかお誘いが来るみたいだし? もう少しこう、部活らしい何かというか。
「なんて建前で、もっとこう……前みたいに自然に近くに行けたらなぁ……なんて。 自分で頑張れって話だよね」
言ってて悲しくなってきた。
うん、とりあえず今日も飲みに誘おう。
明日は休日だし、酔っぱらったら泊めてくれる可能性も……本当に泊めてくれるだけなんだけどね。
「どうしたんですか椿先生? 何かお悩みですか?」
急に頭上から声がした。
驚いて顔を上げれば、やけに黒光りしたタンクトップのムキムキマッチョが立っていた。
「なにやら深刻な様子で、私で良ければ相談に乗りますよ?」
やけに紳士的な台詞と裏腹に、口元は台詞と似合わないぐらいに吊り上がっている。
そして薄目で覗いているのは、スカート付近だろうか?
「あぁいえ、大した事ではないのでお気になさらず……」
彼は体育教師の田中先生。
生徒達からは『ザ、マッスル』のあだ名を持つ、女子生徒から最も人気の無い先生だった。
それもそのはず、やけに近いのである。
しかもそれは女性教師や女子生徒限定。
正直何を思ってこの距離感を保っているのか知らないが、汗臭い上に鼻息が荒くて結構キモイ。
しかし彼は止めない、流石マッスルである。
「最近は”あの”草加先生に振り回されて大変なご様子、ここは一つ飲みにでも行きますか? 僕で良ければ愚痴でも何でも聞きますよ?」
一人称が私なんだか僕なんだか分からない男だ。
もう一年以上の付き合いにはなる訳だが、未だに慣れない。
というか一年以上このナンパ紛いなお誘いを受けて、更に断っているのに折れない彼も相当なものだと思う。
なんだろう、一度でも誘いに乗ればお持ち帰りできるとか思っているのだろうか?
それを肯定する様なうすら笑いを浮かべた田中先生が、「いいじゃないですか、行きましょうよ」なんて言葉を続けて口にする。
正直鳥肌が立ちまくって、職場じゃなきゃ通報するレベルに迫ってきているんだが。
怖い、けっっこう怖い。
街中であったら悲鳴を上げながら通報する所まで行くだろう。
「あーいえ、そのー今日はちょっと……」
「何か予定が? あ、もし友達と会うとかなら一緒に連れてきていただいて構いませんよ? こちらも男友達ならすぐ用意できますし。 あ、なんなら合コンとかどうです? 鬱憤が溜まってる時程、パーッと行きましょうよ!」
ぐいぐい来るなぁ……なんでその”お友達”とやらが女性確定なんだろうか。
もし男性だった場合、こいつはどんな顔するんだろうとちょっと気になってしまう。
とはいえ男友達なんて、私には数える程しか……嘘です連絡取れる男友達なんて一人しかいません。
「あぁえっと申し訳ないですが、それはまた次の機会でお願いします。 今日はちょっと、そのー大事な話を友人とする予定なので」
苦笑いを浮かべながら、相手の誘いを断り、今日もまた難なく乗り越えられた。
そう、思っていたのに。
「椿! おい椿! スマンちょっと金貸してくれ!」
不味い奴が来てしまった。
「なんかよぉ、車乗ったら警告灯付きっぱなしでさぁ……とりあえず行き付けの所に持って行ったんだけど、代金先払いしたら今日の昼めし代なくなっちゃってよ。 学校にもATMあればいいのに……。 だからさ、すまん、ちょっとだけ貸してくれ、な?」
とんでもなく情けないセリフを吐きながら急接近してきた彼は、申し訳なさそうに掌を合わせながら頭を下げて来た。
急に現れて、空気を全てぶち壊す。
まぁそれも彼らしいと言えばそうなんだが。
草加浬、私の悩みの元凶。
何ていったら言葉が悪いので、私を色んな意味で振り回すおバカとでも言っておこう。
「えーっと……まぁそう言う訳で、お誘いはお断りさせていただきます田中先生。 ちょっと今日は行くところがありますので」
これ幸いと苦笑いを浮かべながら言葉を紡いでみれば、田中先生は顔を真っ赤に染めながら再び口を開いた。
流石にいい訳としては厳しかったか……
「いくら同期とは言え、お金の貸し借りなんて! いけませんよ椿先生! 貴女は騙されています!」
え? あ、そっちか。
まぁいいけど。
今まで一人暮らしが長かったせいか、草加君との間のお金のやり取りは結構ルーズだったりする。
一回奢ったから次はそっちの奢りねぇーとか。
いくら貸したから、それくらい奢ってねぇー足りない分はまたどっか連れてってー? みたいな。
細かい所まで計算すればプラスマイナスの話は発生するだろうけど、結構お互い覚えていて奢ったり奢られたりしているので、正直気にならないのが現状なのである。
しかも別に無理して高い所とか行かず、何度も安い店に行って「まだこの前の借りた分があるから」なんて言われて奢られた記憶も数えきれない。
私としては役得なのだが、一般的には気を付けた方が良い点なのは間違いないだろう。
っていうか草加君じゃなきゃ貸してないし。
そもそもお昼ご飯の代金くらいで、そんなに大げさにいう事かねぇ?
「あぁいえ、彼の場合ちゃんと返してくれますし。 むしろ奢って貰ったりする場合もありますので、わりと問題ないというか……なんというか」
などと言葉にしたのが間違いだった。
私と彼の個人情報を、こんな人に漏らすべきでは無かった。
「奢られたり……? つまり椿先生は草加先生とよく外食をしてらっしゃると?」
しまった、これは色々と不味い。
そんな事に気付いたのは、目の前の『ザ、マッスル』がプルプル震え始めた時だった。
ヤバイ、これはヤバイ。
キャバ嬢のお客あるある「なんでこの男とはデートするのに、僕とはデートしてくれないの?」みたいな状況かコレ?
こういう時の対処法はとにかく相手をほめちぎって一回デートしてやることだって、友達が言ってた。
とはいえ実行するとなると……かなりハードルが高い。
マジで? この人とデートするの? デートもタンクトップで来そうなんだけど。
「あーいえ、たまーにですよ? たまーに。 ですよね? 草加先生」
「え? あぁ、うん?」
こいつ絶対状況理解しないで適当に答えただろ。
顔面にデカデカと「何の話?」って書いてありそうな表情してる。
その顔止めよう? 空気を読んで話にノッておこう?
口先だけじゃなくて、顔を空気を読もう?
「大体わかりました……椿先生」
「はぁ……そうですか」
一体何を察したのか知らないが、田中先生は一人でうんうんと頷いてから草加君をすんごい目で睨みつけた。
「草加先生! 僕と勝負しましょう!」
「は? え、うん……? よし分かった! やってやろうじゃないか!」
絶対分かってない私の同期は、”勝負”という言葉に乗せられて力強く拳を握ったのであった。
————
なんやかんやあったが、私達は今ショップに居る。
ショップと言っても、女の子達がキャッキャするようなアレじゃない。
一部の人間や、アメリカンダンディーが好きそうな連中がウフフって言いそうなショップだ。
窓から外を眺めてみれば何台もの車が置いてあるし、結構小さいお店だと言うのに随分繁盛している雰囲気が伝わってくる。
そして、何故か私達の前にはオカマが座っていた。
もはや情報量が多すぎてよく分からない。
「浬ちゃん前にもいったよねぇ? 結構年数いってる車だから労わって乗れって……私結構釘を刺したつもりだったんだけどなぁー。 伝わらなかった? その歳でドリフトとか目覚めてないでしょうね?」
「んな事してねぇって……して、ねぇ……いや、一回あったかもしれん。 ドリって言えるか分からんけど、生徒の周りをグルグルしたわ」
「アンタ本当よくクビにならないわねぇ……」
呆れた様子のオカマ……いやオネェ? が頬に手を当てながらやれやれと首を振る。
言葉遣いだけなら完全お姉さんって感じなんだが、如何せんごついのだ。
昼間草加君が決闘した田中先生よりゴツイ、2割増しくらいで。
ちなみに田中先生が申し出た勝負はもちろん肉体勝負だった。
昼休みの間に、100メートル走を何本往復できるかという訳の分からない暑苦しい勝負が開催された訳だが。
片方はアスリートの様な格好をして登場したにもかかわらず、草加君はダボダボのジャージ姿。
そして周囲に集まった生徒達は皆草加君ばかり応援するという極めて虚しい試合になってしまい……更に結果も酷いモノだった。
涼しい顔した草加君が100メートルをシャトルランしながら周りに手を振り、もう片方は最終的にお昼ご飯を校庭にリバースして地に伏せた。
本当に嫌な事件だった、今でも思い出したくない。
「店長、E46終わったよぉ。 だけどアレ、もうそろそろ寿命じゃないかな。 草加さんもうそろそろ買い替え考えた方がいいって」
昼間の事を思い返していると、ツナギを着たショートカットの若い女性が事務所に入ってきた。
草加君とも慣れ親しんだ様子で、ひらひらと手を振りながら無遠慮にドカッと椅子に座る。
「え、マジで? そこまで? まだ買ってから3年くらいじゃん」
「とんでもなくやっすい中古車で3年無事に乗れたなら御の字でしょうが。 彼女が隣にいる状態で情けない事言わないでよ」
彼女、今彼女って言った?
間違いないこの子はいい子だ、今度からこの店に車持ってこようかな。
なんて思っている間に、その彼女がやけにこっちを見つめている事に気が付いた。
どうしたんだろう? 草加君が人を連れてくるのがそんなに珍しかったのかな?
こいつなら生徒の一人や二人連れてきてもおかしくなさそうなのに。
「ねぇ彼女さん、どこかで会った事ない? 名前聞いてもいい?」
浮かれた私と違って、彼女はやけに真剣な表情で口を開いた。
会った事もなにも、この店に来るのも初めてな訳だが……というか君みたいな美人さん見たら忘れなそうだけど。
「あぁえっと、椿って言います。 椿美希、よろしくお願いしますね」
とりあえず無難に……なんて思っていたら。
「別に彼女って訳じゃねぇぞ? 同僚だったり同じ部活の顧問やってるだけ——」
ふんっ! という掛け声と共に、草加君の足の小指を踏みつけた。
やけに悶えているが、そのまま痛がっとけバカ。
なんて、いつも通りのやり取りをしている間に「ふむ……」と彼女は顎に手をやって更に悩み始める。
なんだろう、私の顔に見覚えでもあるんだろうか?
「椿奏って人、知ってる?」
「え、ウチのお婆ちゃんですけど」
「あぁ、なるほど……」
普通に聞かれたから流れで答えてしまったけど、なんだろう。
妙に彼女の顔が険しいんだが、お婆ちゃんのお知り合い?
だとするとあんまり良い繋がりでは無い気がするんだけど……
そんな事を考えている内に、ふっと顔を緩め、彼女は笑う。
「ごめんね急に、私は三上 唯。 ちょっと昔に色々あってね、お婆さんとは知り合いなんだ。 うん、よく似てるね」
ちょっと喜んでいいのかどうか分からない評価を頂きながら、彼女は言葉を続けた。
「あの人のお孫さんなら、って言ったら失礼かもしれないけど。 ちょっと相談に乗ってほしい事があるんだよね」
彼女の表情と、お婆ちゃんの名前が出て来た時点で色々お察しな気がするが。
まぁアレだ、私達はまた厄介ごとに巻き込まれるらしい。
一応今回はホラーパートにするつもりです。





