狐の嫁入り 2
「はい、それでは写真撮影は以上です」
スタッフの女性の一言で、その場に居る全員が大きなため息を吐いた。
別に不満があって、とかそういうのじゃない。
単純に疲れたのだ。
「とりあえずお疲れ、ドレス組は俺等より余計疲れただろうからね」
天童君はそう言ってから、全員分の飲み物を用意してくれた。
なんともまぁよく気が回る事。
つるやんなんてウエディングドレスのままガブガブ水飲んでるし、余程緊張していたのだろう。
とはいえ確かに疲れた。
一人でカメラの前に立って何十枚と写真を撮られたかと思えば、場所を変えての撮影の繰り返し。
そして最後の方にちょこっとだけ男性陣との合わせ写真撮影が入ったが、ほとんど天童君との撮影だった。
ちくしょうなんでだ、草加先生と撮ったのなんてほんの数枚だというのに。
「しかしまぁ、モデルというのも結構体力仕事なんですね。 体もですけど、表情筋が攣りそうです」
そういって顔をぐにぐに弄り回している巡が、ぐったりとしている。
前の接客でも思ったけど、この子”作る”ぶんには表情豊かだよねホント。
今までにない程幸せそうな笑顔を! みたいな無茶ぶりに、平気で答えていた。
ちくしょう、万能型美人はこれだから……私なんて顔引きつっていた写真ばかり残っていたに違いない。
「それで、この後はなんでしたっけ? プロモの撮影がどうとか言ってましたけど、全員じゃないんですよね?」
やっと一息ついたのか、若干青い顔のつるやんが声を上げる。
そういえばそうだ。
なんか撮影後の判断で、ヴァージンロードを歩いてもらうとかなんとか。
その場合は追加報酬が出るとか事前説明で言ってたっけな。
とはいえ今までの撮影を見るに、私は無理だろうなぁなんて思考放棄している時だった。
ズバンッ! といい音を立てながら、スタッフの女性が控室に登場した。
「早瀬さん! 早瀬さんはいますか!?」
「え、あ、はい! 私ですけど」
思わず立ち上がり、姿勢を正す。
正面からスタッフさんの顔をまじまじと見つめて、やっと思い出した。
この人、私をスカウトしてきた人じゃん。
撮影中、というか今日見てなかったけど……スカウト専門の人なのかな?
なんて思っていたのも束の間、彼女は凄い形相で近づいて来たかと思うと、私の肩をガシッ! と掴んだ。
「撮影データ確認しましたけど……なんですかこれは! どれも顔が引きつっているじゃないですか!」
すみませんとしか言い様がない。
というかこちらは素人なので、少しくらい多めに見て頂けると……
「私は貴女のこんな顔が撮りたくてスカウトしたんじゃないの! あの時みたいな幸せそうな顔が欲しくて貴女を呼んだの! このままじゃ帰さないからね!?」
おぉっとぉ……なんか脅迫じみた事言い始めた上に、とてつもなく恥ずかしい事を言われてしまっているのは気のせいか?
お願い待って、周りの目も痛い事になってるから、もう少し落ち着いて?
「それから貴方! おいそこの筋肉!」
「ん? 俺か?」
筋肉って呼ばれて反応しちゃうのはどうかと思います。
「何この写真!? これでよくモデル受けようなんて思ったわね! 案山子みたいに突っ立ってるだけじゃない! もうちょっとシャキっとしなさい!」
「そうは言われてもなぁ……」
「いい訳しない! いくら女の子が綺麗に映ってもこれじゃ台無しよ! 引き立て役にもなってないじゃない! 貴方のせいで彼女達の評価を落とすつもり!? 彼女達は貴方を選んだの、だったらもう少し胸張って格好つけなさい! この子達に申し訳ないとは思わないの!?」
「なん……だと?」
困った、草加先生にまでお説教されてしまった。
なんか申し訳ない気持ちになりながら、険悪ムードにならない事を祈って草加先生を見あげる……すると。
「なら一つ条件がある」
「なによ?」
瞬間、え? お前今どうやって脱いだ? ってレベルの早業で、草加先生は上着を脱ぎ捨てた。
「あ、龍が〇くで見た事ある」
「鶴弥ちゃん本当に色々やってるね……」
外野は何やら意味深な事を言っているが、それはまぁいいだろう。
「もう少しデカい服を持ってきてくれ。 これじゃ話にならん」
「一体何を……」
「ふんっ!」
その時、草加先生が来ているシャツの胸元のボタンがはじけ飛んだ。
どうという事は無い、胸筋に力を入れたら必然だろう。
今日の草加先生は、普段より窮屈そうで一回り小さかったのだ。
うんうんと納得してから、自分の思考回路のおかしさに気付いた。
いつから私は毒されていたのだろう。
「こういうことだ。 胸を張れと言われても、装備が弱くちゃ本気は出せねぇ。 つまりそういうことだ」
「なんて事……そういうことだったの……」
そこで理解してしまう貴方もどうかと思います。
やけに勝ち誇った表情の草加先生と、愕然と膝を折っている女性に軽く引きながら、巡と一緒にため息を溢した。
本当に、どうしてこうなった。
「失礼します。 社長、そろそろ——」
流れる様な動作で入室してきたスタッフに対して、地に膝をつけた女性は彼女を手で制する。
ん? ていうか今なんて言った?
「午後の予定は全てキャンセル。 今すぐ彼にもっと大きいサイズのタキシードを用意しなさい」
「え? ですが午後には各店との会議が……」
「これを見て分からないの!? 彼にとってウチのタキシードは力不足どころの話ではないわ! そして彼を選んだ花嫁が本当に笑える瞬間は、相応しいモノがないと訪れないわ! 今すぐ準備なさい!」
「す、すぐに準備します!」
そう言ってすぐさま退室した女性スタッフ。
私は見逃さなかった、彼女がワイルドなタキシードを来ている草加先生を見てドン引きした顔を。
うん、気持ちはわかるよ? でも、えっとね? 普段は凄いカッコいいんだよ?
今はちょっとワイルドだけど。
「早瀬さん、準備はすぐ終るわ。 貴方も準備しておいてね?」
「はい?」
急に話題を振られても、何が何だか分からないんだが。
はて? と首を傾げながら社長と呼ばれていたその人を見あげると、彼女は優しい微笑みを浮かべながら再度肩に手を置いて来た。
「プロモーションムービーには、貴女が映るのよ」
「……へ?」
————
鳴り響く鐘の音、ベールを被ったウエディングドレスの少女。
強い日光がステンドグラスに反射して、神秘的な光を降り注ぐ。
そんなヴァージンロードを、夏美がゆっくりと歩いていく。
「く、くそぅ……こんは筈では……」
「ここの社長にスカウトされたんですから仕方ないのでは? こうなったらお祝いする側としてそれっぽく演じましょう黒家先輩。 ホラ、本当の結婚式って訳じゃないんですから」
さっきから鶴弥さんにやたら諭されながら、私達は普通のドレスに着替えて参列席側に立っている。
そんな私達の横を、静かに夏美が通り過ぎていく。
緊張しているのかと思ったけど、予想外にその表情は柔らかく、まるで本物の花嫁の様に美しい横顔だった。
ちくしょう、いいなぁ……
やがて神父の元まで辿り着き、彼女は静かに入り口を振り返る。
そしてその先に現れたのは、先程よりも着心地がいいのか、しっかりと胸を張った先生の姿。
ゆっくりと赤いカーペットの上を歩き、当然私達の横を通り過ぎる。
一瞬だけ、こちらと目があった気がした。
なんだろう、なんだろうこの気持ち。
嫌だ、彼にそれ以上進んで欲しくない。
これ以上私から離れていく彼の姿を見ていると、ぐっと我慢していないと涙がこぼれてしまいそうな、そんな感情に——
「色々複雑な所ごめんね黒家さん、緊急事態」
私の耳元で、天童君が囁く。
その向こうでは鶴弥さんが音叉をその手に、祭壇に近づく先生の姿を睨んでいる。
「何事も無ければ放っておいていいと思ったんですが、そういう訳にもいかなそうな内容を”喋って”ますので。 すみません、動きます。 可能であれば指示を」
その言葉を聞いて再び祭壇を視線を送る。
特にコレと言って不審な点は……なんて思った所で、違和感に気付いた。
先生と夏美が向き合う、その更に向こう。
まさにという程洋風な作りの巨大な十字架、それが固定されている鎖の一部が真っ黒に染まり”黒い霧”を僅かに噴出している。
”あの決戦”以来、私に”異能”はない。
しかし『見える人』である事には変わりないのだ。
だからこそ、今の事態が瞬時に理解できた。
きっとまた、ろくな事じゃない。
「すぐに動きます。 鶴弥さん、左の扉から二階に上がる階段がありますのでソコから音叉を。 上まで登るとスタッフに見つかる可能性がありますから、様子を見て上がれる所までで構いません。 天童さん二人の近くへ、”声”を使うのは最終手段です。 なるべく前の方へ移ってください、全員イヤフォンを付けて、通話を繋いだままで」
「黒家先輩は?」
指示通りに準備し始める中、鶴弥さんが真っすぐこちらを見つめてきた。
その瞳は”異能”を失った私ですら、絶対の信頼を向けてくれている。
そんな彼女の信頼を裏切るような真似は、恥ずかしくて出来たもんじゃないだろう。
「私は天童さんとは別の近い位置に移ります。 何かあった場合は小道具でカメラはどうにかしますので、二人は気にせず”異能”を発揮してください。 では、行動開始です」
それだけ言って動き始めた。
先生と夏美の結婚式など、仮だったとしても見るのは気に入らないが、”怪異”の被害が出るかもしれないなら話は別だ。
無事この場を”何もなかった”事にしないと。
コレは貸しですからね、夏美。
そんな事を思いながら、カメラの向きを気にしながら私達は動き出したのであった。
————
「もっと嫌な顔すると思ってたけど。 切り替えが早いね、やっぱ」
そんな事を小声で言う天童先輩に、苦笑いを返しながら私は片耳にイヤフォンマイクを突っこんで、スマホを会議通話の状態にセットした。
「本人的には気に入らない状況でしょうね。でも、それでも”怪異”に何かを奪わせるつもりはないんでしょう。 奪うなら自分でって事なんじゃないですか?」
「ハハッ、ウチの部長は相も変わらず逞しい。 ”感覚”が無くなっても、普通に挑んでいけるんだか」
苦笑いを溢しながら、天童先輩もイヤフォンを耳に突っ込み、スマホの状態を確認してから親指を立てる。
なら、後は仕事をするだけだ。
「では、あとはいつも通り、”臨機応変”に指示待ちで」
「それは作戦とは言わないんじゃないかなぁ……まぁ、いつものことか。 それじゃ俺等も動こうか」
そんな言葉を交わしてから別々に動き始める。
神父が言葉を紡ぎ、その質問に新郎新婦が答える代表的なそのシーン。
あぁクソ、タイミングが悪い。
せっかくならこの瞬間は見たかったのに……なんて事を思いながら、すぐ隣に設置された扉から出ると、通路の向こうに階段が見えた。
黒家先輩、もしかして建物に入る時マップ完全に覚えたりしてるんだろうか?
そんな疑問を浮かべながらも階段を上がると、すぐそこにスタッフの姿あった。
マジで心臓止まるかと思った。
「……おーい、こっからは照明の変更なしだから、こっち来てくれ。 手が足りねぇ」
「……あいよー。 全く、ここに来てプロモ撮り直しなんて、社長もやってくれるよな」
小声で二人の男性が会話したかと思えば、反対側に歩いていく音が聞える。
好機、としか言い様がない。
二階のキャットウォークに身を忍ばせながら、会場に視線を向けて耳を澄ます。
あまり大きな音は立てられないが、これくらいであれば音叉で……
なんて、そう思った時だった。
『アンなに若いのに、結婚するんダ。 羨まシイ、憎ラシい。 二人とも、消えテシまえばいいのに』
そんな声が聞えた瞬間、教会に飾られた巨大な十字架を支える三つの鎖。
その全てがベギンッ! 嫌な音を立てながら外れた。
なんだそれ、ポルターガイストにしてもやり過ぎだろうが!
「皆! 逃げてください! クロスが倒れます!」
声を荒げるも、まるで嘲笑うかのように、飾られた巨大なクロスは誰もかれも動き出す前に真っすぐ倒れてしまった。
会場に広がる混乱の声と悲鳴の数々。
間違いなく巻き込まれただろう神父と新郎新婦。
そして会場の人々の声が交差する中、彼の声だけはやけに耳に残った。
「建築ミスか、格安物件か……だが俺を殺すなら金属製にするべきだったなぁ!」
もはや金属製にしても鉄骨にしても似たようなセリフを吐いて居そうな男が、巨大な十字架を両手で受け止め、横に放り投げる姿が視界に映った。
間違いない、絶対ウチの顧問おかしい。
”獣付き”である早瀬先輩や俊君以上に、驚異的なチート能力を感じる。
まぁ崖から落ちても無傷で帰ってくる人だしね、あるある。
とはいえまぁそんな彼のお陰で、被害者はいないようだが。
「流石ですね、浬先生。 色々と常識のベクトルがずれてます」
呆れた様な笑いを漏らしてから、私はトラブルに乗じて音叉を強く叩いたのであった。





