若気の至り 3
「きったよー!」
いつも通り部室の扉を開けると、つるやんと天童君が口に人差し指を当てながらこちらを振り返った。
二人の向こうでは巡がスマホ片手に通話中。
珍しい、草加先生かな?
なんて思っていると、真後ろから本人が椿先生と一緒に登場した。
「あれ? 草加先生じゃなかった」
「どした?」
無言のまま巡を指さすと、草加先生も物珍しそうな顔で見つめている。
皆の視線が集まる中、巡は気にした風もなく通話を続ける。
しばらくすると「では、これからそちらに伺います」なんて言葉を最後にスマホを降ろし、ため息をついた。
「どした? 黒家、なんかあったか?」
「えぇまぁ。 どうやら俊が暴力事件を起したとかで、学校から呼び出しが」
「え? あの俊君が?」
確かに誰かと喧嘩なんかしたら一方的になりそうな身体能力を持ってそうな彼だが、そうやすやすと拳を振るうとは思わないんだが。
「なんか話し合いの間騒がしい生徒に対して、デコピンしたそうで」
「はぁ? たかがデコピン一発で暴力呼ばわりかよ。 随分と過保護なんだな、黒家弟の学校は。 てか男子なんだから喧嘩の一つや二つするだろう」
呆れた様な声を上げる草加先生。
まぁ学生同士の喧嘩なんて、ウチの学校だってそれなりに起きる。
あまり大事にならない限りは、喧嘩両成敗で十分な気がしないでもないが。
「普通の喧嘩だったらまだ良かったんですけどねぇ。 先に手を出したのが俊で、デコピン一発で相手を気絶させたそうです。 幸い相手の方はおでこが腫れたくらいで、もうピンピンしてるみたいですが。 普段はこんな事ないのに全く、何やってるのやら……」
「バッカお前、アイツだって中学生だぞ? ブチ切れる事だって、何かに触発されて気がデカくなる事くらいあるだろ」
やれやれと違う意味のため息を溢す二人を見ながら、私はふと昨日の出来事を思い出して汗をかき始めた。
触発される……出来事……
あ、もしかして私のせいか?
「確かにヤンチャ真っ盛りなお年頃でしょうからね、今までが大人しすぎたくらいなのは認めます。 とはいえ、デコピンだろうと暴力だと言われればそれまでです。 本人には反省してもらわないと」
全く、私でさえ耐えられたのに……貧弱な……
なんて小声の呟きが聞こえた気がしたが、気のせいだろうか。
「ま、状況も詳しくわかんねぇしな。 車出してやるから俺も一緒に行っていい? 鍛えたの俺だし、鉄拳制裁が必要な場合は任せろ」
「もしやるなら学校を出てからにして下さいね……また問題になると面倒です」
今にも部室を出て行きそうな二人に対して、恐る恐る手を上げる。
どうした? とばかりに視線が集まって居心地が悪いが、言っておかなきゃいけないだろう。
「あのー……ごめん、それ私が原因かも……」
何言ってんだコイツみたいな目で見ないで下さい。
大変反省しておりますので。
とにかく時間が無さそうなので手短に昨日の出来事を二人に話すと、巡が再びため息を溢した。
「いえ、別に夏美が謝る必要ありませんよ。 勘違いして馬鹿な行動を取ったのは俊です、本人にはしっかりお説教しておきますので。 それじゃすみませんが、今日は解散とします。 ちょっと弟の尻拭いしてきますね」
やれやれと再度頭を振ってから、草加先生の手を引いて部室を出て行ってしまった。
どうかこれ以上悪い状況にはなりませんように、と願いながら二人の背中を見送った。
————
俺もついて行っていい? とは言っていたが、まさかこうなるとは思わなかった。
「えぇっと……黒家君のお姉さんと、お父さん? でいいんですかね?」
「いや、黒家弟は俺の教え子……というか師弟関係というか……なんて言ったらいいんだろう?」
「先生、ちょっと黙っててください。 失礼しました、この人は私の学校の教師兼部活の顧問です。 弟と繋がりも深い人物なのでついて来たというだけですので、どうかお気になさらず」
「は、はぁ……」
俊の担任の教師なのだろう。
さっき電話を貰った人物が、困惑顔で首を傾げていた。
「とりあえず、今回の件何ですが……」
と言う言葉を風切りに、彼は電話でも聞いた内容をもう一度繰り返した。
ホームルーム中、話を聞かない生徒達。
そんな彼等に激怒した弟が問答無用で暴力を振るった、みたいな感じの話。
あれ? デコピンの話はどこへ行ったんだろうなんて思ったりもしたが、とりあえず最後まで話を聞き終わり、大変失礼いたしましたとだけ言ってから私は頭を下げた。
「んで、当の本人とデコピン喰らった相手はどこよ?」
だから貴方は少し黙っていなさいとさっきから……
「隣の部屋に二人とも待たせてあります」
そう言ってから席を立ち、隣の部屋へと促される。
彼の後に続いて部屋へと入れば、応接室の机を挟むような形で二人の男子生徒が睨みあっていた。
さっきまで口喧嘩でもしていたのだろうか?
急に取り繕って静かになった様な雰囲気が漂っていた。
「俊、止めなさい。 君が影山君? おでこはもう大丈夫?」
入ってすぐに声を掛けた私に、彼は弟を睨みつけたまま罵声を上げ始めた。
「大丈夫な訳ねぇだろ! 急にぶん殴られたんだぞ、慰謝料だ慰謝料!」
「殴ってません、デコピンです」
「あぁ!? まだそんな事言ってんのかテメェ! 親の顔が見てみたいもんだ……な?」
言葉の途中でこちらを振り向いた影山君が、何故かパクパクと口だけを動かしながら停止してしまった。
どうしたんだろうか、未だデコピンの後遺症が?
「どうしました? 大丈夫ですか? まだ痛みますか?」
そう言ってから彼の額を覗き込むと、別段腫れあがっている訳でもなさそうだ。
というかもう腫れも引いている。
私がやられた時も後に残る痛みだとか、後遺症の類も無かったので大丈夫だとは思うが。
一体どうやったらあの威力でこんな芸当が出来るのか。
前に先生に聞いてみたら、衝撃を全体にーみたいな訳の分からない答えが返ってきたのは覚えているが。
「まだ痛い様なら、一度病院へ行きますか。 先生車出してもらっていいですか?」
「い、いえ! 大丈夫です! こんなのかすり傷にも満たないっすよ! 全然平気っす!」
なら、いいのだが。
なんか急に口調が変わったな、どうした影山君。
「そうですか、なら良かった。 ではお二人それぞれから当時のお話をお聞きしたいんですが、よろしいですか?」
もちろんっす! と元気よく答える影山君と、黙ったまま静かに頷く俊。
あぁ、なるほど……弟の顔を見て、何となく察した。
この子問題になった事自体は反省してるけど、後悔はしてませんって顔してる。
ってことはまぁ何かしら事情はあったんだろうが、これは先生を連れてきて正解だったかもしれない。
私がお説教するより、先生の拳の方が良く効きそうな顔をしている。
まぁそれは後でいいとして、とにかく今は二人の話を聞こうじゃないか。
「それじゃ、影山君からお願いできますか? 主観で構いませんから、思った事感じた事全てお話下さい」
————
影山君の話は結構あっさりと終わった。
とにかく暴力を振るわれた、俺は悪くない、というのが彼の主張。
その後俊の話を聞けば、今までの経緯から三月さん? という女の子の味方をしてあげたかった。
普段彼女はその容姿から「顔無し」などと馬鹿にされる事が多く、その彼女の話を皆に聞かせるために必要だったと主張する俊。
ふむ、なんとなく分かった。
夏美の話も聞く限りだと、多分間違いなくおかしな方向に吹っ切ったのだろう。
俊の周りって、物理特化多いからなぁ……
「まぁ大体分かりました。 俊、とりあえず貴方は影山君に謝罪しなさい」
「姉さん、僕は……」
「謝りなさい、貴方の行動は軽率です。 ついでに言えばヒーロー気取りもいいですが、それではその三月さんを本当に助けた結果にはなりませんよ? 一時的に皆を黙らせたに過ぎません、違いますか?」
「それは……」
「どうなんですか?」
「……はい、その通りです。 影山君、すみませんでした。 反省します」
「わかりゃぁいいんだよ!」
なんて踏ん反り返っている彼に、若干イラッとしてしまうのは姉弟だからなんだろうか?
しかし、我慢だ我慢。
私まで熱くなってどうする。
なんて思って、拳を握りしめていた時だった。
「おう、小僧。 おめぇはさっさとその女の子に頭下げに行ってこいや」
「は?」
突然声を上げた先生に、影山君の間抜けな声が響いた。
私を含む他のメンツも、呆けた顔で先生に振り返ってしまった。
「何呆けてんだ? 確かに今回一方的にぶっ飛ばした黒家弟は問題だろうな。 だがよ、元々はお前たちがその子を遊び半分でイジめてたのが原因だろ? それを黒家弟は守ろうとしたんだろ? もう少しマシな方法があったかもしれねぇ、問題にならずに済んだかもしれねぇ。 だけどそもそもお前らがふざけた真似しなきゃ、コイツが守る必要だってなかったんじゃねぇか?」
珍しい、この人がちゃんと教師してる。
間違いなくこの人、喧嘩両成敗という古臭い形にしようとしている。
しかも筋を通した状態で。
こういうのは、嫌いじゃないけど。
「ちょ、ちょっと待ってください。 ウチのクラスでイジメなんて!」
「言い切れんのか? じゃぁ何で黒家弟はその子を守ろうとした、なんで”顔無し”なんてあだ名がついてる。 そもそも会議やっててそんなふざけた質問が飛び出した時、まず最初に動くのはお前の仕事じゃねぇのか? 教師だろうが、わかんねぇ事があんのにどっちか一方に肩入れしてんじゃねぇぞ」
「いや、それは、その……黒家君が嘘を言っている可能性だって……」
世にも珍しい教師同士の言い争いが勃発しはじめた。
なんか一方的な感じもするが。
「先生よぉ、とりあえずその女の子からも話を聞いたらどうだよ? その方がはえぇだろ」
「わ、わかりました……」
そう言って担任の教師が部屋を出た瞬間、先生がにっこりとした笑顔で弟に向き直った。
普段見ない程、そりゃもう満面の笑みで。
「黒家弟ー、おでこを出せー」
「はい!」
普段とは違う空気を感じ取ったのか、俊は勢いよく立ち上がり前髪を持ち上げた。
あぁ何となくこの後起こる事が想像出来るぞ?
「俺は言ったよなぁ、相手によって手加減を忘れるなって。 それとも勘違いだったかぁ? 教え忘れたかぁ?」
「いえ、教わりました! 申し訳ありません!」
「なら、覚悟は出来てんだろうなぁ?」
親指で中指を抑え、ギリギリと変な音のなる掌を俊の額に近づける先生。
だからそういう教育がさぁ……いや、もう何も言うまい。
俊もちゃんと、”暴力とは言えない行為すら、圧倒的な差のある相手ではどうなるか”というのを知るべきだ。
はぁ、と再びため息を溢した。
次の瞬間には、ズバンッ! というとんでもない音が室内に響いた。
弟は吹っ飛び、対面の影山君は顔を真っ青にしている。
わざわざ本人の目の前でやらなくてもいいのに。
「痛いか?」
「い、痛いです……」
額を押さえながら転がっている俊に対して、先生は冷たい視線を向けていた。
結構コワイ、っていうかこんな顔で近づかれたら全力で逃げる自信がある。
「これがそっちの坊主が味わった痛みだ。 デコピンだろうがなんだろうが、痛ぇもんは痛ぇ。 俺が言ってもあんまり説得力なんざないかもしれんが、よく覚えておけ。 いつだって正当防衛だけが正義だ」
最後の一言が余計なんだよなぁ……この人。
っていうか確かに説得力は無いだろう、普段”怪異”を普通の”人”だと思ってぶん殴ってるお方の言葉だ。
普通に考えたら涙が出るわ、説得力無さすぎて。
「けどな、個人としちゃお前の行動が間違ってるとは言わねぇよ? 女の子イジメて遊んでる様な奴らだ、お前と同い年の俺ならぶっ飛ばしてる」
だから余計な事言うんじゃねぇよ。
「けどな、世間はお前を悪いという時代なんだよ。 だからこそ考えろ、あんまり姉ちゃんを悲しませるな」
「すみません、でした……」
「謝る相手がちげぇだろ、馬鹿タレ」
先生がそう言うと、俊は大人しく私に向かって頭を下げた。
まぁ、本人も一応反省する気にはなったようだし、いいか。
あとは私が向こうの親御さんに頭を下げればいいだけだ。
デコピン喰らった当の本人が、これだけ元気そうなんだ。
多分慰謝料だのなんだのという話にはなるまい……と思いたいのだが……
「すみませんこちらにウチのバカ息子がいらっしゃいますでしょうか!!」
ドデカイ声を上げながら、一人の女性が扉を吹っ飛ばす勢いで開け放った。
今度は何だ、何が起きた。
「母ちゃん!?」
慌てた様子で顔を向けた影山君が、青い顔をして叫んでいる。
君さっきから青い顔ばかりしてるが大丈夫か?
もう少し鉄分を取った方がいい。
「こんっっのバカ息子ぉぉぉ! てめぇ何度目だぁぁ!」
飛び込んできたジャンピング右ストレートが、彼の顔面を捕らえた。





