烏天狗 6
もう何発叩き込んだだろうか?
いい加減倒れて欲しい。
『このクソガキがぁぁ! いい加減にせんか!』
ブちぎれ気味な御老体が、全身に黒い霧を纏わせながらこちらに突っこんできた。
それをとび蹴りで部屋の隅に叩き返してから、皆の元へ一度のバックステップで戻る。
「固いですよ、この御老体。 仕留めるにしても、あと数時間は必要かもしれません」
なんて言うモノの、数時間殴り続けてもこの老人が沈む姿が想像出来ない。
余りに硬すぎる。
『上位種』どころじゃない、それ以上だ。
カルシウム取り過ぎだろコイツ、骨折一つしない。
「ここからは総力戦です。 とりあえず天童さん、周りの『上位種』に命令を」
「あいよ、”もういい、逝ける奴は今の内に楽になれ! 残った者は全員全力疾走! この建物から可能な限り離れる事!”」
天童さんの言葉とともに、残っていた『上位種』が数体消えたかと思うと、残りは全員建物壁に向かって走り始めた。
え、いや、ぶつかりますよ?
なんて心配を他所に、彼女達は壁を突き抜け、そのまま走り去っていった。
”迷界”ではこう言う事が出来ないという話はなんだったのか、もう一度姉さんに調べて貰う必要がありそうだ。
「そんな事より、来ますよ」
鶴弥さんの一言で全員に緊張が走る。
視線の先にはゆっくりと起き上がる”烏天狗”、その仮面はひび割れ、服は擦り切れ、一見満身創痍に見える姿であったが……その気迫は今まで以上に強い。
間違いない、本気で来るつもりだ。
『なかなかどうして、分からぬものよなぁ。 ただの小童たちと思えば、ここまで抵抗してみせるのだから。 だが、それも終わりだ』
仮面の奥の瞳が、僕たち全員を睨みつける。
その瞬間に、全身が震えがるような寒気を覚えた。
『全く……儂の可愛い人形たちを随分と減らしおって。 お前たちには責任を取ってもらわねばな……』
再びいやらしい笑みをもらしたかと思えば、”ソイツ”の背中から黒い翼が広がる。
なんかちょっと……っていうかかなり不味そう。
こういう事の経験が少ない分、この場合どう動くのがベストなのかまるで分からない。
殴りに行けばいいのか? それとも皆の盾になるべきか?
「くそっ! 多分私を”呪った”アレが来ます! 皆私の後ろに!」
姉の言葉に従い、一度全員がその背後に隠れた。
『また力比べか? 今度は加減はせんぞ?』
「出来ればご遠慮したいところですけどね……」
そのやり取りが済んだ直後、真上から黒い滝のような霧が襲い掛かってきた。
それに向かって姉さんが腕を伸ばせば、対抗する様に周囲の霧がその流れを押しとどめる。
しかし、とてもじゃないが物量が違い過ぎる。
これ、本格的に不味いんじゃ……
————
なんかとんでもない異次元バトルが目の前で繰り広げられているんだが、私はどうすればいいだろう。
さっきまでの俊君はまだ、うん、いいとして。
殴ってたし、蹴ってたし。
その後はなんだ。
さっきは相手の幽霊の女の子を成仏させたりしてたし、今度は黒い滝が出現した。
もはや異次元だ、ファンタジーだ。
到底理解が及ばないので、とりあえず早瀬さんを抱えて部屋の隅まで移動してみた。
飛び散る黒い霧の一つでも浴びれば、なんかヤバそうだし。
「っていうか早瀬さん起きてよー! これ絶対不味いって! ホラ、寝てる場合じゃないって!」
彼女の頬をさっきからベシベシ叩いているが、今の所反応はない。
これ後で暴行事件とかにならないだろうな……?
なんて加減しながら叩いてるのが悪いんだろうか?
もうこの際、思いっきりバシーンとやってしまうべきなんだろうか。
でもそれで起きなかったらなぁ……後が怖い。
まぁ今現状の方がもっと怖い訳だが。
ならばもう、やるしかないか。
「あぁもう! さっさと起きろぉぉ!」
腕に力を入れて、さっきとはまるで比べ物にならないくらいの勢いで平手を振り下ろす。
ごめんなさいごめんなさい! でも緊急事態だから許して!
心の中で謝罪の言葉を叫びながら、腕の中で眠る彼女に私の掌が……当たらなかった。
『全く騒がしい……というか娘、誰に手を上げたか分かっておるのか?』
平手が当たる寸前で、私の手首が掴まれてしまった。
っていうかあれ? 今私誰に話しかけれられた?
混乱する思考が追い付く前に、腕に抱えた早瀬さんの髪の色が変わっていく。
そして頭の上から耳が、腰からは”九本”の尻尾が生える。
その全てが”白く”輝き、思わず目を奪われた。
『ん? お前”椿”の者か? なら少しくらいは敬意をもって——』
「コンちゃんうるさい」
先ほどまでやけに睨んでいた居た早瀬さんの表情がスッと抜け落ちると、彼女は静かに立ち上がる。
なんだ、なにが起こっている。
まるで二重人格の人物が、一人二役で話しているみたいなおかしな感じだったのだが、彼女は大丈夫なんだろうか?
もしかして強く頭でも打ってしまったのだろうか?
「あぁもう、最悪の気分……」
銀髪、と言っていいのだろうか?
その髪を揺らす様に、彼女は頭を振ってから両手で頬を叩く。
『全く……やっとまともに力が使える様になって、こうして話も出来る様になったとういうのに、最初の会話がこれか』
間違いなく早瀬さんの声。
だというのに、まるで彼女が喋っている気がしない。
また何か不思議現象が起こっているんだろうか。
「椿先生、ありがとうございます。 ちょっと行ってきますね」
振り返った彼女は、いつも通りの笑顔を浮かべているように見える。
だけど、完全にその瞳は冷え切っていた。
「えっと、その……怪我しないようにね?」
私の言葉を聞き終わったと同時に、彼女は走り出す。
銀色の輝きを残しながら、一瞬で姿を消すと次の瞬間には部屋の反対側から鈍い音が響く。
「はっや……」
さっきまで高笑いを浮かべて居た”烏天狗”の顔面に、早瀬さんの膝がめり込んでいた。
————
一瞬視界の端に銀色の何かが通り過ぎたと思うと、次の瞬間には”烏天狗”からの攻撃が止んだ。
本人が自ら止めた訳じゃない、それは間違いない。
どう考えても中途半端すぎる。
もう少しの時間を掛ければ、私の余力が無くなるのなんて分かっていただろうに。
「お、終ったんですか……?」
背後で天童さんに抱えられていた鶴弥さんが不安げな声を上げた。
それ以外の面々からも戸惑いの声が上がっている。
「正直、何が何やら……」
混乱しながら視線を正面に戻せば、そこには銀色に染まった後ろ姿が見えた。
”烏天狗”に膝蹴りを入れ、”ヤツ”を部屋の隅まで吹き飛ばした。
えぇっと? 何が起きた?
「黒家さん! 早瀬さん起こしたよ! 偉い!?」
褒めろ! とばかりに、後ろからそんな声が聞こえる。
後で褒めてあげよう、彼女は今回よく頑張ってくれた。
っていうかやっぱり夏美なのかアレ。
なんかいつもの色と違うんだけど、尻尾増えてるんだけど。
「えっと……夏美? おはようございます?」
私の声に反応して、真っ白な彼女が振り返った。
その表情は普段とは違い、どこか余裕の笑みが浮かんでいた。
『こうして話すのは初めてじゃの、一応挨拶するべきか?』
「は?」
クスリと上品に笑う夏美。
なんだこれ、めちゃくちゃ違和感がある。
誰だよ、本当に誰よ。
『貴様……まさか”九尾”を完全にその身に下ろすとはな……そんな事を成し遂げた人間は大昔にもいたらしいが。 確か”玉藻前”と言ったか?』
『懐かしいのぉ、我が最初に憑いた娘じゃな。 なぁに、我は所詮”長生きした狐”に過ぎん。 この娘まで”殺生石”になどさせんよ』
忌々しいと言わんばかりに顔を顰めた”烏天狗”が部屋の隅で立ち上がり、嘲笑うかのような口調の夏美と言葉を交わす。
今の状態から、それこそ全力で警戒するべきなんだろうが、あえて一言いいたい。
解説ご苦労様です、と。
つまりアレか? 今目の前に居る夏美は彼女に憑いていた”狐”で、彼女自身ではない、とか?
しかもそれが伝説級の代物で、守り神云々どころかマジモンの神様でした、という事ですかね?
アハハ、何それ笑えない。
なんて思っている間に彼女の表情は抜け落ち、いつも通りの夏美の表情になった。
「コンちゃん、今はいいの。 今は”アイツ”ぶっとばすの! 絶対泣かせてやる!」
『激おこなんじゃな、承知した。 だがもっと素直に言えばよいじゃろ? 気を抜くと泣き喚いた挙句仲間達に飛びつきそうなんじゃろ? 引っ付いたまま離れなくなりそうなんじゃろ?』
「コンちゃんうっさい!」
一人百面相みたいになっていた夏美が、叫ぶと同時に”烏天狗”に向かって走り出した。
様子を見るに、共存してると考えていいのかな? 今の状態は。
そしてこっちに飛びついてくるってなんだ、本当に何があった。
っていうかあの”九尾の狐”をコンちゃん呼ばわりしていいのだろうか。
「姉さん、僕も行ってくるよ」
唖然としている私の隣に居た筈の弟が、声を掛けると同時に姿が消えた。
そして気づいた時には夏美と俊、そして”烏天狗”で殴り合っているのだ。
まさに怪獣大戦争、なんだこれ。
とはいえ、こちらも眺めてばかりはいられないだろう。
私達も出来る事をしなければ。
「私達も加勢します。 鶴弥さんは椿先生を連れて——」
「——わかってるって黒家さん、俺も鶴弥ちゃんも。 ただ一個だけ俺らからもお願いしていい?」
天童さんに途中で言葉を遮られ肩に手を置かれたかと思うと、後方に押しのけられてしまった。
何をしてるんだろうか彼は。
「自分の状態が見えてないの? もう黒家さんは戦っちゃ駄目だよ? 手足共に酷い状態じゃん、後は俺らに任せて椿先生に付いててあげて」
その言葉に自分の体を見てみれば、最初痣の様に見えていた”ソレ”が素肌の殆どを覆うようにどす黒く侵食していた。
とてもじゃないが見ていて気分の良いものでは無い。
「私が絶対に守りますから、後ろに居てください。 大丈夫ですよ、今の皆なら絶対勝てます」
微笑んだ鶴弥さんに促され、最後尾まで追いやられたかと思うと椿先生が私を支える様に肩を抱いてくれた。
「もう充分頑張ったんだから、後は皆に任せよう? 見てる方が辛いよ、今の黒家さん」
半泣き状態の椿先生にまで、そんな事を言われてしまった。
これはもう、私が折れるしかない状態な気がする。
ちょっと悔しい気もするが、私が前線に出て”影”を使えば命を落とす可能性だってある。
そんな事になれば、きっと全員に迷惑が掛かるだろう。
「わかりました。 二人とも、夏美と俊をお願いします」
「おうよ」
「了解です」
それぞれの返事を聞いて、脱力した体が椿先生に支えられる。
一度気を抜いてしまえば、とてつもない勢いで襲ってくる全身の痛みと脱力感。
それでも、意識だけは保っていないと。
皆私の為に協力してくれたんだ、共に戦ってくれているんだ。
私だけ休んでいるなど、出来る筈がない。
いざという時に備えて『感覚』が使える様に、私は目の前で繰り広げられている戦闘をただただ睨みつけた。





