烏天狗 4
最近少しだけ涼しくなって来た気がするが、ほとんど外に出ていないので確信はもてない。
まぁ今となってはどうでもいいけど。
「夏美……今日はどうする? 無理はしなくていいのよ? お休みする?」
ドアを少しだけ開けて、お母さんが顔を出した。
ここの所毎朝の出来事になっている。
あの日、草加先生と巡のお葬式の後、私はまともに外に出てない。
「うん……ごめん」
「ううん、無理はしないでね? 朝ごはんくらいは、ちゃんと食べなさいね?」
それだけ言って、母は扉を閉めた。
申し訳ないとは思っている。
でも変える事も、変わることも出来なかった。
「なんで、こうなっちゃったかな……」
小さく呟くと、再びベッドに横になる。
私は何をしてるんだろう……というか、何をすればいいんだろう?
はぁ……と大きなため息を溢しながら目を瞑る。
どうすればいいのか、残された私達にはどんな道が残されているのか。
そんな事ばかり考えながら、何日も無駄に過ごしてしまった。
「後どれだけこんな事してれば……」
『このままいけば死ぬだけじゃろうなぁ』
ふいに”アイツ”の声が部屋の中に響いた。
「”烏天狗”!?」
慌てて身体を起せば、部屋に置いてある姿見の中に”あの老人の姿”があった。
『まだわからんか? あの場に居た全員に、かつての小娘の様に”呪い”を掛けておる』
「はぁ? そんな話、誰が信じると——」
『他の子供達に連絡を取ってみれば分かる事よ。 現代には便利な道具があるのだろう?』
ニヤニヤと気持ち悪く笑う”カレ”の言葉に従うのは癪だが、目の前を睨んだままスマホを操作して、俊君に電話をかける。
だがスピーカーからはコール音が聞こえてくるだけで、一向に相手が電話に出る気配がない。
やがてその音も途切れ、電子音がスピーカーから響いてくる。
——お留守番サービスに接続します。 ピーという発信音の後に……
最後までその声を聞くことなく、次の人物へと電話を掛けた。
——お留守番サービスに接続します。 ピーという発信音の後に……
なんで、なんでだ。
皆何で電話に出てくれない?
この時間なら登校している頃だろうに、電話に出られない状況という事はないはずだ。
諦めずに最後の一人に連絡を取る。
——お留守番サービスに……
「なんでよ!? 何で誰とも連絡がつかないの!?」
思わずスマホを投げ捨ててしまった。
ガツンッ! と鈍い音を立てて壁にぶつかり、そのまま床に落ちる。
『居ない人間にいくら連絡を取ろうとしたところで、無駄な努力だとは思わんか?』
鏡の中の”ソイツ”は、笑いをこらえる様に肩を震わせている。
嘘だ、そんな事ありえない。
だってちょっと前に皆と会ったばかりだ。
あの時はそんな話しなかったし、皆元気そうだった。
だというのに、こんな事……ありえる訳が無い。
なんて思ったその時だった。
——トゥルルル……
気の抜けるような音を立てて、私のスマホが床の上で振動していた。
もしかしたらさっきまでは本当にタイミングが悪かっただけで、誰かが掛け直してくれたのだろうか。
そんな淡い期待を胸に、私は飛びつくようにスマホを手に取った。
しかし、画面に表示されていた名前を見て、私は固まってしまった。
『ほら、早く声を掛けてやると良い。 話したかったんだろう? 誰かと繋がりたかったんだろう?』
”烏天狗”の煽るような言葉が聞こえてくるが、もはやそんなものどうでも良くなってしまった。
”カレ”から警戒を解き、ただただスマホに表示された名前を見つめる。
そこに表示された名前、”黒家巡”。
ありえない、ありえる筈がない。
だって彼女は、この前私達の目の前で……
震える指で画面をタップして、スマホを耳に当てた。
『お前が死ねば良かったんだ』
ただそれだけ。
その一言だけ言うと、電話は切れてしまった。
そして再び着信を告げるスマホ。
今度は草加先生の名前が表示されている。
なんだこれ、本当にどうなっているんだ。
『なんで俺を見殺しにした?』
ツーツーという通話が終わったと告げる電子音が、やけに耳に残る。
なにこれ? どうすればいいの?
私は、どうすれば良かったの?
スマホを耳に当てながら、指先一つ動かせない。
そんな私の瞳から、止めどなく涙が溢れてくる。
私が望んだ訳じゃない。
こんな事になるなんて思ってなかったんだ。
いい訳ばかりが心に浮かぶ中、”烏天狗”が楽しそうに笑う。
『そうだ、それでいい! 苦しめ! 泣き叫べ! お前は良いぞ、もしかしたらあの小娘よりもずっと! いいぞ、このまま——』
——リィィン、とどこかで風鈴の音のような、透き通る鈴の音が聞こえた。
どこかで聞いたことのある音。
随分懐かしく思えるが、私の近くでずっと鳴っていたその音色に、思わず視線を向けた。
『またか、またお前らなのか』
忌々しいと言わんばかりに舌打ちする”烏天狗”、彼もまた私と同じ方向に視線を向ける。
そしてその先にいたのは……
——ワンッ!
ベッドの上に、やけに尻尾の多い金色の狐が座っていた。
今ワンッって言ったけど。
『理解に苦しむ、何故お前たちの様な存在が人の子を助ける? お前たちにとっては相容れない存在だろうに。 何故そこまでこの小娘に拘る?』
依然として質問を続ける”烏天狗”に対して、”狐”は不機嫌そうにワンッ! と答えた。
またワンッって言った、狐ってコーンって鳴くんじゃないの?
なんて場違いな感想を思い浮かべている内に、狐が動いた。
急に走り出したかと思うと、1.5メートルくらいありそうな姿見を口に咥え、そのまま窓の外へと放り投げたのだ。
窓ガラスとか諸々をぶち抜いて。
「え、いやちょっと!? 何してるの!?」
慌ててベランダに出てみれば、地面に激突して粉々に砕け散る鏡。
幸い下に人は居なかったようで、怪我人はいない模様。
というか、あれ? 人の姿が全然ないんだけど。
アパートの前の道にも、向かいのマンションにも。
そして視線が届く限りの範囲には、人っ子一人居ないのだ。
なんだこれ……静かすぎて、ちょっと気持ち悪い。
——ワンッ!
再び部屋の中からコンちゃん……だと思う、その声が聞こえたかと思うと彼? 彼女? は私の服の裾を咥えて、力強く引っ張り始めてた。
「え、ちょっと、コンちゃん? どうしたの?」
私の言葉が通じているのかどうなのか、”狐”は無視してグイグイと私を引っ張り、部屋の外へと連れ出した。
どこへ行こうというのか、などと思っている内に私達は洗面所の鏡の前に到達した。
ここまで連れてきて満足したのか、コンちゃんは金色の霧の様に分散し、再び私の体へと戻っていく。
え、なに?
私にどうしろと?
なんて思っている、鏡に映っている私が勝手に口を開いた。
『おい小娘、何をしておるか空け者が』
「はい?」
鏡の中の私は金色の髪をなびかせ、狐の耳を携えていた。
『えーっと、こういうのを何と言うんじゃったか……あ、そうじゃ”草も生えん”わ!』
「うんと……草? 室内だから草は生えないよ?」
結構訳が分からない。
何言ってるんだろうこの人。
っていうか私だけど、”狐憑き”の状態の私だけど。
その私が、鏡の中で大変怒っておられる。
『馬鹿者! 大バカ者! 本当にお前は現代っ子か!? それとも世間知らずか!? 貴様の状況が笑えんと言っておるのだ!』
「え、あ、はい。 ごめんなさい」
随分と気性が荒い。
これがコンちゃんなのだろうか?
だとしたら、私は知らずの内にずっと罵倒されていた気がする。
『まぁ良い。 それより、とっととこの胸糞悪い場所から抜け出すぞ? ここまで助言をすれば、間抜けなお前でも分かるであろう?』
「何が?」
『き・さ・まぁぁぁ! 我の宿主ならもう少し頭を使わんか! 巫女の名が泣くぞ!?』
「巫女じゃないし」
『あぁそうであったな! だたのJKというヤツじゃったな! もう良い、我の言う通りにせい!』
何だか現代用語が度々出てくる胡散臭いケモミミ娘が、怒った顔で私目掛けて指さした。
いや、見た目が私だけに、ちょっと微妙な感覚だが。
私がこんな風に喋ったら、多分皆ドン引きするだろうなぁって感想しか出てこない。
多分、巡辺りはすんごい眉を顰めながら額に手とか当ててきそう。
それはそれで嫌だな、何か凄い馬鹿にされているような気分だ。
「みんな、みんなかぁ……」
口にして、改めて現実を直視した。
”烏天狗”の言う通りなら、巡や草加先生だけじゃない。
他の皆も”呪い”によって死んでしまったらしい。
この状況で、今更私に出来る事なんか……
『そんなんだからあんな雑魚にいいようにされるんじゃ馬鹿者が! シャキっとせいシャキっと!』
なんかめっちゃ怒られたんですけど。
『もう説明するのも面倒くさいが……いいか、そんな辛気臭い顔を浮かべて居る間にも、お前の仲間は苦しんでおる。 それでいいのか? お前は不貞腐れた子供の様に寝転がっておるだけで、皆の足を引っ張っておる。 もう一度聞く、それでいいのか? お前は何の為に力を欲した? あの時の意思は、もうお前には残っておらんのか?』
強い口調で、私を問いただしてくるコンちゃん。
でもその言葉、どこか憂いに満ちたモノであった。
「助けたいよ、失いたくない。 でも、もう皆は……」
『だから、まだ間に合うと言ってるんじゃ。 いい加減言葉の意図を読み取らんか空け者が』
「は?」
どこか呆れた顔を浮かべながら、コンちゃんは盛大にため息を漏らした。
ついでにヤレヤレと言わんばかりに両手と首を振って、最大限の呆れ顔を晒している。
自分の顔でもちょっとイラッときてしまうのは何故だろうか。
「だって草加先生も巡も死んじゃったし、他の皆だって……」
『貴様は”疑う”という事を知らな過ぎる。 見える者を疑え、聞こえる事を疑え。 貴様の信じたい”モノ”のだけを信じれば良い。 貴様にとって、”この世界”は信じるに値するかの? 恋焦がれた相手も、親友と呼べる存在も居ない世界を、貴様は肯定するのか? いつまでもウジウジ悩んで居るからこそ、今の惨状に陥ったんじゃぞ?』
その言葉に、目の前が真っ暗になった気がした。
だってそうだろう。
事実草加先生と巡は目の前で焼かれ、他の皆も死に絶えた。
この現実を前に、私は全ての目標を奪われた気分になったのだ。
事実どうしようもない、現実はそう甘くない。
だからこそ私は——
『だからこそ抗え、そう言っておるのだ。 認めるな、全てを否定してみせろ。 元々”亡者”共の相手をしてるくらいじゃ、”眼”を凝らせば見えてくるじゃろう? ここがどういうモノなのか』
促される様に視線を周りに向ければ、今さっき通ってきた筈の廊下が、黒い霧に包まれていた。
なんだ、これは。
『目を反らすな、しっかりとその”眼”で確かめろ。 お前にとってこれは”現実”か?』
黒い霧が、すぐ足元まで迫ってくる。
もう逃げ場がない。
このままではきっと、私も皆みたいに……
『ホンッとうに辛気臭い娘じゃなお前は! 何をビクビクしておる! 捨てられた犬っころの様な顔をしてないで、とっととこっちに飛び込まんか!』
険しい声を上げながら、鏡の中の私が手を差し伸べてくる。
飛び込むって……え? 鏡に?
「あのねコンちゃん。 人間っていうのは鏡にぶつかったらとっても痛いんだよ?」
『その訳の分からん名前も頭に来るが、可哀想な子見る感じで我を見るのを止めよ! 非常に腹立たしいわ! いいからとっと来んか馬鹿者!』
鏡の中の私が消えると同時に、再びどこからともなく”狐”が現れる。
今回は最初に見た時の様なビッグサイズで。
そして私の襟に噛みつくと、有無を言わさずとんでもない力で持ち上げられてしまった。
——ワンッ!
「ちょ、ちょっと待って! 私壁抜けとか出来ないから! 絶対痛いから!」
いくら叫ぼうと聞き入れては頂けないご様子で、ペイッと鏡に向かって放り投げられた。
そりゃもう、荷物の様に。
「ちょっとぉぉぉ!」
ニッと憎たらしく笑う狐を視界に抑えながら、背後でガラスの割れる音がする。
それと同時に、私の目の前が真っ暗に染まって意識が遠くなっていく。
やっぱ……割れたじゃん……ぶつかったじゃん……
薄れていく意識の中で恨み言を漏らしながら、私は完全に意識を手放した。





