樹海 5
「それでさ、そろそろ説明してほしいかなぁ……なんて思ったり」
恐る恐ると言った様子で、腰を下ろした椿先生が皆に対して手を上げる。
皆に携帯食料を配っていた巡でさえ、「あぁそういえば」みたいな顔をしている辺り、多分完全に忘れていたんだろう。
まぁ私も忘れてたけど。
「えーっと、簡単に言うと……さっきいたのは皆幽霊です。 全員ぶっ飛ばして問題ありません」
「ええぇ……色々突っこみたい所ばかりなんだけど……」
ですよね、雑過ぎる説明を受けた椿先生は余計に混乱していた。
そんな彼女に対して、巡はため息を一つ溢すと致し方ないとばかりに口を開いた。
「時間が無いので、質問は可能な限り無しでお願いします。 ただ私たちに起こった事だけを話します。 聞いても信じられないでしょうけど、事実私たちが関わって来た問題の数々です。 それだけは頭に置いた状態で聞いてください、いいですね? それから……鶴弥さん、警戒はお願いします」
そう言って巡は語り始めた、今まで私たちに起こった出来事を。
もう何度目だろうと思うと同時に、懐かしさも込み上げてくる。
こんな事もあった、そういえばそう言う事もあった。
なんて思い出と共に巡の話を聞いていれば、それこそ数分間の休憩は取れた気がする。
事情を説明するだけでも、随分と濃い内容になったものだ。
改めて私たちの活動の歴史に浸っていると、椿先生は顔を青くしながら叫んだ。
「草加君なにやってんの!? そんな危ない事情に首突っ込んでる生徒達を放置してたわけ!?」
「あ、いえ先生は見えてない、というか勘違いさせながら利用させていただいている状態なだけで、危機管理意識は高いと言うか……っていうか椿先生も似たような状態ですからね?」
「そ、それを言われると……何も言えない……」
巡の言う通り、草加先生は見えない所で結構しっかりしている。
防犯用の装備は持ったか? とか、定時連絡しないと迎えにいくからな? とかここ最近は特に色々言ってくるのだ。
多分彼の中で最大限私たちの活動を尊重した上での妥協点だったのだろう、意外と心配性なのだ、あの人。
そして椿先生に関しても同じことが言えるだろう。
なんだかんだこんな所まで付いてくるし、ありえない状況に放り込まれても私たちの事を心配してくるし、そして何より”生徒”が危険に晒されていると知って怒れる感性の持ち主なのだ。
私たちは、良い”教師”に巡り合えた。
素直にそう思える。
「とりあえずさっきの女好きジジィをどうにかしないと、黒家さんが危ないって事ね……」
「えぇまぁ、そうなんですけど。 それより幽霊云々とか夏美の姿とかに驚かないんですね? こちらとしては楽で助かりますけど」
確かに。
説明を素直に聞いていた椿先生のリアクションが、やけに少ない気がする。
普通だったらこう、もっとこうさ、あるじゃない。
信じられないとか、拒否するとか、あるじゃない。
なんて思いの面々を無視して、椿先生はあっけらかんと答えた。
「まぁ私は見えないけどさ、そういう”家”に生れた訳だし? 昔から色々聞いてる訳よ。 めぐなつコンビなら分かるでしょ? あのお婆ちゃんだよ? 居るんだよ! って言われたら信じるしかないじゃん? しかも早瀬さんの狐姿だったら、前に一回お婆ちゃんで見てるし、その時は見間違いか何かかと思ったけどね? 我が家の祖母がコスプレババァって、生理的に受け付けなくて」
ケモミミばばぁが爆誕した瞬間であった。
そうかぁ……巫女がどうとかって言ってたけど、あのお婆ちゃんも”狐憑き”だったのかぁ……
今現状はどうなんだろう、今でも狐憑きになれるのかな?
それとも愛想つかされて、仮面に戻っちゃったのかな?
どっちにしろあの時の印象から、あまり見たくない光景であることは確かだ。
尻尾が最大どれくらい増えたのかはちょっと気になるが。
そしてナチュラルにめぐなつコンビってまとめるの止めてもらっていいですかね。
「えぇっと……はい、心中お察しします。 他人様の家のお婆さんをとやかく言うつもりは毛頭ありませんが、あのバァさ……お婆さんに”狐”が付いてる状態だったら私多分祓われちゃってエラい事になってたかもしれませんし。 そして見たくもありません」
「だよねぇ」
やけに意気投合してる二人だが、「とやかく言うつもりはない」なんて言いながら、はっきり言っちゃってる巡はもう少し優しい日本語を学んだ方がいいと思うんだ。
「でもさ、話を聞いてて思ったんだけど……その”八咫烏”? ってさ、そんなに数が居るモノなの? それとも一匹が草加君に喰われた後、復活したとか? 結局神様的なのを食べるとどうなるの?」
話題を修正した椿先生は、不思議そうな顔を浮かべて私たちが後回しにしてきた問題の核心を突いた。
今は巡の抱える問題である”烏天狗”に集中すべきだろうと考えたからこそ、あえて触れなかった話題。
でも誰しも気にしているのは明らかだった、全員の視線が巡に集まった。
「正直”神様”っていうモノに対して、私たちが得られた情報はとても少ないです。 多分夏美に憑いている”狐”と同系統だとは思うんですが……彼の場合食べてますからね、どんな変化が起こるかなんて想像も出来ません。 そして私が会った”八咫烏”、そして先生のソレと、皆が出会ったソレが同じ物かと言われれば、正確な答えは出ないのが現状です。 ただまぁ、ろくでもない事になっている気がしなくはないですが……」
黙ってしまった巡に対して、私たちは声掛けられなかった。
考え方によっては『上位種』が更に進化して、神話的な何かに変化する……なんてのも考えられなくはないが、だったら私達”生者”に協力する意味が分からない。
だとしたら私たちが会った”八咫烏”は全く別物で、草加先生と出会った挙句焼き鳥にされてしまったその子は、まるで関係がないんだろうか?
茜さんと八咫烏が”草加浬”という人間の近くに居る時点で、それはちょっと考えにくいが……
「同じ種類だけど全くの別人……別烏? か、もしくは一部でも残ってれば細胞分裂でもして蘇るのか、バクテリアみたいに。 はたまた『死』という概念そのものがないのか。 夏美に憑いてる”狐”で検証できれば何か分かるかもしれませんが、夏美と”狐”が分離しませんからねぇ……流石に夏美の頭から齧らせる訳にもいかないので、結局分かりませんね」
やれやれと肩を竦めながら、ため息を溢す巡。
なんて恐ろしい事を言い出すんだコイツは。
「コンちゃんは食べさせないからね、これ絶対」
「名前付いてたんですね……どっかで聞いたことある名前が」
ジロッと睨みつけると、再び盛大にため息をつかれてしまった。
解せぬ。
「そんな事より、私はさっきの巡について色々話して貰いたいんだけど……あの影みたいなの何? 絶対良くないモノだよね?」
誰もが気になっている話題だが、敢えて触れないソレに対して私は切り出した。
何たって『上位種』でさえ屠れる力を持った”ナニか”なのだ。
問題なく使用できるなら使わない手はない。
だとしても、もう一度使えとは言えない理由。
それが彼女の片腕に現れていた。
「それ、大丈夫なの?」
巡の右腕には黒々とした蚯蚓腫れが広がっていた。
それだけじゃない。
彼女はさっきから、右腕を使おうとしないのだ。
水分を渡す時も、携帯食料を渡す時も、全て左手。
そんな状態で気づけない奴が居るのなら、相当な鈍感野郎だろう。
「大丈夫かどうかは、正直分かりません……ただ、貴女の言う通り”良くない”モノだという事ははっきりわかりました」
ハハハと呆れた様に笑いながら、巡は自分の右腕を見つめた。
指を開閉しようとしているんだろうが、フルフルと震えるだけで一向に指が閉じる様子がない。
もしかしたら、もう感覚すらないのかもしれない。
「あのクソジジィは”何かが居る”という感覚が分かる様にしてやると、そう言ってました。 でも、こんな状態になった『感覚』を無理矢理使ってはっきりと分かりました。 これは”アイツ”の呪いそのものです。 私の姉を殺した黒い影、それが私の中にも存在していると思うと吐き気がしますが……まぁそう言う事です。 今まで私は”アイツ”と同じ力を使いながら、皆さんを導いて来た訳です。 全く、とんだ笑い種ですよね……」
悲しい瞳を自身の右腕に向けながら、巡は笑った。
とんでもなく、乾いた笑みを浮かべて。
「んーそぉっい!」
バチィィン! と大きな音を立てながら、”狐憑き”の状態を維持した私のデコピンが、彼女の額を弾いた。
「——っぅう!! 何するんですか馬鹿ケモミミ娘!」
「うっさいやい。 悲劇のヒロイン気取ってないで、さっさと作戦考えなさいよ猫かぶり乳娘」
もうね、見てるだけでウザイ。
いやね? 他の人が同じ状態で、同じこと考えてるなら「アイツとは違うよ!」とか感動的な台詞を吐くシーンなんでしょうけどね?
私たちの関係は、そんな優しいものではないんですよ。
そりゃ怪我すれば心配するし、悩んでれば言って欲しいよ。
でも、それを気にするのは今じゃないでしょ?
「それで? あと何回くらい使えそうなの? 使った事による副作用は? さっさと答える」
「ほんっと貴女は遠慮とか配慮とかいうものが足りませんね!? これ多分脱いだらこの痣結構広がってますよ!? さっきから半身が痺れてるんで! それくらい最悪ですよこの力! 飲み込んだ相手の苦しかった記憶とか、悲しかった記憶が一辺に流れ込んでくるんですから! 出来ればもう使いたくないです!」
額を抑えながら涙目で訴えかけてくる巡に目元を緩めながら、私は頷いた。
「なら、あと一回は大丈夫だね! 残り半身がある! 呪いの元凶を潰せば、後遺症もダイジョブでしょう、多分!」
「おいコラケモミミ。 使い方もままならない能力にそこまで期待するなよ。 むしろ使わない方向で話を進めろよ」
何やら寝ぼけた発言を巡が繰り返しているが、もはやどうでもいい。
使えるモノは、何でも使う。
それがこの合宿における最初の条件だった筈だ。
例え腕が動かなくなっても、足が無くなっても、全員が生き残る事優先だ。
この条件を満たした上で”烏天狗”が倒せるのであれば、私は後悔なんてしないだろう。
私の腕一本、足一本でこの問題を解決出来るなら、それくらいくれてやったっていい。
それで全員無事ならそれでいい、だとしても……だ。
私たちには、草加先生という最終兵器が居るのだ。
だったら、どうせなら。
全員五体満足で帰りたいじゃないか。
だからこそ、今の巡には悲劇のヒロインやってる時間はない筈だ。
”全員が無事に帰る”為には。
「もちろんさっきの”影”を使わないに越した事は無いけど、そもそも巡が無理でしょ? 使うなって言ったって絶対ヤバくなったら使うもん。 だからこそ”出来る限り使わない作戦”をちゃちゃっと考えるべきでしょうが。 単純に使いどころは間違えるなって言ってる訳ですよ」
「ほんと、短い間でいい性格になりましたよね貴女……」
呆れた眼差しを向ける彼女に、自信満々で笑う私。
傍から見たらさぞ滑稽に見えただろう。
でも、私たちはコレでいいのだ。
前から、それこそ最初からこういう関係だったのだから。
「よくわかんないけど……出来るだけ怪我しない作戦にしよう? ほら、ね? 皆若いんだしさ、物騒な話題で喧嘩してないで……」
突然口を挟んだ椿先生は未だ現状を把握しきれていない状態だったのか、私たちの仲裁に入ってきた。
多分見ようによっては喧嘩が始まるとでも思ったのだろう。
その割に、他のメンバーは随分と落ち着いているが。
「椿先生、先輩達のアレはいつもの事なので気にしなくて大丈夫ですよ? ただじゃれ合ってるだけです。 ホラ、猫みたいな。 大丈夫です、二人は仲良しさんですので」
「え、あ、そうなの?」
ちょっと待って欲しい、いつの間にか私たちのやり取りが恒例行事みたいな言われようなんだけど。
そんなに何度もやらかしてないよね? あれ? そうだよね?
「鶴弥さんも夏美に似て、随分と言う様になりましたね……」
動く方の拳をプルプルと震わせながら、巡がつるやんに近づいていく。
対するつるやんは「きゃー」なんて棒読みの悲鳴を上げながら頭を押さえてるが。
「いやでもホント、二人がこういうやり取りしてる時って一番表情豊かだよね。 眼福眼福」
今度は天童君が裏切った。
なにコレ。
なんか微笑ましいモノを見る感じの眼差しが四方八方から向けられ、非常に居心地が悪いんですが。
「ウチの姉がいつもご迷惑をお掛けしております……」
なんか俊君皆に頭下げ始めちゃったし。
もうやめて、ていうか止めてあげて。
巡が真っ赤になって全身プルプルし始めてるから。
「確かにまぁ、なんというか……部室で話してる時より二人とも活き活きしてる、かな? 普段からそうしてればいいのに、特に黒家さん。 学校でもそうやって笑ったり怒ったりしてたら、かなりモテそうなのに」
それは巡が学校では特別不愛想って意味ですよね?
私だけ話から外された事に、特に悪い意味はないですよね?
大丈夫、私は椿先生を信じてる。
……私には巡みたいな顔も乳もないやい、ちくしょう。
「もういいです……皆嫌いです」
恥ずかしさの余り半泣きになった巡がプイッと顔を反らすと、椿先生が「おぉぉぉ」と何故か拍手した。
「ヤバイ、何この子超可愛い」
「でしょう? ウチの部長は早瀬さんが絡むとめっちゃ可愛いんですよ」
「否定はしませんが、こういう煽りに一番耐性が無いの黒家先輩だって分かっててやってます? 皆さん結構鬼ですね。 いやまぁ可愛いですけど」
「ウチの姉が本当にご迷惑を……」
もうね、なんだろうね。
巡なんか膝抱えて身体ごとそっぽ向いちゃったし。
そしてアレだよ、私のこのオマケ感。
すっごい悲しい、疎外感が酷い。
ぐぬぬ……とばかりに拳を握りしめていると、それに気づいた天童君が大変いい笑顔で口を開いた。
「大丈夫、早瀬さんはいつも可愛いから。 男連中の反応見てればわかるでしょ、しかもケモミミ生えてる時とかヤバいよね、可愛いと綺麗を両方持ってる感じよね」
「確かに、早瀬先輩はとにかく人懐っこい上に誰にでも平気で絡んで行きますしね。 そりゃ高校生男子なら皆ホレますよ。 可愛いですもん」
「えーっと、ここで賛同してしまうと傷を抉る感じになるかもしれませんが……夏美さんは素敵だと思いますよ?」
「うわー何この子達、ずっとセットで行動してればいいのに。 超可愛い」
おとなしく、巡の隣で膝を抱えた。
もう聞きたくない、めっちゃ恥ずかしい。
さっきまで劣等感を覚えていた私をぶん殴ってやりたい。
何故あの時話題を変えなかった、何故こんな緊急事態に馬鹿な話を繰り広げてるんだ。
もうやだ私帰る。
なんて馬鹿やっている時だった。
急につるやんが立ち上がり、険しい顔で周囲を見回し始めた。
「来ます!」
彼女の声のすぐ後。
事態は変化した。
『随分とまぁ可愛らしい、今からどんな味がするのか楽しみじゃのぉ』
その声が聞こえた瞬間、全身に鳥肌が立った。
「鶴弥さん!」
「はい!」
いち早く反応したつるやんが、音叉を叩く。
キィィィン! という甲高い音が鳴り響くと同時に、重苦しい空気が霧散していく。
あいつ……一体どこに……
警戒した視線を周囲に向ければ、”ソイツ”は当然の様に窓際に立っていた。
さっきからその場に居たかの様に感じてしまう程、自然な姿で同じ部屋の中に滞在している。
『急に走り出したから鬼ごっこかと思えば、今度はかくれんぼか? それにしては芸がない、こうして全員一辺に見つけてしまってはなぁ……そうだ、次の”げぇむ”でもしようか』
「趣味が悪いですね、相手を前にして舌なめずりとは。 今度は何をして”私たちで”遊ぶつもりですか?」
巡の一言に対して楽しそうな笑みを浮かべた老人が、持っていた錫杖を床に突き刺す勢いで鳴らす。
シャンッ!——
なんとも耳障りな音を上げると、その根本からは黒い霧が広がっていく。
それは床を這う様にして、すぐさま私たちの元まで届いた。
『少しばかりお前さん達の”心の質”というのを見てみようか思ってな。 なぁに、少し夢を見るだけの事。 ただし夢の中で死ねば、こっちでも死んでしまうというだけの”悪夢”じゃ。 そう警戒するでない』
「クソ野郎が……!」
話している間にも黒い霧は私たちの身体に纏わり付いてくる。
やがて霧は全身を包み込み、視界は黒く染まっていく。
『さぁ眠れ、子供達よ』
その声と共に私の意識は遠のき、重くなった体が床にぶつかった音だけが頭に響いた。
”タイムベント”
いやそうではなく。
明日はちょっとお休みする”かも”しれません。
明後日には上げられるとは思いますが、がんばります。





