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あの日の想い

作者: harao

最期の一言。

たった一言。

それはどうしようもなくありふれたもので、どうしようもなく伝えたいことだった。

君のことを忘れていた。


そのことを思い出したのすらこの死ぬ間際だ。


情けのない話だ。


あれだけ好きだったのに、あれだけ想っていたはずだったのに。


それなのに忘れていた。


悔しかった。


拳を握り締めようにももうそんな力も残っていない。

病室のベッドに横たわった体は微塵も動かず、ただ薬品の匂いを嗅ぎ、天井を眺めるのみとなっていた。


死の間際になるまで君のことを忘れていたことを後悔した。


それでも僕は忘れたいと願っていたはずなのだ。


あんなに大事だったのに、あんなに忘れたかったのに思い出してしまった。




高校生になって初めて恋をした。


グラウンドで部活をしていた僕は放課後の教室で窓から顔を出して黄昏ていた君を見つけた。


一人夕陽を浴びて輝く君の瞳に吸い込まれた。

風になびいた綺麗な黒髪に惚れた。

ふとこちらを見つめた時の柔和な笑みに惚れた。


そう、一目惚れだった。




その日から必死に君の気を引こうとしてバカやっておどけてみせた。


くだらないことをする度に君は笑ってくれた。


例えこの恋が実らなくても君のその微笑みがあれば良かった。


君は僕なんか興味もなかったかもしれない。


君にはもっとふさわしい人がいるとすら思っていた。


それだからこそ実りもしない恋でもいいと割り切れていた。


それでも僕は君の隣にいられるだけで十分だった。


君の傍にいられなくても…。




片想いの日々が長らく続いたある日、君に体育館の裏に呼び出された。


何事かと思って僕は放課後に真っ先に向かったが、君はしばらく俯いて話さなかった。


やっと顔を上げた君は僅かに口を開いた。

何を言ったか聞き取れなかった僕は聞き返した。


君は頬を赤らめて僕のことを単刀直入に好きだと言った。


突然のことに言葉が出ずに同じく顔を真っ赤にして、必死に首を縦に振って告白を受け入れた。


好きだと言えずに返せたのはそれだけだった。


それでも君はそんな僕を見て微笑んでくれた。


その日からの日々はまさにバラ色だった。




君と桜を見た。


君と海に行った。


君と夏祭りに行った。


君と花火を見た。


君とキスをした。


君とクリスマスを過ごした。


君と年を越した。


君の笑顔を見つめていた。


そのすべてを鮮明に覚えていた。


あの日までは。




卒業間近の春の事だった。


ある日、君がトラックに轢かれて病院に搬送されたとご家族から連絡があった。


僕はなりふり構わず息を切らせて病院に走って向かった。


病院に着くと君の顔には白い布が被せられていた。



たったそんな布切れ一枚を隔てただけで、君は遠くにいると感じた。


こんなにも君を遠く感じたのは初めてだった。


ぴくりとも動かない。

あの微笑みも見ることもできない。

ただただ君が遠かった。






その日からというものの僕は狂ったように学業に打ち込み、君のことを忘れようとした。


研究職に就き、狂ったように研究に打ち込んだ。


何かに打ち込むことで君を忘れようとした。


君がいないのに君の残像だけがいつまでも脳裏から離れないのが耐えられなかった。


それでも君のことを忘れることはできなかった。


いつまでも色あせることなく残酷にも君は僕から離れてくれなかった。


告白の返事を言葉にして伝えられない。

君に会うことも、君の笑顔を見ることも、君に返事を伝えることももう叶わない。




だがある日、その残像は消えてしまった。


その日も限界まで仕事をしてふらふらと意識を朦朧とさせながら帰路についていた。


そのせいかトラックに気付かなかった僕はトラックに轢かれて頭を強く打ち付けた。


全身がきしむように痛いとかそういったものはない。


轢かれた衝撃で一瞬にして意識が飛んだのだ。




病院で目が覚めると何かが足りないと直感的に感じた。


朧気ながらに大切な人がいたとしか思い出せないでいた。

ただ、伝えたい言葉があったはずだ。

それすらも思い出せない。


記憶を損傷したのだ。


それが原因で君との思い出も消えてしまった。


その日から僕は抜け殻になった。


君のことを忘れてしまった事すら忘れて君の残像も消えて僕には何も残らなくなった。


その日から生きているのか死んでいるか分からないような日々を過ごして遂に老衰を迎えた。




病室のベットに横たわり死を間近にしていることを自覚した時、走馬灯のように君との思い出が溢れてきた。


1つずつ君といた日々を思い出す。


1つ、また1つと思い出すたびに涙があふれてきた。


気づけば顔は涙で濡れきっていた。


君は僕の全てだった。


例え残像でも僕を支えてくれるのは君しかいなかった。




体はもう動かない。


指一本にすら力が入らない。


それでも伝えなければならない。

伝えなければ…。


僕はこの命を燃やしてでも君にこの言葉を伝えよう。


命の灯が尽きる前に最後の気力を振り絞って震える口を動かし枯れ切った声で一人呟いた。






「あ…りが……と…う……僕…を……好き…にな…って…くれて。

ぼ…く……もだ…いす……き………だ」






その言葉を最後に僕は布切れ一枚を隔てて世界から切り離された。


あの日返せなかった言葉。


やっと君に好きって言えたよ。



伝えたかった想いを伝えられたのか。

答えはノーだと答える方が多いでしょう。

しかし、想いはどうしたら伝わるのか。

それは定かではなく、この二人にとっては『これだけ』で十分だったのかもしれません。

『これだけ』のことを伝えるのがどうしようもなく難しいものです。


この想いは伝わったかも知れない。

でも、死んでしまっては語り掛けることはできない。

生きてるうちに後悔はしたくないものです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 詩的だというのが第一印象です。 第三者から見たら悲しい結末ですが、本人はほんの少しの救いに、本当にほんの少しだけ報われたというのが切なくて好きです。 [気になる点] 文頭の忘れていた/は…
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