乙女ゲームの世界にモブとして生まれ変わったけど、あの二頭身キャラがこんなに素敵だなんて聞いてません!
一度は書いてみたかった乙女ゲーム転生ものにチャレンジしてみました。
誤字脱字等ありましたら感想欄にお願いします。
空気の入れ換えの為に小さく開けた窓の方から太鼓の音と低く轟くような男の人の声が響いてくる。ああ、今日も始まった。思わず口許が緩んでしまう。
今私がいる教室は特別教室棟の五階、対してあちらは隣の三階建ての棟の屋上。はっきりくっきり細かいとこまで見える訳じゃないけど、そこにいる人物が誰で何をしているか、大まかな表情等は読み取れる。
この教室の前から数えて三番目の窓。入部して1ヶ月後に気付いて、それからひと月と経たない内に確立した私のベストポジション。私は近くの机をずりずり押して壁にくっつけて、行儀悪いけどその机に腰掛けて窓枠に肘をついた。
ちょうどいい高さ、ちょうどいい角度。そこから隣の棟を怪しくない程度に眺めるのがすっかり私の日課になっている。
三三七拍子のリズムに合わせて動く一団。ビシッと末端まで弛みなくのびた腕、目の前にいれば勢いよく風を切るその音が聞こえてきそう。
うちの制服は男女ともブレザーだけど、彼らが身に纏っているのは黒の学ラン。夏服の移行期間中でその格好は間違いなく暑いだろうに、そういった様子は微塵も見せずに一糸乱れぬ動きを見せる。
そんな鍛え抜かれた一団の中心、一際存在感のある人物がそこにいた。
短い黒髪に凛々しい太めの眉、日に焼けた小麦色の肌、周囲より頭一つ抜けた長身で、がっしりとした体つき。
その身を包む長ランは応援団長が代々受け継ぐ物らしいが、どこか威圧感を感じさせるその服装でも、彼は全く見劣りしていない。
そんな彼は、少し反り返るような姿勢でただ真っ直ぐ前を見据えて、声を張り上げていた。背すじがざわつく感覚がして、私はますます笑み崩れそうになる。
もっとこの声を聞いていたい。
もっとこの姿を見ていたい。
「葛城サン、鼻の下伸びてる」
「……あ、どうもすいません」
意識して唇を少し上向けてから声の主にちらりと視線だけをやると、蜂蜜色のツヤサラヘアーの美形――二階堂先輩が呆れたようにこちらを見ていた。
「毎日毎日よく飽きないよね」
「先輩も好きな人できたらわかりますって。きっと来年あたり天真爛漫な後輩が入ってきて、その後輩が打算なしに無邪気に接してくるもんだから、先輩のひねくれねじれきったハートもドロッドロに溶かされてベタ惚れですよー」
「うわナニその妄想。具体的すぎて気持ち悪いんだけど」
先輩は苦虫でも噛み潰したみたいにそのキレイな顔面を思いっきりしかめた。あのー、その豚でも見るような目やめてもらえます? 生憎そんな性癖ないんで。
うーん。でも、コレあながち妄想とも言えないんだよなあ。まあ本当のことをありのままに言ったら今以上にドン引きされるから言わないけどさ。
「だって、少女漫画とか恋愛小説じゃ定番じゃないですかー? ひねくれ者の美形と素直な女の子って」
「知らないよ。僕が普段そういうの読んでるとでも思ってんの?」
「あはは、思ってないです。読んでたらちょっと引……いや、尊敬シマスネー」
「おいコラ」
ちょっとドスの利いた声で睨むその顔まで絵になるんだから、もはや顔面偏差値の暴力と言うしかない。
あぁ、この顔写真に撮って校内オークション(非公式)に出したらとんでもない値がつくんだろうなー。喜んで先輩の豚になるような嗜好の方々が、競い合うようにしてその値をつり上げてくれるに違いない。
脳内で獲る気もない狸の皮算用をしつつ、私は先輩と軽口の応酬を続けていくのだった。
先輩はちょっとこの辺にはいないレベルの美形だ。性格に若干難アリだけど。
どれくらいの美形か具体的に言うと、男でもオチちゃうレベル。親衛隊やらファンクラブやらができちゃうレベル。先輩目当ての入部希望者が殺到しちゃうレベル。
二次元か。二次元の住人なのか。
実際一度「二次元の世界から抜け出してきたんですか?」と半分冗談半分真面目に訊いてみたことがあった。ちなみにそれに対する先輩の答えは「いい病院紹介しようか?」だ。しかも頭近くで指先を円を描くようにくるくる回すという仕草付き。
このヤロウ……と口に出さなかった私って偉い。
つくづく思うんだけど、何故こんな人がモテてるんだ?
顔か? 人は見た目が10割なのか?
でもまあ、初対面でこんなやり取りをしてたから部長は私を安全牌だと判断してくれたんだろう。
先輩が入部した去年から始まったことらしいけど、我が美術部は入部するにあたって二度ふるいに掛けられる。選抜試験が設けられるくらいなんだから、ウチのレベルが相当高いのかっていうと、別にそんなことはない。県内なら……ってくらいかな。
それならふるい落としの目的とは何なのか。
まず一回目は美術への関心の有無、二回目は色恋沙汰に興味が偏っているか否か、で選抜される。つまり先輩目当てで美術室に入り浸る輩は要らないし、下らん揉め事起こす輩もノーセンキューってこと。
一回目で落ちたらもちろん入部できないし、二回目で落ちたら入部はできても先輩と同じ教室で活動することは許されない。結果、先輩のいる第二美術室で活動できるのは両手で数えられる程度の人数だ。
そんな精鋭うれしくない……
更にその精鋭(笑)から各々興味のある分野に別れて動いたら、まあ当然の帰結ながら各分野一人~三人となる訳で。
私の分野――油絵は多い方だ。各学年に一人で、一年生が私、二年生が二階堂先輩、三年生は美大受験を控えた那須先輩の計三人。でも那須先輩は受験対策で塾(?)に通ってるから、実質二人か。
中学の美術部はもっとにぎやかだったんだけどなあ。広い教室の中心にぽっかりあいた空白が寂しい。
美しさって罪ですねぇ。
「あ、もう5分経ちましたね。終了ですよー」
「ん、了解」
鉛筆を動かす手を止めて先輩は顔を上げた。私も座っていた机からひょいと降りて思いっきり伸びをする。あー肩甲骨あたりがポキポキいってる。
机に座って窓を眺めてた私はさぞ堂々とサボってるように見えていたことだろう。でも実はこれも部活動の一環だったりするんですよねー。短時間で対象の全体像を掴む練習。私はその練習のモデルだった訳です。
本来ならもっと大人数で色んな角度から描いて批評し合うんだけど……ホラ、二人だし。
ちなみに先輩が描いたものは毎回、デッサンの間違いじゃないですか? と問いかけたくなるくらいに緻密だ。5分で雑談しながらコレって、もはや意味がわからないよ。
「うわー毎度のことながらすっごいですね。先輩の親御さん、才能に慄いて筆折ったりしてません?」
「そんな訳あるか。――父さんは、もっと手の届かないとこに居るんだよ」
「さいですか」
先輩は誇らしさと悔しさをごちゃ混ぜにした顔をしている。誇らしさ7割悔しさ3割ってとこかな。
追いつき追い越したい壁だけど、それと同時になかなか倒せない大きな存在でもあってほしいってやつか。
男の子の心理というやつもなかなか複雑だ。
父親が画業の先達ってのが余計複雑にしてる要因でもあるのかもね。
***
「じゃあお先に失礼します。お疲れさまでしたー」
「あぁ、お疲れ」
「ん、お疲れさん」
そんなこんなで部活を終えて私は第二美術室を後にした。まだ二階堂先輩とデザインの沼田先輩が残ってるけど、あの二人はいつも集中すると時間忘れちゃうからなあ。さっき挨拶返したのも単なる条件反射だ。誰が言ったかなんて区別もついてないに違いない。
毎日この二人を回収して第一美術室と第二美術室の施錠、カギの返却とこなす部長に尊敬の眼差しを送りたくなる。最終下校時間ギリギリのタイムアタックとか私だったら絶対無理。絶対ヤダ。
五階分の階段を降り終えて、生徒玄関に繋がる廊下を歩きながら外をふと眺めてみると日が沈みきってしまう寸前だった。バス通学で自宅もバス停近くとは言え、もう少し下校時間は考えた方がいいのかもなぁ。
つらつら考えていると、ふと背後から声がかけられた。
「あれ? 今日も時間同じなんだ。偶然だね」
こ、この声は……!
その人物を目に映すより先に心臓がリズムを速めていく。どうしよう、急に掌も汗ばんできた。
慌てて振り向いた先の彼は、第二美術室から見えた時のような学ランではなく、制服姿で学生鞄とスポーツバッグを手に立っている。そう、彼は――
「熱田先輩! お、お疲れさまですっ」
「うん、お疲れさま。こんな時間まで熱心だね、葛城さん」
「いえいえっ、熱田先輩こそ練習、暑い中こんな遅くまで……。あのっ、毎日応援団の声が聞こえてくるんですけど……私それで、いつも、元気づけられてるんですよ」
「はははっ、あれ聞こえてるのかー。何だか照れるなあ。でも、むさ苦しいとか暑苦しいとか言われることも多いから葛城さんがそう言ってくれるとうれしいよ、応援団としても」
熱田先輩の笑顔がまぶしい。あのキリッとした眉がへにゃんと垂れ下がって、口許にえくぼができてるんだよ?
このギャップ! たまらん!
目には見えないけど、キューピッドはきっと今弓矢猛乱射中なんだ。だって現に私の心臓にブスブス刺さりまくりで、串刺し? いや、その表現は生温い。メッタ刺し状態だ。
くうっ……なんという破壊力……! 効果は抜群だ!
脳内でゴロンゴロン悶えながら、私は品行方正な後輩の外面をどうにか取り繕って返答した。
ちょっと後半ごにょごにょ濁す感じになったのはご愛嬌ということにしてほしい。ついでに、熱くなった頬を隠すために俯き気味にしてるのもスルーしてほしい。
「……葛城さん? どうした? ちょっと元気ないみたいだけど」
……してくれませんでしたー!
うぎゃああっ! ちょっ、顔覗き込まないでっ! 見える! 真っ赤っ赤の情けない顔が見えちゃうからっ!
ああああ、待って、ねぇ待って! 熱田先輩の汗のにおいが制汗剤と混ざって漂ってきてるんだけど! 私の顔の穴という穴から熱田先輩が侵略中なんですけど!
咄嗟に私は鼻と口を手で覆った。
「……ぁ……すみません。最近急に暑くなったせいか、あまり体調がよくなくて……」
そう。私は病弱、私は病弱。
決して熱田先輩の匂いに興奮してる訳じゃないんですよ、ええ。息が荒いのも体調不良のせいですから。
「大丈夫? 保健室……は今の時間開いてないもんな。一人で帰れそう?」
「っだ、大丈夫です……バス乗ったら、すぐなんで……っ」
ダメっ! そんな近くで喋らないでっ!
ぐるぐる混乱してきた頭じゃまともな返答するのも難しい。というか、自分が何を言ってるかもわからないくらい頭が真っ白だ。
「バス? ……どっち方面?」
「え……? あ、せせらぎ公園前行き……ですけど」
熱田先輩はその答えに少し考えるように顎に手を添えると、結論が出たのか一つ大きく頷いた。
「そっか……よし!」
「熱田、先輩?」
「同じ方面みたいだし、俺も一緒のバスに乗ろうかな」
!?
あなたは何を仰ってるんですか?
「えっ、でもあの、熱田先輩ってバス通学じゃ、ないですよね……?」
「そうだね。いつもはランニングがてら走って帰ってるよ」
「それなら、悪いですよ……ほらっ、私大丈夫ですから! 一人で帰れますよ。ねっ? ほ、本当ですよ!」
その場しのぎの仮病なんぞで熱田先輩のお手を煩わす訳にはいかない。慌てた私は口を覆っていた手を外して必死に元気アピールをしてみた。
けれど残念ながら効果はいまひとつのようで、熱田先輩の眉尻は依然下がったままだ。うーん、と唸ると彼はその目を軽く伏せた。
「――でもね、俺も正直暑さでバテててさ。一日だけこっそりランニングサボっちゃおうかなぁって思ってるんだ。それで、葛城さんがその口実になってくれるとうれしいんだけど……どうかな?」
言いながら熱田先輩は軽く屈むようにして私と視線を合わせると、はにかんだ笑みを浮かべて小さく首を傾げてみせた。
……ねぇ。こんなこと言われてこんな表情見せられて、首を横に振れる人間なんている? いや、いようがいまいがこの際関係ない。
こんなの頷くしかないでしょ!
少なくとも私には、はいかイエスしか選択肢が用意されてないよ!
こうして私は思いがけずドキドキ下校イベントを体験することになった。……途中からどうやって帰ったのか記憶にないんだけど、妙なことやらかしてないよね? 私。
乙女ゲームのヒロインって平気な顔して下校デートやってたりするけどさあ、心臓に毛でも生えてるんじゃないの? そりゃあもうフッサフサのボーボーに。
***
日付が変わる直前の午後11時半。どうにか課題と予習復習を終わらせて私はふらふらとベッドに倒れ込む。するとマットレスが程よく体を押し返してきた。
いつも以上に身体が重いのは間違いなくあの下校イベントの影響だろう。今日の熱田先輩の声や表情を思い返しては身悶えしてしまう。今は誰の目もないから心おきなくベッドの上でリアル悶絶中だ。
「あああぁあぁ」
熱田先輩。
フルネームで書くと熱田 傑。
わが学園の応援団長を務める二年生。応援団の凛々しく雄々しい姿と普段の穏やかで人当たりのいい性格とのギャップが一部の生徒に受けているらしい。
かく言う私もその一人なんだけど――
「ゲームの中では二頭身キャラだったのに、実物があんなに素敵なんて聞いてないよ……」
ぎゅうぎゅうに抱き締めたクッションに額を押しつけて呟いた。
ゲーム。
そう、ここはとある乙女ゲームの世界だ。
客観的に見て頭おかしいこと言ってる自覚はある。おかしいついでに更に言うなら、ここは私が前世プレイしていた乙女ゲームの世界だ。
……うん、もうこの際妄想癖こじらせたイタい奴扱いでもいいから聞いてほしい。
前世の記憶、としか言えないものは始めは既視感という形で現れた。初めて解いたのにどこかで見たことのある問題、どこか遠い昔に聞いた覚えのある地名や店名。それは暮らしの中の至るところで顔を出してきた。
気になって気になってその脳内の既視感を辿ってみると、その先にいたのは一人の女の子。
その子の十六歳までの記憶を私は持っていたのだ。
『お姉ちゃん最初その人にするのー?』
『えー? いいじゃない、芸術家肌のひねくれ者。落とし甲斐あるわー』
『私はこの子がいいなぁ、体育会系後輩わんこ。笑顔がかわいいし』
『……とことん好みかぶらないわね、私たち』
『そーだね』
『まあ全ルートやる訳だし? 二回目は後輩ルート行くからちょっと待っといて、ね?』
『はーい。――あ、今回もミニゲーム代わった方がいい?』
『うん、頼むわ。ああいうタイミング合わせるの、どうしても苦手なのよねえ』
『今回は体育祭に応援合戦のミニゲームがあるみたい。ほら、応援団長の合図に合わせてボタンを押そう! って説明書に書いてある』
『げっ……もうそこは全面的にお任せの方向でよろしく』
『はいはい、任されましたー』
十六歳でふつりと途切れた記憶。事故か事件かわからないけど“前の私”はその歳で亡くなったのだろう。
“前の私”の記憶を復元させたばかりの頃、他愛ない家族のやり取りを思い出してはこっそり泣いてたものだけど。すっかり落ち着いた今だからこそ言える。
「お姉ちゃん、やっぱり趣味悪いよ……」と。
お姉ちゃんが言ってた芸術家肌のひねくれ者、その名は二階堂 恭哉。ヒロインの二つ上で美術部、画家の父を持ち本人も画家の卵。
お察しの通りその攻略対象とは私の美術部の美形先輩こと二階堂先輩その人である。
ゲームのシナリオ通りにいくなら、二階堂先輩は来年入ってくるヒロインとの交流を通して人間的に成長していき、最終的にはナントカ賞を受賞して売れっ子画家の道を歩むことになるんだけど……。
正直そんなのどうでもいいよね!
“前の私”が乙女ゲームやってたのって二次元のキラキラした恋愛模様に萌えてただけであって、「現実にこんな人がいたら」なんて思ってた訳じゃないし。
今の私からしたら現実世界の、しかも身内の恋愛模様でしょ? わざわざこっちから関わるほど興味そそられないわー。
まあ私を呆れ顔で見てたあの先輩が初恋に振り回されてるのを見たくないかって言ったら……見てみたいけど。ここぞとばかりにからかってやりたいけど。
あくまでその程度。そっちはそっちで勝手にやってくれ。
それよりも何よりも熱田先輩!
実は先輩もゲームに出てたんだよねー。攻略対象? はたまたサブキャラ? いえいえ、どっちも不正解。
体育祭のミニゲームにだけ出てくる二頭身のキャラクター、応援団長。名前も与えられていない応援団長。それがゲームにおける彼の役割だ。
でも二頭身にデフォルメされてる訳だから、当然、外見は黒髪でいかにも熱血!って顔してることくらいしかわからなかったんだよね。
だから初めて彼を見たとき、ゲーム云々は私の頭の中からすっかり吹き飛んでいて、ただ目の前の光景に魅せられ圧倒されるしかなかった。
轟く太鼓の音も雄々しいかけ声も、私の身体の奥底まで響いてきて震えてしまいそうで。強い意志の込められた眼差しには胸が熱くなって思わず息を詰めてしまった。
強くて、美しい。
優雅とも華麗ともかけ離れたそれに目も心も惹き付けられていく。
それを見た瞬間私は、どうしようもなく彼を描きたいと、そう思ってしまったのだ。
県の高校美術展は1月。取りかかるなら遅くても夏休みには下書きを始めないといけない。加えて私は人物画に不慣れだから、早いとこ絵のモデルにする許可を取りつけないと!
そう考えた私は思い立ったが吉日とばかりに、応援団長のクラスメイトだという美術部の根津先輩に仲介してもらうことにした。
「えっと、葛城さん? そんな深々と頭下げなくてもいいよ。応援団が練習してるとこ何枚か撮って絵の題材に使いたいってことだよね? 全然構わないよ」
おろおろしながら見下ろす応援団長に、根津先輩がくいっと私の頭を上げさせた。
するとそこには困り眉をしたガタイのいい応援団長が。
ズキュゥウン。
何かが私の心臓を貫通した。
何故かあっという間に喉が渇いてしまい、口がうまく動いてくれない。動け! とっとと動くんだ! 私の唇と舌!
「……あっ、ありがとうございます! えっと、それじゃあ、何日でしたら都合がいいでしょうか?」
「うーん……今週いっぱいは新入部員に基礎を教えないといけないからなあ。じゃあ来週の月曜の放課後にでも来てもらえるかな」
「はいっ」
「場所はわかる? B棟の屋上なんだけど」
「大丈夫ですっ。美術室からいつもバッチリ見えてるんで!」
……って、ちょっと待って。私ナニどさくさに紛れて毎日あなたのこと見てます宣言してんの!?
ぺろっと危険発言かましてくれた口を慌てて手で塞いだ。そろそろと上目遣いに伺うと、応援団長はきょとんとした顔で目をぱちくりさせてた。ちょ、やばい。その顔かわいいんですけど。
あ、今「ストーカーかよ」ってぼそっと言いましたね。小声でもちゃあんと聞こえてますよ? 根津先輩。
「……あ、そうか。第二美術室って隣の棟の五階だったっけ。授業で使うの第一の方だから咄嗟に思い浮かばなかったよ」
一人納得した様子の応援団長にほっと胸を撫で下ろす。どうやらさっきの発言は悪いようには取られていないようだ。
ふー、危ない危ない。
「っはい。ですから大丈夫です。練習のお邪魔にならないよう手短に済ませるつもりではありますが……ご迷惑をおかけします……」
「熱田、オレの方からもよろしく頼む。こいつ、絵に関しては結構真摯なヤツだからさ」
私が改めて頭を下げると根津先輩も一緒に頭を下げてくれた。私は油絵、根津先輩は彫刻だから頻繁に話す訳じゃないのに、この人いい先輩だなあ……。
じんわりと胸が暖かくなった。
「だから頭下げなくていいって。……葛城さん、こちらこそよろしくね。ウチ、毎年部員が減る一方だからさ、葛城さんの絵を見て応援団カッコイイ! って思ってくれる人が増えるといいな」
ズキュゥウン。
はい、第二撃入りましたー!
システムオールレッド。脳内回路がショート寸前です。エマージェンシー。
「――おい、聞いてるか葛城。責任重大だな? 応援団の存続はお前にかかってるらしいぞ」
私が応援団長の笑顔に数秒呆けていると、根津先輩がにやりと笑って爆弾を落としてきた。
い、いつの間にそんな事態に!?
「は、はいぃぃ!?」
素っ頓狂な声をあげた私を同情するように見て、応援団長は愉快そうにしてる根津先輩にため息をつく。
「根津、後輩をからかうなよ……。葛城さん、存続の危機とかそんなことないからね? 根津が大袈裟に言っただけだから」
「は、はい……それは、よかったです、はい」
がくんがくんとぎこちなく頷きながらもなんとか返答する。応援団長は私の動揺を宥めたかったみたいだけど、そんなに近づいたら逆効果です。別の意味で動揺続行中です。
「あ、そうだ。忘れてた。そういえば自己紹介がまだだったね。俺は熱田 傑、応援団の団長をやってます。よろしくね」
「わ、私は美術部一年、葛城 充希ですっ。よろしくお願いします!」
差し出されて握った掌は暖かくてところどころマメが出来ていた。まるで大人と子どもみたいに大きさの違う手。がっしりと節張った手指は頼もしい男の人のそれだ。
大人の男の人というなら、小さい頃父親の手を握ったことだって何回もあったのに。
何でこんなに心臓がうるさいんだろう。
……ごめんなさい、ウソつきました。本当はとっくに答え出てるんで。ちょっと少女漫画ちっくなモノローグ入れてみたかったんです。ほんの出来心ですから、はい。
どうやら、私は応援団での熱田先輩の姿に一目惚れして、今回のあの笑顔を見て二度惚れしちゃったみたいです。
前世も含めてもこれが私の初恋です。
踵を返して立ち去る熱田先輩の逞しい背中を見送りながら私はぼうっとした顔で呟いた。
「私……もうこの右手、洗わない……」
「そりゃあ無理だな。絵筆とかどうやって洗うんだよ? どうしたって両手使うだろ」
隣に立っていた根津先輩がすかさず現実的なことを言う。
余韻クラッシャーですね、根津先輩。
***
昨日の下校イベントの衝撃に悶えている内に眠ってしまったらしい。目覚めたらすっかり早朝、雀がチュンチュンとうるさい。
たかが雀といって侮るなかれ。ヤツらが集まってさえずれば二度寝知らずのアラーム要らずだ。近所の電線やら電柱の上に群れをなすその光景は壮観――鳥好きならそう思うかもしれない。私はうじゃうじゃしてて気持ち悪いと思うけどね。
その電線の下を抜けて私はいつものようにバス停へ向かう。絵の下書きも昨日の段階で終えて今日からキャンバスに色を乗せていくことになる。そう思うと学校へと向かう足も知らず軽くなっていった。
初めての人物画、しかもモデルが熱田先輩、ということでわくわくそわそわしていたこの時の私は、知る由もない。
これから先、二階堂先輩絡みで熱田先輩にあらぬ誤解をされたり、二階堂先輩ルートのライバルキャラの女の子に宣戦布告されたり、来年まんまとヒロインに惚れた二階堂先輩にあれやこれや相談されるようになるということを――
あれ? 全部二階堂先輩関連じゃない?
面倒事に巻き込むのも大概にしてほしいよ! ああもうっ、これだからケタ違いの美形は!
こうなったら迷惑料代わりに先輩の写真、校内オークション(非公式)にでも出品してやろうかな……。
登場人物
葛城 充希
美術部の一年生。二階堂と同じ美術室で活動できる数少ない女子生徒のため、周囲からの羨望と嫉妬の視線が痛い。これからも二階堂絡みで振り回される予定。
二階堂 恭哉
美術部の二年生。男女問わず魅了する美形だが口を開けばなかなか辛辣。写真や使用済みの道具が校内オークション(非公式)に出品されていることを知らない。
熱田 傑
応援団長の二年生。応援してる時と普段のギャップが凄まじい。ギャップ萌えした生徒たちによって「熱田傑くんをひそかに見守る会」が結成されている。
那須先輩
美術部の三年生。美大志望。昨年二階堂に振り回された被害者。
沼田先輩
美術部の二年生。毎日部長に引きずられるようにして下校している。
根津先輩
美術部の二年生。熱田の前で挙動不審になる後輩を面白がっている。




