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08 浅野さん

 気が付くと、抱き締められていた。いないはずの淵野に。息もできないくらいに強く、きつく。恐る恐ると、震えながらに。

 淵野の部屋だった。

 真夜中の事だった。

 隣の自分の家とは違う、それでもよく知った部屋の中で。

 私は淵野に抱き締められていた。

「ふみさん。ふみさん、ふみさんふみさんふみさん! 会いたかった……!」

 淵野は噛み締める様に呼びながら、全身で私を抱き締めた。隙間もないくらい引き寄せられて、顔をうずめる淵野の息が自分の首の辺りに染み込むのを感じる。

 二度と会えないかと思った。夜遅いのは解ってたけど、少しでもいいから顔が見たくてメールした。返信では会えないって言っていたのに、どうしてここで待ってたの?

 そんな事を早口に、懸命に話す淵野の声はどこか必死で、やはり震えているのが解る。

 その時の私は、ぼんやり思うだけだった。

 何かこいつ、今日はえらい雰囲気出してくんな。――と。

 私は、完全に酔っぱらっていた。

 この日の再会は、偶然だった。それか、私の食い意地のおかげだった。

 淵野がいなくなってから数日経って、私は自宅で発泡酒を飲んでいた。飲みながら、思い出した。淵野の所へお父さんがきたあの日、開けたチーズを忘れていたと。

 数日経つが、今ならまだ、救えるかも知れない。おつまみのチーズが。

 その程度の話だ。

 合鍵を手に隣の部屋に上がり込んだのは、まだ夜の浅い時間だった。

 大きな冷蔵庫を捜索していると、ふと、そばにあるワインセラーが目に入った。確か、開封したワインがあったはず。救わなければ、あの子も駄目になってしまう。かも知れない。私はいそいそとワインセラーの扉を開けた。

 完全に、空き巣である。

 自分で思うより、酔っていたのだ。多分。そうだといいな、と思っている。

 無事にワインとチーズを救出し、そのまま一人で酒盛りを始めた。……いや、ワインとおつまみがここにあるのに、部屋に戻る意味ってあんのかなー、って。

 ないよね。ない。ない様な気がする。なかったけ? と、思った頃にはべろべろだった。

 そっから、ちょっと記憶にない。普通に飲み過ぎて、寝たんだと思う。

 これを真夜中に帰宅した淵野が発見し、あの感動の再会を果たした。私は酔って寝ていただけだ。本当に、申し訳ない。


「あら」

 ノックしてから扉を開けると、中にいた女性が声を上げた。いつか見た、お父さんの秘書と言う人だ。浅野さんと言うらしい。

 彼女は着飾った私を見て、少し戸惑っている様だ。当然と言えば当然だった。私は、この場にいないはずだったから。

 淵野と、偶然に、真夜中の再会を果たしてから二週間程が過ぎている。私がいるのは、会社の創立記念パーティーの会場だ。

 正確には、パーティー会場の脇にある、休憩用の個室だった。浅野さんはそこで一人、ソファに掛けて休んでいた。

 どうしても、自分で文句を言いたかった。そのために、わざわざきてしまった。

 今日は、パーティーだからだろうか。浅野さんは、以前見た時と雰囲気が違った。

 あざやかなブルーのドレスにアクセサリーも華やかで、すらりとした耳や首を飾るのは理想的にカットされた宝石だ。

 浅野さんはアンティーク調のソファから、私を見上げた。黒髪をさらりと肩の上に流しながらに、ゆったりと首を傾げて問う。

「どうされました?」

 その声が余りに普通だったから、私は思わず尋ねてしまった。

「私の事、覚えてますか?」

「先月かしら。一度お目にかかりました」

「あ、よかった。覚えてなかったらどうしようかと思いました」

「今日はパーティーへ?」

 浅野さんは言いながら、手振りでソファを勧めてくれた。その正面に座りながら、私は首を横に振る。

「いえ、今日は返してもらいたくて」

「まあ、何を?」

「浅野さんが盗ませた、私と銀次のスマホ。両方返して欲しいんです」

 浅野さんはまるで動揺しなかった、「あら」と言って、少し頭を傾けただけだ。

「小池君、困ってましたよ。私みたいなのは手に負えないって」

「そう、残念。あなたを何とかしてくれたら、ずっと面倒を見てあげたのに」

 意外なくらいあっさり言って、浅野さんはふっと落胆の息を吐いた。

 気付いたのは、あの夜だった。

 真夜中の彼の部屋で、私を必死に抱き締めながら銀次は妙な事を言っていた。

 メールした、と。私からの返信で、会えないと言っていた、と。

 それは変だ。だって私は、そんなメールもらってないし、返していない。そこでよくよく話をすり合わせると、私達は同じタイミングでスマホを失っていると解った。

 私の場合は小池が。銀次の場合は浅野さんが原因で。本体交換になる程に破損して、アドレスまでもが変更になった。

「でも、嘘なんですよね。私と銀次のスマホは、盗まれたんです」

 私はバッグからタブレット端末を取り出すと、動画を流した。それは小池が、私のデスクからスマホを取って、すでに壊れていた別のスマホをカバーに入れ替えている場面だ。

「まあ、すごいわ。どうしてこんな映像があるの?」

「……カメラがね、残ってたんすよ……」

 当然の疑問である。偶然であり、偶然でない。暗い目をして、それだけを答えた。

 この動画は、小池から証言を取るのにも役立ってくれた。奴は泣いた。どうやら浅野さんから受けていた指示が、スマホを盗む事と私を誘惑してたらし込む事だったらしい。

 本当につらかった、と小池は言った。

 そうかそうか、そんなに私は無理だったか。無理なのは解るが、何も泣く事はないと思う。私の心も少し泣いた。

 こうして小池の暗躍により自分のスマホが壊れたと思い込まされた私は、何の疑問も抱かずに新しい本体とアドレスに変えた。

 これは遠隔地にいながらにして、銀次の身にもほとんど同じ事が同時に起こった。

 結構、面倒な作業だったと思う。

 なぜなら壊れたスマホに代わり、新しくした機体にもちゃんと私のアドレス帳が移行されていたからだ。私が持ち込んだ壊れたスマホは、すり替えられた偽物なのにも関わらず。

 こうなると、ショップスタッフを抱き込んでいなければ無理な話だ。本当に、めんどくさい。でも、彼女はそうする必要があった。

「いきなり連絡取れなくなったら、別の手段で接触するかも知れませんもんね。私になりすまして銀次のメールに返信するの、大変だったでしょう」

「ええ、そうなの。あの人って、意味の解らない変なメールを凄く沢山送ってくるのね」

 困ってしまったわ。と、疲れた様に言う浅野さんに、ちょっとだけ、思わず笑った。

 彼女の目的は、私と銀次をそうと知れずにゆっくりと引き離す事だ。だから彼女は私と銀次のスマホを使い、私達になりすました。距離をコントロールするために。

 さすがに電話は出なかった様だが、例えば銀次が夜中に『会いたい』と言えば『無理』と冷たく突っぱねた。『パーティーに絶対きて』と誘ったら、『行けない』と返信した。

 それを知った時、思った。お前は俺かと。思ったより、なりすましの完成度か高かった。

「あなたからはメールが全くこなかったけど……スマホの事、気が付いていたから?」

「いや、普段から送ってないだけですね」

 自分からはほとんど送らず、たまに仕方なく返事する程度だ。それでよく苦情を受ける。

 そう言えば、私からのアドレス変更を知らせるメールに、一言『了解』と返してきたのも彼女だ。あの時点で私からのメールは銀次には届いていなかったし、あれは少し、銀次らしくなかった。何と言うか、普通過ぎて。

 浅野さんは、ふっと軽く息を吐いた。

 まるで呆れてでもいる様だった。それから黒目がちな瞳をとろりと滑らせ、咎めるみたいに私を見詰めた。

「あなたは、何のためにここへきたの? 苦情を言いに? 銀次郎さんを取り戻したくて? だとしたら、それは間違いだわ」

 そこから少し、空気が変わった。肩の上から長い髪が零れ落ち、彼女の胸に黒く広がる。

「あなたがあんまり図々しくて鈍いから、わたしが手伝ってしまったけれど……本当は、自分で身を引かなくてはいけなかったのよ。あなたにだって、身の程くらいわかるでしょう? 銀次郎さんは、わたしと結婚するわ。だって、それが一番ふさわしいもの」

 言いながら、黒い視線で私の肌を刺す様になでた。冷たく、重く、ざらざらと。

 え、何だろ。何となく、ホラーの波動を感じる。私はまるで、呪いの日本人形ににらまれた何かだ。思い付かないけど。

「ね、身を引いてくださるでしょう?」

「あ、はい」

 だから思わず頷くと同時に、部屋の扉が乱暴に開いて長身の人影が飛び込んできた。

「はいじゃないでしょ! ふみさん!」

 叫ぶのは、ヘーゼルの瞳をうるうると歪ませ情けなく眉を下げる銀次だった。

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