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蝶ケ山(ちょうがせん) UROSHITOK作品集 (嘘山行記より 1)

作者: UROSHITOK

サラリーマン定年後の最初の創作品です。山登り記録HP”西脇市からの山”で得た山行記録の経験を参考にしています。

 兵庫県西北部、11月下旬、雨上がりの谷筋を、西に向かって進む。左側に水の豊富な谷川、右側はヒノキまじりのスギ林である。集落から山奥へ延びる林道を歩く。背中のザックには、軽量の3人用テントと約5食分の食糧と簡易コンロ・寝袋等を入れている。私の、最近の山行には無い装備である。

 久しぶりの、泊りがけ単独山行、熊よけ鈴が、風の音や谷川の音とは異質に、晴れがましく響く。

 

 還暦を過ぎ、再び山行に没入し、早や2年が経過した。それら山行のすべては、近辺の山々への日帰り登山であった。そんな私に、一つの想いが目覚めた。”山上で星空が見たい!”である。

 その脳裡には、40年前に眺めた北アルプス剣沢での、星空の光景がある。

 雲一つない天空で、手の届くような近さで、そんな感覚で、星がギラギラと輝いていた。

 それは消えない感動として残った。この感動を、もう一度味わいたい。そんな状況に自分を置いてみたい。これを身近な山でやってみよう。

 そして今、妻の心配をよそに、実行しつつある。

 標識がある。右へ向かう。

 林道から離れて行く。ジグザグに、ヒノキの多い山道の急坂を登り続ける。

 やがて雑木林へと変化してゆく。さらに登り続ける。ジグザグが減り、坂もなだらかになってきた。

 程なく尾根に達した。尾根沿いに上り続ける。尾根の両側は雑木林である。見晴らしは不良、トンネル状の尾根道を行く。今日は好天であるが、この道は暗くさえある。

 汗ばむ暑さ、日差しは薄いほうが良い。立ち止まり、汗の滲んだ登山帽を脱ぐ。たたみ、いつもの様に、ズボンの右後ろのポケットに仕舞う。左ポケットからタオルハンカチを出し、額を拭う。

 薄暗い雑木トンネルがまだつづいている。その視界の中、10mばかり前方を、白いものがヒラヒラと横切った。木の葉か?、蝶か?。私には蝶らしく思えたが、定とは分からない。高度計を見ると、すでに標高600mを超えている。一瞬の出来事であった。この時期、こんな大きさの蝶や蛾を、こんな標高の稜線で見た記憶は、今だかってない。山名、蝶ケ山と関係があるのか?

 雑木のトンネルは、露出岩の目立つ上り坂と出合って終わった。全体として、岩肌道がつつく。尾根上のカーブを幾つか過ぎると、視界がかなり大きく広がってきた。

 山麓に輝いて見えるのは”蝶ケ池”である。

 昼はとっくに過ぎている。

 ここで昼食をとろう。小形の露出岩が散らばる尾根、南側に眺望が開かれた場所である。標高はおよそ700m、山は入り組み、人家や道路は見えない。木々に覆われた緩やかな山容が広がっている。杉・桧などの針葉樹の緑と枯れ色に変化しつつある多くの広葉樹が、程よいバランスを保ちつつ、数は少ないが、ナナカマドなどの紅葉が彩りを添えている。

 風はほとんど無い。

 眼下に輝く蝶ケ池には伝説がある。昔の人が、もっと古い昔の事を言い伝えた、そんな伝説である。

 ーーある時、この地に、天空いっぱいに光が満ちて、一人の天女が現れた。彼女は、いろんな知識を、この地の人々に授け、物質的生活を豊かにした。しかし、心の豊かさを授けることは出来なかった。彼女は失望し、激しく燃え盛る炎と化して天空へ消えていった。ーー

 その燃え跡が、池となって残った。それが蝶ケ池であると。

 蝶ケ池は蝶の形をしている。

そんな稜線上で、妻手造りの弁当を食べる。塩の効いた”おにぎり”である。梅干しとお茶があれば、この季節では最高である。栄養バランスを考えてか、他にも少しオカズがある。

 すべてを平らげて、ごろりと寝ころぶ。

 空が青く、眩しい。

 目を凝らしても、何も見えない。

 こまかい粒子が、深淵をつくって煙る。

 視野の中に木の枝が入る。広い自然、人間が心地よく感じるのは、地球の自然であろう。

 少し眠ろう。

 白い登山帽を、顔面に被せる。

 疲労と満腹が私を眠らせた。

 自宅の寝室で寝ている感覚から、現実の我に帰ったのは、硬い岩肌の感触のためである。

 そして小鳥の声、近くから、遠くからも聞こえてくる。

 腕を揚げて、時計を見る。15時半を少し過ぎている。

 今日は、この山の上で泊まるのだ。まだ覚めやらぬ感覚の中で思う。そしてお茶をゆっくりと飲む。

 立ち上がり、ザックを背負う。休んだ体にザックは重い。

 歩くことによって、リズム感覚を取り戻そう。

 露出岩の見え隠れする雑木林山道、やがて南北の稜線は、北へ延びる尾根と合流する。その尾根へと進む。その方向に蝶ケ山の頂上がある。急坂の上りとなる。時折出会う岩肌は黒ずんでいる。苔か地衣類の影響か。低木の合い間に見える岩も黒っぽい。角が取れて丸っぽい。

 急な尾根を上りきる。

 広い平坦地が現れた。

 すぐ近くに頂上があり、ピラミッド状である。

 この平坦な場所も眺望が良い。蝶ケ池も小さく見える。

 ザックを、ここに置き、首から下げたデジカメと缶ジュース一個を持って、頂上に向かう。足取りは軽くなり、一気に斜面を上りきる。

 頂上は、ほぼ円形の平地。低木に囲まれていた。本日の泊まり個所をここに決定する。ザックを取りに戻る。標高約880m、時刻は丁度16時、暗くなるまで、かなりの間がある。

 頂上にテントを張り、食事も終える。後片付けをし、ゆっくりと休憩をする。寝袋と発泡シートと、さっき沸かせたばかりの、お茶を入れた保温ボトルを持って、下の平坦地へ下る。

 

 

 西の空だけが、まだ明るさを残している。雲はない。風も少ない。絶好の星空が期待される。

 シートを広げ、寝袋に包まる。十分に暖かだ。横になる。このまま眠っても、さしたる問題もなさそうだ。上空の星も、やがて輝いてくるだろう。

 私は、携帯電話機を持たない。私の山行を知る、ほとんどの人達が、安全のために持つことを進めるが、なぜか持ちたくない。持ちたくない理由の一つは、自分にとって、昔からそうしてきた、古い対応の人間であると言うことである。トランシーバーも無線機も携帯電話機も、自然界に融けこもうとする自分にとっては、なぜか不自然なのである。ボーイスカウトでも、探検隊でもなく、私は単なる山好きである。

 今頃、我が家では、妻も娘や孫娘と過ごしているだろう。

 明日は元気で帰宅しよう。

 

 あたりは暗さを増し、星は明るさを増してきた。

 星空の感じは、剣沢の様にはいかない。標高2500mの高地とは、空気の層や状態が異なる。それでも、子供の頃に見上げた、当時田舎であった、ふるさとの夜空に似ていた。しかし、屋根や電柱や取り巻く山々の暗いシルエットは無い。おそらくは、当時以上の美しさであろう。

 さわやかな星空である。天の川は、北から南へと流れている。

 大天空には、ペガスス・アンドロメダ・ペルセウスと星座が並び、夏の主役であった白鳥座は、西に大きく傾いた。ベガやアルタイルは北天に消えようとしている。入れ替わって、オリオンが東に大きく張り出してきた。星雲から成る剣を、三ツ星のベルトに吊るし、猟に挑む、美男ではあったが、神話の中では冴えなかったオリオンも、寒い夜空では、正に大スターである。

 北斗七星は北極星の北に回り、カシオペアは南にある。神話は人類の壮大な遺産である。とりわけ星座や星にまつわるものは。

 オリオンもカシオペアもギリシャ神話の人物である。織姫や牽牛は中国の物語の人。星や星座にまつわる話は世界中に、古代から、伝わっている。

 死んだ人が、星になって、夜空に輝き、残った者を見守ってくれる。これは身近な世界である。私の星は、どこら辺りに出来るのか、父や母の星はどこなのか、出来ることならば家族達は近くで光っていたい。などと、漠然と思う。

 あまりに科学的に思考することは、人の心を貧しくする。

 科学的思考とは、現在までに到達した人間達の知識に基づいた、考え方にすぎない。それは案外ちっぽけなもの、かも知れぬ。想像は、これを超えている。

 サッと、南天に流れ星。ハッとして、次を期待して待つ。そして又、流れる。美しい。おそらくは、数十億、否数百億年以上前に誕生したと思われる小さな天体の、最後の瞬間である。神秘的な時が流れてゆく。夜は深まってゆく。私の当初の目的は達した。

 空き地の周りには、背の低い雑木、いわゆる灌木が取り巻いている。風で揺らぐ枝葉の音に交じって、ときおりガサガサと音がする。野生動物の動く音らしい。目を音のする方向に凝らす。星空に慣れた目には暗い闇でもある。

 そして、地上の闇の中で、星が動いている。ジーッと動かぬ星もある。

 これは、動物の瞳である。

 このような瞳には以前にも出会ったことがある。

 

 鈴鹿山系、竜ヶ岳の南にある石槫いしぐれ峠に、西方滋賀県側から到る古語録こごろく谷の、古語録橋から、石槫峠近辺の野営地への夜道のことである。懐中電灯の電池切れで、這うように足もとを見ながら辿る、星明りもない闇夜、谷川の対岸に光る二つの瞳があった。闇の奥に、正体不明の動物がいたのである。いつまでも此方を見つめていた。

 この神秘的な眼光は、40年以上経過した今も忘れることは無い。

 橋の傍ら、道路上で、遅れて来る予定の仲間を待ち、結果、待ちぼうけのまま、他の仲間の居るテントへ戻る途中の、たった一人で遭遇した出来事だった。

 

 今、数匹あるいはそれ以上の、夜行性動物が、この空き地周りにいる。背の高さから想像すれば、狐か狸であろうか、私自身は、鈍い性格のためか、危険を感じてはいない。

 しかし、瞬間的に、テント内に置いた食糧が、脳裡に浮かんできた。これを奪われては困る。

 星空のセレモニーは一旦終了しょう。

 手早く、寝袋等を抱えて、頂上に向かう。

 その時である、急に周囲が明るくなった。そして、無数の星が降ってきたと、私には、そう思えたのであるが。

 星の降る、理解し難い明るさの中を、夢うつつの如く頂上に向かい、山道を上りきる。テントの周りに、動物は見当たらない。食糧には被害がない。テントに近づいた野獣が居たとしても、この妙な光と現象に驚いて、逃げたに違いない。

 正に不思議な現象が、今、起こっている。

 空から降ってきた星状の光は、ついさっきまで、私が星を眺めていた、広場の空間にとどまり、群れている。密集し、あるいは拡がる。さらにまた、幾つもの群れに分かれる。一つ一つの星は、蝶のごとくに乱舞している。

 私は、この思考を超えた現象に唖然として、ただ見入る。

 神秘は存在する。目前で。

 眩すぎない、さまざまな星色に、全体として白く、蝶の舞は上下左右に交差し、前後にも動く。動きつづけ、やがて個々は、それぞれの位置へとどまってゆく。

 広場空間に、一つの形が現れた。

 それは星色に輝く巨大な蝶であった。

静かに、物音はしない。

 ゆるやかに、羽ばたいている。

 巨大な背上で、なお、少数の蝶が、舞い続けている。

 その舞の中から、一人の女性が現れた。

 栗色の長い髪は肩まで垂れて、肌は淡い褐色である。

 古代ギリシャ風の衣装を纏っている。

 美しい若い女性である。

 煌めく蝶の舞う中に、文字どうり、光り輝いている。

 これは、伝説の天女なのか。蝶ケ池伝説の天女が帰ってきたのか。

 羽衣のイメージとは少し異なるが、これは、天女の姿に近い。

 女性を取り巻く蝶は、その背後に、後光の如く広がる。私はまだ寝袋を小脇に抱えたまま、ただ呆然と立っている。どうすれば良いのか、何の判断も浮かばない。

 女性はこちらを見る。青春時代の知己の如く、その表情は優しい。

 突然、天女を取り巻く蝶が、一斉に、私の方向に向かってきた。

 そして、私の目前で消えた。

 

「彼女はアンドロメダである。アストレイアではない」すぐ傍で声がする。テレパシーの声である。しかし、姿は見えない。男性の声である。もはや驚くことも忘れた私。

 「私はペルセウス、闇の帽子を被っている。あなたに、姿は見えない」

 ギリシャ神話の世界が出現したようだ。

 アストレイアとは、ギリシャ神話における正義の女神である。人類が黄金時代であった頃、地上に住んで、正義と真理の守り神として、人々のために働いた。しかし人類が堕落してゆくのに愛想をつかし、天に帰った。

 蝶ケ池伝説の天女は、アストレイアに似ている。

 「なぜアンドロメダは現れたのか?」私は聞く。今は、私にもテレパシーが使えるのだ。

 「アストレイアはおとめ座、春から夏の星座。アンドロメダ星座は、今ある。しかし、その他にも現れた理由はある」ペルセウスは語る。神々の使者ヘルメスの、翼の生えたサンダルを履き、大活躍をしたペルセウスは、アンドロメダの夫でもあるのだ。

 「彼女はエチオピア人、イオーペの王ケフェウスと王妃カシオペアの娘である。出身地はパレスチナである」そこで言葉を閉ざす。

 私は、怪物ゴルゴンと戦ったペルセウスを思い出して、言った。「人類は心のガンに犯されつつある。肉体の病気には果敢に挑むが、”憎しみのガンと欲望のガン”と言う名の、コントロールを失った心の病気を、野放しにしてきた。人類の保身本能が、多くの箇所でガン化している」

 豊かさと、貪欲は似ていて非なるものである。「自分たちだけの神を名目にして戦う人間に、良い未来はない」

 ゼウスとダナエの間に生まれたペルセウスは、私の意見をどのように受け取ったのか、沈黙がつづく。やがてペルセウスが語り出す。

 「私は、女神アテーナに意志に従って、怪物ゴルゴンの一つであるメデューサや海魔チアマトを退治した。私は正義の勇者である。しかし、神のお告げには逆らえず、思わぬ事故で、祖父を殺めてしまった」

 悪を倒すのは正義である。過失は悪とは言い切れない。

 「心のガン化した人間のなかには、怪物になる者もいる。心のガン化しつつある人間を見つけるのは難しい」「私がチアマトを、ゴルゴンの首をかざして石に変え、アンドロメダと国を救った。その後人々は、ギリシャの神であるゼウスとアテーナを祀り、その教えに従って、国は繁栄した」「しかし、私の去った後、又もや以前の神々を祀り、子供を焼いて火の神に捧げるようなこともした。そして終わりには、たの種族に踏みにじられた」

 「心のガンは太古から存在する。ゴルゴンも人間がガン化した怪物である」

 「母カシオペアの自慢の犠牲となって、怪物チアマトに捧げられる事となったアンドロメダは、人間にとって、最も美しい心”優しさ”にあふれた女性である。多くの人々が、彼女を支えた」

 「あそこで輝く蝶は、彼女の星座の無数の星である。彼女はパレスチナを憂えている。蝶も同様である」より身近なものを憂えるのは自然の理か。

 「我々は夜が明ける前に戻らねばならない。我々が伝えたいメッセージは唯一つ、”優しい心の人間になってほしい”と言うことです。そういう人が増えることが、平和を創るのです」

 人はみんな、優しい心を持っている。これを育てるのが、大人の役目である。

 心のガンを予防するのは、蓄積された、優しい心である。

 「この山に来ていただいてありがとう」私の思いを、彼が伝えた。

 私の側らから、見えないペルセウスが消えた。

 即、アンドロメダの横に彼は現れた。

 髭に覆われた顔、そして長身、筋肉質の、常人を超えた男である。

 「あなたを驚かせてすみませんでした」女性の声、アンドロメダの声である。

 「夜空に見入るあなたの想いが、私達をここに来させた」

 「さようなら、春になればアストレイアがここに来るでしょう。星座達はあなたの友達です」

 私は、思わず大声で叫んだ。「さようなら!」

 光が一瞬、激しく燦爛する。

 蝶が、星となり、天空に消える。

 数匹の蝶が、私の五体を貫いて消えた。

 

                  2017.2.1改訂(完)


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