この国唯一の飲食店は人々に通用するのか? 4
その言葉に耳を疑い絶句した、ということもなく。
その余りの驚きに白目を向いて絶叫した、ということもなく。
至って平常心のまま、ぼくはテトラに聞き返した。
「え、ごめん、聞き取れなかった。もう一回言って」
「いや、だから、料理屋なんてあるわけないじゃんって」
うーん。
やっぱり聞き間違いではないようだ。
料理屋がない? この町の中心である繁華街に?
その言葉の意味に頭を捻っていると、テトラはリリーに悪戯っぽい笑顔を向けつつこうも続けた。
「この子の店を除いてね」
ニヒヒ、とかフヘヘというようなテトラの表情とは裏腹に、リリーの表情には少し陰りが差していた。
「そうだ、ぼくはリリーと出会った時にここは料理を出す店だ、と聞いたぞ」
「そう! リリーのお店はねこの国唯一、いや、この世界でも珍しい料理を出すお店なんだ!」
「て、テトラさんその話は……」
その言葉を聞いて、捻っていた首が更に角度を増していく。料理屋が珍しい? 世界的に? 何言ってんだこいつ。
「それとも君の国にはあったのかい? 料理屋が」
「あったもなにも」
「え、あったのかい? 冗談のつもりだったんだけど」
「じゃあ普段君らはどうやって生活してるんだ。食事をしなければ飢えて死ぬだろう」
「そりゃあ、食べ物を売ってる店はあるよ? 酒場とか宿屋とか」
……一切会話が噛み合わないが、言うより聞くより見るが早いだろう。
「よく分からんが今朝から何も食べていないんだ、どこか食べられる場所まで連れて行ってくれないか?」
「んー、あたしも今戻ったばかりでお腹減ってるし……丁度いいや! リリーもそれでいい?」
「あ、はい……」
……やはりさっきからリリーに元気がない。
元気ハツラツ! ってタイプでもないとは思うが、心なしかその長く尖った耳も垂れ下がっている気がする。
「大丈夫か? どこか具合が悪いなら戻った方が……」
「い、いえ、私は大丈夫なので、お食事に行きましょう」
やはり元気がないリリーだが、本人が言うならそうなんだろう。あまり深入りしても気分を害するかもしれない。
そこで思考を切り上げて、先を歩いていたテトラの後をリリーと二人で小走り気味に追いかける。
「ここだよ! さぁ入って入って」
そう言ってテトラが連れてきたのは、中心街から一ブロック程離れたところにある大きな宿屋だった。
石造りの外装にいかにもな看板。いつの間にか陽も落ちて来ているが、ランプがいくつも灯っていて店の周りは一際明るい。実に異国情緒に溢れる外観だ。
宿に入る途中リリーからそれとなく聞いてみたが、いくら鎖国しているとはいえ国外からの貿易商や、国内から出稼ぎでやってくる人達が結構いるらしく、その多くはここを利用しているそうだ。
「いらっしゃい! 」
話しながら扉を開くと同時に、豪快な声に歓迎されて少しギョッとする。
「おお! テトラ、今戻りか!」
如何にも店主らしい、口元に髭を蓄えたオヤジがカウンターから身を出して笑っている。
「こんにちはエヴァンスさん」
「おぉ、リリーちゃんに……変な服着た兄ちゃんもいらっしゃい!」
宿のオヤジ、エヴァンスさんにそう言われてようやく気付いたが、今のぼくの服装は上下ジャージに旅館の前掛けを着けっぱなしというファンタジー感ゼロの、寧ろマイナスの装いだった。
さっきは不躾にこちらを観察するテトラを不思議に思っていたが、これでは無理もない。
「そうなんだよおやっさん! リリーがこの変な男と町を楽しく歩いてたんだよー変でしょー?」
「あぁ!? オレのリリーちゃんに男だぁ! てめえか変な格好の兄ちゃん!」
「も、もう! それは分かりましたから!」
顔を赤くして怒るリリーを見てテトラとエヴァンスが笑っている。……というか変な格好だと思ってたなら言えよ。
しばらくリリーを予定調和にイジり倒して満足した様子のエヴァンスが、エントランスのすぐ横にある酒場まで案内してくれた。
異世界の酒場というと荒くれ者達でごった返しているイメージだったが、店内の客は疎らだ。……なんというかこの世界は悉くこっちの幻想を打ち砕いてくるなぁ。
「大丈夫ですか?」
テーブルに突っ伏して何度目かの肩透かし感を味わってる間に、リリーが注文を済ませてくれていたようだ。
「大丈夫、大丈夫なんだけど現実は世知辛いと再認識してたとこ……」
「脳に栄養足りてないんじゃない?」
「……」
多分悪気はないであろうテトラの言葉は無視して、他の客のテーブルに目をやる。
焼いた魚にスープらしきもの。
硬そうなパンに焼いた肉。
小さな木樽のジョッキに注がれているのはビール的なものだろうか?
どれも簡素ではあるが普通の料理だ。
酒のせいか顔が赤い商人風の男達もなにやら談笑をしながらテーブルを囲んでいる。
やはりさっきテトラが言っていた「食事が楽しみなんて変わっている」という言葉とは到底結びつかない光景だ。
「そうそう、さっきの続きなんだけどさ」
ただ料理を待つだけというのが退屈だったのか、テトラが話し出す。
「リリーのお店の話し。君もなんだか気になってる風だったじゃない?」
「まぁ、そうだな」
「テトラさんその話はもう……」
「ん? まぁまぁいいじゃない、キョースケも気になってるみたいだし」
やっぱりそうだ。リリーは自分の店の話しになるとそれを遮ろうとしている。さっきから口数が少ないと思っていたけれど、この話題には反応している。
「リリーのお店が珍しい料理屋だって話しはしたよね?」
「ああ」
「元々あのお店を開いたのはリリーのお父さんなんだけど、それがまた変わった人でね。『この世界は食に関して無関心すぎる! 俺が美味い料理を出してやる!』って言って始めたんだ」
「……私の両親は元々この国の人ではなかったんです」
そこまで話しを聞いていたリリーが観念したように話しを引き継ぐ。
「まだ幼かった私を連れてこの国に移住して来たんですが、父は元々料理に対して特別な思い入れを持った人でこの国にお店を開いたんです」
「お店はとても繁盛しました。元々食に対して関心の低かった人達にはとても新鮮だったんだと思います」
「食に対して無関心って、それだけで他に料理屋がないのか? 今だってほら、あのテーブルに座ってる人達は楽しそうに食事してるけど」
「キョースケの国にもきっとリリーのお父さんみたいな人が居たんだね。あれは飲んだくれってだけだよ。食事がどうこうじゃない」
そんなものなのか?
美味しい食事があって、酒があって、ああやって笑ってるんじゃないのか?
「食事なんて栄養が摂れてお腹が膨れれば充分だからね」
「いやいや、リリーのお父さんは実際美味しい料理を作ってるんだろ? じゃあもっと流行るんじゃないのか? 他に料理屋が出来てもおかしくないんじゃないか? 」
「父は、亡くなりました」
そう言ったリリーの表情は、辛そうでもなく、悲しそうでもなく、ただそれが事実だということを伝える、懐かしげな微笑みだった。
「お店を開いてすぐ、亡くなってしまいました。母はこの国にはいません。父と私がこの国に来る前に、生き別れてしまったそうです」
「……すまん。無神経だった」
「いえ、本当にまだ私が幼い頃の事なので、両親の記憶も殆ど覚えていないんです」
「父が亡くなった後はテトラさんのお家にお世話になっていました。まだ幼かった私を育てて下さいました」
「うちの父さんがリリーのお店のファンだったからねぇ、懐かしいや」
「ご好意でお店も売りに出されることはなく、私が大きくなるまでそのまま残しておいてくださったんです」
「……でも、父の料理の味を覚えていなかった私では、お店を再び繁盛させることは出来ませんでした」
「レシピや何かは」
「それも探しましたが、結局一つも見つかりませんでした」
「でも、これだけはハッキリと覚えているんです。父の笑顔と、父の料理を食べて笑うお客さんの姿を」
「……私は、私は、父の料理でもう一度、この国の人達を笑顔にしたかったんです」
この顔だ。
出会った時からずっと気になっていた。
時折見せるこの表情が。
辛いことを辛いと言い出せなくて、我慢しているようなこの表情が……。
「お待たせしました〜」
気まずい沈黙を破ったのはウェイトレスの声だった。注文していた料理が運ばれてくる。
焼いた魚に焼いた肉、具が何も入っていないスープに硬そうなパンが数切れ。
今までの話しを聞いた後だからか、それらはとても味気ない風に見えた。
「ま、話の続きは食べてからということで! ほらほらリリーも食べないとおっきくなれないぞ!」
どう見てもテトラが言えた話しじゃないと思うけれど、彼女なりに空気を明るくしようとしているのだろう。ぼくではどうすることも出来なさそうだったので、感謝することにしよう。
「いただきます」
では先ずスープを一口。
「ん?」
……海の国なんだから、魚は是非食べとかないとな。
「あれ?」
まさかとは思いつつ肉にも手をつける。
「これは……」
やっと分かった気がする。
食に対する意識が低いという、どうにも煮え切らないその言葉。それの意味するところが……。
「どうしたのキョースケ?」
テトラとリリーが不思議そうにこちらを見ている。
「こ……」
「こ?」
「この料理を作ったのは誰だ!!」
テーブルを叩いて立ち上がり、ここまでの冷静なキャラをかなぐり捨て、美食家キャラに切り替えつつそう叫んだぼくの声は酒場中に響き渡っていた。
料理が、料理がマズすぎる。