この国唯一の飲食店は人々に通用するのか?
あれから少女、リリーにはいくつかの質問を繰り返した。
この世界について、今自分たちがいる国について、そしてあの「店」について……。
そのお陰でいくらか状況が飲み込めたぼくは、リリーに町の案内を頼み、今はこうして二人で肩を並べて歩いている。
「なるほど、いかにもって感じの異世界っぽさだ」
煉瓦造りの建物、その間を通る石畳の地面。
もちろん車や自転車なんてものが停まっていたりはしない。完全無欠の異世界感。
ただ一つイメージしていた異世界と異なることは「なんとなく雰囲気が暗い」ところだろうか。
別に天気が悪いってわけでもないし、道行く人々が一々こちらを睨みつけてくるなんてことはないんだけど……。
「今何か言いましたか?」
ちなみにリリーには自分は異世界から来たといった類のことは説明していない。初対面の時のこの娘の怯え具合といい、これ以上突拍子もないことを言ったら頭のおかしな奴だと思われそうだと判断したからだ。……迂闊な発言は控えねば。
「いや? ど田舎から来たもんだから、色々と物珍しくてさぁ」
不肖ながら自分はちょっと頭を打って記憶が曖昧な田舎もんの旅人だ害はない、と口から出まかせの説明をしておいた。
「……?」
臆病ながらも純粋な子で助かった。
突然破壊音を轟かせて入店してきた不審人物の言うことを普通はおいそれと聞きはしないだろうに。
「そういえば聞き忘れていました、アミノさんの故郷はどんなところだったんですか?」
「んー、取り立てて説明するようなものは何もないかなぁ……。 あ、でも海はとにかく綺麗なとこだよ」
「海、ですか……」
そう呟いて一つ声のトーンが下がった。ん?
「そういえばここって海の国なんだよね? セイレーンだっけ。 君のお店もやっぱり魚が名物だったりする?」
「いえ、それは、えと……」
今度は表情までシュンとしてしまった。
不味いことでも聞いたか?
「まぁなんにせよぼくにとっては景色一面珍しいものだらけでさ、多分何を見せてくれても喜んじゃうと思うから、引き続き案内よろしく!」
自前の対人センサーがマイナスのオーラを感知したため、少し強引だが努めて明るい口調で一度話を切り上げる。
「はい、アミノさん! じゃあこの町の中心街までお連れしますね!」
リリーもそれで意図を汲み取ってくれたのか、これ以上それについては話すつもりがないのか、口調と表情を取り戻した笑顔で答えてくれた。
……というか。
「あのさ、そのアミノさんってのやめてくんないかな……」
「え、何か不都合でしたか? アミノさん」
「いや、不都合って程でもないんだけど、その呼び方、過去にあんまりいい思い出ないんだよ」
アミノさん、アミノ酸。
中学何年生だったかは忘れたが、当時理科の授業で覚えた「アミノ酸」という単語を、クラスメイト達がぼくの名前に掛けてイジりだすのにそう時間は掛からなかったのだ。
今なら言える、スベってんぞ。
「そ、そうなんですか……。すいません知らずに」
その素直な態度で先程まで暗雲がかかりかけていた心が洗われてゆく……。
クラスの奴等なんかいくらやめろと言ったところで、聞く耳持たず馬耳東風って感じだったし。
「いやぁ大した事情もないんだし、ぼくのことはキョースケって呼んでくれたらいいよ」
「キョースケさん、ですね! わかりました」
初対面の女の子に名前で呼べなんて言ったの初めてかもしれない。……そもそもこの世界に苗字と名前の概念があるのかはまだ知らないんだけど。
「あと少しで中心街ですよ! アミノさんに喜んで頂けるかは分かりませんが」
「あれぇ?」
一度定着した呼び方を払拭するのは、案外骨が折れるのかもしれない。