■ 前 編
子供のように抱き合い声をあげ泣きじゃくった、深藍色の夜空に三日月が
映えるあの歩道橋の夜から気が付けば8年という歳月が過ぎていた。
小さな街の古びた小学校で再会を果たした、ふたり。
リョウは小学校教諭になって2年が経ち、マドカは栄養士から管理栄養士に
なりたての研修生だった。
互いに話したいことが山ほどあった。
話したい事があり過ぎてなにから話したらいいか分からなくて、
向き合った途端結局なにも言い出せずに言いよどむふたり。
放課後の2年1組の教室。
リョウが担任を受け持つそのクラスに、ふたりの姿があった。
子供たちがいないその場所はまるで抜け殻のように静かで寂しい。
黒板横に貼られた時間割と、カラフルな色画用紙の ”元気にあいさつ ”
という学級目標。
小さな机はふたつずつくっ付いて並び、なんとも微笑ましい。
あれからもう8年も経っていて、ふたりはすっかり大人になっていた。
お互い勿論もう高校生ではないし、あの頃の学生服も着ていない。
リョウは相変わらずの銀縁メガネだが、すっかり柔和になった雰囲気が
好印象だしマドカは華美になり過ぎないナチュラルメイクで、大人っぽくて
キレイだった。 しかしその唇は幼いさくらんぼのまま。
ぽってりと厚みがあってやわらかそうで。
互いに変わったことが嬉しくて、でも本音を言えばどこか寂しい。
(もう、誰か付き合ってる人とかいるだろうな・・・。)
(さすがにもう、好かれてはいないか・・・。)
再会した瞬間ふたりは互いの左手に指輪の有無をこっそり確認し合っていた。
いまだ想いを秘めたまま、まるで盗み見て探り合うように真意を
はかろうとしていた。
翌日、マドカがリョウのクラスの子供たちに給食のアンケートをとる為、
教壇の前でリョウの隣に並んで立った。
年配教師ばかりで若い女性が物珍しい子供たちは、ふたり並んで立つリョウと
マドカに分かりやすく子供っぽい冷やかし声を上げる。
『はい、みんな静かにして下さ~い。
今からワタセさんからみんなに話がありますからね~。』
先生の顔を見せるリョウをチラリ横目で見て笑いを堪えると、
マドカが口を開いた。
『ワタセ マドカです。
管理栄養士というお仕事をしています。
簡単に言うと、食べ物の栄養のことを考えるお仕事です。
今日はみんなから給食に関することを教えてもらいたくて来ました。
今からアンケートを配るので、みんな、正直になんでも書いてね~!』
すると、マドカの自己紹介に教室には更に囃し立てる声があがる。
目を輝かせてヒソヒソと耳打ちし合う女児たちの姿や、からかう声を上げ
クスクス笑う声。 なにが可笑しいのか分からず首を傾げるマドカ。
この反応の答えを知っているのかリョウに目を向けるが、リョウは少し頬を
染め困った顔をして慌てて子供たちを制しただけだった。
その日の放課後、リョウはマドカがいる給食室隣の準備室を訪ねた。
この小学校のベテラン管理栄養士である学校栄養職員の年配女性の隣に
机を並べアンケートに目を落としているその白衣の後ろ姿。
低い位置で1本に髪の毛をまとめ、トップを少し盛りバナナクリップで
ふんわり束ねていてどこかあの頃の緩いポニーテールに似ているそれに、
リョウは思わず目を細める。
ふと室内を見渡すも学校栄養職員の年配女性は今は在席していないようだった。
『マドカさん?』
開け放されているドアを一応小さく2回ノックして、覗き込む。
本来ならば ”ワタセさん ”と呼ばなければならないのに、ふたりだという事に
気が緩み下の名前で呼んでしまった。
その声に振り返り『リョウ!』
マドカもまた、下の名前で呼び互い照れくさそうに笑った。
『何時ごろ終わりそうですか・・・?
良かったら、ゴハンでも行きませんか?』
リョウは地元から少し離れたこの小さな街に、アパートを借りて住んでいて
マドカは2週間の研修期間中はウィークリーマンション住まいだった。
互いに自炊できる環境ではなくて、食事は買って食べることが殆どだった。
マドカが嬉しそうに大きく頷き立ち上がって、白衣を脱ぎ椅子の背に
畳んでかける。
リョウは指に絡めた三日月キーホルダーを、マドカに見えるよう目の高さに
上げクルクル廻して笑った。
ふたり、夕暮れの職員専用駐輪場へ向かう。
殆どの職員は車で通勤していて、そこはほんの数台が停まっているのみだった。
リョウはこの小学校に赴任してから自転車で通勤していた。
あの頃自転車に乗れなくてマドカの運転で行った海デート。
新天地へ引っ越してからひとりこっそり自転車の練習をして、
乗れるようになっていたのだった。
『乗れるようになったんだね~?』
マドカがからかうように覗き込み、嬉しそうに微笑む。
『自転車くらい乗れないと子供たちにバカにされちゃいますからね~』
リョウも照れくさそうに笑った。
その笑う顔を見ていたらなんだか泣きそうになってしまうのを、
マドカは必死に堪えていた。
(そんな顔で笑うなってば・・・ バカ。)
リョウの自転車後ろの荷台にスカート姿のマドカが横座りをする。
座った瞬間リョウの腰に掴まっていいものか戸惑い、つかみ掛けた指先が
空を彷徨う。
『ねぇ・・・?』 呼び掛けた時、『ちゃんと掴まって下さいね!』
リョウがマドカの腕をぐっと引っ張り腰を掴ませた。
促されるまま照れくさそうに腰に腕をまわしたマドカが、
ほんの少し体を傾ける。
8年ぶりのリョウの背中は、少しガッチリして大きくて本当に時間が
経ったことを思い知らされる。
あの頃はもっとガリガリの痩せっぽっちだったのに。
リョウもマドカからやさしく薫る大人っぽい甘いにおいが、
8年前のポニーテールから流れ霞めたシャンプーのそれとは別物で、
どこか年月を感じずにはいられなかった。
ゆっくりふたりを乗せて走り出した自転車。
あまりにゆっくりで砂利道にタイヤをとられ、グラグラとなんだか
心許ないその運転。
夕焼け空の下、ふたりの笑い声が響き渡る。
まるで高校生のあの時に戻ったような気分だった。
不思議な時間だった。
くすぐったくて、なんだか切なくて、気が付くと視界はぼんやり滲んでゆく。
自転車で駅前まで向かう途中も、複数の生徒たちにふたりの姿を目撃され
からかわれた。
『小さい街ですから、どこ行ったって誰かに見られるし
次の日には学校中のみんなに知られてますからね~
多分、明日学校いったら黒板に相合傘でも書かれてますよ。』
リョウが可笑しそうにケラケラ笑っている。
つられて一緒に笑いながらも、マドカには小さな引っ掛かりがあった。
(リョウはダイジョーブなのかな・・・ 噂になっちゃっても・・・。)
少し黙り込んだ気配にリョウが小さく振り返り、言う。
『実際、古い友人なんですから・・・
ふたりでゴハン行ったって別になんの問題もないでしょ?』
『友人・・・。』 マドカが小さくひとりごちた。