宿題はメデューサ討伐
昼休みのこと。
廊下を歩く女教師は振り返りながらぼくに言った。
「紀野くん。今日の宿題は、メデューサの討伐だ」
「は?」
ぼくの通う魔術学校には日替わりの宿題というものがある。
宿題といえばどこにでもあるものだろうが、しかしぼくの学校は魔術学校というだけあってもちろん普通ではない。
「なんだ、紀野くんと呼ばれるのが不服か? では佑都くん、今日の宿題は__」
「ぼくがいいたいのは名前のことじゃありません! 宿題のことです!」
「ん? どういうことだ?」
「ぼくみたいなふにゃへにゃの最下生がメデューサなんかに勝てるわけないじゃないですか! 先生ならこんなこと__いや誰だってわかるでしょう!」
最下生とは、要するに他の位の生徒より戦闘力が著しく劣化した生徒というものなのだが__
この先生はプロの魔術師でも勝敗の確率が五分五分のメデューサに挑めというのだった。
それも、クラスでいちばん戦闘の実技が低かったぼくに。
わかりやすくいうのならば最最最最下生のぼくに。
先生は頭を掻きむしりながらめんどくさそうに言う。
「なんでそうも卑屈になるんだ。倒せるよ。うん、倒せる」
「無理やり言い聞かせないで下さい! いつも鳩に餌やりなさいとかもっと簡単じゃないですか!」
「そうか? 今回も君に合った宿題を選んだはずなんだがな」
「メデューサ討伐のどこがぼくに合ってるんですか......」
先生はイライラしているのか窓枠で煙草の火を力強くすりつぶして消した。
「君が適任なんだよ。わかるだろう」
「わからないですよ! わかるわけないじゃないですか! それに今日メガネ壊れちゃったんですよ! なんにもみえない状況でどう戦えっていうんですか!」
すると露骨に嫌そうな顔をして先生はぼくに脅すように言った。
「宿題やってこないと大変なことになるぞ」
「大変なことって......」
「君だけ情報処理師試験を受けられないようになる」
「ええええ!?」
ぼくは戦闘はとてつもなく苦手だけれど、まだ情報処理の技術だけは人並み以上にあるのだ。
だから来週の試験のためだけに数年間も勉強してきたというのに、その試験がなくなってしまうなんて地獄をみているようだ。
考えるだけでなんだかもう死んでしまいたくなる。
宿題をひとつしないだけでぼくの数年間の努力が水の泡となってしまうのは絶対に嫌だった。
「でも誰がそんな権利__」
「もちろん私だが。それに大丈夫。君は時間さえかけられれば強力な魔術が使えるじゃないか」
「................................................」
唖然としすぎて言葉が出なくなってしまった。
これをいい隙にと先生は「じゃあな」と逃げるように職員室へと走っていってしまう。
もう追いかける気にもならない。
窓の向こう側でジリジリジリジリジリジリジリジリとセミが喚く。
なんだか今日は、廊下の窓から射し込む日光が、いつもの何倍にも暑苦しく感じられた。
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昼休みも終わり、そして午後の授業も終わった放課後。
「どうしたんだ佑都」
机に突っ伏しているぼくに、まるで哀れな捨て犬を見るかのような目で友人が話しかけてきた。
「なんで同情してますよみたいな目してんだよ......」
「佑都がそんな顔してるときは何か辛いことがあったんだって、昔からの付き合いでわかるんだよ。聞いてやるから、悩み、いってみろよ」
「お前、そんなにいいやつだったっけ......?」
「うっせえよバカ。さっさといいやがれ」
そしてぼくはこんなふうに落ち込むまでの経緯を友人に話した。
彼は会話の端々で「おお」だとか「へえ」だとか適当な相づちを打って、いつもみたいに興味無さそうな反応を示すけれど、今日は普段と違ってなんだか真面目に聞いてくれている気がした。根拠はないけど。
いやまあ誰に言ったって同じような真面目な雰囲気を作られると思う。
宿題がメデューサ討伐なのだ。
最下生が奴の相手をするなんてのは異例の事態で、そして過去にもそんな馬鹿げた実例はない。
嫌で、嫌で。
あああああああああああああああと友人と話している最中に叫びたくなってしまった。
「それ嘘だろ」
話を聞き終えた友人が訝しむ感情を全面に押し出してそう言ったものだから、この話を聞いた彼が協力してくれるという、小さな望みを心の奥底に隠し持っていたぼくは、どうにもいたたまれない気分になった。
「だよなぁ..................」
「なにがだよ」
「そりゃこんなこと信じてくれるわけないよな。確かメデューサってプロでも勝てるかわかんねえんだろ」
「そうだけど......もしかして今の話マジ?」
「マジだよ。大マジだ。どうしても信じられないなら職員室いってこう叫んでこい。『今日の宿題でメデューサ討伐を任されたバカはだれですか!』ってな。絶対ぼくの名前が出るよ」
はあー。と友人は哀れむことをも放棄して、そこはかとない負の感情をたったひとつのため息でぼくにぶつけてきた。
しかしすぐに何かを思いついたような顔になる。
「でも佑都ってさ、時間稼ぎさえ成功すりゃあどんなやつにも勝てるんじゃねえの? なんだっけ? あのスゲーカッコいい魔術」
「『厳罰術式』か」
「そうそれ。それ使えば勝てるだろ。絶対余裕だろ。さすが名門紀野家の跡取り」
「しかし三十秒もどうやってメデューサから逃げろと。その上『厳罰術式』は相手を見て使わなければいけない。メデューサに使うなんて目が合って一瞬で御愁傷様だよ」
すると友人はベラベラと騒がしく動かしていた口をみごとに閉じた。
「ほら黙った。そもそもぼくは名のある家の息子だといっても、魔術についてはとんでもなく筋が悪いんだよ。父さんが二秒でできることをぼくは三十秒もかけてしなければならない。なあ、こんなままでメデューサに勝てるわけないと思うだろ? 先生はどうかしてるよホント」
そうだなあ、と友人は呟いた。
「あの教師そんな死刑を宣言するみたいな宿題出したことあったっけな」
「ないだろ。ぼくはこれが始めてだ__頼むよ、どうにかしてメデューサと戦わずに情報師匠師試験を受けられる方法を教えてくれ......」
友人はぼくの前の席の椅子を引いてそこに腰かけた。
そして気だるそうにぼくの机に肘をついて彼は言う。
「とりあえず、だ、佑都。死にたくないだろ」
「そりゃあたりまえじゃん」
「んで情報処理師試験も受けたいわけだ」
「もっとあたりまえだ」
「じゃあ__メデューサを討伐するしかないんじゃねえの。『厳罰術式』を使ってさ」
もっともっとあたりまえだった。
でもそこをどうにかしたいというのがぼくの心情である。
目を見てわかったのだが、この友人はメデューサ討伐を協力する気なんてさらさらないようだ。もっともっともっとあたりまえだけれど。
だから作戦をたてるくらいのことなら手伝ってもらいたい。
「ぼくの親友よ」
「急にどうした気持ち悪い」
椅子とぼくの人間性についてめちゃくちゃ引かれた。
「もちろんメデューサ討伐を手伝う気はないよな」
「ないね。死にたくない」
「じゃあ、せめて作戦をたてることくらい手伝ってくれよ」
「まあ、それくらいならいいけどさ__」
そして悩みに悩み抜いて考えついたのはペルセウス作戦、改。
とりあえず鏡を体に張り付けてうずくまっていたら勝てるんじゃないかな? というわけのわからない作戦に落ち着いてしまった。
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友人と別れて家に帰った。相変わらずの豪邸である。
自分の部屋に入って生きているメガネを探してみるけれど見つからない。偶然見つけたスペアのメガネもさんざんためてきたエロ本数十冊の圧力によって押し潰されてしまっていた。
とりあえず洗面所やら妹の部屋などからありったけの鏡を外してまわる。
帰ってきたら謝らなければならないな、と思った。
もちろん帰ってこられたら、の話だけれど。
そして日が沈むまでに、ばかでかい家の中から全身を多い尽くせる量の鏡を集められた。
暗闇の中を鏡貼りの姿で歩き回っていたら、電灯の光を反射してとんでもなく目立つだろうけれど、だからといって死にたくはないので致し方ない。
Tシャツに鏡をガムテープで無理やり付けてジーパンも同じようにみっともなく加工した。
そうして、着てみて始めて歩けないことに気づく。
普通ならこんな馬鹿馬鹿しい作戦を思い付いたときにわかっただろう。
たぶん敵がメデューサという力の差の激しいモンスターだったから感覚がマヒしていたのかもしれない。
はあ~と深いため息をついて床に寝転がる。
もしかするとぼくは遠回しながらも死ねといわれたのかもしれない。
シミのない真っ白な天井がとくに理由もなくうらやましかった。
なんとなく時計に目をやると、時計の針はいつの間にか八時を少し過ぎたところを指していた。
確か夜の八時半に、駅前の公園で連日、メデューサの目撃情報が入っているらしい。
そろそろ行かなければならないな、と体を起こす。やけくそになってリュックサックにありったけの鏡を詰め込んだ。
いざとなれば皿屋敷ならぬ鏡屋敷となってメデューサに鏡を投げつけてやる、と無駄な意気込みを心の中で何度か呟いた。
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やはりメガネなしで夜道を歩くのは相当辛かった。
足を滑らせて溝に頭から飛び込んだり暗闇の中で他人の飼い犬の尻尾を踏みつけて無様に逃げ回ったり。
それもどれも0.001という驚異の視力によって生み出された副産物だった。
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たったひとつの電灯がうっすらと公園全体を照らしていた。その光景はどこか幻想的でもある。
ぼくは唐突にあらわれたメデューサと目を合わせてしまわないように、数分間地面とにらめっこをしていた。
そして、突然まがまがしい雰囲気があたりを包んだ。
こんな最下生のぼくにでも感じられるほどの異質なオーラ。
まちがいなく、メデューサのものだろう。
「なんだァ? そろそろ討伐隊が動き出すと思ってたんだけど、まあなんだこのヒョロヒョロは。それに頭も下げてるしどういうこった。まさか、お前がわたしの相手なのか?」
姿を見なくてもジリジリと伝わってくるこの威圧感。
怖い。ほんとうに怖い。
「そうだ。ぼくがお前の相手だ」
できるだけ強がって返してみたけれどやはり声が震えてしまう。
プロでも勝てるかわからない__という自信をすべて削ぎ落とすような言葉が、頭の中をぐるぐると踏み散らかして蹂躙する。
メデューサは愉快そうに笑いながら言った。
「さっさと顔をあげろよ。戦えねえじゃないかよ」
「そんなことしたら死んじまうだろうが」
「だよなあ。目を合わせただけでねえ__かわいそうに。でもわたし頭下げてる奴をぶっ殺す趣味もないんだよ。どうしてもわたしを殺したいってんならさっさと顔、あげて」
「__悪いけど頭だけは絶対にあげない」
「じゃあ、どうするんだよ」
どうするって?
この公園に来るまでに考えたとんでもなく雑な作戦がある。
とりあえずそれを決行するだけだ。
何もできないままに殺されてしまうよりは、作戦に失敗して石になるほうがよっぽどいい。
ぼくのポケットには、小さな手鏡が二枚入っている。
それを一枚、左側に思い切りぶん投げて気をそらす。その隙にできるだけ近づいて、もう一枚の手鏡を開いてメデューサに向け、あわててぼくに視線を戻したメデューサが手鏡に映る自分の目をみて石化する、というプランだ。
雑さこの上ない作戦だけれどないよりはましだ。
「なあ、メデューサ」
「声が裏返ってるぞ__ッ!?」
ぼくはほとんどノーモーションで、ポケットから抜き出した手鏡を左側に投げた。
うまいこと罠に引っ掛かってくれたようで、メデューサの顔がどちらを向いているかはわからないものの、最低でも驚くことくらいはしている。
その隙にできるだけ近づこうと公園の中央をまっすぐに疾走する。走りつつポケットに手を突っ込んで手鏡を引っ張り出し、前方にいるはずのメデューサに向けて開いた。
静寂が、あたりを包んだ。
勝ったのか? こんな作戦で? と疑問がさながら湯気のようにもうもうと頭の中で沸き立つ。
しかし顔をあげることだけは許されない。
地面とのにらめっこはまだ続けるべきだ。
なぜなら、もしもメデューサが石になってなどいなければ、顔をあげた瞬間目が合って、なすすべもなく石化するのは必然的だからだ。
そしてその考えは__杞憂では終わらなかった。
冷たく重い声が、ぼくのすぐ近くで聞こえた。
「ご都合主義で悪いんだけどさァ、わたしたちメデューサっていう生き物も進化することはあるし、それなりに色々なものの耐性をつけていくわけよ__」
やばい、と思うより早く足が前に出て、気づけばぼくは走っていた。
メデューサがぼくをつかまえようとしなかった理由は明白で、べつに目を合わせられればどこにいようと対象者を石に変えることができるからだろう。
「__あんたの作戦はわたしの不意をみごとにつけていてよかった。でも最近のメデューサは昔の__ペルセウスとかいう生き物に負けた軟弱なものとはひと味くらいは違う」
そしてメデューサは言った。
「わたしはね、わたし自身の目を見ても石化しないんだよ」
それは、これ以上なく絶望的な言葉だった。
プロの魔術師でも勝てる確率が五分五分だという理由も、それならうなずける。
やっぱり勝てなかったんだなあと、心を支えていた芯が、ポッキリと音をたてて折れていくのを感じられた__
__その時だった。
べつにあたりが光に包まれて救いの天使が現れたわけでもなければ、
メデューサの甲高い悲鳴があがったわけでもない。
ましてや友人が教師たちを連れて助けに来たわけでもないし、
依然としてこの公園にいるのはメデューサと自分だけだ。
そんな中で。
ぼくはただ、普通のことに気づいた。
メガネがないんだからメデューサの目なんて見えないだろう。
こんなこと、あたりまえだった。
ぼくはメデューサに見せつけるように、さながら自慢するかのように、堂々と顔をあげた。
「は?」
心底驚いたという声をあげるメデューサ。
奴をぼんやりとした視界の中に捉えて、脳内で『厳罰術式』を丁寧に紡ぎあげる。
目が悪いからといって、なにも見えないわけではない。ただ視界に捉えたすべてのものがぼんやりと見えるだけなのだ。
だからメデューサの姿だけを確認することができ、そして顔のあたりはまるで霧でもかかっているかのようにしていて見えない。
先生がぼくにこんな宿題を出した理由が今わかった。
__メガネを壊したからだ。
そういう理由があるのならば教えてくれないと困る。
てっきり遠回しに死ねといわれたのかと勘違いしてしまったではないか。
「なぜ、なぜお前はわたしの目を見ても石にならないのだ!」
メデューサは明らかに動揺して声を荒げる。
ほんとうは見えていないだけなのに、と嘲笑めいたものが心の中で腹を抱えて暴れだした。
「どうした......なぜ笑っている! ふざけるな! 今なにが起きている!」
ぼくは黙った。
メデューサを困らせるような含みのある笑いを浮かべて。
「......黙っているんじゃない! なにか言え!」
それでもぼくはかたくなに口を閉ざす。
それが項を奏したようで奴は警戒心と動揺を徐々に強めていった。
あげくの果てには、恐怖が自信を凌駕したのか、思わずというように足を一歩二歩と下がらせた。
そしてメデューサは術式が完成するまでその場を離れることはなかった。
『厳罰術式』は一度発動してしまえば勝ったといっても過言ではない__
__こうしてぼくはプロの魔術師でも互角の戦いを強いられること間違いなしのメデューサを難なく討伐したのだった。