第一話:魂を震わす者、大地を震わす者
国は漢
時は後漢
場所は幽州
村とは言いがたいある集落にて、ある武人の女性が男子を産んだ。
女性の名は李蒿
配偶者である夫は数ヶ月前に、賊に殺され他界した。
だが彼女の身体には新しい命が宿っており、愛する夫との結晶を守るために李蒿は必死に生き延びた。
村から村へ渡っては、迫害から逃げ。
道すがら襲ってくる賊から逃げ。
李蒿の美貌に目をつけた官吏から逃げ。
げに母は強く
辛抱強く
ただ只我が子を護るため
走り
戦い
泥水を啜り
草木を喰い
生き続けた。
それでよく胎児が流れなかったと、李蒿は産まれた我が子を腕に抱きつつ、苦笑いを1つ。
これも天命か?
と、腕の中で泣く小さな命をただ見つめる。
産んで良かった
産まれて良かった
どんな天命だかは知らないし、この子にどんな運命が待っているのかは知らないが、今はその天命に感謝しよう。
「良く産まれてきたなぁ、アタシの中はさぞや居辛らかったろう。
あの人は馬車とかで良く顔を青くしてたから、アンタも辛かったろう。
もう大丈夫。
お母が護ってやっからね。
……あぁ! そうだ、アンタに名前を付けなきゃね。
アンタの名前は
゛震゛だ!
魂を震わす者、大地を震わす者。
李震。」
この時、名前をつけられた李震は、泣くのを止めた。
まだ開いてない目で必死に何かを探すように顔を動かし、その小さな手を伸ばす。
やがて、その小さな手が李蒿の顔に触れると、安心したように眠りについた。
全ての世界で母親が味わうであろう、産まれたばかりの我が子の顔を見て李蒿は、多分一生この瞬間は忘れることは無いのだろう。
と、李震の顔を眺めているのだった。
※※※
震は賢い子供だった。
甘えたり、泣いたりは普通にあったが、周りから砂が水を吸うがごとく、色々な事を学び吸収した。
震はとても大人しい子だった。
4つを過ぎたころ、珍しく母の李蒿に我儘を言った。
曰く、本が欲しい。
李蒿はその願いを二つ返事で了承した。
古い伝で集めた本。
なんと30冊。
この時代は紙が高価で、現代みたいに白紙は無く、あっても皮製の物か竹だった。
故に必然と本等は高価であり、いち農民に手に入れられるモノではなかった。
だが李蒿はドヤ顔で30冊もの本を震に渡した。
その時、震は思った。
(ウチのオカン何モンなんだよ……)
その日以来、震は本を毎日読むようになった。
李蒿はもの静かに本を読む我が子を、ニコニコしながら日が暮れるまで眺めていた。
……因みに、その日の夕飯を作るのを忘れ、息子にガチ泣きされたのはここだけの話し
震は不思議な子だった。
その特異さに真っ先に気付いたのは、母である李蒿だった。
ある日の食事中、李蒿は我が子李震を、目の前に居たのに
『見失った。』
「こら震! 食事中に気配を完全に消すのはやめなさい。」
「え?」
「え?」
……どうやら本人も自覚してなかったようである。
というもの、李震という少年は、かくれんぼが異様に強かった。
一度隠れてしまうと、他の子供達では見つけることが、できないのである。
時には朝に隠れて、夕方に李蒿が迎えに来るまで、誰にも見つからなかった事もあった。
ただ、母の愛なのか、他の理由があるのかは不明だが、李蒿だけは震が何処に隠れていても、見つける事ができた。
なまじ李蒿が見つける事ができたため、震は指摘されるまで己の天才的な気殺、穏形に気付けなかった。
(母親ェ)
震は残念な子だった。
別に頭が残念というわけではない。
5つを過ぎたある日の事、李蒿は我が子に武術を教えようと震を鍛練に誘った。
そこで木剣を持たせ、基本を教え始めた。
いくら息子に激甘な李蒿とはいえ、一介の武人である。
鍛練に情の入る余地は……たぶん無いと思う……たぶん
約一月ほど李蒿は息子に稽古をつけたが、李蒿はため息が漏れ、失望を表情に出すのを必死で堪えた。
武術は時間と積み重ねである。
例え才能が無くても、時間をかけ、諦めなければ最終的には達人の高みに至れるであろう。
ただ、その先の強さ……限界を越え強者の域に至れるには、才能がいる。
達人と強者は違う。
限界に至った達人と、限界を越えた達人とは明らかな差が存在する。
例えば、同じ技を同時に繰り出せば、強く早く鋭い方が勝つ。
戦いはソレが全てではないが、ソコには確かに差が存在するのだ。
そして、震にはその才能が無かった。
このまま剣を鍛えれば、ある程度は強くなれるが、そこまでだ。
一時は一軍の将にまでなった自分と、今は亡きあの人の子供だから、期待はとても大きかった。
そして、その分の落胆も大きかった。
無論、コレは親の勝手であり、そんな事で我が子への愛は変わらない。
(う~む……武が駄目だとすると、後は智か? あの天才的な気殺を活かすなら、暗殺や細作……うむむむむむぅ……)
親の悩みは今日も尽きない。