森で出会いました
12.01/29
少々編集しました。口調などに思うところがあったので。
全身が液体とも気体とも呼べない何かに包まれたのは覚えている。それからは寝たのか失神したのかともかく暗転。気がついたら森の中に寝転がっていた。
全く持って意味不明である。わたしにはこんな妄想壁があったのだろうか。十九年経ての新事実だ。……そして、わたしは深層心理では獣に襲われたいという安寧とは程遠い願望もあったのかな?
うん、かすかな気配を近くに感じ、覚醒を促され反射行動に素直に従って目を開けたのが運の尽きだったな。ピントが合ってびっくりだ。
視界を埋め尽くすのは肉食獣特有の太くて鋭い牙と鼻筋に深く刻まれた皺だった。おまけに「グルルル……」と、お決まりの唸り声付きだ。
何なんだ。なんなんだ。コイツこの野郎。わたしの目が覚めるまで待ってたってのか? 寝てる獲物よりしっかり覚醒している獲物の方が仕留めがいがあるってのか? そんなサービス望んじゃいねぇぞ!
……うん、自覚している。わたし今混乱してる。ちなみにこんなに動き回っているのは頭の中だけだ。
獣の射程圏内にいると知った時点で体は硬直しているし、息も止まりっぱなしだ。いっそこのまま酸欠で気絶したいが過ぎる恐怖心がそれを許さない。でも息苦しいのも嫌だ。息したいよ。
でもさ、いきなり呼吸をしようとしたら変に声帯を震わすかもしれない。みだりに声を上げて獣を刺激してはいけないのはさすがにわかる。
だからとりあえず指先を動かそうかと思う。あぁ、こう中途半端に理性なんて残してないでどうせなら発狂でもしてくれたら良かったものを。
獣は唸るのを止めて私の首筋あたりをクンクン嗅いでるしね。頚動脈狙ってますか? 血流が多いところは体臭も強いらしいからな、獣の好みのにおいじゃないことを祈りますよ。
と、おお。指動いたよ。痺れもないし、ちゃんとどの指が動いているかもわかる。右手の小指薬指中指人差し指そして親指。ゆるくこぶしをつくってる感じだ。左手も同様に動いた。
さて、今度こそ呼吸に挑戦してみよう。ちなみに今獣は左わき腹を嗅いでるよ。十五センチくらい動かしたら心臓だね。わたしの拍動の音は聞こえますか。どうですか。……いかんな、だんだんと自棄になってきた。
……すぅ。
ほんの少しだけ、本当にごく少量の空気を吸ったら途端に息苦しさがぶり返してきた。肺に行った酸素に整理的欲求が嫌というほど刺激されたみたいだ。大きく動こうとする横隔膜をグッと押さえ込む。全身に少なくなった酸素を補給しようと心臓もさらに早鐘を打つ。こめかみがドクドク音を立てていると錯覚するほどだ。
「……ぐっ」
あ。
ピタッ。
あ。
……あーあ。やっちまったよ。荒くなる呼吸を押さえつけようとしたら咽が鳴っちゃいました。
その音にいち早く気付いた獣が一時停止をしたかのように動きを止めた。ちなみに獣の鼻先はちょうどへその上辺りにある。前足二本でわたしの大腿部を斜めに跨いでいて、下半身やらはつま先から右斜めへ少々離れたところにある。毛の筋一本にまで神経を張り巡らせてこちらの様子を伺っている。押し寄せてくる緊張感が痛いくらいだ。
わたしはまぶたを下ろして手からも力を抜いた。こういう場合の猛獣への対処法なんて知りませんよ。諦めの境地ってやぁつ? もう必死に呼吸を抑えるのも馬鹿馬鹿しくなっていっそ深呼吸だ。それでも恐怖心が去ったわけではないから極力音は立てないようにだけどね。ずーっと心臓はドコドコ脈打ってますよ。ええ。深呼吸をしているうちに手足が冷えていたのがわかった。血流によりじんわり温まってゆく感触が心地いい。
で、まぶたを上げて獣の様子をうかがってみたんだけど、コイツさっきと体勢変わってないんだけど、硬直しっぱなしなんだけど! さっきまでのわたしか! え? 食べないの? どうなの?
「あの〜獣くん……っ!?」
うお! やばっ! なんとか状況を変えようと思って声をかけたのがまずった。獣の背中んとこの毛がブワッ! て逆立ってしまった。んでもってわたしの顔に焦点定めちゃった。うおう。どうしよう。どうしよう。わたし獣と見つめ合ってるんだけど、どうしたらいいの? 確か野生動物と遭遇した時の対処法に目をそらしちゃいけないってあったよね。いいの? いいの!? 獣は落ち着かなさげに尻尾をゆーらゆーら振ってるし。若干鼻に皺寄ってるし。
そしてわたしはこのとき初めてまじまじと獣を見たわけなんだが、この獣、オオカミだったのね。オオカミはイヌ科で最大、と何かで読んだことあるけど本当らしい。足の大きさはわたしの指を広げた手とたいして変わらないし、グレートデーン並みの大きさのハスキーをもっとスマートにして野性的にした感じだ。毛色は、脚や腹、鼻先なんかが薄い灰色で、背中にかけて青みの強い濃い灰色になっていってる。硬そうではあるがキレイと思える色合いだ。
でさ、いい加減この見つめ合いをどうにかしたいのよ。声かけてもいいかな〜。もうすでに話しかけちゃったわけなんだしこの際一回も二回も関係ないよね。はい吸って〜、吐いて〜、また吸って。
「君はわたしを食べるのかい?」
ここまできて今更だが、もちろんわたしだってこのオオカミに言葉が通じるとは思っていないよ。ただあのなんとも言えない沈黙に耐えられなかったの! わたしは犬を飼っているんだけど、動物を飼っている人間は動物に話しかけてしまうもんなんだよ! ヤケになってないぞ、わたしは! ああああ、オオカミが寄ってきたし。また首んとこクンクン嗅いでるし……。
「ひっ!?」
ぎゃあああああ! 舐められたっ! 首舐められたあ! やっぱり食べるのかな。首にかぶり付く気なのかな。命あるものいつかは死ぬ運命だし、自分の望む死に方なんてできると思っていないけど、だけど食われ死ぬのは勘弁したかったなぁ。
この立派な牙にかぶり付かれたらどのくらいで死ねるのだろうか。窒息と痛みへのショックと失血とで十秒はかかるまい。願望を言えば五秒弱がいいな。……ああ、やっぱり怖いよ。奥歯が半端なくガチガチいっている。……ん?
「……あ?」
あの、えっと、これは、……すり寄られていると行っていいのだろうか? 現在オオカミはわたしの首から頬にかけて額をぐりぐり押し付けているのだ。オオカミの眉間の骨が顎や頬骨にぶつかって痛いのは今は置いておこう。
しかしこれはなつかれているのか? いや、オオカミは人になつかないと聞いたことがあるぞ。オオカミは確かにイヌ科だけど犬とは違う。犬は人間に使役されるため、または愛玩目的に長い時間をかけて品種改良されたものだ。
見た目は似ているけどオオカミと犬は違う種族と言っても過言ではない。……ではないんだが、これはあきらかに甘えているに近い行動ではないかな。嗅いじゃぐりぐり、嗅いじゃぐりぐり。え、ちょっと、この持て余した恐怖心どうしたらいいの?
「食べないの? どうなの?」
もー知らん。なでてやる。元来わたしは動物好きなんだよ。野生動物を甘く見ているわけではないけどここまでわたしを好きなようにしておいてなにをためらう事がある。
右手をオオカミの顎下に持っていって爪を立ててカリカリ。やっぱり家の犬より毛は硬い。っていうか本当に大きいね。わたしが今までに接してきた動物で大きいサイズのものはせいぜいラブラドール・レトリバーとかの大型犬だけど、オオカミはボルゾイなどの超大型犬よりも大きいのだ。いっそなでごたえがある。
オオカミが特に嫌がる素振りを見せないから調子づいて顎下から首元まで手のひらでなでる。
いまだ頬へすり寄るオオカミの耳や奥に見えるキレイな背中をジッと見ていたら、わたしの視線に気付いたらしいオオカミが少し頭を離してわたしの目を覗き込んできた。野性的な鋭い瞳だ。一見黒にも思う瞳孔はよく見たら深い藍色をしているし、その周りを囲む虹彩は氷のような薄い青。
こんなに間近にある野生動物の目。いまだ恐怖心は胸にくすぶっているが、それ以上にこの力強い瞳がわたしを捕えて放さない。
「ははっ」
まったく、このオオカミ、とんでもなくカッコイイな。いつの間にか止まっていた手を動かして再度オオカミの首の毛をなでる。こんなに貴重な体験は一生かかったってできるものじゃない。とてもすばらしい冥土の土産だ。
「良いとは言えないけど悪くもない死に方かな?」
さっきまで食い殺されるのは勘弁したいと思っていたが、うん、悪くない。だいぶこの状況に毒されている感はあるが、それも含めて悪くないと思えてきた。
「やっぱりわたしは深層心理ではそうだったと言うことかね。あはは」
なでていた手を離し、合っていた視線も外してよいしょと上体を起こす。それに合わせてオオカミも頭の位置を上げるが、それでも体から見ればかがみ気味だ。
「さて君は、わたしをどこで食べるのがお望みかな? 必要なら移動するよ」
人の近くでオオカミが生息するとは思えないから、わたしの足で人の元まで行けないだろうことは想像に難くない。だから逃げる気なんてさらさらない。そもそもどうしてこのような偏狭な場所にいるのかは考えないことにした。多分そのほうが精神衛生上良いだろう。
「お前を食べる気はない」
「…………はひ……?」
一人納得してうんうん頷いていたら、わたし以外の声が聞こえました。いや気のせいだ。気のせいに違いない。
とうとうわたしの精神も幻覚を感じるほどに追い詰められてしまったようだ。自分が幻覚に襲われていると自覚するのはこんなに不気味なのもなのか。また一つ新たな発見だ。ああ嫌だ。幻覚がひどくなるようならさっさと理性を手放したいものだ。いいや、自棄になるな。落ち着こう。こういう時こそアニマルセラピー。オオカミに人間の精神を安定させる作用があるとは思えないけどわたしには通用するかもしれん。この際両手でなでてしまえ。
首を挟むようにわさわさ、カリカリ。
「……聞いているのか?」
「……あ〜、気のせいじゃなかったか〜」
あれです。二カ国語同時音声みたいな感じでオオカミの唸る声と、わたしにも聞き取れる言葉、言ってしまうと日本語が同時に聞こえてくるんです。鼓膜に響いて聞こえてくるようにも頭から直接言葉が響いて聞こえてくようにも感じてもうなにがなにやら……。
本気の現実逃避に突入してしまいたい。でも話しかけられて放置もできないよねぇ。怒らすのは怖いし。
「確認しますが、今の声は君のものですか?」
「そうだが? そもそもここにはおまえと私しかいないのだから当然ではないか?」
訝しそうに少し首をひねりオオカミが返事を返してきた。そうか当然なのか。これはこれは失礼いたしました。そしてオオカミの一人称は私なんですね。優雅さが増してとても良いと思います。
「で、わたしを食べるつもりはないと?」
「たしかにそう言ったな」
「だったらどうするつもりで?」
「まだ決めていない」
「あ?」
「とりあえず私の根城に連れて行こうとは思っているな」
「……保存食?」
「食べないと言っている」
「……」
わかーんないよー! どうしたいの!? このオオカミわたしをどうしたいの!? あ、決めてないって今言ったばかりだったね! もう好きにして下さいよ、食べる気ないんならもうなんでもいいかな!! わーい! 落ち着けわたし!
「あ……では、お世話になります?」
「ああ」
「申し遅れましたがわたしの名前は鈴木流です」
「スズキリュウ?」
「あ、スズキはいらない、です。リュウと呼んでくれれば。で、君の名前は?」
「ないな。私の存在を表す言葉はあるが、私自身に名前はない」
「あうあー、そゆもんなの? じゃあ好きに呼んでいいですか? ちなみに群れはあります?」
「ああ構わない。群れはない、というよりもこの土地に私以外の同種はいないな」
「あ、そうなんですか。群れがないのには少々あんしんです。んでね、君のことは冬士と呼ぶことにします。いいですか?」
冬士でトウジだ。このオオカミの色彩は冬を連想させるものだし、声から判断するに雄だと思うしってことでな。簡単でいいんだこういうのは。
「トウジ、か。わかった。してリュウ、立てるか? これから私の根城に行こうと思うのだが」
「ん、平気。立てるよ。歩くの遅いだろうけど我慢してください」
立ち上がって、ん〜! と伸びをしたら体中からバキバキと音がした。関節鳴るのって気持ち良いよね。
立ってみてあらためて冬士が大きいことがわかった。背中はわたしの腰よりも高い位置にあるし、頭を持ち上げればわたしの胸元にまで到達する。肩甲骨の間をカリカリとかくとゆらーり尻尾が揺れるのがかわいいと思う。
「急がなくてもいい。ついて来い」
「はい。お願いしまっす」
これがわたしと冬士の出会いであるわけだが、このあと冬士の住んでいるところで生活を始めたんだけど、サバイバル経験皆無のわたしが餓死しかけて慌てた冬士がヘルプを申し込んだのが森の中でヒトのように生活をしているヒトの形をした何かであったり、しばらくしてできた友達が変身の得意な妖精であったり、そこでやっとここがわたしの生まれた世界と別物だと気付いたんだけどね。
それからはここでは語りつくせないたくさんの事があったが、まあ冬士との関係は良好と言えただろう。森のヒトは親子のようだと言うし(この際どちらが親かはあえて知らんぷりだ)、妖精は夫婦と例えていた。どちらも悪くないな。うん。
じゃあ、機会があればまた今度。
流ちゃんは柔軟な思考の子ということでゆるしてください←
普段は専ら読み専門なので文章を書くことの難しさに驚いています。
ここまで読んでくださりありがとうございました。




