第9話:美食家公爵、ハンバーグに敗北する
「いらっしゃい……って、うわ」
ランチのピークタイムが過ぎた午後。 店に入ってきた客を見て、ミシェルカが小さな悲鳴を上げて固まった。
仕立ての良いシルクのコートに、白髪を撫でつけた初老の紳士。 背後には燕尾服の執事まで控えている。 この街の領主、バルトロメオ公爵その人だ。
「……ここが、噂の店か」
公爵はハンカチで鼻を覆いながら、店内を見回した。 掃除は行き届いているが、建物自体は古ボロい。彼の眉間に皺が寄る。
「ガルドー。貴様のような元Sランク冒険者が、こんな場所で給仕をしているとはな」 「へっ、公爵様こそ。こんな裏路地の飯屋に何の用ですかい」
ガルドーさんが警戒心を露わにするが、私は厨房からひょっこりと顔を出した。
「いらっしゃいませー。おじいちゃん、食事? それとも迷子?」 「ぶッ……!?」
ミシェルカが泡を吹いて倒れかけた。執事が「無礼な!」と色めき立つが、公爵はそれを手で制した。
「ふん、口の減らない小娘だ。……ワシは美食家でね。街で話題の店には一度は足を運ぶことにしている」
公爵は一番奥のテーブル席に優雅に腰掛けた。
「だが、期待はしていない。所詮は冒険者相手の『餌』だろう? 味の濃さだけで誤魔化した、品のない料理ではないかね?」 「あら、言うわね」
私は布巾で手を拭きながら、彼の前に立った。 なるほど、この手合いは一番厄介で、一番やりがいがある客だ。 『金はある。舌は肥えている。だが、本当に美味いものには飢えている』
「じゃあ、おじいちゃんを満足させられたら、文句言わずに通ってもらうわよ。何が食べたい?」 「フン。……最近、歯が悪くてな。硬い肉は好かん。だが、スープのような流動食はプライドが許さん。……『柔らかくて、肉肉しいもの』を持ってこれるか?」
柔らかくて、肉肉しい。 矛盾するオーダーだ。普通の料理人なら、高級なヒレ肉を煮込むところだろう。 だが、私の解答は違う。
「オーケー。とびっきりの『ハンバーグ』を出してあげる」 「ハンバーグ? 聞いたことのない名だな。まさか、余った肉屑を寄せ集めた団子ではあるまいな?」 「食べてから文句言いなさいよ」
私は厨房へ戻った。 さあ、戦闘開始だ。
◆
用意したのは、二種類の肉。 赤身の旨味が強い『ワイルド・バイソン(野牛)』と、脂の甘みが特徴的な『オーク』のバラ肉。 これを、スキル《高速千切り》で叩き、粗挽きのミンチにする。 機械で挽いた肉とは違う。手切りならではの、肉の食感が残るミンチだ。
ここに炒めた玉ねぎ、パン粉、牛乳、卵。 そして――
(隠し味は、これよ!)
私は瓶から『マヨネーズ(ポム)』をスプーン一杯、タネに放り込んだ。 マヨネーズの乳化された油と酢が、肉のタンパク質が硬くなるのを防ぎ、焼いた時に爆発的なふっくら感を生むのだ。
ペチッ、ペチッ、ペチッ。 空気を抜く音が厨房に響く。 小判型に成形し、中央を少し窪ませる。
熱した鉄のスキレット(小鍋)に牛脂を溶かし、タネを投入。
――ジュウウウウウウッ!!!
食欲をそそる重低音が店内に響き渡る。 公爵の耳がピクリと動いた。
表面を強火で焼き固め、肉汁の逃げ場を塞ぐ。 ひっくり返して弱火にし、蓋をして蒸し焼きに。 この「待ち時間」が、肉の中で肉汁のダムを形成する。
その間にソース作りだ。 肉汁が残ったフライパンに、例の『醤油ポーション』、果実酒、すりおろし玉ねぎ、そしてバターをひとかけら。 煮詰めれば、醤油の焦げた香りとバターのコクが混ざり合う『特製ジャポネソース』の完成だ。
「よし、焼き上がり!」
蓋を開けた瞬間、白い蒸気と共に、肉の焼ける甘い香りが爆発した。
◆
「おまちどうさま。 『バイソンとオークの合挽き・肉汁ハンバーグ』よ」
公爵の前に、熱々のスキレットが置かれた。 ジュウジュウと音を立てる鉄板の上には、赤ちゃんの拳ふたつ分はある巨大な肉の塊。 褐色のソースが掛かり、付け合わせのジャガイモが脂を吸って輝いている。
「……これが、ハンバーグ……? 見た目はただの焼いた肉団子だが……」
公爵は懐疑的な目を向けつつ、ナイフを入れた。
スッ……。
抵抗がない。 ナイフの重みだけで切れるほどの柔らかさ。 そして、断面が開かれた、その瞬間だった。
――ドバァッ。
まるでダムが決壊したかのように、透明な肉汁が溢れ出したのだ。 断面から湧き出るスープが、鉄板の上でジュワジュワと踊り、ソースと混ざり合う。
「な、なんだこれは!? 肉の中からスープが!?」
公爵の目が点になった。 あわてて、その肉汁たっぷりの一切れを口に運ぶ。
ハフッ、ハフッ。
「……ッ!!!!」
公爵の動きが止まった。 噛む必要がない。 舌の上で肉が解ける。 粗挽き肉のゴロゴロとした食感を感じた直後、マヨネーズ効果でふわふわになった生地が崩れ、バイソンの濃厚な赤身の味と、オークの甘い脂が口内を蹂躙する。
そして、ソースだ。 醤油ポーションの鋭い塩気と、バターの背徳的なコク、玉ねぎの甘み。 これらが肉の脂と混ざり合い、とてつもない旨味の波状攻撃となって脳を揺らす。
「ぬ、ぬうぅぅぅぅッ!!!」
公爵がテーブルを叩いた。
「なんだこの柔らかさは! 歯がいらん! 歯茎だけで噛み切れるぞ!」 「でしょ? でも、肉食ってる感じはするでしょ?」 「する! 圧倒的な『肉』だ! なのに、なぜこんなに優しい口当たりなんだ!」
公爵のフォークが止まらない。 一口食べるごとに、「うまい」「なんじゃこれは」と独り言が漏れる。
「おっと、これを忘れてたわね」
私はドンッ、と茶碗を置いた。 中身は、ふっくらと炊き上げた『ホカホカの穀物(ライ麦と米の雑種)』だ。
「このソース、お米に合うのよ」 「米だと? 平民の餌……」
公爵は言いかけたが、本能には逆らえなかった。 肉汁とソースをたっぷり纏わせたハンバーグを、白飯の上にワンバウンドさせる。 タレの染みた飯と共に、口へとかっこむ。
「――優勝」
公爵が、どこで覚えたのか分からない若者言葉を呟いた。 目じりには涙すら浮かんでいる。
「美味い……。ワシが求めていたのは、高級なフレンチでも、珍味でもなかった……。この、白飯に合う、脂と醤油の暴力だったのじゃ……!」
あっという間に完食。 鉄板に残ったソースと肉汁すら、パンで綺麗に拭って食べてしまった。
公爵はナプキンで口を拭うと、先ほどまでの威圧感が嘘のような、穏やかな好々爺の顔で私を見た。
「……娘、名はなんという」 「ルネよ。ルネ・ヴィオラ」 「ルネよ。……この店、ワシが保護する。誰にも文句は言わせん」
公爵は執事に目配せをし、分厚い金貨の袋を置いた。
「それと、明日の晩餐だが……屋敷に出張してもらうことは可能か? 孫娘にもこれを食わせてやりたい」 「出張料は高いわよ?」 「城が建つほど払おう」
こうして、『キッチン・アトリエ』のバックに、ギルドマスターに続き、領主という最強のパトロンがついた。 私のスローライフ計画は、なぜか着々と「国を動かす美食店」へと道を逸れ始めている気がするが……まあ、美味しいからいっか。




