第49話:闇の組織の影。消えた食材と、勇者の尾行
準決勝の夜。 私は、明日の決勝戦に向けて仕込んでおいた食材の状態を確認するため、宿の裏にある専用倉庫へと向かった。
決勝のお題は**『魚の真髄』**。 私は、市場で見つけた最高級の『大トロ』と『天然真鯛』を、ミシェルカの氷魔法で作った特製冷蔵庫で熟成させていた。 今頃、イノシン酸(旨味成分)がピークに達しているはずだ。
「ふふふ……待っててね、私の可愛いお魚ちゃんたち……」
鼻歌交じりに倉庫の扉に手をかける。 ――カチャリ。
鍵が、開いていた。 嫌な予感が背筋を走る。 私は勢いよく扉を開け放った。
「嘘……でしょ?」
そこは、もぬけの殻だった。 冷蔵庫の扉は破壊され、中に入っていたマグロも、鯛も、付け合わせの野菜までもが、綺麗さっぱり消え失せていた。 床には、泥だらけの足跡と、わざとらしく残された一枚のメモ。
『身の程知らずの平民に告ぐ。決勝を辞退せよ』
典型的な、妨害工作だ。 私の優勝を阻みたい誰か――十中八九、あの美食貴族レオナルドか、大会を裏で牛耳る賭博組織の仕業だろう。
「……はぁ。やり方が古臭いのよ」
私がため息をついていると、背後からあくびを噛み殺しながら、ジャージ姿の青年が現れた。
「ふわぁ……どうしたの姉さん、こんな朝早くから。 ……で、俺の朝飯の『焼き魚定食(大盛り)』は?」
勇者カイトだ。 彼は昨晩から「明日の朝は、熟成された最高の魚が食える!」と楽しみにしていたのだ。
「……カイト。残念なお知らせよ」 「え?」 「魚、盗まれたわ」
私は空っぽの冷蔵庫を指差した。
「……は?」
カイトの動きが止まった。 眠気眼が一瞬で見開かれ、焦点が定まる。
「盗まれた? 俺の朝飯が? あの、脂が乗って炭火で焼くと皮がパリッとして身がジュワッとなるはずだった、俺の魚が?」
「ええ。悪い奴らが持って行っちゃった」
ゴゴゴゴゴゴ……。 カイトの体から、魔王と対峙した時よりも濃い、漆黒のオーラが立ち上った。
「……万死」
カイトが低く呟いた。
「世界を救った勇者の、ささやかな朝の楽しみを奪うとは……。 魔王軍でもやらなかった暴挙だぞ。許さん。地獄の果てまで追いかけて、焼き土下座させてやる」
カイトは地面の足跡を見た。
「スキル発動――【追跡】」
勇者専用スキル。本来は逃げた魔王幹部を探すための高位能力だ。 カイトの目に、犯人の足跡が赤く光って見えているらしい。
「見えた。3人組。南の港湾倉庫へ向かってる。……行くぞ、姉さん」 「え、ええ……(怖っ)」
◆
港の片隅にある、ボロボロの倉庫。 中では、強面の男たちが酒盛りをしていた。
「ギャハハ! 見ろよこの極上のマグロ!」 「あのアマ、食材が消えて今頃泣いてるだろうぜ!」 「レオナルド様からたっぷり報酬も貰ったし、この魚は俺らで食っちまおうぜ!」
男たちが、私の大切なマグロに包丁を入れようとした、その時。
ドォォォォォォォンッ!!!
倉庫の鉄扉が、紙屑のようにひしゃげて吹き飛んだ。
「な、なんだぁ!?」 「敵襲か!?」
土煙の中から、ゆらりと人影が現れる。 聖剣(鞘に入ったまま)を片手に提げた、ジャージ姿の悪魔。
「……おい」
カイトが、地を這うような声で言った。
「俺の魚に、気安く触るな」
「あぁ? なんだテメェは! やっちまえ!」
男たちがナイフを抜いて襲いかかる。 だが、カイトは一歩も動かなかった。
「邪魔だ」
ヒュンッ。 ただのデコピン。 それだけで衝撃波が発生し、先頭の男が壁まで吹き飛ばされて気絶した。
「は……? 魔法……?」 「違う。ただの『空腹の八つ当たり』だ」
カイトは残りの二人にも瞬時に肉薄した。 腹パン。手刀。 無駄のない、しかし慈悲もない一撃で、男たちは「ぐえっ」と短い悲鳴を上げて沈黙した。 所要時間、わずか3秒。
「……ふん、雑魚が」
カイトは鼻を鳴らし、テーブルの上の魚を確認した。
「姉さん! 無事だ! マグロも鯛も、まだ切られてない!」
彼は満面の笑みで私を振り返った。さっきまでの修羅の顔はどこへやら。
「よし! これで朝飯にありつけるな!」
しかし。 私が魚に駆け寄った時、致命的な事実に気づいてしまった。
「……ダメよ、カイト」 「え?」 「この魚……常温で放置されすぎて、痛んでるわ」
男たちは酒盛りを優先して、繊細な熟成魚を温かい室内に放置していたのだ。 私の【食材鑑定】が、鮮度低下(Cランク)を示している。 腐ってはいないが、決勝戦で「世界一」を競うレベルではなくなっている。
「そ、そんな……」 カイトが膝から崩れ落ちた。
「俺の……俺の焼き魚定食が……」
倉庫に、勇者の絶望の叫びが響き渡った。
◆
犯人は捕らえ、衛兵に突き出した。 だが、失われた食材は戻らない。 決勝戦まで、あと数時間。
「……仕方ないわ。市場へ行きましょう」
私は気持ちを切り替えた。
「まだ時間はある。市場が開けば、代わりの魚が手に入るはずよ」
私たちは急いで市場へと向かった。 だが、そこで待ち受けていたのは、さらなる絶望だった。
市場の魚屋の棚が、すべて空っぽだったのだ。
「へい、らっしゃい。……と言いたいとこだが、売る魚はねぇよ」 魚屋の親父が申し訳なさそうに言った。
「全部『買い占め』られちまったんだ。レオナルド様の使いにな」
私の倉庫を襲うと同時に、市場の在庫を金に物を言わせて枯渇させる。 完璧な兵糧攻めだ。
残っているのは、店の隅にある売れ残りの雑魚や、鮮度の落ちた死んだ魚だけ。 これで、世界最高峰の料理バトルを戦えと言うのか。
「……上等じゃない」
私は逆に燃えてきた。 腐った性根の貴族に、本物の「技術」を見せつけるチャンスだ。
「おじさん、その『売れ残りの雑魚』、全部売って! 私が魔法で、生き返らせてみせるから!」




