第5話:出る杭は打たれるが、出る幽霊はこき使われる
「……おい、ルネ。本当にここに入るのか?」
大通りの裏手、人通りが途絶えたその先に、その物件はあった。 かつては洒落たレストランだったのだろう。レンガ造りの二階建て。だが今は、蔦が外壁を覆い尽くし、窓ガラスは割れ、看板は片方が外れてブラブラと揺れている。 極めつけに、昼間だというのに周囲だけ気温が5度くらい低い。
「ここよ、ここ! 最高の立地じゃない!」
私は目を輝かせた。 なぜなら、裏庭に井戸があり、換気ダクトもしっかりしている。何より、前の住人が残していったと思われる巨大な石窯が見えるからだ。あれがあれば、パンもピザも焼き放題だ。
「正気か? 街の連中は『呪われた厨房』って呼んでるんだぞ。夜な夜な、何もないのに包丁がまな板を叩く音が……」
ガルドーは青い顔をして、私の後ろに隠れるようにしている。 身長2メートルの大男が、12歳の少女を盾にするな。
「幽霊なんて非科学的なもの、いるわけないでしょ。大方、ネズミか風のいたずらよ」
私は錆びついたドアノブを回し、強引に中へと足を踏み入れた。
ギィィィィ……。 ホラー映画の効果音のような音と共に、カビ臭い空気が溢れ出す。 店内は薄暗く、埃が積もっているが、カウンターやテーブルの配置は悪くない。掃除すれば十分に使える。
「厨房は……と」
私は店の奥にある厨房へ向かった。 そこは、意外にも綺麗だった。 埃は積もっているが、調理器具は整然と並べられている。
その時だ。
――トントン、トントン。
誰もいない調理台の方から、リズミカルな音が聞こえてきた。
「ひぃッ!? で、出たぁぁぁッ!!」
ガルドーが悲鳴を上げて腰を抜かした。 私は目を凝らす。 そこには、一本の包丁が宙に浮き、朽ちた木片をまな板の上で刻んでいる光景があった。
ポルターガイスト現象。 あるいは、料理に未練を残した地縛霊か。 普通なら悲鳴を上げて逃げ出す場面だ。
だが、私の目(元・料理長アイ)は、別の点に釘付けになっていた。
「……下手くそ」
私は低く呟いた。 ガルドーが「え?」と震える声で聞き返す。
私はツカツカと、宙に浮く包丁へ歩み寄った。
「あんたねぇ! なにその腰の入ってない切り方は!」
私の怒号が厨房に響いた。 ピタリ、と包丁の動きが止まる。幽霊も驚いたようだ。
「刃の入れ方が浅いから、繊維が潰れてるじゃない! それじゃあ食材の旨味が逃げるし、舌触りも最悪よ! 玉ねぎを切るつもりなら、もっと刃元を使ってスライドさせなさい!」
私は浮いている包丁の柄をガシッと掴んだ。 冷たい感触。何かの力が抵抗しようとするが、今の私には【器用:999】という最強の補正がある。 強引に包丁を制御下に置く。
「いい? 見てなさい。千切りっていうのは、こうやるのよ!」
私は近くに転がっていた木片(適当な薪)をまな板にセットした。
――ダダダダダダダダダッ!!!
閃光が走る。 私の腕は残像となり、木片は一瞬にして髪の毛ほどの細さのチップへと姿を変えた。 スキル《高速千切り Lv.Max》の発動だ。
「……わかった? 料理を舐めないでよね」
私が包丁から手を離すと、包丁は空中でプルプルと震えていた。 そして、ゆっくりと切っ先を下げ、ペコペコとお辞儀をするような動きを見せた。
「ル、ルネ……お前、幽霊を説教して従わせたのか……?」
腰を抜かしていたガルドーが、信じられないものを見る目で私を見ている。
「なんか、悪い幽霊じゃなさそうよ。ただ単に『切りたい』っていう欲求が暴走してただけみたい」
私は宙に浮く包丁に指を指した。
「あんた、ここにいたいなら家賃代わりに働きなさい。私がいない間の掃除と、下ごしらえの時の『混ぜ係』として雇ってあげる」
包丁は嬉しそうにクルクルと回った後、近くにあったお玉やフライパンを宙に浮かせ、勝手に掃除を始めた。 どうやら、便利な自動調理器具をゲットしたらしい。
「よし、物件の問題は解決ね。あとは大家さんを探して契約するだけ……」
そう言って振り返った時だ。 店の入り口に、一人の女性が立っていた。 ローブを目深に被り、杖を持った女性。その顔色は幽霊のように青白いが、足はある。
「あの……」 「ひゃあッ!? ま、また出たのか!?」
ガルドーが再び悲鳴を上げる。 女性は怯えながら、小さな声で言った。
「す、すみません。勝手に入って……。ここ、私の実家だった場所なんです。魔力暴走でポルターガイストが起きちゃって、手放そうとしてたんですけど……」
彼女はチラリと厨房を見た。 そこでは、宙に浮く雑巾が窓を拭いている。
「あの暴走した魔力を……手懐けちゃったんですか……?」 「ああ、これあなたの魔力だったの? ちょうどよかった。ここ、借りていいかしら?」 「は、はい……。あの現象を抑えられるなら、タダでもいいくらいです。あ、私、ミシェルカといいます……」
現れたのは、家主の娘であり、魔法使いのミシェルカだった。 どうやら彼女の漏れ出た魔力が、この屋敷の怪奇現象の原因だったらしい。
こうして私は、 1.格安の物件 2.便利な自動家事システム(ポルターガイスト) 3.偏食家の魔法使い(ミシェルカ)とのコネクション
これらを同時に手に入れたのだった。
「さあ、ガルドーさん! 掃除が終わったら、次は『本物の調味料』を探しに行くわよ!」 「勘弁してくれ……俺の心臓が持たねぇ……」
私のスローライフ(?)な飯屋経営は、着々と準備が整いつつあった。




