表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/56

第37話:再起のレシピ。震える腕に『勝利(カツ)』を

深夜。  店の裏手にある従業員用の倉庫兼、ガルドーさんの個室。  ランプの薄暗い灯りの下、巨漢の戦士はベッドに腰掛け、自身の右腕をじっと見つめていた。


「……動けよ、クソッ」


 彼は右手を強く握りしめようとする。だが、指先は微かに痙攣し、力が逃げていく。  かつてドラゴンの爪を受け止め、神経ごと断裂しかけた古傷。  治療師ヒーラーには「完治した」と言われたが、心の底にある恐怖心が、無意識に体にブレーキをかけているのだ。


「ザングの言う通りだ。俺はもう『盾』じゃねぇ。ただのデクの棒だ……」


 部屋の隅には、埃を被った愛用の大盾『アイギス』が置かれている。  今の自分には、それを持ち上げる資格すらない。  彼は深く溜息をつき、頭を抱えた。


 バンッ!!


 突然、扉が荒々しく開け放たれた。


「うおっ!?」 「辛気臭い顔してんじゃないわよ、この筋肉ダルマ」


 立っていたのは、湯気を立てるお盆を持った私だった。


「ル、ルネ……? なんだその料理は」 「夜食よ。……それと、『薬』だ」


 私は強引に部屋に入り、小さなテーブルにお盆をドン! と置いた。  丼の蓋が、カタリと音を立てる。


「食いなさい。残したら給料から引くわよ」


 ガルドーさんは戸惑いながらも、漂ってくる暴力的なまでに香ばしい匂いに喉を鳴らした。  彼はゆっくりと蓋を開けた。


 ――ボワァッ!


 濃厚な湯気が、部屋の湿っぽい空気を一瞬で吹き飛ばした。  現れたのは、丼の縁からはみ出るほど巨大な、黄金色の揚げ物。


「こ、これは……」 「**『マッド・バイソンの特大リブロース・カツ丼』**よ」


 今日のメイン食材は、ダンジョンの深層に住む暴れ牛『マッド・バイソン』の背肉。  脂身と赤身のバランスが最高のリブロースを、厚さ3センチという非常識な厚切りにし、低温と高温の油で二度揚げしたものだ。  それを、醤油と出汁を効かせた甘辛い割り下で煮込み、半熟の卵でとろりと閉じてある。


「カツは『勝つ』。……ベタなゲン担ぎだけど、今のあんたには必要でしょ?」


 ガルドーさんは言葉を失っていた。  丼の中で輝く黄金の衣。出汁を吸って飴色になった玉ねぎ。そして頂上に乗せられた緑色の三つ葉。  視覚だけで「美味い」と脳が理解してしまう。


「……いただく、ぜ」


 ガルドーさんは震える手で箸を取り、重たいカツの一切れを持ち上げた。  ずっしりとした重量感。  大口を開けて、かぶりつく。


 サクッ……ジュワアァァッ!!


「……ッ!!!」


 ガルドーさんの目がカッと見開かれた。


 衣のサクサク感は、割り下を吸っても死んでいない。  そして何より、肉だ。  歯を入れた瞬間、マッド・バイソンの凶暴なまでの旨味と脂が、ダムが決壊したように口の中に溢れ出した。  甘い。辛い。美味い。


 すかさず、タレの染み込んだ白飯をかき込む。  卵のまろやかさが、暴れる肉の味を優しく包み込み、渾然一体となって喉を通過していく。


「うぐっ……うぅ……美味ぇ……」


 ガルドーさんの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。  食べる手が止まらない。  一口食べるごとに、胃袋の中心からカッと熱いものが広がっていくのを感じる。


「……熱い。腹が、燃えるようだ」 「当たり前よ。その衣には、『麻痺直し』の薬草と、『闘気』を高めるスパイスを練り込んであるんだから」


 私は腕組みをして言った。


「あんたの右腕が動かないのは、筋肉の問題じゃない。『燃料切れ』よ。  恐怖も、不安も、後悔も、全部そのカロリーで焼き尽くしなさい!」


 ガルドーさんは無言で丼をかき込み続けた。  ハフッ、ハフッ、ズズッ。  涙と鼻水を流しながら、一心不乱に食らう。


 完食し、丼の底に残った米粒一つまで平らげた時。  ガルドーさんの体からは、湯気のような赤いオーラが立ち上っていた。


 彼は自分の右腕を見た。  震えは――止まっていた。  拳を握りしめる。骨が軋むほどの力が漲っている。


「……ルネ」


 ガルドーさんが立ち上がった。その巨体が、部屋を狭く感じさせるほどの圧力を放っている。


「ごちそうさん。……目が覚めたぜ」


 彼は部屋の隅へ歩み寄り、埃を被っていた大盾『アイギス』を片手で軽々と持ち上げた。  ずしりと重い鉄の塊。  だが今の彼には、それが羽のように軽く感じられた。


「行くのか?」 「ああ。……ザングの奴ら、調子に乗って『夜の森』へ向かいやがった。あそこは今夜、スタンピード(魔物の暴走)の予兆が出てる」


 ガルドーさんは大盾を背負い、私に向かってニカッと笑った。  そこにはもう、昼間の弱気な敗北者の顔はなかった。


「あいつらは気に食わねぇ。だが、客だ。  ウチの店の客が、不味い飯(魔物の餌)になるのを見過ごすわけにはいかねぇだろ?」


「ふふっ。行ってらっしゃい。……帰ってきたら、デザート出してあげるわ」


 ガルドーさんは無言で親指を立て、夜の闇へと飛び出していった。  その背中は、どんな魔物の爪牙も跳ね返す、頼れる『鉄壁』の背中だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ