第36話:元Sランクの古傷。嘲笑う『鉄壁』の後継者
『キッチン・アトリエ』のランチタイムは、戦場だ。 次々と舞い込むオーダー。ジュウジュウと肉が焼ける音。立ち上る湯気と、客たちの賑やかな声。
「ガルドーさん! 2番テーブルに『スタミナ定食』運んで!」 「おう、任せろ!」
私の相棒、ガルドーさんは今日も巨体を揺らしてホールを駆け回っている。 身長2メートル超えの筋肉ダルマが、小さなエプロンをつけて料理を運ぶ姿は、今やこの店の名物となっていた。
――でも、今日はおかしい。
賄いの時間。 いつもなら「足りねぇ! おかわり!」と炊飯器ごと抱える勢いのガルドーさんが、大盛りの生姜焼きを半分も残して箸を止めていた。 視線は虚ろで、無意識に自身の右腕をさすっている。
「……ガルドーさん? 具合でも悪いの?」 「あ? ……いや、なんでもねぇよ。ちょっと腹がもたれてるだけだ」
嘘だ。 この男の胃袋が「もたれる」なんて物理現象はあり得ない。 私が問い詰めようとした、その時だった。
カランカラン♪
ドアベルが鳴り、店の空気が一変した。 入ってきたのは、全身を真新しい白銀のフルプレートアーマーで固めた、6人組の冒険者パーティだった。 装備の質が違う。武器はどれも魔力が付与された業物。 そして何より、彼らが放つ「俺たちはエリートだ」という鼻につくオーラが、店内の空気を凍りつかせていた。
「へぇ……ここが噂の『キッチン・アトリエ』か。思ったより狭くて汚い店だな」
先頭に立つ男が、鼻で笑った。 金髪をオールバックにし、巨大なタワーシールド(大盾)を背負った男だ。
ガルドーさんの体が、ビクッと跳ねた。
「……いらっしゃい。席なら空いてるけど」
私が憮然として対応すると、男は私を無視し、カウンターの奥にいるガルドーさんを指差した。
「おや? まさかとは思っていたが……本当にこんな所にいたんですね。『不沈艦』のガルドー先輩」
店内の客たちがざわめく。 「不沈艦?」「あのガルドーがか?」
「……ザング、か」
ガルドーさんが重い口を開いた。声が微かに震えている。
「久しぶりですねぇ。先輩が『あの失態』でSランクを剥奪されて以来ですか」
ザングと呼ばれた男は、芝居がかった動作で肩をすくめた。
「皆さんもご存知でしょう? かつて王都最強の盾と呼ばれながら、ドラゴンのブレスにビビって仲間を見捨て、尻尾を巻いて逃げ出した臆病者がいたことを」 「……ッ!」
ガルドーさんが唇を噛み締める。 否定しない。いや、できないのだ。
「おい、言葉を慎みなさいよ」
私が包丁をダンッ! とまな板に突き立てた。
「ウチの従業員に難癖つけるなら、お客様でも叩き出すわよ」 「ハハハ! 威勢がいいな、お嬢ちゃん。だが事実だろう?」
ザングは冷ややかな目でガルドーを見下した。
「見てみなさい、あの無様な姿を。かつて英雄と言われた男が、剣を捨て、エプロン姿で給仕の真似事とはね。……右腕が動かないからって、そこまで落ちぶれるとは」
そう。ガルドーさんの右腕。 普段は普通に動かしているように見えるが、実は古傷の後遺症で、繊細な動きや、強い衝撃に耐える力が失われている。 料理を運ぶことはできても、もう「盾」を構えることはできない――本人はそう思い込んでいる。
「……否定はしねぇよ」
ガルドーさんが、絞り出すような声で言った。
「俺の盾はもう砕けた。今の俺は、ただの飯屋の店員だ。……お前たちの邪魔はしねぇから、食ったら帰れ」
「食う? 冗談じゃない」
ザングはテーブルを蹴り飛ばした。
「負け犬が作った料理など、口が腐る。……行くぞ。ここは『敗北者』の臭いが染み付いていて吐き気がする」
ザングたちは高笑いを残し、嵐のように店を出て行った。 残されたのは、静まり返った店内と、拳を握りしめて俯くガルドーさんだけ。
「……ルネ、悪い」
ガルドーさんが、顔を上げずに言った。
「今日は……早退させてくれ。気分が優れねぇんだ」 「ガルドーさん……」
止めることはできなかった。 エプロンを外し、裏口から出て行く彼の背中は、いつもの頼もしさが嘘のように小さく、丸まっていた。
彼が引退した本当の理由。 それは右腕の怪我だけじゃない。 「自分が守れなかったせいで、パーティが壊滅した」という、心に刻まれた深い深い傷跡。 それが、彼から「守る」という意志を奪っているのだ。
「……許さないわよ、あの金髪野郎」
私は残された生姜焼きを見つめた。冷めてしまった肉。 料理人として、何より家族として、このまま黙っていられるわけがない。
「待ってなさい、ガルドー。あんたのその傷、私の料理で『治療』してあげるから」
私は厨房に入り、冷蔵庫を乱暴に開けた。 取り出したのは、最高級の豚リブロース肉。
傷ついた男に必要なのは、慰めの言葉じゃない。 生きる活力を無理やりねじ込む、圧倒的なカロリーと旨味の暴力だ。




