第3話:オーク肉の竜田揚げ、あるいは『茶色い宝石』の爆誕
「おじさん、オークの肉、持ってるわよね?」
私が上目遣いで尋ねると、スキンヘッドの冒険者――ガルドーと呼ばれていた男は、顔をしかめて腰の袋を叩いた。
「ああ? そりゃあ持ってるが……あんな臭くて硬い肉、食えたもんじゃねぇぞ。ギルドに納品しても、家畜の餌にするか、焼却処分にしかならねぇゴミ素材だ」 「いいから出して。さっきのポーションのお代だと思って」 「……へっ、物好きな嬢ちゃんだ」
ガルドーは呆れながら、薄汚れた布に包まれた肉塊を取り出した。 ドサッ、と屋台のカウンターに置かれる。 赤黒く、脂身が黄色がかったその肉からは、獣特有の野生的な臭気――はっきり言えばアンモニア臭に近い悪臭が漂っていた。
周囲の野次馬たちが、「うわっ、臭せぇ」「風下に立つな」と鼻をつまむ。 だが、私はニヤリと笑った。
(やっぱり。これは豚肉に近い。しかも、野生の猪みたいな力強い肉質だわ)
臭い? 硬い? 上等だ。その「癖」こそが、濃い口の醤油と出会った時、爆発的な旨味に変わるのだから。
「屋台のおじさん、鍋と油、それと片栗粉……じゃなくて、あの『芋の粉』を貸して!」 「あ、ああ。好きに使ってくれ。どうせ今日はもう商売にならねぇ」
私は屋台の厨房に入り込むと、借りたナイフを構えた。 12歳の小さな手だが、食材を前にすれば関係ない。 オーク肉の筋を的確に見極め、繊維を断つように一口大に切り分ける。硬い肉も、切り方一つで柔らかくなるのだ。
そして、ここからが魔法(料理)の時間だ。
ボウルに肉を放り込み、先ほど買い取った『筋力増強ポーション(という名のたまり醤油)』をドボドボと注ぐ。 さらに、屋台の隅に転がっていた「痺れ根」と「吸血草」――この世界では毒草扱いらしいが、私には生姜とニンニクに見える――をナイフの柄で潰して投入した。
「おいおいおい! 嬢ちゃん何してんだ!? 毒に毒を混ぜてどうすんだよ!」 「化学反応よ! 黙って見てなさい!」
私は肉を手で激しく揉み込んだ。 醤油の塩分と酵素が肉に浸透し、臭みを消し、旨味を凝縮させていく。 黒い液体を吸い込んだオーク肉は、艶やかな飴色へと変貌した。
最後に芋の粉をたっぷりとまぶす。 鍋の油は、適温に熱せられている。
「いくわよ」
――ジュワアアアアアッ!!!
肉を油に落とした瞬間、爆音のような軽快な音が広場に響き渡った。 それと同時に、白い湯気と共に「暴力的な香り」が立ち昇る。
焦げた醤油の香ばしさ。 ニンニクと生姜の刺激的な香り。 そして、オークの脂が熱され、甘い香りに変わっていく匂い。
ざわついていた野次馬たちが、一斉に静まり返った。 いや、全員が鼻をヒクつかせ、喉をゴクリと鳴らしたのだ。
「な、なんだこの匂いは……?」 「くせぇ……はずなのに、なんで俺の腹は鳴ってるんだ?」 「あの黒い毒薬が、こんな香ばしい匂いになるのか!?」
私は菜箸(代わりの長い枝)で肉を転がす。 衣は白から狐色、そして食欲をそそる黄金色へ。表面はカリッと、中はジューシーに。 油の泡が小さくなり、パチパチという高い音に変わる。 今だ。
「あがりっ!」
油を切って、皿に山盛りにする。 揚げたての『オーク肉の竜田揚げ』。 ゴツゴツとした見た目はまるで岩のようだが、その表面は脂でキラキラと輝き、湯気が立ち上る姿は神々しさすら感じる。
「はい、おまたせ。オーク肉の特製竜田揚げよ」
私は皿をカウンターにドンと置いた。 だが、誰も手を出さない。 匂いには惹かれているが、「不味いポーション」と「ゴミ肉」と「毒草」のキメラ料理だ。命知らずの冒険者でも躊躇するのは当然だろう。
だから、私はターゲットを絞った。
「そこのスキンヘッドのおじさん」 「……お、俺か?」 「お肉の提供者だもの。一番に食べる権利があるわ。さあ、食べて」
私は揚げたての一つを串に刺し、ガルドーの鼻先に突きつけた。
「ま、待て! 俺はまだ死にたく……」 「食べなさい」 「ひぃッ!?」
私の(元料理長としての)威圧感に気圧され、ガルドーは覚悟を決めたように目を閉じた。 ええい、ままよ! とばかりに、熱々の肉塊に齧り付く。
――カリッ、サクッ。
広場に、心地よい破砕音が響いた。
ガルドーの動きが止まる。 見守っていた群衆も息を飲む。 死んだか? 泡を吹いて倒れるか?
「……ッ!?」
ガルドーが見開いた目は、驚愕に染まっていた。 カリカリの衣を突破した瞬間、中に閉じ込められていた熱々の肉汁が、爆弾のように口内で炸裂したのだ。
不味いポーション? 違う。これは、肉の旨味を極限まで引き立てる「神の雫」だ。 臭い肉? 違う。生姜とニンニクの風味が獣臭さを消し去り、むしろ野性味あふれる濃厚なコクへと昇華させている。
咀嚼するたびに、ジュワッ、ジュワッ、と脂と旨味が溢れ出す。 飲み込むのが惜しい。 だが、喉が欲する。 気づけばガルドーは、二口目、三口目と無我夢中で貪っていた。
「う……うぉぉぉぉッ!!!」
突然、ガルドーが天を仰いで咆哮した。
「な、なんだ!? やっぱり毒か!?」 「違う……うめぇ……! なんだこれ、死ぬほど美味ぇぇぇッ!!」
ガルドーの目から涙が噴き出していた。 強面のスキンヘッドが、子供のように鼻水を垂らしながら、熱々の肉を頬張っている。
「力が……力が湧いてくるぞ! しかも、いつもの嫌な動悸がしねぇ! 腹の底から熱くなる、この感覚はなんだ!?」
それはそうだろう。 美味いものを食べて、栄養を摂ったのだ。 ポーションとしての効能(筋力アップ)に加えて、幸福感というバフまで掛かっている。
「嬢ちゃん! もう一つくれ! いや、全部だ! 金なら払う!!」 「俺にもくれ! 俺が先だ!」 「ふざけんな、俺は金貨を出すぞ!!」
ガルドーの絶叫を皮切りに、広場はパニックになった。 誰もが財布を握りしめ、私の屋台へと殺到する。
私は舞い上がる粉と油の匂いの中で、不敵に笑った。 そう、これだ。 客が理性を失い、ただひたすらに「食」を求めて群がるこの光景。
「はいはい、並んで! 押さないで! 今揚げるから!!」
異世界転生、二日目。 元・天才料理人ルネ・ヴィオラの『伝説』は、オークの脂と醤油の匂いと共に幕を開けたのだった。




