第27話:奈落の底で目覚めたら。そこは『高級食材』の宝庫でした
目が覚めると、そこは闇の中だった。
「……いったぁ……」
私は湿った地面に横たわっていた。頭がズキズキする。 最後に覚えているのは、店の裏でカレーパンを食べていたら、突然袋を被せられたこと。 そして、落下した感覚。
体を起こし、目を凝らす。 薄暗い。天井は見えないほど高く、周囲には青白い燐光を放つ苔だけが明かりだ。 空気は重く、鼻を突く腐敗臭と、濃密な魔素の気配が漂っている。
地面には、無数の白骨死体が転がっていた。 人間のものではない。巨大な魔物の骨だ。
「……なるほど。どうやら『処分』されたみたいね」
状況は理解した。 ここは、王都の地下深くに存在すると噂される、未踏のダンジョン『奈落の迷宮』の最下層だ。 一度落ちれば二度と戻れない。Sランク冒険者ですら足を踏み入れない、正真正銘の地獄。
普通の12歳の少女なら、恐怖で泣き叫んで発狂する場面だろう。 だが、私は違った。
――グゥゥゥ……。
盛大な音が洞窟に響いた。 私の腹の虫だ。 カレーパンを半分しか食べていなかったせいで、空腹が限界突破していた。
「腹が減っては戦はできぬ、か」
私は立ち上がった。エプロンはボロボロだが、奇跡的にポケットに入っていた『鑑定用モノクル(片眼鏡)』は無事だった。 さらに、腰にはいつもの『万能包丁(ミスリル製)』が差さっている。 誘拐犯は、料理人から包丁を取り上げるのを忘れるなんて、素人ね。
その時。 闇の奥から、複数の赤い光が浮かび上がった。
ギャァァァッ!! 耳をつんざくような鳴き声と共に現れたのは、ダチョウほどもある巨大な鳥の群れだ。 全身が漆黒の羽毛に覆われ、嘴には鋭い牙、そして異常に肥大化した肝臓部分が赤く発光している。
【魔物名:ヘル・ファット・グース(地獄の肥満ガチョウ)】 【危険度:Aランク(群れでドラゴンをも殺す)】
凶悪な魔物だ。 だが、私のスキル【食材鑑定】が表示した『推奨部位』を見た瞬間、私の目から恐怖が消え失せた。
【ドロップ部位:肝臓(脂肪肝)】 【別名:『禁断のフォアグラ』】 【味覚:濃厚にして芳醇。口の中でバターのように溶ける】
「……は?」
私はよだれを拭った。 フォアグラ? あれが? 前世では高級すぎて特別な日にしか扱えなかった、あの世界三大珍味が、向こうから群れで歩いてくる?
さらに、足元の地面を見る。 腐敗臭だと思っていた匂いの正体。 湿った土の中に、黒くてゴツゴツした塊が埋まっている。 それを守るように、凶暴なキノコの魔物が動いているが、そんなものはどうでもいい。
【植物名:ダーク・ファンガス】 【別名:『黒のダイヤモンド(黒トリュフ)』】 【香り:土と森の香りが凝縮された、官能的な芳香】
「うそ……トリュフまで!?」
私は震えた。 ここは地獄なんかじゃない。 フォアグラが歩き、トリュフが足の踏み場もないほど生えている。 さらに奥の池には、黒い粒々(キャビア)を抱えたチョウザメのような魔物の姿も見える。
「ここは……」
私は包丁を抜き放ち、満面の笑みを浮かべた。
「ここは『天然の高級フレンチ・レストラン』じゃないの!!」
ギャッ!? 殺気を感じたのか、ヘル・グースたちが後ずさる。 遅い。 空腹の料理人から逃げられると思うなよ。
「さあ、晩餐の時間よ! 全員、私のフライパンになりなさい!!」
◆
数時間後。
奈落の底に、優雅な香りが漂っていた。 私が即席で作った石のコンロの上で、ジュウジュウと音を立てて焼かれているのは、分厚くスライスした『地獄のフォアグラ』だ。 表面はカリッと香ばしく、中はトロトロ。 そこから溢れ出した脂で、『黒トリュフ』のリゾット(持っていた生米を使用)を炒める。
「ん~っ! 最高!」
私は焼きたてのフォアグラを口に放り込んだ。 濃厚な脂の甘み。舌の上で一瞬で液体となり、喉を潤す。 そこに、トリュフの芳醇な香りが鼻から抜け、脳髄を痺れさせる。
「こんな美味しいものを独り占めなんて、バチが当たりそうね」
私は、積み上げた魔物の死体の山の上に腰掛け、優雅に食事を楽しんだ。 地上では大騒ぎになっていることなど知る由もなく。
◆
一方、地上。 『キッチン・アトリエ』。
店主不在の店で、ガルドー、ヴォルグ、キュイジー、そして勇者カイトが集まっていた。 全員、目が血走っている。 彼らの手には、現場に残されていたルネのエプロンの切れ端が握られていた。
「……許さん」 カイトが低く呟いた。彼の手の中で、聖剣がカタカタと震えている。 「俺の『飯の供給源』を断つとは……魔王軍よりタチが悪いぞ。犯人は誰だ」
「目撃情報がある」 ヴォルグが地図をテーブルに叩きつけた。 「王城の地下から現れた黒装束の男たちが、ルネを連れ去るのを見た者がいる。……召喚士ゾッドの手の者だ」
「ゾッド……あの陰気な野郎か」 ガルドーさんが大盾を持ち上げ、床に叩きつけた。石畳が粉々に砕ける。 「俺の可愛いルネに指一本でも触れてみろ。この盾でミンチにしてやる」
キュイジーも、いつもの穏やかな表情を捨て、柳刃包丁を研いでいた。 「師匠を攫うとは、料理人以前に人間として終わっていますね。三枚におろして差し上げましょう」
最強の戦士、最強のギルマス、最強のシェフ、そして勇者。 ルネという「食の要」を奪われた男たちは、完全にバーサーカーと化していた。
「行くぞ野郎ども!! 王城だろうが奈落だろうが関係ねぇ!!」 「「「オオォォォォォッ!!!」」」
王都が揺れた。 史上最悪の『ルネ奪還作戦(という名の王城襲撃)』が始まろうとしていた。
……まあ、彼らが奈落の底に到着する頃には、私はフォアグラの食べ過ぎで少し太っているかもしれないけれど。




