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第26話:帰還、そして熱狂の『王都カレー化計画』と、忍び寄る黒い影

砂漠の国『サバク』での任務を終え、私たちが王都に帰還して数日。  私の店『キッチン・アトリエ(王都出張所)』の前には、異様な人だかりができていた。


「おい、なんだこの匂いは……?」 「鼻が曲がりそうだ! でも、なぜか涎が止まらねぇ!」


 通りを行き交う人々が足を止め、店から漂う「黄色い魔性の香り」に吸い寄せられている。  私が砂漠から持ち帰った大量のスパイス。  それを、ザイード王子から教わった配合ではなく、私流に――つまり**『日本風』**にアレンジした結果、王都でパンデミックが発生しようとしていた。


 ◆


 厨房で、私は巨大な寸胴鍋をかき混ぜていた。  砂漠で作ったのはサラサラの『薬膳スープカレー』だったが、今回作っているのは違う。  小麦粉とバターをきつね色になるまで炒め、そこにスパイスを投入して練り上げた『特製カレールー』。  それを、炒めた大量の玉ねぎ、人参、じゃがいも、そしてオーク肉の角切りと一緒に煮込んだものだ。


 そう、**『国民食・とろとろポークカレー』**である。


 隠し味には、すりおろしたリンゴと蜂蜜、そしてもちろん『醤油ポーション』。  一晩寝かせたことで、スパイスの角が取れ、野菜の甘みが溶け出し、魔性のコクが生まれている。


「はい、おまたせ! 『特製カツカレー』よ!」


 私は、揚げたての『オーク肉のトンカツ』をサクサクと切り、山盛りのライスの上一面に乗せる。  その上から、ドロリとした褐色のルーをたっぷりと回しかける。


「お待ちしてましたぁぁぁ!!」


 カウンターで涎を垂らして待っていたのは、勇者カイトだ。  彼はスプーンをひったくり、カツとカレーとライスを同時に掬い上げた。


 ガブッ!!


「んぐ、ふぅ……! 熱ッ! うめぇぇぇ!!」


 カツの衣がサクッと音を立て、中から肉汁が溢れる。  そこへ、スパイシーかつ甘みのある濃厚なカレーが絡みつく。  白飯が全てを受け止め、喉の奥へと流し込む快感。


「これだよ! 給食のカレーを百倍うまくした味だ! 辛いのに甘い! 甘いのに辛い!」


 カイトの絶叫を聞いて、周りの客たちも我先にと注文する。


「俺にもくれ!」 「その黄色いシチューをよこせ!」


 店内は、カレーを咀嚼する音と、スプーンが皿に当たる音だけの空間になった。  汗をかきながら水を飲み、またカレーを食う。  スパイスの中毒性は、平和な王都の住民には刺激が強すぎたようだ。


「ふふん。これで王都も『カレー色』に染まったわね」


 私は満足げに鍋をかき混ぜた。  この売上があれば、さらに新しい調理器具が買える。  次は冷蔵庫(魔道具)を大型化して、アイスクリームでも作ろうか。


 そんな平和な想像をしていた、その時だった。


 ◆


 王城の尖塔。  街を見下ろす薄暗い部屋から、一人の男が眼下の喧騒を見つめていた。


 漆黒のローブに身を包み、痩せこけた頬に、爬虫類のような冷たい目をした男。  王宮筆頭魔術師にして、勇者召喚の儀を執り行った召喚士、ゾッドだ。


「……またか。またあの小娘か」


 ゾッドの手元にある水晶玉には、カレーを食べて幸せそうに緩んだ顔をしている勇者カイトの姿が映し出されていた。


「嘆かわしい……。勇者とは、飢えと渇きに耐え、憎しみと使命感のみで魔王を殺す『生体兵器』でなくてはならんのに」


 ゾッドはギリリと歯噛みした。


 彼が異世界から勇者を喚んだのは、世界を平和にするためではない。  魔王と勇者をぶつけ合い、双方が疲弊したところで、その強大な魂と魔力を同時に奪い取り、自らが『新世界の神』となるためだ。  そのためには、勇者は精神的に追い詰められ、殺伐としていなければならない。


 だというのに。


『おかわり! 福神漬け(ダンジョンの赤い根菜)多めで!』 『はーい、カイト君いい食べっぷりねー!』


 水晶の中の勇者は、満面の笑みでカレーをおかわりしている。  ストレスゼロ。  栄養満点。  幸福度マックス。


 これでは、憎しみの力など湧くはずがない。


「……あの料理人が邪魔だ。奴がいる限り、勇者は『人間』としての幸せを捨てきれん」


 ゾッドは杖を握りしめた。  その杖の先から、ドス黒い瘴気が漏れ出す。


「消えてもらおうか、ルネ・ヴィオラ。……貴様のその『神の舌』ごと、闇のダンジョンの餌食にしてくれる」


 ゾッドが指を弾くと、影の中から数体の『異形の使い魔』が這い出した。  それは料理の匂いではなく、血の匂いを好む殺戮者たち。


「行け。あの娘を誘拐し、誰も帰還したことのない『奈落の迷宮』へ突き落とすのだ」


 ◆


 店じまいを終えた深夜。  私は勝手口で、夜風に当たりながら試作の『カレーパン』を齧っていた。


「ん、外側カリカリで中はトロトロ。悪くないわね」


 平和な夜。  しかし、私の背後の闇が、音もなく揺らめいた。


「……?」


 私のスキル【食材鑑定】が、奇妙な反応を示した。  食材ではない。しかし、有機物反応。  振り返ろうとした瞬間――。


 視界が黒い袋に覆われ、私の意識は薬品の匂いと共に暗転した。


 スローライフ終了のお知らせ。  次に目覚める場所は、厨房ではなく、本物の地獄(高難易度ダンジョン)の底だった。

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