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第25話:衰弱する国王と、伝説の『薬膳スパイス・カレー』

砂漠の国『サバク』の王宮。  黄金の装飾が施された寝室は、死臭にも似た澱んだ空気に包まれていた。


「……父上。ザイードが戻りました」


 天蓋付きの巨大なベッド。そこに横たわっているのは、かつて「砂漠の獅子」と呼ばれた国王アル・バハだ。  だが今の彼は、骨と皮だけのミイラのように痩せ細り、目は虚ろに天井を見つめている。


「……うぅ……」


 王の口元には、侍女がスプーンで何かを運んでいた。  ドロドロに溶かした砂糖菓子と、蜂蜜を混ぜたシロップだ。


「陛下、一口だけでも……」 「……いらん……甘い匂いは……もう嗅ぎたくない……」


 王は弱々しく首を振った。  その様子を見た瞬間、私は侍女の手から器をひったくった。


「ちょっと! 何を食べさせてるの!?」 「えっ? ええと……陛下は固形物が喉を通らないので、せめて栄養のある糖分を……」 「バカなの!?」


 私の怒声が寝室に響いた。  侍女がひっ、と縮み上がる。


「見てみなさい、この顔色! 土気色で、肌がベタベタしてる。これは『湿熱しつねつ』が溜まってる証拠よ!」


 砂漠のような暑い気候で、甘くて粘り気のあるものばかり摂取すればどうなるか。  胃腸の動きが止まり、体内に熱と水分がこもって、逆に体力を奪うのだ。  いわゆる「夏バテの末期症状」である。


「今の王様に必要なのは、甘いシロップじゃない。止まった胃袋を強制的に叩き起こす、強烈な『起爆剤』よ!」


 私はザイード王子に向き直った。


「王子、厨房を借りるわ。それと、私のリュックから『一番ヤバイ粉』を持ってきて」 「ヤ、ヤバイ粉……とは?」 「ガルドーさんが咳き込んで泣いた、あの特製ブレンドよ」


 ◆


 王宮の厨房。  私は巨大な寸胴鍋と対峙していた。


 今回のテーマは**『飲む点滴・薬膳スープカレー』**だ。  固形物が喉を通らないなら、スープにすればいい。ただし、ただのスープではない。


 まず、ベースを作る。  砂漠に生息する『サンド・バード(地鶏)』のガラと、香味野菜を強火で煮込む。  黄金色の、濃厚なチキンスープ。これだけでも栄養満点だが、まだ足りない。


 ここへ、魔法をかける。


 フライパンにたっぷりの油を引き、ホール(粒)のままのクミン、カルダモン、クローブ、そしてブラックペッパーを投入。  弱火でじっくり熱する。  スパイスの中の精油成分を、油に移す工程――『テンパリング』だ。


 シュワシュワシュワ……。  スパイスが弾け、厨房内にエキゾチックで刺激的な香りが爆発する。


「っくしゅ! な、なんだこの刺激臭は!?」  見学していた王宮料理長たちが涙目で後ずさる。


「逃げないで! ここからが本番よ!」


 私はそこへ、すりおろした大量のニンニクと生姜、そしてみじん切りの玉ねぎを投入。  焦げる寸前まで炒め、ペースト状にする。  さらに、ターメリック(肝機能強化)、カイエンペッパー(発汗作用)、コリアンダー(食欲増進)など、十種類以上のパウダースパイスを一気に加える。


 ドバァッ!!


 油とスパイスが融合し、赤黒いマグマのような『スパイス・オイル』が完成した。  これを、先ほどのチキンスープに全量投入する!


 ジュワアアアアアアッ!!!


 黄金色のスープが、一瞬で鮮烈な茜色に染まる。  湯気だけで汗が噴き出るような、強烈な香気。  具材はあえて入れない。消化のために、スープのみで勝負する。  最後に、少量の『醤油ポーション』で味を引き締める。


「完成。 『王族専用・超激辛・薬膳スープカレー』!」


 ◆


 寝室に戻った私は、王の枕元に立った。  手には湯気を立てるスープ皿。


「……うっ」  王の鼻がピクリと動いた。  甘ったるい香りに満ちていた部屋が、一瞬にしてスパイスの刺激臭に塗り替えられる。


「な、なんだ……この、鼻を刺す匂いは……?」 「お薬ですよ、王様。ちょっと辛いけど、男なら一気に飲みなさい」


 私はスプーンでスープをすくい、王の口へ運んだ。


 王は拒絶しようとしたが、その香りに本能が反応したのか、無意識に口を開いた。


 ――ズズッ。


 瞬間。  王の目がカッと見開かれた。


「ぐ、ぐぉッ!? か、辛らぁぁぁっ!!?」 「陛下!?」


 王が激しく咳き込む。  口の中が焼けるようだ。喉が熱い。食道が熱い。  そして、その熱い塊が胃袋に落ちた瞬間――。


 ドクンッ!!


 死んでいた胃袋が、強烈なスパイスの刺激によって、心臓マッサージを受けたかのように脈動を再開した。


「ハァ、ハァ……! なんだこれは! 痛い! 熱い! だが……」


 王の額から、玉のような汗が噴き出した。  毛穴という毛穴から、体内に溜まっていた悪い熱と老廃物が排出されていく。  顔色が、土気色から鮮やかな赤色へと変わる。


「……もっとだ。もっと寄越せ!!」


 王が私の手首を掴んだ。  その力は、ミイラとは思えないほど強かった。


「お気に召したようね」


 私は次々とスープを運ぶ。  飲むたびに「辛い!」「美味い!」と叫び、汗を流す王。  スパイスの辛さが脳内麻薬エンドルフィンを分泌させ、チキンスープの旨味が枯渇していた身体に染み渡る。


「うおおおおッ! 燃える! 身体が燃えているぞ!!」


 最後の一滴を飲み干した時、王はベッドの上に仁王立ちしていた。  ガリガリの体だが、その目には獅子の如き眼光が戻っている。


「……ザイードよ」 「は、はい! 父上!」 「腹が減った。肉を持ってこい! 羊を一頭丸焼きにしろ!!」


 部屋中が歓声に包まれた。  侍女たちが泣き崩れ、ザイード王子が私に抱きつこうとしてガルドーさんに止められている。


 私は空になった皿を見て、フッと笑った。


「やっぱり、最後に人を救うのは『美味い飯』ね」


 こうして、砂漠の国の危機は去った。  後日、元気になりすぎた王様が「毎食カレーにしろ!」とワガママを言い出し、今度は「香辛料の過剰摂取による腹痛」を起こすのは、また別の話だ。


 そして私は、王家から感謝の印として、国宝級のスパイスと、ある『地図』を受け取ることになる。  それは、さらなる美食への道標だった。

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