第23話:砂漠の王子と、黄金の粉『スパイス』の魔法
戦場への出張を終え、久しぶりに戻ってきた『キッチン・アトリエ』。 平和な日常が戻ってきた……と言いたいところだが、今日の店内は少し空気が違っていた。
「……水臭い。この国の料理は、まるで水で薄めた泥だ」
カウンターの端で、一人の青年がボソリと呟いた。 フードを目深に被り、褐色の肌に、ジャラジャラと高価そうな金の装飾品を身に着けた異国人だ。 彼は出された水を一口飲み、ガルドーさんが作ったサンドイッチには手も付けずに溜息をついている。
「おいあんた、文句があるなら食わなくていいぞ」 ガルドーさんがイラつきながら声をかける。
「すまない。悪気はないのだが……体が受け付けないのだ。我が故郷の『熱い風』を思い出させる、あの刺激が足りない……」
青年はフラフラと立ち上がり、眩暈を起こしたように倒れかけた。
「っと、危ない!」 私が慌てて支える。 彼の体は冷え切っていた。顔色は土気色だ。 これはただの空腹じゃない。
(この症状……極度の『スパイス欠乏症』ね)
砂漠や熱帯地方の人間にとって、スパイスは単なる調味料ではない。 発汗を促して体温を調節し、胃腸の働きを助け、気力を維持するための「薬」なのだ。 この寒冷な王国に来て、淡白な味付けばかり食べていたせいで、自律神経が参ってしまっているのだろう。
「あんたが求めてるもの、分かるわよ」 「……何?」 「**『黄金の粉』**でしょ?」
青年の瞳が、フードの下でカッと見開かれた。
「知っているのか!? 死んだ父王が愛し、我が国から失われてしまった伝説の調味料を!」
どうやら彼の国では、スパイスが貴重品すぎて失伝してしまったらしい。 でも大丈夫。私のリュック(ダンジョン採取品)には、それが入っている。
「座って待ってなさい。あんたの血液を沸騰させる、極上の『薬』を作ってあげるから」
◆
私は厨房に入り、石窯の火を強めた。 作るメニューは決まっている。 弱った胃腸でも消化しやすく、かつスパイスのパンチが効いた肉料理――**『羊肉のキーマカレー』**だ。
まずはスタータースパイス。 フライパンにたっぷりの油を引き、クミンシード(のような種)を投入。 シュワシュワと泡立ち、香ばしい香りが立ち上る。これが食欲のスイッチだ。
そこへ、みじん切りの玉ねぎを投入。 飴色になるまで徹底的に炒め、水分を飛ばして甘みを凝縮させる。 さらに、おろしニンニクと生姜をガツンと効かせる。
「いい匂いだ……」 カウンターの青年が、鼻をピクつかせている。
ここへ、粗挽きにしたマトン(羊肉)を投入。 羊特有のクセのある香りが立つが、それこそがこの料理の醍醐味だ。 肉の色が変わったら、いよいよ『魔法の粉』の出番。
ターメリック、コリアンダー、クミン、赤唐辛子、そして数種類の秘伝スパイス(ガラムマサラ的なもの)をブレンドしたパウダーを、惜しげもなく振りかける。
バッッッ!!
瞬間、厨房の空気が変わった。 鼻孔を突き刺し、脳を直接揺さぶるような、鮮烈でエキゾチックな香り。 辛み、苦み、甘み、香ばしさ。複雑な香りの爆弾が炸裂したのだ。
「うおっ!? なんだこの匂いは!? くしゃみが出るが、腹が鳴るぞ!」 ガルドーさんが鼻をこすりながら厨房を覗く。
私はトマトの水分だけでじっくりと煮込み、塩で味を整える。 水は一滴も使わない。肉と野菜の旨味だけのドライカレーだ。
そして、合わせるのはライスではない。 石窯の内壁に、小麦粉とヨーグルトで練った生地をペタリと貼り付ける。
――プクーッ。 生地があっという間に膨らみ、表面に美しい焦げ目がつく。 **『ナン』**の焼き上がりだ。
「おまちどうさま!」
青年の前に、銀の盆を置く。 中央には、赤茶色に輝くキーマカレー。 脇には、顔より巨大な、焼きたて熱々のナン。 そして口直し用の『ラッシー(ヨーグルトドリンク)』。
「こ、これは……」
青年は震える手でナンをちぎった。 パリッ、モチッ。 湯気の立つナンをスプーン代わりにして、キーマカレーをたっぷり救い上げる。
パクッ。
「……!!!」
青年の背筋が反り返った。
ガツン! と来る唐辛子の辛さ。 その直後に訪れる、羊肉の野性味溢れる濃厚な旨味。 スパイスの香りが鼻から抜け、閉じていた毛穴が一斉に開くのを感じる。 噛みしめれば、ナンのほのかな甘みが辛さを中和し、次の一口を誘う。
「熱い……! 体が、燃えるようだ!!」
彼の額から、玉のような汗が噴き出した。 死人のようだった顔色に、みるみる赤みが差していく。 辛い。でも止まらない。 ヒーヒー言いながら、冷たいラッシーを流し込む。 ヨーグルトの酸味が舌のヒリヒリを癒やし、それが引くとまたカレーが欲しくなる。
「うまいッ! うまいぞおおおおッ!!」
青年は叫び、ナンで皿を拭うようにして完食した。 彼は荒い息を吐きながら、キラキラと輝く目で私を見た。 その瞳には、かつての覇気が戻っていた。
「……礼を言う。私の名はザイード。東の砂漠の国『サバク』の第二王子だ」
「王子様だったの? 通りで態度がデカ……いや、気品があると思ったわ」
ザイード王子は、私の手を取り、跪いた。 まるでプロポーズのような姿勢に、店内のミシェルカが「キャーッ!」と赤面する。
「ルネ殿! どうか我が国へ来てくれないか!」 「へ?」 「我が国には、この『スパイス』の原料となる植物が自生しているが、誰も使いこなせないのだ! 父王も食欲を失い、国は衰退している……。貴女の腕で、我が国を救ってほしい!」
砂漠の国。 そこには、まだ見ぬスパイスや、珍しい食材(サボテン? ラクダ肉?)があるはずだ。 私の料理人としての好奇心がうずいた。
「……悪くない話ね。カレー以外にも、タンドリーチキンとか、ケバブとか作りたいし」
私はニヤリと笑った。
「いいわよ、王子様。その依頼、引き受けたわ! 『キッチン・アトリエ・海外出張編』、スタートよ!」
こうして、私のスローライフ(願望)はまたしても遠のき、今度は灼熱の砂漠へと旅立つことになったのだった。 待っていろ、スパイス! 待っていろ、未開のグルメたち!




