第18話:深紅の宝石『マグロ』と、異世界初の『握り寿司』
「さて……次は本命よ」
イカ刺しを完食し、気力・体力共に充実した私たちは、地下湖の岸辺に立っていた。 狙うは、湖の中央を優雅に泳ぐ巨大な魚影。 漁師長のザバが『槍の魚』と呼ぶ、カジキとマグロを足して2で掛けたような怪物だ。
「ルネ、どうするんだ? 船で近づけば、あの尖った口で船底に穴を開けられるぞ」 「だから、船は出さないわ。ここから『釣る』のよ」
私はリュックから、ドワーフの鍛冶師ドラゴに特注で作らせた『ミスリル合金のワイヤー』と、人の掌ほどもある『巨大な釣り針』を取り出した。 餌は、さっき倒したクラーケンの内臓(肝)だ。強烈な匂いが魚を誘うはずだ。
「竿はどうするんですか? あんな怪物を支えられる竿なんて……」 「あるじゃない。そこに」
私は視線をガルドーさんに向けた。 身長2メートル、筋肉の鎧を纏った元Sランク冒険者。彼以上の「剛竿」はこの世に存在しない。
「……俺かよ」 「頼んだわよ、人間ウインチさん。腰を落として、絶対に離さないでね」
ガルドーさんは溜息をつきつつも、ワイヤーを腰のベルトと腕に何重にも巻き付けた。 私はワイヤーの先端に餌を付け、遠心力を利用してブン回した。
「いっくわよー! 必殺、カジキ一本釣り!!」
ヒュンッ!! 唸りを上げて飛んだ仕掛けは、湖の中央へポチャンと着水した。 クラーケンの肝の脂が水面に広がる。
数秒後。 水面が盛り上がり、銀色の閃光が走った。
ガツンッ!!
「うおぉっ!?」
ガルドーさんの巨体が、ズルズルと水際へ引きずられる。 ヒットだ。
「引いてぇぇぇッ!! ガルドーさん!!」 「ぬぅん! なめんなァァァッ!!」
ガルドーさんの腕の筋肉が岩のように隆起する。 血管が浮き上がり、足元の岩盤がミシミシと音を立てて砕ける。 水中の怪物 VS 陸の怪物。純粋なパワー勝負。
バシャアアアアッ!! 水しぶきと共に、全長3メートルを超える巨体が空中に躍り出た。 美しい流線型。青黒い背中に、銀色の腹。
「よし、浮いた!」
私は再び宙を舞った。 手には『解体用ハンマー』。 空中で暴れる魚の脳天めがけて、全体重を乗せた一撃を振り下ろす。
「おやすみなさいッ!!」
ドゴォォォン!! 鈍い音が響き、巨魚は白目を剥いてぐったりと脱力した。 即座にエラにナイフを入れ、血抜きを行う。心臓が動いているうちに血を抜かねば、身に血が回って生臭くなるからだ。
◆
「で、デカい……」
陸に引き上げられた魚――【エンペラー・ツナ(皇帝マグロ)】の前で、男たちは絶句していた。 丸々と太った魚体。包丁を入れる前から分かる、脂の乗り具合。
「さあ、ここからがショータイムよ」
私は柳刃包丁ではなく、刃渡り60センチはある『マグロ包丁(ドラゴ製)』を構えた。
まずは頭を落とす。ズドン。 カマ(エラの後ろ)を切り取る。ここは焼くと美味い。 そして、背中から中骨に沿って包丁を滑らせる。
――ザクッ、スゥゥゥ……。
心地よい音と共に、巨大な身が左右に開かれていく。 現れたのは、鮮やかな深紅の身。 そして腹側に行くにつれて、美しいピンク色のグラデーションを描き、きめ細かいサシ(脂)が入っている。
「う、美しい……」 キュイジーが呻いた。 「まるで宝石だ。ルビーと、ピンクダイヤモンドのようだ……」
「これが『赤身』。こっちが『中トロ』。そして、一番脂が乗っている腹の皮目が……『大トロ』よ」
私はそれぞれの部位を柵に取り分けた。 そして、リュックから取り出したのは、鍋に入った『銀シャリ』だ。 早起きして石窯で炊いてきた、少し硬めの白飯。 ここに、ダンジョン産の『酢の実』の果汁と、塩、そして貴重な砂糖を混ぜ合わせた『合わせ酢』を回しかける。
しゃもじで切るように混ぜ、うちわ(ミシェルカの風魔法)で仰いで人肌まで冷ます。 ツンとした酢の香りが立ち上ると、私は手を酢水で濡らした。
「へい、らっしゃい」
即席の岩場カウンターで、寿司屋ルネが開店した。
左手にシャリを掴む。空気を含ませるように、ふんわりと。 右手に切りつけた『大トロ』を持つ。 ワサビをちょんと乗せ、シャリとネタを合わせる。
キュッ、ポン。 流れるような手つき――『小手返し』で握られたそれは、芸術的なフォルムをしていた。 人肌のシャリの上に、垂れ下がるほどの大きな大トロが鎮座している。
「まずは一貫。食べてみて」
私はザバの前に置いた。 漁師長である彼には、その権利がある。
「こ、米の上に生魚……? 本当に美味いのか……?」
ザバは震える手で寿司を摘まみ、醤油を少しつけて口へ運んだ。
……静寂。 ザバが目を閉じ、咀嚼する。
――ジュワッ。
口の中で、大トロの脂が体温で溶け出した。 濃厚な甘み。 それが、酢飯の酸味と混ざり合うことで、くどさを消し、旨味へと昇華される。 シャリの粒がほろりと解け、魚と一体化する。
「……なんじゃ、こりゃあぁぁぁ!!」
ザバが絶叫した。
「溶けた! 魚が溶けたぞ! なのに、米の甘みが追いかけてきて……うめぇ! なんだこれ、刺身だけで食うより数倍うめぇ!!」
「マジか!? 俺にもくれ!」 「私にも!」
ガルドーとキュイジーが身を乗り出す。 私は次々と握った。 ねっとりとした旨味の『赤身』。 脂と身のバランスが神懸かっている『中トロ』。 そして、とろける『大トロ』。
「ふぉぉぉ……! この酢飯という発明は天才的です!」
キュイジーが分析しながら悶絶している。
「冷たい魚と、人肌の米。この温度差! そして酢の酸味が、魚の脂を切って次の一貫を欲させる……! 永遠に食べられる永久機関だ!」 「大将! おかわりだ! 今度はその『カマトロ』ってやつを炙ってくれ!」
ガルドーさんはすでに常連の顔つきだ。 私はバーナー(ミシェルカの火魔法を細くしたもの)で、大トロの表面をサッと炙った。 焦げた脂の香ばしい匂いが、洞窟内に充満する。 これを、塩とレモン(酢の実)で。
「ほい、炙りトロお待ち!」 「くぅぅぅ! 犯罪的だぜ!!」
地下湖のほとりで繰り広げられる、狂乱の寿司パーティー。 私たちは、持参したシャリが無くなるまで、そして巨大マグロの腹が骨になるまで、ひたすらに握り、食い続けた。
「……決めたわ」
満腹で岩場に寝転がりながら、私は天井を見上げて言った。
「ザバさん。漁師ギルドと独占契約を結びましょう。この地下湖の管理と、定期的な『仕入れ』をお願い」 「おうよ! こんな美味いもんが眠ってるなら、命懸けで獲る価値がある!」 「キュイジー、あんたには『魚の締め方』と『酢飯の作り方』を教えるわ」 「はいっ! 是非に! これを王都で出せば、革命が起きます!」
こうして、海のない内陸の街に、新たな名物が誕生することになった。 『キッチン・アトリエ』限定メニュー――【天空の海鮮丼】と【幻の握り寿司】。 その噂は、やがて国中を駆け巡ることになるのだが……今はまだ、私たちだけの秘密の味だ。
「あー、お腹いっぱい。……でも、次は『食後のデザート』が必要よね?」
私の食への探求(強欲)は、まだまだ留まることを知らない。




